then-d's theoria

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2004年10月1日 (金)

○Music Juno Reactor「GUARDIAN ANGEL」

本当に今更ながら、TEXHNOLYZEでOPを飾った「GUARDIAN ANGEL」の入った『BEYOND THE INFINITE』を買ってきた。1分ちょっとのOPでは我慢できず。疾走感と陰気さのセットで引きつけられるというのはもう身体的反応になりつつある。

アルバム全体を通して聴いてみたが、やはり「GUARDIAN ANGEL」の切迫感に他の曲は敵わなかった感がある。「SAMURAI」バカっぽいし。あなたはたいよー、あなたはひかり。曲調は日本というより中華っぽいし。

ゲームのアレンジCDなどでも言っているように、曲の冒頭、入りが単調だと少し引いてしまう傾向があるので、「GUARDIAN ANGEL」の冷徹なピアノ音の入りは引きつけられるものがある。

そう考えると、アニメの選曲はうまいな、と思う。こういったセンスはどこから生まれてくるのやら。このほか、マリみてのアニメでドヴォルザークの8番かぶせようとか、センチメンタルジャーニー第1話の遠藤晶の回にブラームスのヴァイオリンソナタ第3番を持ってきたりする、こういうセンス。CMでの選曲も同じことだが、いつもながら感心。

最近作は1トラックだけ店で聴いてきたのだが、宗教色がかなり強いというか東南アジア・西アジア系の感じ。サイケ色が前面に出てしまうとどうかなぁ……という印象が自分の中にあるのか、取り敢えず見送り。鍛え方が足りないので、こっちの系統は守備範囲が狭すぎる。しかし、あまり広げる気力はない……。

2004年10月2日 (土)

○Art 遠藤彰子展(府中市美術館)

氏のWebサイトがあるのでこちらで出展作品がわかる感じ。

大きな流れとしては、平面的楽園の構図の絵から、空も覆わんばかりの積み重なり方をした街、洪水・火災などをモチーフとした黙示録的大作系へ(と解説にあった)。

楽園の構図は、鑑賞者に正対するように平面的に並んだ人間や様々な動物など。それらが緑に囲まれたところにいたり、サーカスだったり。楽園という呼称でありながら、どこかよそよそしく、躍動感も爆発力もない空々しさ。そのことがかえって絵の力となっている感。

街シリーズは、柱と居住区が折り重なって積み上がった街の様子。下層に垣間見える車道や高架をつたって街を巡る電車、どこに繋がっているか複雑な階段なども特徴的だが、私が最も引きつけられたのは、どんなに高い場所であっても道の端には手すりすらなく、またその危うい位置に人が描かれている。しかも下をのぞき込む人、縁に立つ子供を危ないよと抱きかかえる母親らしき人など。また、その狭い通路を走り回ったり自転車で駆け抜けようとしたりする子供。賑やかなはずなのにどこか漂ううすら寒々しさ。常に危うさがつきまとう感じ。

また、通路と同じか通路より低い位置にある煙突。柱と建物に圧迫され消え入りそうな空。時には空が街並みよりも下に描かれているという逆説。同じようなモチーフを繰り返しながらも、これらのことによりあぶり出される焦燥感、閉鎖性、鬱屈、不気味さ。

何枚かの絵は、海が描かれているが、その遠さ、辿り着けなさが際立つように思える構図。

近年になると、空や水がモチーフとして前面に。洪水系。全てを巻き込みながら登っていくイメージへ。さらに加わる火のイメージ。鳥も随分描かれる。集大成的森>街と火>枯れ木と空の「遠い静けさ」連作。輪廻の印象も抱く。あまりの迫力に圧倒されてこちらもへとへとになる。常に不穏なものを内包しながら迫ってくる迫力。

2004年10月3日 (日)

○Music NHK音楽祭

夕方からNHKホールでネルロ・サンティ指揮NHK交響楽団のコンサートに行く。
曲目は以下のとおり。

ロッシーニ:歌劇「シンデレラ」序曲
      歌劇「セミラーデ」序曲
      歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ブラームス:交響曲第4番ホ短調

マリみて、フルバときて、またシンデレラのコンボ(笑)。

席が1階前側の端に近かったので、高音域の抜けが悪い感じ&金管のベルが向いていない方向のため音が届かない感じだったが、やはりN響は音がいい。それに、ホールの空気感と繊細さは何物にも代え難い。我が家のセットのコンポとでは比較にならぬ。いつもながら、鈍った耳が「ホールのこの音が当たり前」になるまでに、少々時間がかかる。こういうとき、小品が冒頭にあると嬉しい。いきなり大曲で始まってしまうと辛いかもしれない。

ネルロ・サンティは歌劇の人だからこういう選曲かと。あと今回のシリーズは「最後の交響曲」と銘打たれているので、狙ってブラームスの4番が入っているこのプログラムを選んだ次第。
ウィリアム・テルはイングリッシュホルンのソロが少々速めだったかも。
ほんの少し各ソロに異音があったりするが、全体的に崩れるという感ではなく。

よく知っている曲は乗ってしまい冷静に聴けなかった面もある。特にブラームス。非常に手堅い正統的な解釈だったとは思うが。
コンマスの「まろ」こと篠崎史紀氏の弓使いに乗せられたところもあるかもしれない。
正直、1楽章や4楽章では、やばかった。私的人生のテーマ曲そのn。

アンコールはブラームス繋がりで、ハンガリー舞曲第5番。超有名なアレ。どうしても斉藤晴彦のCMが浮かんできてしまってダメだ。交響曲のあの終わりを引きずって帰路につかないように、あえて口当たりのいい曲にしたのではないかなどと考えてしまった。

今週末は一月早い?芸術週間だった感じ。

2004年10月4日 (月)

○Book マリア様がみてる 特別でないただの一日

どうしてもいろいろと詮索したくなり、先読みとか裏読みとかをしたくなりがちなのだが、その際の基本はテクストにないところを詮索するのはNG。17冊+1冊も裏打ちがあるので、そちらから引けばある程度の道筋はつけられるかもしれない……などと思いつつ、結局は妄想も混じった、マリみて最新刊への感想です。

祐巳は下級生への対応の面ではよくやっていると思うのだが、それが逆に八方美人的結果になっている。かかわる、という点では巻き込まれ系でも、素晴らしい間口の広さでここまでいろいろな人の想いを受け止めてきた。

形はどうあれ、コミュニケーションを継続しようとする力の点で、祐巳は卓越している。瞳子の「……またそういう無防備な顔をする」(p.92)という巻き込まれ方にあるように。だからこそ、傍目からは自分でも手が届きやすい、自分にも手をさしのべてくれるかもしれないと思わせることになり、そのことが、リリアンの1年生や花寺の生徒に人気ということになる。前々から、広く親しみやすいといわれる祐巳の特徴については、この点にあるのではないかと考える。

今回、可南子との直接の対峙というものはなかったとはいえ、解決するしないに関わらず、あの場面に立ち会ってしまったという重さでは、祐巳はかかわりを有せざるを得ない感がある。
p.70にあるような、親が新たな人生を歩み始め、とか家族の事情、というところで、細川家のお家騒動と微妙に関係づけられている。物語は終わってもその先はある、という位置付け。これは、可南子も父も「父親が(自分が)全部悪い」として終わらせた物語の再始動と対応していると考えられないか。本作では家族から敷衍されるスール、の意識、という連続性は担保された感がある。

また、今回は瞳子のほうが「かかわり」の濃さでは濃密だったとは思う。
演劇を見に行く、クラスの出展の案内をしてほしいなど、口外したものは必ず守るという点でも、祐巳自身が「我ながらピエロだなぁ」(p.48)と思う由乃爆弾処理のシーンでも。

祐巳にとって妹ができないのは、実は、関わり続ける意志が皆にわたって均質に高いがゆえではないか。祥子の妹を作れという言葉は、特定の存在に対して、想いが傾注されてしまっても構わないのよ、と言いたかったのかもしれないなどと考えているところ。
皆、といっても瞳子と可南子が代表になっているのだが、直接の姉妹へのきっかけというべきものは双方ともに現れているとは言えないだろう。
ただし、祥子が妹を作るきっかけがそうだったように、関係性が双方向で出来上がってからスールの関係になる、というものでは必ずしもない。
想いは、一方的な思い込みであっても、傾注の度合いが強ければ、また構築もされるもの。祐巳だって、祥子への想いが強かったが故に、一度申し出を断ったのだし、向き合うという作業はスールになってからも続き、むしろその後の方が重かったのは祐巳のこれまでの例のとおり。

そして、その想いの傾注と逆説的なタイトル「特別でないただの一日」。
祐巳は祥子に対してはようやく遠慮なんかいらない、とか、独り占めしたって、というところの境地に達することができている。ここで、細川のお家騒動解決編のように家族同士思い切り泣くこともまた然り。
しかし、先ほど見てきたような祐巳の瞳子や可南子への対応は、精一杯の誠実さを示しているが、それが逆に自らをさらけ出さない、本音の応対になっていない面をも示していることになる。

祐巳と祥子の関係はここで完成形を示し、この巻をもってある意味祥子の退場宣言ともとれる場面と言えるかもしれない。私とは本当(なにがほんとうなのかは少々留保ですが)につながりあうことができたのだから、これからは私以外の特別を自ら作りなさい、というように読めてしまう。

別にお仕着せがましいのが紅薔薇伝統というのではないだろうが、祐巳は少し相手に対して自らの想いをそのままぶつけた方がいいということなのかもしれない。
この点は、以前からそれとなく由乃とセットにしているあたり、作者としては意識的な試みなのかもしれない。由乃は特定の存在への思い入れが強固な者として描かれているため、ちょうど祐巳と反対の側面があるかと。この辺りは本作でもフジマツ縁日村で祐巳が瞳子に対する気遣いとその空回りの結果花寺生徒会の面々に奢らされてしまう点や、祐巳の予定を正直に伝えてしまうとかえって自らを不利な立場に追い込むことになる、というところ。「一々対応していたら〜」という由乃の言葉は、先述の巻き込まれ感のあるコミュニケーション継続力の発揮のこと。それを発揮するのも誰彼なくでは保たず、時と場合によるということ。

