初出:Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』(2007年8月19日 コミックマーケット72)、2007年6月20日脱稿
Tactics/Key作品において、後発の作品についての様々な検討を経るにつれ、「強さ」「日常」「過酷」「高み」等のモチーフを含め、作品の原点が処女作にある、という感触が論者の中で強まっている。そこで、この際改めて『MOON.』に立ち返って考えることとしたい。
まず、「強さ」については『MOON.』において「精神強度」という隠しパラメタとして設定されているという大きな特徴がある。このパラメタの変化については、ELPODにおいて前半は醜い(穢れた)自分を認めるかどうかの選択、後半は、性欲に流されるか否かの選択を行うという大まかな分類を有している。
ここで注目すべきは、FARGO宗団の教義に基づいて実施されるこの修行を、はなから否定的には捉えていないという点である。むしろ、「精神強度」の鍛錬を行い、郁未を「正しい」方向へ導く役割すら担う。いかにも怪しいFARGO宗団であるが、うさんくさいから全否定する、という態度ではなく、認める余地を有している点を改めて指摘しておきたい。このことは、特に作品や作家への評価に影響するものではなく、作品内の事実として示したものである。このことから、「強さ」については、ある程度宗教的ストイシズムとの関連が考えられると印象づけることができよう。
次に、日常に対する意識について。日常は常に過酷であり、楽しい日々は束の間のことである、という認識は、既に本作からあらわされている。帰ってきた母と過ごした僅かな日々や、少年と過ごした家族を擬した日々はもちろん、同様の認識はおまけRPGのラストシーンにまで適用され、この認識は徹底されている。おまけRPG自体が「あたしたち(*1)に与えられた、休暇」であり、終わったら「またあの過酷な場所に…戻る」。そこが「私たちの本来の居場所」であると言っている。
このRPGの舞台、T棟(*2)を去るときに郁未が発する「ありがとう」の言葉は、『智代アフター』における河南子の台詞「ありがとう」とも合致(*3)しており、『智代アフター』が、朋也・智代を中心とした疑似家族で楽しく過ごした束の間の日々から卒業し、その先の過酷な日々を生きることとなるというプロットをたどることも、『MOON.』におけるおまけRPGの結語という僅かな部分との間ですら整合性を有しているという点で、上記のような認識が徹底されていることが理解できるであろう。そして、その認識は、『MOON.』が発売された1997年から『智代アフター』までの少なくとも8年程度の間、変化していないことを示すものである(*4)。
ここでは、なぜ過酷なのか、という根拠を示されることはない。人生はすべからくそうである、という事実のみが示されることとなる。それに対するあり方は、強さもて生きよ、それだけである。『MOON.』の最後に郁未が娘に対し「大きくなったら、ひとりで生きてゆけるような強さを持ってほしい」と言うこともまた、これと共通したものである。
そのとき、力となるのが、MINMESで示された「思い出」であるだろう。ただし、これにも両面性があり、「精神強度」が弱いと、思い出に耽溺して帰ってこなくなってしまうという状況が示される。このとき、夢を見てもいいけれど、「悲痛な現実に…」/「戻って…」、ということで目覚めることが正しい道のりとされている。このMINMES終盤の流れにおいても、やはり「過酷な現実」との対峙が問われていることは疑いない。
さらに、少年を救うことができなかったことで全てを諦め、思い出に帰ろうとしてMINMESに入った際に少年と出会い「こんなところで立ち止まってちゃいけないよ」/「ずっと、遠くまでいくんだよ」と言われる点については、後に「高み」という言葉してあらわれるような、不透明ながらもその先の生を限界いっぱいまで生き抜くべきという規範的態度のようなものとして示されている。
これらのキーワードについては、後の作品にも共通した要素としてあらわれているものであることは冒頭に紹介したとおりだが、要素単体として見るよりも、これらの全てが、ストイシズムというべき根を有しており、目指す点は茫洋なる「高み」であることが大きな特徴であり、その抽象的目標と倫理観から、それら自身が宗教的な色彩を帯びているということを否定できないだろう。
しかしながら、その生き方や態度の具体的な実践については、宗教団体、組織、教祖等に対する依存を含め、「何かに縋る」ということを徹底的に否定し尽くしてゆく。それは『リトルバスターズ!』の曲である「遙か彼方」の歌詞においても「縋る幾千の星を越えて」とあるように、また、『智代アフター』で、智代が朋也の記憶回復を望みながら同じ日々を過ごすことすらも、依存として、越えゆくべき滞留の位置として示されていることにも徹底されている。また、このような依存の結果が現れた人物として、『ONE』における浩平の母親を紹介せざるを得ないだろう。そこにあるのは、「せっぽう」の内容を満足げに披瀝することで教義に盲目的に依存した状況を示し、眼前の子どもにはまともに対峙していない姿として表されている。このように、依存することが常に誤った方向性として位置づけられていることは、個々の作品を越えた共通の特徴となっている。
そこまで過酷な状況に身を置いて、どこに辿り着くか、その事については、最新作『リトルバスターズ!』ゲーム本編に期待しておきたい。また、近似した感触を有する歌として、『若者たち』があることを紹介しておきたい。
君の行く道は 果てしなく遠い
君のあの人は 今はもういない
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 日が昇るとき
『若者たち』
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
だのになぜ 何をさがして
君は行くのか あてもないのに
空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める
若者はまた 歩き始める
(注)
*1 天沢郁未、巳間晴香、名倉由依の登場人物3名。
*2 ブランド名Tacticsの略。ゲーム開発スタッフが倒すべき敵ボスキャラクタとして登場。
*3 『智代アフター』7月29日(木)。朋也らが作り出した疑似家族が、河南子が昔過ごした楽しい日々と一緒だと述懐するシーン。
「救われてんだよ」
「すごく」
「だってさ…」
「あの頃みたいなんだもん」
「一番楽しくて、幸せだった時…」
「みんながいて、一緒に馬鹿やって、盛り上がってたさ…」
「それで、あいつが…いつもそばにいてくれて…」
「まるで、毎日がさ…」
「あたしが一番幸せだった時みたいなんだもん」
「すごく楽しい…」
「ありがとう」
*4 ゲームに先行して発売された『リトルバスターズ!』主題歌マキシシングル中の「Little Busters!」歌詞にも「過酷」の言葉が繰り返されており、これを含めれば10年間程度認識を同じくしていると言うことも可能である。