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小沢健二の『Olive』誌に連載された「DOOWUTCHYALIKE」最終回「無色の混沌」にフリッパーズ・ギターのどの曲をどちらが作曲したのかについてふれられた箇所があるのはよく知られている。
「二人といえば、フリッパーズ・ギターの話もしよう。これも今のカレーの例えと同じこと。ナイフで分けても何の意味もない。二人で何となく決まっていたのは、リードボーカルは小山田が歌う。歌詞とかタイトルは僕が作る。そのくらいのことで、あとは混然としていた。二人の共同の名前でクレジットしたが、作曲では、僕が一人でしたのは、」
以下にそれが述べられている(原文中では日本語タイトルで述べられる)。
friends again : kenji
young, alive, in love : kenji
camera! camera! camera! : kenji
camera full of kisses : kenji
また続く「小山田一人なのが、」以下のも挙げてみよう。
haircut 100 : keigo
knife edge caress : keigo
big bad bingo : keigo
3 a.m. op : keigo
summer beauty 1990 : keigo
そしてさらに思い出すように「あと「ラブ・トレイン」「パパ・ボーイ」ってのもあった。」と2曲追加される。
love train : keigo
papa boy and i : keigo
「パパ・ボーイ」というのは lollipop
sonic 時代からのナンバーで後に『FAB GEAR』において cloudy ( is my sunny mood ) と名前を変えて発表されるもののことだろう。
仮に、これが全てだとすると、逆に残りが二人の共同作業ということになる。
cool spy on a hot
car : wko
colour field : wko
wild wild summer : wko
southbound excussion : wko
slide : wko
love and dreams are
back : wko
groove tube 以下3rd
アルバム全て。
1st アルバムはまだ共同のクレジットではなかった。それを以下に挙げよう。
boys fire the tricot
: kenji
joyride : kenji
hello : keigo
coffee-milk crazy : keigo
happy like a honeybee : keigo
goodbye, our pastels badges : keigo
my red shoes story
: wko
exotic lollipop ( and other red roses ) : wko
samba parade : wko
sending to your heart : wko
the chime will ring : wko
一人で作曲したもの、二人で作曲したもの、をまとめると以下のようになる。
boys fire the tricot
: kenji
joyride : kenji
friends again : kenji
young, alive, in love : kenji
camera! camera! camera! : kenji
camera full of kisses : kenji
hello : keigo
coffee-milk crazy : keigo
happy like a honeybee : keigo
goodbye, our pastels badges : keigo
haircut 100 : keigo
knife edge caress : keigo
big bad bingo : keigo
3 a.m. op : keigo
summer beauty 1990 : keigo
love train : keigo
papa boy and i : keigo
my red shoes story
: wko
exotic lollipop ( and other red roses ) : wko
samba parade : wko
sending to your heart : wko
the chime will ring : wko
cool spy on a hot car : wko
colour field : wko
wild wild summer : wko
southbound excussion : wko
slide : wko
love and dreams are back : wko
groove tube 以下3rd アルバム全て。
アルバム単位でまとめるとこうなる。
hello : keigo
boys fire the tricot : kenji
joyride : kenji
coffee-milk crazy : keigo
my red shoes story : wko
exotic lollipop ( and other red roses ) : wko
happy like a honeybee : keigo
samba parade : wko
sending to your heart : wko
goodbye, our pastels badges : keigo
the chime will ring : wko
friends again : kenji
young, alive, in love