取り敢えずこの辺りで打ち止め。

○Gal Game 「学校」の位置付け

ゲーム世界における学校(学園)の位置付けについて、年齢制限の関係上、表現上示されていないことも考えられるが、実態上はほぼ高等学校と想定している。

1.かなりの確率で丘の上に学校があること

実態上でも結構あるだろうが、それにしては目立つ感がある。特徴として、坂道を上って学校にたどり着くこと、周囲とある程度隔絶されていること、これらのことによる特権的な位置付けがあるのではないか。

例として、To Heart,Kanon?,CLANNAD,Wind,ときメモ3,はにはに,世界ノ全テなど、坂道上ったところに学校が建てられている例は枚挙にいとまがない。

これとは逆の例として、GPMでは、裏庭からも街につながっていたり、部隊が女子校に間借りしたりしているなどの点から、特権性からの逸脱は試みられている。しかし、5121部隊の特権性が突出(少なくとも、他の部隊から絢爛舞踏が現れて戦況を一変させることはなさそう)しているように思われるが、その辺りのバランスは改めて考える必要があるかもしれない。

2.自宅から徒歩で通学が可能であること

例:ときメモ,雫,To Heart,ONE,Kanon,CLANNAD,Alive,Silver Moon,

割合としてこれだけ大きく占めるのは明らかに実態とかけ離れている。なぜ電車通学の雰囲気さえ与えられないのか。実態上徒歩で通える生徒の割合は少ないはず。通学という描写の簡素化(要するに手抜き)に資する設定ではないかと勘ぐりたくなってくる。

これとは逆に、実態を少しでも反映しようとしている例?として『世界ノ全テ』がある。隣の駅のようだが、電車通学で車窓から流れる風景も表現されている。『Wind』では路面電車が走っている街。「この電車に乗らないとホームルームに間に合わない」という実在感がある。『Wind』では「ゴミの日」のリアリティなどの点を表現している辺りが、生活感の点では結構よいと感じられるところである。

3.制服のない(着てこなくても良い)学校は舞台にならない

実態上少ないか。当然存在はするのだけれど。
客が制服に期待しておるか(笑)。
これは蛇足かのう。

思いつきのメモ程度というレベル。

2004年10月5日 (火)

○Music Juno Reactor「GUARDIAN ANGEL」続き

おりくらせんせいの10/05に対して(おりたくんなのかラヴィせんせいなのか呼び名に困りますが(笑))

遅きに失した感もありますが、「GUARDIAN ANGEL」は「BEYOND THE INFINITE」(初出のアルバム)でなくても「The Zwara EP」 にもあります。MATRIX RELOADEDのサントラに入った曲と一緒なので、目立つ曲が集まっていると言えるかもしれません。

ただ、私はゲームなどのアレンジCDなどでも言及しているように、アルバム全体としての感触を掴みたかったので、こちらを購入した次第です。通して聴くと個人的には少し辛い部分も正直ありました。このあたりは経験値を積むということで。

また、TEXHNOLYZEのOPで聴いたときは、カットのタイミングが、曲のタイミングや声のタイミングと合っている快とか、上下に走る線の動きに合わせて眼を閉じる→開くとか、街全体の足場が崩れていく感じに重ねられているオベリスクを中心とした街の絵とか、線が動くことにより現れ、消えていく文字の動きとか、暗鬱なのに快がある感触を楽しんでいたところです。

7分超の曲を通して聴いたときの感触は、まず、ピアノの入った導入部?と思われるところだけで3分あることに驚きました。この部分の抑圧感があってこそ、その後の疾走感に生きてくるとか、全曲を通して聴かないと分からないところで収穫がありました。また逆に、DJ XAVIER'S EDITでも、エッセンスを凝縮して効果的に収めてあるということも分かりました。

TEXHNOLYZEのDVDは全部そろえようと思っています。7巻だけ見つからない状況です。ビデオ録画は全然できなかったし、2話合体とか途中省略とかフジテレビの扱いが酷かったので。そして、新品でそろえると懐具合が大変なので、今頃になって中古を集める状況。あと、ここのタイトル"theoria"もTEXHNOLYZE由来です。
蘭の見ている存在、というところが視点フェチとしては妙に響いたので。

○Gal Game 「学校」の位置づけ(つづき)

のりぽんさんからコメントをいただいたので、その返しとして。

ゲームとかに関しては、学校と家をひとつの”街”の中におさめることで舞台の一体化をはかるという意味合いもあるだろうと思っている。

まさにおっしゃるとおりの理由でですが、それがまた描写で手を尽くすことを怠るものではないかという危惧があったところです。これは、個々具体の作品に当たらなければ、傾向と言っても仕方のないことかもしれません。

ただし、街の様子がまったくわからないまま進むゲームというのは往々にしてあるわけです。ONEでも家、通学路、空地、裏山、公園、商店街くらいしかないし、商店街に寄って帰るとどれだけ遠回りになるかなど、どんな街か想像が付かないままです。

To Heart(PS版)は移動の時後ろに地図が何となく出ていたし、本文の描写に見合う地図だったので(公園を抜けてショートカットなどが地図上からよくわかる)しっかり街を構築しているというのが分かりましたが。

同級生2の遊び場は別の街にあるという設定は今思えば斬新でしたなあ。

マップタイプのゲームはまた扱いが違うと思うのですが、同級生2の電車に乗る、などの極めて日常的な光景が排除されて成立する「舞台の一体化」に違和感を持ったわけです。そのような土壌はゲーム自体に既に特定の街のプロトタイプというものが成立してしまっている背景があり、そのことが『Wind -a breath of heart-』のようなトポスを要求する作品において、最後までトポスによる作品世界の形成を徹底できなくなってしまった理由の一つではないかという漠然とした思いがあったため、このような点をあえて取り上げてみたわけです。

○Animation 流星戦隊ムスメット

以下、アニメ分大量補給中。原作などの前知識は全くございません。第1話で切るものも多いかと。
で、表題作だが、早速ひどすぎ。チャンネルを合わせてしまった自分が恥ずかしいくらい。それこそメットがあったら入りたい。

○Animation ファンタジックチルドレン

なにやら各シーンが断片的。意識的にやっているのだろうが、置いてきぼり感が強い。キャラ絵が雑というか単純化に過ぎるというか。顔に付いている汗がわざとらしいとか。
全体的に地味ではあるが、変な方向で目を引きつけようとせず、純粋に視聴者が頭に湧く疑問を次に引きずる形で引きつけようとしている、と書くと好意的に過ぎるか。とにかく、思わせぶりなところが良い方向に化ける可能性も秘めてはいると感じられた。あくまで可能性であって本作が良作という印象を持ったわけではない。

○Animation 月詠

アヴァンタイトルで登場人物の顔が皆隠れているし、妙に黒(ベタ)が目立つので一瞬魂狩的陰影かと思ったが、OPで大きくこける。さぞかし某巨大掲示板でも祭りになっていることだろうが、(みんな揃って)♪ねこみみもーど。なるほど、某人のセルフカヴァーなのか。
しっかし、みんな寸止め系好きだね。あからさまなのはもっと品がないが。陰陽師系なのはまぁ、いいとして、また、動くとはいっても戦闘系はどうでもよくて、猫かぶりモードの時の目とか頬とか唇とか舌とか、その辺に力が入っていたなぁ、という感じ。まぁ、そこがキモなのかもしれないが。
だまされているのが分かっているうえで、それでもいい、だまされたい、という感情を喚起するような絵の力があるのだろうか。

○Animation 巌窟王

服のテクスチャは故意でやっているのだろうが、落ち着きがなく、そこばかりに目がいくという時点で本末転倒も甚だしい。White氏はGONZOの技術サンプルだと仰っていた。はなしはよくわかりません。原作と全く異なるし、かなり脚本はオリジナル色強いかと。全部は見ていませんでした。この時間で生で見る気合いはないなぁ。

スクランは見ていません。予約忘れ。

○Movie ぼくの神様

起きていられなかったが、「ぼくの神様」をこんな時間にっ。トロだにゃ。なちすさんに連れられて逝っちゃうんだね。この汚れに満ちた世の罪を、自らをキリストに擬して全て背負い、罪の核心たる?収容所行きの汽車に自ら乗るトロ。

村においても、同じ村人同士でも次々と起きる悪意の連鎖。
ロメックがユダヤ人でありながら、同胞を辱めてまで生き残ろうとする決意の悲惨。
自らをイエス・キリストに擬し、最後は親子兄弟の縁を切ってまでユダヤ人として強制収容所行きの汽車に乗せられるトロの対比。
単純化すると理想に死ぬことと現実にかじりつくこととなってしまう。しかし、こう書くとこの映画のいいところが全然現れてこない。

ロメックは最後の場面でカトリックの生体拝領の儀式をうける。パンは丸い方ではなく、打ち抜いた余りのかけらという留保を神父はつけてくれる。常に世の端にある者よ。自ら生きるがため理念を曲げ、同士ユダヤ教徒に追いはぎを働き、汚辱にまみれても生き続けなければならない存在よ。

ハーウェイ・ジョエル・オスメント出演作としては、A.I.の次に見たので、A.I.があまりに純粋に追い求めすぎた悲しさだとすれば、生きるために汚れなければならない悲しさという感を強く受けてしまっていた。こういった、劇場で見たときの印象を思い出してしまった。

翌日は双恋とBECKだけにしておこう。当然前者は地雷感たっぷり。

2004年10月6日 (水)

○Animation 双恋

デジタル塗りなのか、異様に平面的。均一の色。陰影なし。
非常に書き割り的。双子設定は措くにしても。

母が死んで、父親がハワイの天文台に転勤するので、寺に世話になると。
父親は宇宙物理が専門なのだろうか。薄っぺらい本作で「ハワイの天文台」だけがいやに具体的なのだが。実際日本の研究機関があるし。特別手当は出ますか?。

幼児がおむこさんにしてーというのは分からなくもないが、話だけ聞いていて会ったこともない人に言うものだろうか。親から相当吹き込まれていない限りそうはならないだろう。そんな親なのか?そうかもしれないと思ってしまう甘々なオトナ。

