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2007年11月24日 (土)

○GalGame 今更だけど高橋龍也について

(『雫』のネタバレがあります)

『To Heart』から入った私には、高橋龍也氏の話というのは結構デファクトスタンダード的なところがあって、あまり言及していないところではあります。氏の作品では作品論がやりにくいみたいなことを昔の日記で書いたことはあります。

さて、『リアライズ』については、まあ発売前からの危惧どおり、エゴ云々の設定があまりにも心理学をうわっつらだけなぞりました、という感がして仕方なく、エゴのぶつかり合いなんて、べたすぎて恥ずかしすぎ、痛々しくて見ていられない感じだったのですが、この傾向は『雫』からのつながりを考えるとどうにもしかたのないところだったのではないかと思っています。

『雫』は氏の作品中ではいちばんいいと思っているのですが、それでも、その他大勢は容易に狂わされてぽいぽい、みたいなのがあまりにも人を軽く扱いすぎなところがどうにも気になるところ。

特別な存在の異能合戦なんてどうでもいいんです。ただ、そこに真理があったとすれば、自らの態度を硬くし身構えていた長瀬ちゃんが、関わりを持たざるを得ない状況の中で、電波(という外部)に影響されたことも含め、自らの揺らぎがヒロインとの交わりを生み、それが永遠になるかもしれなかったり(沙織)、一瞬の交わりの後の永遠の別離となったり(瑠璃子true)という動きがあったところそのものにあると思うのです。

長瀬ちゃんが怪しい依頼に対して、自らを一貫させ硬く閉じたままでは本作では乱交badendにしかいかないように(実は、初プレイ時の私自身の感触はこの選択に最も近く、関わり合いたくなんてないというのが本心だった)、自らを揺らぐ位置に置くことで、先が開けるかもしれない、というそのことだけが、真に迫るところではなかったのかと思うわけです。

やれ受け身だ、ヘタレだ、願望成就の手段だ、などと言われるこの手のものですが、正直言ってしまうと、他人の人生をかりそめにでも引き受けるうちに、だんだんと(ようやく?)自分自身の人生を引き受ける気になってきた、というところがあるのかもしれません。ほんとかな?

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