るるとららが部屋を案内するときに階段を上りきった後ちょろちょろと脇を抜けて走っていくところと、これなーにー?のしつこい繰り返しは子どもらしさが出ていたと思うが。かまってかまってー、という雰囲気は充分に出ていた。
本作唯一?の外部、山羊の陰惨な後足蹴り。こんなに人格与えてしまってどうしようという感じだな。しかし、下手な鳴き声。

妄想120%ですぐにあっちの世界に行ってしまう主人公ってのはどうだろう。
絵が平面的なことが、妙にこの薄っぺらい世界とマッチしていて逆に納得してしまうのであった。

というわけで、次回予告は外部視点の山羊からでした。

○Animation BECK

継ぎ接ぎ犬がでてくる話だよなー、位の意識しかなく、どんな話か知らずにいたので、OPで吹っ飛ぶ。アメリカナイズされた雰囲気なのに、アメコミ的チープさから離れ、徹底した描き込み。それでいて激しい想いと少しノスタルジックな雰囲気も感じさせる。主人公らしき少年の女々しさもきちんと出ているし。

本編については、主人公が中学生ということすら知らずにおり、OPを見る限り高校卒業後米国に渡るのかくらいに思っていた。その中学校生活でのどこにも行き着けない感じ。

オヤジくさい友人に引きずり回されるだけの自分。それを屁とも思っていない身勝手な友人。それでも愛想笑いでつきあい続けるしかない状況。

場末のうらぶれたゲーセン。
プリクラのなかで繰り広げられる性的なやりとり、階段を転げ落ちていくのはもう寸前といった危うさ。ゲーセンでたむろする小学生。それなりに楽しそうだが刹那的な感じ。

それでも、既につぶれてしまった書道教室(この共有の場を奪われてしまった、というせつなさがまたいい)の唯一の繋がりから2年ぶりの復活という救いの光?とも言うべき1年先輩の優等生、泉からのボーリングの誘い。
酔っている女友達、案内された酒場、彼女だけ無邪気にパックマン。

男のニックネームに「こゆき」という名がふさわしい、女々しい主人公。
でもガイジンに因縁つけられたときに守りたい女の面前に立つくらいの気概はある。

「バカにすんな」の言葉の「ばか」という音に反応し「自分がバカ呼ばわりされた」と判断し、エスカレートするというディスコミュニケーション表現の巧みさ。

ティッシュペーパーで繋がる関係というのはおもしろい。返します、としっかり伝えることにより、関係を持ちたいという意志を伝えている辺りは、ただの女々しい男という訳ではない主人公像を感じさせてくれた。

泉については、単に堅いだけというのではなく、気軽につるむし、ゲームも楽しみ、危ない?酒場にも平気で入っていく。

唯一難点を挙げるとすれば、視線が対アメリカ一辺倒の所は、戦後の枠組みを逃れていないなという感じがする。ロックだから仕方ないという向きもあるだろうが、それはロックが既にカウンターとしての位置ではないという証左。

あとは、殴られるだけで済んでしまうという安直さ。今や状況はこの表現より進んでいると思う。殴られてはい終わりだったらまだ幸せだ。違う意味の暴行を受けたり、命すら簡単に奪われたり。もっと悪いことだってあり得たはずだ。我々は常に危ない橋を渡って生きている。モラトリアムがそのまま通用しない世界、だから良い、とは言わないけれど。
状況の提示だけではなく、力のある絵、暗さをしっかり描いた絵だから現れる説得力があった。10月開始のもので、今まで見たものの中では断然の迫力。

どちらの主人公も中学生ということで、IRCでも話していたが、くわねさんの日記には以下のように記述があります。
http://kuwane.tomangan.org/cgi-bin/hns-lite/?200410a&to=200410062#200410062

上記の2作品は、作品そのもの以上に、上にあげた順に続けて放送する編成が面白い。
モラトリアムがそのままで許容されるモラトリアムな世界(双恋)と、どうもそうではないような世界(BECK)という痛すぎる対比。
主人公のキャラがすくなくとも1話の段階では似たような具合なのがその世界の差異を余計に際立たせる。

これについては、枠組みとしては同意。せっかくなので、作品を通して具体に見ていきましょう、という感じで捉えているところ。『BECK』では、対抗しようとする意志、セカイへのアンカー(碇)を自分で見つけようとするという点は今回放送分から感じとれた気がする。

2004年10月7日 (木)

○Animation 下級生2〜瞳の中の少女たち〜

これから語ることは全て回想、のような雰囲気を醸し出す冒頭のおやじ2名は、話の繋がり方がよく分からないので置くとしても、どうしようもない。その後登場する男性の数十年後かと考えられるが、回想のための前準備か。

それ以外に何かを感じるとか、何かを受け取るとか、そういったものが全くない。ただだらだらと、めりも張りもなく、異様な程の冗長さ。プロモーションビデオにしても酷すぎる。

○Animation 舞-HiME

あちこちに感じられるあほっぽさは味になるのだろうか。日常ではなるべくマジにならないようにわざと作っているのか。いちいち大仰に揺れる胸など、色気のエッセンスは正直鬱陶しい。

動物的動きはコミカルなだけで何らかの特徴的動きを示そうという意図はあまりなかった感じ。心臓を病んで苦しんでいる姿は非常に通り一遍に見えてしまい、微妙。
終わり近くでは、また戦いか、またこういう展開か、という感じである。

樹の描き方が直前の下級生2とは段違い。秘密の花園のあたりも。

○Animation 魔法少女リリカルなのは

舞-HiMEと重なっていたので、後からビデオで見てからの感想。
まあ、それなりに見ることはできるが、3Dを使った樹の揺れ方や、夜の街を駆けるなのはと街路は非常に気持ち悪い。あまりにも不自然。

あと、変身のバンクフィルムは危険どころか見事にあからさますぎです。くわねさんが「服の脱がせ方が二段階」と称したとおり。OPだとそれが分からないのだった。

あと、副題は毎回疑問系なの?>こんな感じ

○Animation ジパング

重なっていて見ていないが、IRCで話題にのぼり言及。事大主義的。そんなにあの戦争をやり直したいか。自分も自らの人生をやり直したいと思ったことはある。でもそれを仮想戦記のように事細かに不毛なシミュレーションすることには価値を見いだせない。
『戦国自衛隊』のように、自らが生き残るために、ということで現代の技術を用いるのであればまだ切実か。それも補給が行き届かず、すぐに刀折れ矢尽きるが。ただし、『戦国自衛隊』で過去に飛ばされた者たちが上杉謙信に付いたのはそれなりの必然性があるような気がするが。理想主義的な面から。
そして、その理想主義的な観点から、敗戦後の現代の状況を変えるため、過去の戦争の現場に立ち返って試行しようというのはやはり私とは相容れない考え方。

○Animation ローゼンメイデン

花田十輝はばかにできない。
これを引きこもりのための現実適応対策指南みたいに読んでしまうとつまらないことこの上ないので、自分が守る(べき)者に育てられるという捻れた現象の面白さという受け取り方でいかがか。そうすると、あの小さな手で頬をぶたれること、ドアノブに手が届かなくて頬を染めながら命令するという場面、小さな手に不釣り合いな大きなポットからマイカップに紅茶を注ぐところなどが愛着を持って受け取れるようになるだろう。

ただ、街の風景の酷さにはがっくりきた。OPや真紅がしっかり描けているだけに。
走っている電車は明確に西武池袋線。街のモデルはあるのだろうか。
意識して行っていることかもしれないが、人の描き方は比較的単純化されているのに、真紅は非常にしっかり描き込みが行われている。人形の方がリアルという逆説。

引きこもり少年への存在の承認とか言ってしまうとまたつまらなくなるのだが、「(人形に)想われているのね」「本当は優しいのに」「磨き甲斐がある」といったことをいわれること、また、優し過ぎる姉を振り回し自己の檻を守っているところから他人(人形だが)のペースに巻き込まれていくこと、そういったことの必要性みたいなこと、という受け取り方は少々過剰か。

声は……ぷちことでじこですか。真紅の声は、突き放したような、それでいて少々背伸びしている感じが、役柄にマッチしている。

同じPEACH-PITの『DearS』と比べても(見ていないが)こちらのほうがよさそう。

2004年10月8日 (金)

○Animation To Heart〜Remember My Memories〜

J Sports 3でVuelta a Espanaの第12ステージ、ロベルト・エラスの勇姿を見ていたため、録画で視聴。要するにその程度の期待感。事前知識がないので、前作の後どういったことにするつもりなのかと少々悩む。

というわけで雅史EDの続きというか、リセットやり直し系ですか。みんな3年生になっていた。
しかし、色がどぎついし線が堅いし、前作の千羽由利子絵のほうがよかったな。あまり動かないのは仕方ないとしても、前作より落ちた雰囲気を抱いてしまう。

セリオ型は量産が開始され、マルチ型は延期と。
周囲からは公認の浩之−あかりの仲なのに、鞄にマルチとのプリクラ写真を貼ったホルダをぶら下げている浩之。
あまりこだわらない感じの浩之にしてはマルチにのみいたくご執心で、昔の女を忘れられないみたいな置き方は、ちょっとどうかと。

浩之の声も、投げつけるような感じが強く違和感が大きい。特に職員室に駆けつける「マルチぃ!」前後の叫びの辺りは酷い。また、志保の棒読みの癖にわざとらしい読み方は悪い意味で癖になる。

背景の散り始めた桜は、水彩風の感じで悪くなかったのですが。

2004年10月9日 (土)

○Book 学校を出よう!6 VAMPIRE SYNDROME

意識的に(誰かにとって)望ましくない分岐が修正されているのは前作から引き続いているが、この件に関しては『ONE』の冒頭のこの言葉を引用しておこう。

しかしこういう朝の光景にも慣れてきてしまっているが、よくよく考えてみると不思議なものだった。_
それはなんていうか、ひとつ何かが違っていればここには至っていなかった、という奇妙な感覚だ。_
これまでにも無数の分岐点があり、ここには至らない可能性がかなりの確率であったはずなのに、ここに至っている。_
まあ裏を返せば、どこかには至るのだから、その時々でそんなことを思うのかも知れないが、それでも自分の人生として考えてみると、やはりこの巡り合わせは特別不思議だったりする。

それをセカイと結びつけて小説の中で重層性と外部を想起させるような構造にしているところのでは前作の印象から覆っていないが、2作目の話と連関を持ってきたところは、シリーズとしての緻密な構成を組んでいることができ、納得。

また、p.256の「わたしたちを除いて。」が複数であること、「わたし」が示す先を作品中で考えるのと、重層性の先を念頭に考えることでいくつかの受容の可能性があることも考えられる。少なくとも語り手を意識せよ、というメッセージは明確に示されているだろう。

そのような構成よりも得心したのは、佳由季が吸血鬼化した若菜に対する対応のところ。「仮面のような表情」「感情の起伏のない声」「変化なく冷静に見えた」とあるような、あまりにも大きなことが起きたときは大仰に受け取るよりも、その出来事を受け止めるだけに留まるところの感情の動きと、その後、インタビューという作業に没頭しようとする行動。この辺りは自分自身が大きな出来事に立ち会ったときに自然と取った行動に近いものがある。その説得力。

2004年10月10日 (日)

○Animation R.O.D -READ OR DIE-

朝飯を済ませて適当にテレビのチャンネルを回していたところ、R.O.DのOVAにぶち当たる。1話の途中だったので、いそいそと見始める。読子さんのお話か。

きちんと見られるし、テンポも良いし、動きも音楽も良いので楽しめました。しかし、こちらも蒸気なのね。サクラ大戦といいスチームボーイといい、蒸気の魅力って何なのでしょうね。圧力を支えるだけの機構の重厚感、白煙のもたらす幻想的な感じ、失われてしまったものに対する懐古のようなものがないまぜになっているのだろうか。

個人的に最もウケたのは、発射台を開く時の蒸気機関車みたいなのが発射する時の車輪の空回りから走り始める具合が、銀河鉄道999(確かTVシリーズのOPで同様のカットがあったはず)へのオマージュとしか思えない点だった。

正直、今のところあまり語る言葉を持ちませんが、格闘の技能がないため及び腰状態なのに敢然と向かっていく読子さんの姿がとても味があると思いました。まる。

ナンシーの透けるところと透けないところがわやくちゃだったり、かなりてきとうなところもありますが、勢いで魅せてくれた感。

○Others 天気

北東気流の影響で台風一過とはならず。びしょびしょと雨が断続的に降り続ける。晴れたら紅葉狩りで混む前に無謀な奥多摩アタックを掛けたかったところ、この天気では仕方ない。まだ1度も奥多摩まで行っていない。どんなにのろまな亀さんでもいいから、行くだけ行ってみたい。周遊道経由で帰ってくればジュニアクラスの距離が稼げるが、多分丸一日かかるんだろうな……。早朝に出ねば。

2004年10月11日 (月)

○Event/Animation のりぽんさん宅奇襲

以前に『センチメンタルジャーニー』を見たいと言っていたのりぽんさんとの約束から5か月も経ってしまっており、雨も止んでいたので、思い立ったが吉日ということで朝に電話し、昼に訪れるという奇襲作戦を敢行。持参物は『センチメンタルジャーニー』(以下"センチJ")DVD-BOX、『プリンセスチュチュ』DVD Vol.1、直近の番組録画ビデオテープ。

○Animation センチメンタルジャーニー(遠藤晶編)

おもむろに一番のおすすめ、センチJの遠藤晶編「少女のためのバイオリンソナタ」を再生。「えー、今見るんですかー」というのりぽんさんを尻目に強制視聴モード。曲を知っていた私には、初見の時の破壊力が抜群で、交響曲第4番にも通じる曲調に激しく反応。どちらもブラームス晩年の作品で、枯れた中に激情を感じさせる部分の曲調が共通。これも私的人生のテーマ曲そのx。

この辺りは今木さんの評「「臆面のないストーリー」はいかにして成功したか 〜TV『センチメンタルジャーニー』第一話《遠藤晶〜少女のためのヴァイオリン・ソナタ〜》について〜」(杏代舎 MIRROR Vol.5)で語り尽くされているのだが、コンクールの番号札をつけたまま路面電車に乗り込み、周囲の客の目に気付き札をバイオリンケースで隠しつつ頬を赤らめる。思案橋で思案して、西海橋で再会、か、という連想から「降ります」という毅然とした台詞。

歩道橋の上からのカットだけは車の判別もしにくいしわかりにくいのだが。

海が見えてくるところから流れ始める第1楽章の入りの見事さ。晶が海の光に眩しそうにするところも、目標に辿り着けなかった自分の位置と辿り着けなかった場所の眩しさなどと邪推してみる。

準優勝の賞状をゴミ箱にねじ込んであるところを見たのりぽんさんは「事前情報がないとわからないのでは。一見さんお断りの作品ではないか」という疑問を持たれる。この点は、第2楽章でのモノトーン・サイレントの回想シーンがあるので、ほぼ問題はないと思う。提示の方法として、全体を時間軸に沿って語るより、疑問を植え付けておいてその部分を解消するというアクセントが印象に残ることになる。

回想の第2楽章は、晶がいつしか少年が来るようになることを待ち望んでいたという変化が丁寧に追われており、必要かつ充分な情報が与えられているはずだ。また、サイレントに字幕という方法を用いることで抑制が効いており、あからさまに提示しすぎの感もない。

「いい加減自分を解放してやったんだ」の台詞と「もう止めたって言ってるのに」と言いなが自宅でうじうじと拘泥している対比。テレビのチャンネルを回しながら、オーケストラが現れると眉をひそめてスイッチを切るというところは、好きだったはずなのに離れてしまって感じる罪悪感と嫌悪の情がとてもよく出ている。

何度見ても気になるのは工事中の三角コーン。晶の自宅そばで路上の電柱の根本にあるコーンはコミュニケーションの切断・拒絶を暗示しているのだろうか。

その後に出てくる、坂道の途中、少年と二人で約束しあった場所のコンクリート壁が少し崩れ、コーンが立てられているところはその立ち位置に見合う形で置かれており、晶の喪失感に合致した情景となっている。

ラストではのりぽんさんは「それでいいのかー」との発言。逆に、こういう解決だからこそゲームに依存せず、アニメーション作品単体として生きていると思う。

○Animation 『センチメンタルジャーニー』(杉原真奈美編)

引き続き杉原真奈美編「微熱少女」。全体に流れる「俺ってポエマー」(D.C.)的世界。まずもってあり得ないサナトリウム的病院。ベタベタなポエムに、100本詩を書いたら私は死ぬのというこれまたベタベタな認識による展開。
衝撃の種明かし(笑)の場面でのりぽんさんが「なんじゃこりゃー」と悶絶。
あまりにもベタなのは戦略だった、と。まさにポエマー純一同様、人の夢を見せられている状況。

もう一つひっくり返してしまうと、実際に病院に通っている真奈美は、ずっと投薬を受けていることから、何らかの病気を持っていることは確か。しかし、それにめげている様子はなく、看護婦をちゃかす余裕もある。そのような現在に至ることができ、明るくいられるのは、少年の後押しがあって真奈美自身が飛び立つことができたこと、つまり少年の不在を引きずってはいないことを示している。この位置の提示は、晶編で最後に至った境地と同様。このように、少年の存在から離れていく方向性を持つ回の方が専ら出来がよいという感じを以前から持っているところ。

○Animation ローゼンメイデン

次に、本日のメインイベント、『ローゼンメイデン』をのりぽんさんに布教する会。
Ali ProjectのOPに、ゴスロリとアリプロの組み合わせがはまりすぎとの言。実際、歌のCMでもゴスロリ調の服なので、狙っていることは明白との言。私はゴスロリのなんたるかが分かっていません。でも黒基調ではなかったっけ?んじゃ真紅は単なるロリータファッションで良いのか?

Aパートでは特にジュンの性格が災いして、こんな不愉快なの見たくない趣旨の発言。それをまぁまぁ、これから良いシーンもあるから、となだめながら(?)継続。のりぽんさんも真紅の描き込みには唸っていた様子。
「余裕があるうちは見続けるかも」なんてつれないこと言わないで、きちんと見てください(笑)。

○Animation プリンセスチュチュ

これははさすがに後でどうぞ、ということに。ただ、バレエの話で踊りはしっかりと描かれていて動きもすばらしいし、おジャ魔女どれみ風の掛け合い的楽しさもあるし(後半は影を潜めてしまうが)、見て欲しいな、という感じ。表面上はそんなに重くないし。実際ドロッセルマイヤーの位置づけや物語を語る存在、街の位置づけなどを考え出すとメタとか作中作とかいろいろ出てきますが、それを差し引いてもおもしろいものです。26話のシリーズとして、私的に最高級だと思っています(放映当時、前後半細切れにされたのは非常に辛かったけれど)。
あひるさんが好きです。でもネコ先生はもーっと好きです。

○Animation 魔法少女リリカルなのは

のりぽんさん宅では見られなとのこと。真っ先に「脚本 都築真紀」に反応。非常にオーソドックスとの評。変身シーンさえ抑制されていれば土日の朝でも十分放映できるものなのに、との評。確かにそうだが、18禁ギャルゲーが背景だと難しいのでしょうか。やっぱり何度見ても緩い。CCさくらと似て、主人公がみんなからしっかり認められ、尊重され、育まれている健全な世界、という感じではある。ただ、そのような極めて安定した受け取り方に待ったをかけるように、なのはは「私はこの家では浮いた存在のようです」との自己言及。この点が妙に引っかかっている。家族の中で、夫婦と兄妹はそれぞれセットになっており、私はその余りという見方。髪の色は3人兄妹のなかで唯一栗色ということはあるが、母親と同じ色なのでこの点で阻害されているという訳でもない。さて、このことは杞憂なのか、なにか裏があるのか、注目したいところ。

○Animation デス種/To Heart R

適当に『ガンダムSEED Destiny』(通称デス種)台風情報付きOPとか『To Heart R』のOPなどを少し流す。このあたりは私が全編見るのを我慢できなかったということもある。デス種はアヴァンタイトルでこれを18時台にやるか、という感じの描写。ちぎれた妹の腕、血の池に横たわっていたり木の下敷きになっていたりする遺体。遠景でかつ手前に炎を被せており、直接見せないように配慮されているが、かなり凄惨な場面でした。妹の携帯を拾いに行ったからこそ自分だけ助かったという面もあるのかな。OPの後では直接関連したシーンは出てこないので逆に拍子抜けではあったのですが。
のりぽんさんは前作と全く同じOPだと反応。私は前作は合わせて10話も見ていないし、OPはなんとなくしか覚えていないが、たしかにそんな気も。ちなみにEDも止め絵がスクロール、荒涼とした戦場に佇む登場人物たちというのはほぼ同じ構成です。

『To Heart R』はのりぽんさん自身も前作は見ていないとのことだが、MXTVで見られるということで「浩之ちゃーん」連呼と携帯世代のところだけで終わり。連呼は前作と関係づけられるようにしてあるのだな。

○Animation スクールランブル

自宅では予約設定を忘れ第1回放送を見逃した『スクールランブル』を見せてもらう。某chatで豆腐屋86をチャリでぶっちぎるという小ネタくらいしか事前には聴いておらず、原作も読んでいなければ登場人物の名前も知らない状況。

こんな一見さんでしたが、ディスコミュニケーション・すれ違いを楽しむものなのかな、と認識しました。たたみかける感が強いので、このままの感じで暴走してもらいたいと感じた次第。勢いや暴走振りのことを考えると、『はれときどきぶた』は名作だったなぁ、と改めて思い至る。

ところで、ひらしょーさんは「漫画なら数秒でスルーできるものを数分かけられると激しく辛い」とのコメントをされており、元長柾木氏は「テンポが良くて見ていて非常に楽しい」と評されており、ベクトルが逆のようにも思える。はて……。前者はマンガが基調で、一見して通り過ぎていくものだから、声や動きが付いてそれらのペースでいちいち見せられても戸惑う、ということなのかしらん。

○Book/Comic おおきく振りかぶって 1,2

漫画方面に話が移り、『おおきく振りかぶって』を推薦いただく。思わず家主を放り出して2冊読みふけってしまう。メンタルな側面、フィジカルな側面が科学的根拠と関連づけられて丁寧に描かれていて、私のアタマの中にあった野球漫画の印象を大きく変えてくれた。タイトルすら訊いたことがなかったので、いかに少年漫画に疎いかがばれてしまったところ。

○Animation ボボボーボ・ボーボボ

最後は外食で夕飯をとりながら『ボボボーボ・ボーボボ』放送時間変更の話など。そこから私は「ボーボボでは意識の流れの手法が使われている。例えば話の中で突然「ボーボボ愛の劇場」が入り込んだりする」などとまくし立ててみる。

西武の応援をやめる宣言などをしてみたのですが、荒木大輔が投手コーチをしていたことを思い出し、撤回せざるを得ない罠。ヤクルト荒木の復活だけを待ち続けた人間ですので。節は通さねば。

と、このような見境のない拡散振りで一日が終わりました。

○Animation まとめ?

すっかりアニオタ化している。先週に自分が見たアニメのタイトル数をカウントしてみて驚愕。17タイトル。おかしすぎる。それもかなりの割合を生で視聴。しまいには死ぬ(といってもさすがに切りますが)。一回りしたので整理しておく。

月 ムスメット(切)、ファンタジックチルドレン、月詠
火 スクールランブル、げんしけん(今週から)、tactics(継続微妙)、厳窟王
水 双恋、BECK、KURAU(録画only)
木 下級生2(切)、舞-HiME、なのは、ローゼンメイデン
金 To Heart R
土 デス種(微妙)、うたかた、神無月の巫女、プリンセスアワー(切)
日 蒼穹のファフナー(録画only)

……切っても12って(大汗)。それから、昨年もそうだが、10月以降に視聴数が増える罠。4月は全然だったのに。

思い返してみるに、自宅で独りで視聴している時より、のりぽんさん宅では時間の流れが遅い感がした。また、ほとんど再見だったので、筋を追うだけではなく、様々な部分を見ることができ、情報量がより多く感じられたため、充実感が強まって時間の流れをゆったり感じ取ることができたということもあるかもしれない。

2004年10月12日 (火)

○Animation げんしけん

前知識のない人には、冒頭において、劇中劇があたかも本編のOPのように取り扱われているところで大きな戸惑いを覚える、というか私がそうでした。形式的には、『機動戦艦ナデシコ』のゲキガンガーのような感じ、もしくはそれ以上に前面に押し出された感。ただし、ナデシコではそれを国是にしていたり心酔したりしている人物がいたが、こちらはそこまでのめり込んでいる云々の話はなさそうだが、OPまで侵食して、どちらが内部か外部か曖昧になった状況。

そのたくらみ以外には、さほど面白みは感じられず。コンクリート打ちっ放しの壁にビラがベタベタ貼られていたり、部室の近辺が魔窟だったりするところは妙に納得できる雰囲気でしたが。

本当にオタクが不快なのであれば、自ら関係を濃厚にしてしまうような殴るという行為は犯さないような気がするのだが。小学生ならともかく大学生の感覚として。それとも小学生並みなのか。

ラストの台詞には全く同意できません。エロゲーはやっているけど欲望のままに生きようなどと思ったこともないし、欲望のままに生きているはずもなく、ましてやそれを覚悟するなんて考えたこともないので。

○Animation tactics

これも見ていたのですか、という感じ。
誰ですかそこでむしろゲーム繋がりで『遙かなる時空の中で』を見るべきだと言っているのは。
人面瘡といえば、『二重影』。それが言いたかっただけ。
よりマイナーなもので形容するなんて。

○Animation 巌窟王

Whiteさんから本作視聴指南を受ける。

不自然なところも含めてファンタジー。
素直に不自然さに酩酊せよ。

なるほど。不可思議なマチエール自身が作品自体のマチエールを決定するというわけか。

『TEXHNOLYZE』同様、責め苦を与えようとするときに刃先が眼にいっている……。こういう描写には弱い。縛るとか殴るとか、そんな描写がインフレを起こしているご時世、こちらの方が余程見ている者の身体をえぐる。

2004年10月13日 (水)

○Book/Comic 『おおきく振りかぶって』Whiteさんから指摘

Whiteさんから「おお振り」はアフタヌーン連載なので青年誌との早速の指摘。ありがとうございます。当然のごとく、青年漫画も全然チェックしていません。もともと漫画は連載中には読まず、単行本になってから読み出す人ですので、正直、アニメ化されてから存在を知るような状態が普通です。

作者は女性なのですね。深く野球を、スポーツ科学を、メンタルトレーニングをご存じのようで。

それから、私が反応するくらいですから基本的に鬱漫画の意識ですよ(自虐)。三橋の尻込みぶりは、やはり世界ノ全テが怖くて仕方なかった時の自分を思い出します。

ただ、みんな三橋のように疵を持つ身であっても、野球という切り口でチームメイトとの場の共有を通して、疵が疵ではなくなる時が来る、認められるところはきっとあるというところを魅せたかったのかもしれないと考える次第。野球におけるポジション、打順などの役割がその共有場として非常に合致している。そして、それらが一方通行でなく必ず相互に影響しあい、絡み合ってくることが丁寧に描かれる。もちろん負の連鎖が起こることもこれからあるだろう。そういったところが野球に取り組む過程・結果として見えてくる明快さ。それらが説得力をもって描かれているその力に圧倒されています。

○Animation 双恋

結局第2話も見てしまう。
あって欲しい夢と連動しつつも、実質は嫉妬深い山羊の強襲。遊びに行くと言ったらるる、ららもものすごい嫉妬深さを見せる。飼い主に似て山羊も同じように嫉妬深いということか。周囲の男性陣も大変な嫉妬深さ。外部は山羊だけではなかった。すぐ妄想に走る主人公の、視聴者を引かせる度々のこの行動は、視聴者の自意識に作用。それに加えて嫉妬深さで悪意の表出を提示。居心地の悪さ、気分の悪さを強調するこの展開は、作品世界への安住を許さないものと思いたいが如何か。

自分を争って喧嘩するという妄想に反し、超まったりなかよしな一条姉妹と桜月姉妹。考えすぎなのは主人公だけ。これ見ていて考えすぎなのは私だけ。

声はやっぱり小清水亜美だけしか聞き分けられない罠。

EDに出てくる淡い塗り方の絵のタッチが好みなのだが、本編であのタッチを反映してくれればかなり見られるが無理か。

『双恋』見ていると『1973年のピンボール』を連想しませんか、そうですか。208と209。右と左。縦と横。上と下。表と裏。東と西。入口と出口。

○Animation BECK

いきなり、冒頭の釣り堀に吹く風の表現が酷くてがっくり。
今回は落ち着いて見ていたせいか、アラが目立つ。絵的にも、動きにしても。貼り付けられた絵がペープサートのように平行移動しているようにしか見えないところもある。

話が合わなくて自分から凹み、釣り堀でいじけている子供っぽいコユキ。横断歩道の前で待ち合わせの店のカウンターに座る泉の脚を気にして遅れたことをすっかり見抜かれている。雑誌をずっと読んでいたはずなのに。これに対して、きちんとコユキを気にしている泉。それに、いきなり「つきあえば?」か。デリカシーないな。また子供っぽさを表出。ここはまともに答えずに話を流す泉。コミュニケーションとは、常に真っ向から向き合うことだけではない。こういった場面では、お互いの感情の交換・非交換が丁寧に示されている。基本的に泉はコユキを見守る形になっている。

バンドの演奏のところはドラムをはじめかなり手抜き。
バンドの高揚感も全然絵に出てこない。ここは失敗するところなのであまり盛り上がっても困るのだろうが、演奏の空気を全く感じ取れないのは絵的に疑問。

また、こゆきが自宅で電話を受けている時、母親の大笑いとアイドル曲がずっと背後に流れ続けるのは、ロック、バンドの世界と遠い所にいるこゆきの位置を表したかったのだろうが、演出意図が先に立つばかりで見ている方の受ける印象が悪くなる効果しかないと思う。

○Animation KURAU

少々BECKが期待はずれ(期待しすぎ?)の感があったので、遅すぎてみていなかったKURAUで口直しを図る。アルプスの背景や絵、動きはとっても良かったのですが、今回のお話自体はかなり疑問を感じました。

人工のリナサピエンが対を求めてという話だったのですが、突然クリスマスを追い回すのと、クラウとの戦いの後、彼女が気絶している眼前にクリスマスが仁王立ちのところで独り合点をして奪っていた銃で自殺という、非常に自己完結感たっぷりの展開。

敢然と対を守ろうとする姿を見られただけで納得して死んでいけるのですか。

ただし、これまで全然見ておらず、以前は癒しの手かなにかの話だった12話を見ただけなので、話の流れを掴んでいないせいかもしれません。ちなみに12話は単体でも結構良い感じでした。

2004年10月14日 (木)

○Animation 魔法少女リリカルなのは

先週もそう感じたが、魔法は非常にコンピュータチックな音声で、システムといった方がしっくりくる。「起動パスワード」だし、対象として想定する視聴者を意識しているのだろうか。それを言い出すと、『とらハ』シリーズに常々現れる武道系の話はどうなんだといわれてしまいますが。

ユーノくんが力尽きて倒れるところは前回に引き続いて少々大仰な感じ。

「嘘はついてない」と逡巡するあたり、『うた∽かた』の一夏に通じる良い子っぷり。あちらは自分の真面目ぶりが男につけいる隙を与えて危ない状況にまでなってしまったが、こちらは基本的に善意の交換のみで形成されるであろう世界なので、そういう厳しい状況にはならないと思います。

そのようなほのぼの場面としては、学校帰り、海岸線の防波堤の上を3人並んで歩くところ、あたりはかなり良い感じです。

夜遅くに外出して叱られることもあるけれど、頭ごなしだけでなく、きちんと受け止めてあげることもできる。兄と姉の役割分担も見事。

街自体が少々書き割り的なのが残念だけれど。特に神社の階段とか。

今回は呪文も変身シーンも省略。犬に憑依したらしい。戦闘自体はあっさりだが、その様子自体に興味はないし、叩くとか切るとか血が流れるとか、そういったこと目的とする作品でないことは明らかなので、これでいいのではないか。そのような生々しさを排するためのコンピュータシステム的な魔法の位置づけということもあるかもしれない。

○Animation 舞-HiME

一々メカメカしいのはサンライズ謹製。少々背景と浮いた感じがあるくらいで、質は安定して高いと思います(棒読み)。

鼻先に剣が刺さっているデザインで、ニヤッと歯をむき出しにした横顔に思わず「エヴァシリーズ?」と反応してしまう罠。狙っていますか、そうですか。

2004年10月16日 (土)

○Animation うた∽かた

第2話もそうだったが、コミュニケーションが食い違う断面があからさまに表出している、という感じ。第2話では、燎が最後の瞬間まで同情の余地を与えない悪役描写に徹しており、数km追いかけたあげく一夏の服まで破ることにというバランスを欠く展開。最後に言葉だけの理屈付けで、真希との間を取りなして欲しかったというだけではかなり説得力に欠けると思っていた。

今回の第3話でも、コミュニケーションにおける齟齬が強調される展開なのだが、少女同士のあまりにも直接で歯に衣着せぬ物言い、間を取り持とうとする一夏のぎくしゃく感、中学に合格したのに転居してしまったわだかまり、それらが微妙に影響しあいお互いがぶつかり合ってしまう。それらの切断面が露呈しているにもかかわらず、妙に納得させられるやりとりなのだ。

誰かの手によりおぼれさせられかけたこと、助ける際に高価な時計をなくしたこと。ジンの発動による時計の発見。私、謝らないから、とずれて食い違ってわだかまりが残ったまま帰った後に送られる暑中見舞いのはがき。そこにある遠慮がちな謝罪の文字。それら全てが、一夏たちの行動を常に見守って(監視して?)いる隣家の女性に委ねられた物語という印象が、更なる落ちつかなさを与える。

皐月の男嫌いは父とのわだかまり(海の家での男の裸体への嫌悪感と怯えの視線から、父からの性的虐待の可能性も示唆)が原因、「あんな男、死ねばいいのに」(兄とハモリ)「……なんて、思ってないよな」と被せる兄のさりげないところは好印象。

また、ジンの力が全くもって万能でないことが逆に良い味になっている。

どこを切ってもすっきりしない点が残ること、むしろそれが誠実な印象を与え、好感を抱く。問題は、そんな感触を逆ベクトルに吹き飛ばしてしまいそうな、性的印象をあからさまに強調するカットの方だと思われる。

生理を仄めかす発言、胃下垂、昼食後のお腹を気にするあたりは、少女たちのリアル?みたいな感じだと思うのでそれほど違和感はありませんが。

○Animation 神無月の巫女

むしろこちらは定型的なストーリーに落とし込まれている心境。それも狙いのうちか。
しかし足りない。
あとは、敵が明らかということはいかに薄っぺらいかということか。
その敵方の「自分たちは悪役」という従来の枠に寄り添った軽薄さが更に興趣を削ぐ。

ここで力尽きる。

2004年10月17日 (日)

○Others 録画は溜まるのみ

タイトルどおりの状況が続いており、そのため、本日HDD/DVDレコーダが導入されたが、あまり意味を持たないかもしれない。見なければ終わりなので。
10/21発売と聞いていたものが今日届くとは思わなかったので、慌ててしまう。
現状のペースでは、結局放映時に視聴しておかないと消化し切れません。

というわけで、先週録画だけして見ていない『月詠』『スクールランブル』『ローゼンメイデン』、『To Heart R』などは、イベントより帰宅後、DVD/HDDレコーダをのセットをしていたため、なかなか消化できず。そんな破綻する予感。

○Event 私の出番

イベント主賓に気を遣っていただき、私の出番をしつらえていただいた感じとのこと、大変申し訳ない。同室の人間には大きなアピールになったみたいです。

また、適度な緊張感はいいもんですね → ごめんなさいうそです全然緊張していませんでした(笑)。

○Animation To Heart 〜Remember my memories〜

ビデオで録画しておいた第2話。長瀬主任も綾香もどうにもぎこちなく聞こえるのはなぜだろう……。

あの笑顔もプログラムでしかなかったのか?というのは痛みとなって胸に突き刺さる。

レミィの拘泥のなさが浩之と対照的で助けられている感じ。一番キャラとして立っている。

廊下を走り回ってモップがけをするという前作特有の行為により、身体の記憶を呼び覚ますという方法? ロボットとしての交換可能な身体でありながら、過去の記憶のロックによって個別性を発現してしまったマルチ。交換可能な妹に対しての「幸せな記憶」の継承という回想シーンの発言はマルチ自身の心境としては偽であったと。

また、綾香が浩之に託したのは、以前と同じ場の共有に頼って記憶の回復を図ろうとすること。このあたりは、ゲームをプレイしたり前シリーズのアニメを見たりしていた視聴者の記憶を利用して、マルチの記憶と関連づけ、相互の共振を喚起することとなっている。 しかし、同じようでいてどこか結果が違っている(回想シーンも当然前作と同一ではない)ところの、前作から1年後の今がどう描かれていくか、記憶とズレのせめぎ合いによっておもしろくなってくるかどうか、というところ。

○Animation ローゼンメイデン

ビデオ録画しておいた第2話。
異世界での対決は、箱庭という閉ざされた所と、パステルカラーのぽわんとしたところでハードな戦いということ以外あまり興趣を抱かせるものではなかったが、それ以外のところが非常にいい味。

相変わらず届かないドアノブに背伸びをして赤面。
少々お高くとまった物腰ながら、トイレを洒落た部屋と勘違いしてお茶を持ってこさせようとすること、芳香剤を香水と勘違いしているところのギャップもまたよし。鞄に引き籠もっているのはジュンの行動の逆照射でもあるのに、「恥じてるのか?」と投げつけられるジュンの言葉。鞄の蓋で反撃。この辺りまでの流れが今回で一番味が出ていると思った次第。

ジュンが鏡に触れなければ真紅は戻ってこられないという答えをジュンにものりにも明示せず、巴に鉢合わせして鬱状況になっていたジュンを確認していながら、迎えを期待する辺りでジュンの自発性に期待しているというところがさりげなくもまた信頼の証。

2004年10月18日 (月)

○Animation ファンタジックチルドレン

2話見逃し&録り逃しでの第3話。分かりにくく断片的なのと、それにもかかわらずメリハリに欠ける感は相変わらず。ただ、髪の毛のなびき方や細かい動きなどはいい感じです。しかし、終わり方が非常に唐突に感じたりもしており、全体的な印象はいまひとつ。

大方の予想どおり、マントを羽織った少年たちは過去に向かったり、特定の時代に居残り、技術供与めいたことを行ったりした者もいるらしいことが仄めかされているが、核心は隠蔽されている。

EDを見る限り、時代は違えども同じものを求め続けているという印象を抱くが、約束の土地はいずこなりや。

○Animation 月詠

第2話は録画してあるものの、未見のまま第3話へ。
不勉強ですみません。監督が『魂狩』と一緒の人だったのですね。今気付きました。
第1話を見た時一瞬『魂狩』だと思ったのは、先入観なく絵だけで連想が繋がったということで、それだけ特徴的な絵づくりをされていることだと思います。

下宿の壁を取っ払った横方向の視点からの構図というのは、これまでそれほど多く描かれたことがないかな、という印象。この絵では描写が図式的になるのだが、痴話喧嘩風のやりとりも図式的(おやくそく)でありながら、生き生きした感が逆に出ている。締めには金ダライやヤカンが落ちてくる。徹底したドリフ風味。

もうこういう感じで続いていくのだろうな。
置き去りにされたというところでの反感と共感。お互いガキだが向き合っていく。
猫は額に月の印が付いていたらせらむんかと思います。

2004年10月19日 (火)

○Animation げんしけん

主義主張は定型的で通り一遍。個別状況も追究が浅く事例を並べたものでしかない。
本作は生態記録と標本ということなのだろうが、状況におけるひとの運動と生成という点から見ると面白みは少ない感じ。

天然の存在が、全てを含みつつ全てを空無化するというゼロ/∞両方を包含しそうな視点を与えてくれるという可能性があるからこそ救われているという感じ。

○Animation tactics

次第に図式的な装いが増しているし、龍を封じるところは迫力が大いに足りない印象。

かごめかごめの空恐ろしさは言葉だけでなくもう少し深く突っ込んでもらえるとうれしかったりするところ。とおりゃんせも同様の薄ら寒さを感じるものなのですが。

救いは、憑依される前は引っ込み思案で仲間と交わらなかった少年が、憑きものが落ちた後であっても、子供たちの輪からはずれることがなかったところが、最後の1カットでさりげなく示されていること。取り憑かれた後の経験が全てリセットされたり、マイナスの影響しか与えないものであったりではなかったという点がある。

○Animation 巌窟王

貴族のぼんぼんたちの遊興。
ケーキに対してうまいと言いながらがっつく軍人と見向きもせず、口も付けない婚約者の対比。そのような貴族社会の閉塞とも関連づけられた都市の内部と外部。自分たちこそ籠の鳥という認識を持つ者もいる。
徹底的なお人好しのアルベール。災厄を自ら招く者。

2004年10月20日 (水)

○Animation スクールランブル(録画分)

台風のため、さすがに早めに帰宅。積んであった中から、スクラン2話、3話を消化。

2話はどれも間延びした感が強く、見ているこちらの居心地が悪くなるくらいに見るのが辛い状態だった。

3話は1エピソードを短くしたせいかテンポが回復。原作読んでいないが焦点を合わせないとか眼を瞑って描くというところはさすがに読める。最後は意外ではあるが、直視できず横向きとはいえ、天満の絵が上手なことの方がインパクトは強く(失礼)、烏丸の歌舞伎系が逆にかすむ。

矢文はまず「三匹が斬る」のパロが普段の絵より良くできている罠。恋文を読んでもらう目的を忘れ、しまいには当てる/避けることが目的となっている感。避けるだけ避けまくって表情を変えない烏丸も食えないキャラ。この辺りは1話の自転車でも出ていたか。
それだけ手紙を書いて矢に結びつける方も相当だが。

パジャマトークは……それだけ?ってかんじ。まぁいいけど。

漫画的コマ割のED後おまけDパート。アニメでやるという逆説的な感もあるが、一度だけならという感じ。

○Animation 双恋

見る者を落ち着けようとしない嫉妬はいいが、嫉妬の仕方があまりにもガキっぽいのは何とかしてください。笑えません。それもまた見る者を落ち着かなくさせる戦略なのか、天然なのか。はて。

○Animation BECK

動きは慣れた。というか、いいかげんでもいいのか、という気になった。元強化選手なのに泳ぎのめちゃくちゃなところは何とかしてほしいけど。ここはギャグパートか。

動きが必要なところは、例えばギターの弾き出しの一瞬だけしっかり作って、すぐ夜景などに切り替えるという制作側の負担の少なくなるようなカット割りをしている(ようだ)。ま、それでもいいけど。泳ぎも泉のところだけを短くしっかりという感じ。脚を捕まれるところまでとか、目を逸らすために隣のコースを横切るところはきれいに描かれていたと思う。

普通は人当たりが良いいい人なのに特定の部分で爆発する水泳のオヤジと、公衆の面前でキレておいて仲間が来ると平然といつもの調子になる妹という対比。ひとのことを気にする社会と気にしないところ。だからこそ少女3人の喋りから取り残された感をうけて独り帰ろうとする。どっちの世界を選ぶのか、という感じの選択を迫られそうな感。まだどっちつかず。

負けたら殴るなんてマジで言っているのかよ、と思った。取引先にへつらっておいてその鬱憤をこんなところで解消しようとは陰湿で歪んでいる。だからこの日本的?なねっとりとしたところから飛び出して……という流れになるのかと思うが、そんなにアメリカ風の考え方がいいのかねぇ……という気もする。本作ではスタートラインからその答えは出ているのだけれど。

歌をうたったところと、喧嘩を止めようと声を出す場面。まっすぐなこの声が今後のキーになるのか。

○KURAU

生かしたり消したりが絶え間なく起きているのか。軽々しく扱われるようなことになると少々鼻白む感じ。見だしたのが途中からだし、過去の経緯を含め、よく分からないのだが。

毎週ここまで起きていたら死にます。ばったり。

2004年10月21日 (木)

○Animation 下級生2

本当に展開が遅いうえに下らなすぎ。(←見ていたのかよという自分突っ込み)

○Animation 舞−HiME

恥ずかしがってもぞもぞしていると余計に劣情を刺激してしまうので注意しましょう。そういう意味では絵づくりと動きは成功していたのか……(どこみてますか)。
表情のデフォルメがされすぎていて、恥ずかしさは出ているのだが顔がちょっと横に拡がっていませんか。

今回のオーファンはディズニーのスティッチですか? 尺のせいかあっさり倒されるうえなぜ下着収集なのかは結局明かされずじまい。

○Animation ローゼンメイデン

扉に届かないネタは引っ張るね。
雛苺のステッキを使って開けるようになったのか。

家来という言葉はやはり少々軽々しく聞こえる感じ。子供の遊びのような。

自分も子供のくせに。子供は嫌いだと言っているが、多分本人にも自覚はある。
であるからこそ、鞄に入ってひとりぼっちと言う雛苺と引きこもりの自分を同一化するだけの眼は持っている。

外に出ようとする、それだけでも存在するハードル。
深呼吸、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
玄関が魚眼レンズ風に歪んだあげく扉が遠く感じるところは素晴らしい。

学校前の和菓子屋で同じ中学校の生徒の目を避ける様子やあたふた感もしっかり動きで魅せている。

巴とはそれなりに喋れるようになっている。
雛苺を託された、という感。
ラスト、だーいすきっ(がばぁ)という雛苺の単純さがジュンには逆に突き刺さるのだろう。

2004年10月22日 (金)

○Animation To Heart

マルチとの遊園地だが、前作にもゲームにも遊園地はなかったはず。前作アニメはデパート。服は買ったが帽子は買っていない。いや、そもそもマルチのテストは落第と称して記憶もそのままに戻ってくるのだが、その甘さ加減から今回のリベンジ?があったはず。

遊園地でのアトラクションの多くが回転するもの(メリーゴーラウンド、コーヒーカップ、観覧車)であり、以前に乗ったことがある(と言及されていた)観覧車が古くなって(交換されるため)乗れないことで、マルチの記憶を回復させるための追体験の場が閉ざされたこと、マルチ自身も交換可能なロボットであること、すなわちもう回想してはいられない(時期に来ている)ということが暗示される。このことが、遊園地の帰路、マルチが記憶をリセットされて改めて実験が行われるという点と直結されている。この組み立ては非常に練られているものだと感じた次第。

この意図的に直線性を廃した円環構造と対比的に、まっすぐバスを追いかける浩之の図(といっても駅のロータリーではバスは直進していませんが)。

熱血な浩之ちゃーんはゲームや前作と比べると大分違う気がするが、とにかく熱い。
バスの窓から顔を出すという同じ状況で記憶を回復するマルチ。以前はそうしたくなかったのに、という抑圧か。ちなみに前作アニメでは窓から顔を出してお別れはしていない。

ラストはあかりの顔を映さずにパンしていき、マルチと抱き合う浩之を見つめるあかりの背中の切ないことといったら。このとき、あかりの顔をフレーム外にしていたのが非常に正しいと思った次第。

2004年10月23日 (土)

○Others 地震/出張

日帰りで地震の震源地に近い方角に出張していたため、帰路は1.7倍程度の時間がかかる。業務が終了し帰ろうと駅ホームに上ったところで強烈な揺れを4回受ける。同規模の地震が間断なく、というのは珍しい。本震と余震の区別が付かず。

このため、1時間の遅延に加え、途中まで安全確認のため35km/hの徐行運転、何度も停車駅で待たされ、合流点毎に前の電車が詰まっていて入構できないと繰り返され、更に遅延。

乗り換えてやれやれと思っていたら某駅入構直前に、前の電車が発車しませんといって25分も止まりっぱなし。相互乗入の影響か。

携帯電話は通話不可、メール可(送受信のタイミングが良かったせいかもしれず)、インターネット接続サービスは断続的に可と不可を繰り返していた状況。要するにあまり役に立ちません。中継局が壊れるほどの被害地域でなくともこのような感じ。

上越新幹線の脱線は某鉄なひとがどこぞのログに書いてくれていたのを読んだのが第一報という罠。

おかげで見るものはまったく消化できていません。

2004年10月24日 (日)

○Others サイクリング

というタイトルで良いのかと思うほどの軽い輪行。
久々だったので、自転車のメンテに時間を取られ、昼少し前に出発。

多摩川沿いの自転車道をだらだらと上流へ。羽村から小作までは奥多摩街道、そこからは青梅には行かず(遠回りはなるべく避ける体力のなさ)、右岸の吉野街道を進み、御岳山口まで来たところで、日没を考えて折り返す。ロープウェー駅(滝本)までの坂道も登れず。

しかし、帰路はさすがに寒くなってきた。上だけ長袖でもそろそろダメかも。小作までの下りは結構頑張って踏んだつもりだが、そこでばててしまい、羽村からのほぼ平坦な河原道は惰性で帰る。そのため余計に体が冷える罠。膝回りが少し痛くなってきた。ダメすぎ。

ただ、終始軽めのギアにするよう意識していたので、筋肉は大して痛くならず。その代わり平均時速なんて計算できるほどのものでもなく、ましてやどどさんあたりとは比較になりません。だいたい自転車違いすぎ。

というわけで今日も積みあにめは消化せず。

2004年10月25日 (月)

○Animation ファンタジックチルドレン

相変わらず謎を謎としたままで進むが、絵づくりは結構引きつけられるものがあった。自然に食い入る感じで見つめる自分がいた。森を走る抜ける影とか、脚で窓を開くとか、チット以外には信用しない手とか、何の抵抗もなく自然に見られる格闘とか。

ヘリからのサーチライトに照らされそうになり、ヘルガが突き飛ばされるところはさすがに明示的に描かれなかったか。

○Animation 月詠

縦切り画面と金ダライはやはり今回も。ま、安定していますか。
子どもをあしらう、という感じは良く出ていると思ったなり。
真っ向立ち向かってしまう耕平はやはりガキだな、とか。それがいいのだけれど。
絡んできた男から逃げたらすぐ家に帰ればいいのに、というのは野暮。
ごめんなんかもうかくことなくなってきた。

2004年10月26日 (火)

○Animation げんしけん

見ている人の多くはおそらく自分の方がよく知っていると言わんばかりの人ばかりだと思うので、描写に力がないと辛いと思われるこみふぇす@埋立地。

手が腫れていくのがコミカルなのはいいとして、それ以外の、例えば待機列の傘だったら、例えば斑目が騒いで傘から雫が垂れ、鬱陶しがる周りの人間とか、そんな背景が要るのではないかと考えるところ。

レアカードが出て周囲が「をを」とか、集合場所で汗を拭きながら待つ人種の体型が近似しているとか、いちいち図式的な感じで上滑りする感が増す。

この辺りの絵で問題なのは、周囲の人は平面に並べられているようにしか描かれていないこと。奥行きが全く感じられないうえに、手前を横切る人や間をすり抜ける人といった混雑感が全く出てこない。

さらに、買い物の中でも同様に、島中でも人の波をかき分けかき分けだってあるのにそういった部分は全くないし、閉会はあっけないし、終了時のフロアの全景は途中で出てきた時と人の分布が変わっていない。閉会直前ならば、人はもう少しまばらだったり、引き上げたサークルのブースの歯が抜けた感じが出ていたりする必要があるはず。説得力を出したいならこういったところを手抜きすべきではない。ナレーションだけ準備会コンパチで出しても、それ以外の部分での熱さがないせいで、価値は大いに減退していると考える。

○Animation tactics

ヨーコが可愛い。しかしこいつも首輪系か。きつねだし。
後はあまり見るところがない、というか平板。
今回も解決編では盛り上がりに欠ける。
すけこましになってしまった(?)春華の天然っぷり(食えればいい)は肩肘張らないで楽しめるが、春華のためなら死ねる、という勘太郎の言は唐突すぎる感。

巌窟王は遅すぎて生視聴は無理。
今週はKURAU、ローゼンメイデンと時間が変わっているので気をつけないと。

2004年10月27日 (水)

○Movie 誰も知らない

遅ればせながら、仕事を早めに切り上げて独り映画の会(謎)。
相変わらずネタバレ一辺倒なので気にする方は気にしてください。

画面の特徴というと、やはりカメラの(視点の)近さだろうか。実際に部屋を借りて撮影したと(プログラム中の演出ノートに記述有)いうところで、セットと異なり、引いたフレームで撮影できないという制約が、子供たちが密着して暮らすという限定された空間を効果的に映し出すこととなっている。

遠景を映し出す視点があるとすれば、窓やベランダから外の様子を窺うとき程度。

俯瞰的な画面は、交差点の角の公衆電話ぐらい。階段のある斜面については、階段に向かった構図ばかりで、階段の上から見下ろしたような画面はなかったように記憶(これは、遠景が見えたときに家や道路との配置の矛盾が生まれるようなことを意識したせいかもしれないが)。

また、視点で言うと、死んだゆきを葬りにゆくときの、モノレールの車窓から見える羽田空港ターミナルの灯りは、どんなに手を伸ばそうとも、あがこうとも、永遠、届かない、ひかり、といったイメージが強く喚起されていて強く印象に残った。上の文は『ONE』から想起。『1973年のピンボール』で少年期の鼠が通ったという突堤も思い浮かんだ。

冒頭、繁が中に入っているトランクは、母と明で運ばれていく際、途中で手が滑って落とされてしまう。そして、椅子から落ちて死んだゆきは、この落ちたトランクに入れられて明と紗希によって運び出される。

茂が入っていて落としたトランクの端を撫でる手と、死せるゆきを入れたトランクをモノレールの座席に座りながら撫でる手が同じように感じられた。

そして、死せるゆきを運ぶモノレールのシーンは、冒頭の母と明二人でモノレールに乗っていたところと対応しているのではないかと考える。

ベランダから茂が落とした鉢植えは、椅子から落ちたゆきと対応。
芽吹き、伸び、枯れていく植物たちは、生き残った兄弟の先行きをもさらに暗示してはいまいか。彼らはコンビニの残りものをいただくことで生きており、それはまさにコンビニで売っているカップ麺の容器の中で生かされる植物とよく似ている。

2004年10月30日 (土)

○Animation うた∽かた

家庭教師の兄さん(名前後で確認)が示した観測者の視点と、作品中にしつこく現される女性キャラクタに対する性的な視線を向ける描写については、視点という位置づけからみれば関連性を有している。

『うた∽かた』の特徴の一つ、「ところどころに出てくるセクシャルなカットが作品の雰囲気にかみ合ってなくて非常に邪魔くさい」(のりぽん氏)が故意に行われている理由と絡めると、性的な視線の問題がここでひとつ明らかにされた感がある。

性的な視線は、視聴者が望むと望まざるとに関わらず、女性キャラクタらに対してその性的な側面からのみの身体に目を向けることによる世界観測が行われている状況を故意に作り出している。それは、アニメがワンカット毎の対象を観測する視点を決定して、意図して描かれているものであるから、当然のことでもある。

つまり、本作品の想定される作者により、視聴者がそういう世界を望んでいるだろうというバイアスから導き出して故意に性的観点を強調するという世界構成により、本作品の作品世界のマチエールが決定してしまうということを自覚して作られているということが窺える。

例えばCCさくらのように排除して一見健全性を装うことは、隠蔽された点から遡行して性的なものを喚起するきっかけとなってしまうことも考えられる。また、『うた∽かた』の脚本では常に登場人物同士の齟齬が執拗に強調される特徴があるが、それらの齟齬を視聴者と作品との間でも発生させることによって得られる(ある意味悪意にも似た)効果というものを計算しているのではないか。そうであるならば、私やのりぽん氏が違和感を抱いていることは、試みとして成功しているといえるだろう。

そのことは、作中人物が悪意の目にさらされ続けることになり、幸福になり得ない世界ということでもある。
その暗示は第1回冒頭の、全てが終わった後と思われるところから示されていたとおりでもあるし、ED曲の歌詞からも暗示されているところ。

ただし、ジンを使用して明確に(キスシーンやそれを目撃してしまう皐月の状況を)観測したとしても、彼女の涙、螢子の浴衣の乱れなどを見ればすべては明らかなことであり、この力の使用は、一夏にはより直接的に状況のキツさを示すだけのものとなっている。これは、「そら」の見ているだけで何もできなかったところとかなり近似している感。それでもセカイにYesと言えるのか、みたいな感じになるのか。

それも、皐月は邪魔者扱いで待ち合わせにかこつけて厄介払いをされた訳だし、それだけでもかなり痛い思いを受けた状況で、男嫌いがますます増長する感。そんなセカイを肯定できるのか。

今回に限っていえば、初対面であり、直接の会話もそれほど弾んでいない間柄で、いきなりの告白、キス、身体の触れ合い(浴衣の乱れから想定できる)まで行っている。つまり、お互い交感もそれほどないうちに前述のような行為にまで及んでおり、ある意味外見でしか選んでいないことになる。それは、同級生男からはウブな気になる視線を投げかけるという様子で示されているが、砂浜で花火の開始を待っている間、立ち膝で螢子の胸元を盗み見ている様子からも、それがどうも外面で選んだという様子にしか見えてこない。

それはつまり、序盤のシーンで胸の大きな女性は和服が似合わないという俗信を吐きながら螢子の胸に触れる皐月のシーンと、着衣の乱れが対応しているようにしか見えないのだ。つまり、このようなセカイのなりたちは、性的視点からしか見ていなかった(と強制的に作中の視点に縛られる)視聴者が皐月の受けるきつい状況を作り出してしまったとして、同罪としての状況を作り出し、我々?を巻き込むものである。

このような観測者の視点に自覚的な構成は、まっとうに健全な回復への流れを歩んでいる『ローゼンメイデン』よりもむしろ注目に値するものではなかろうか。

『うた∽かた』直後に『神無月の巫女』を見ていると、登場人物たちがまっすぐすぎて非常に純に見えてきますよ。

途中でいきなり出現した皐月の猫面はやはり観測者の表情を覆い隠すものとして使われたか、と思った。この辺りは『TEXHNOLYZE』の蘭をまた思い出してしまった。

2004年10月31日 (日)

○Others HDD/DVDレコーダの使用練習?

ここまでは溜め録りしておいてHDDから見ていただけなので、少々使い方の練習も兼ねて、CMカットなどを試みる。画面の切り替わるコマに合わせると、冒頭の音が僅かに欠けることがあるということを、身をもって知り凹む。

あと、うちのはPanasonicなので、DVD-Rに焼いてファイナライズすると、せっかくここで切ったチャプターが無効になり、勝手に5分ごとに切られる(と説明書に書いてある)ので、焼くこともためらわれてしまう。しかしながら、既にSPで13時間超の録画が溜まっている。しばらく経って熱が冷めた頃に、真に必要なものだけ焼くことにしよう。

今まではとりあえずということで全番組をSPで録っていたのだが、保存をしないような番組はLPにしてみようかと思う次第。既にそこで分類/階層化が進んでしまうという側面はある。LPならなんとか見るだけなら見られる画質のようだが、試しにEP6時間で録画してみたら気分が悪くなるくらい画質が酷かった。誰がEP8時間なんて使うのかと問い詰めたい気分。

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