: kenji
camera! camera! camera! : kenji
cool spy on a hot car : wko
summer beauty 1990 : keigo
haircut 100 : keigo
colour field : wko
big bad bingo : keigo
wild wild summer : wko
knife edge caress : keigo
southbound excussion : wko
3 a.m. op : keigo
camera full of kisses : kenji
love train : keigo
slide : wko
papa boy and i : keigo
love and dreams are back : wko
groove tube 以降3rdアルバムまで全て共作
「ナイフで分けても何の意味もない」ということをするとこのようになったわけだ。
しかしこの参照した連載の主旨からするならば、一人だけで作曲したものに目を向けるよりも、むしろ「混然としていた」曲に注目させられることとなるはずだ。
あらためて二人の共同作業をながめてみよう。
my red shoes story
: wko
exotic lollipop ( and other red roses ) : wko
samba parade : wko
sending to your heart : wko
the chime will ring : wko
cool spy on a hot car : wko
colour field : wko
wild wild summer : wko
southbound excussion : wko
slide : wko
love and dreams are
back : wko
groove tube 以下3rd アルバム全て。
2nd アルバムの二人で作ったものをみると、4曲中3曲までがロンドンで向こうのメンバーとセッションをしてレコーディングされたものだ。
渡英前日の成田ホリデイ・インで wild wild summer は完成しているし、レコーディングを行ったair srudioのロビーで「スパイ(仮)」(これがおそらく
cool spy on a hot car )が完成しているし、ルイ・フィリップが遊びに来た日に完成した「ルパート(仮)」(これがおそらく
colour field )という具合だ。
レコーディングに行くものの、曲はそんなにできていなかった、という中で慌てて作られたものばかりだ。
先の連載中には
「他の曲は全部二人で何日も一緒に、どっちかの家で、夜中にコンビニ行ったりしながら、ラララーとか歌って作った。青くさい話とかしながら……。」
とあるのに、これらの曲は小沢の記憶にはそぐわない。
1st アルバムについてのこのリストからも考えることはいくつかあるが、そこはひとまずおいておこう。当時はまだメンバーは5人であった。
彼がここで言いたかった、混然としていたフリッパーズ・ギター、というのはこれらを引いた残り、ということになるだろう。つまり、
southbound excussion
: wko
slide : wko
love and dreams are
back : wko
groove tube 以下3rd アルバム全て。
である。ここで語られた美しい思い出の中身だ。
それぞれが持ち寄った曲が中心の 2nd アルバムから共同作業で曲を作っていくフリッパーズ・ギターへと変化していく、とおおまかにみてとれるだろう。このバンドは、徐々にバラバラに離れていき、そして解散、という道はたどっていない。少なくとも曲作りにおいては。
southbound excussion
。2nd アルバムでは珍しい、というかほぼ唯一の(camera full of kisses も聴けそうなのだがいまいち聞き取れない。あのブレスは小沢の?
小山田の?)全編小沢のコーラスが伴う曲だ。超低音の小沢コーラスもレアだ。ドラマチックな展開の曲であり、ひょっとするとひょっとして部分部分を作り合わせての合体技、であるのかもしれない。とにかく、二人で作った、というコンテクストの導入で聞いてみる機会は増えるかもしれない(いまいち人気のなさそうな曲なので)。
slide 。個人的にはフリッパーズ・ギターの曲の中で指折りの存在なのでそうだろうそうだろう、という感じだ。なんと言ってもこの曲の魅力は二人の声がうまく溶け合っていると感じられるところだ。ボーカル部分に手を加えたサイケ風味な曲で、そのうえ同時に別のことを歌われて情報が錯綜し、めまいをおぼえるような非常に幻想的な曲となっている。最後の「ラララ」の部分は左が小山田、次いで右から小沢、のかけあいになるのだが、その「ラララ」が浮き出してくる元の真ん中には、確かに切り取れない混然とした状態が、ある。
love and dreams are
back 。こちらもほぼ全編に小沢コーラスが入る曲。個人的にはノスタルジックに聞こえすぎて、いまいち思い入れが少なかった曲。もし解散しないで続けていたらこんな曲をやっていたような、という誰かのインタビューで、まさか、と思ったものが、こうしてみるとあながち的はずれでもないのかな、という気になる。
groove tube 。スチャダラパーとの出会いからサンプラーを導入。本人達にとっても大自信作であったようだ。ここから『doctor
head's world tower』まで、とことん二人で試行錯誤を繰り返し作り込む世界へと入るわけだ。二人の本当に濃い時間が、閉じた円盤の中に密閉されているのだろう。
連載中、名前が出ているのでつい誰がどの曲を作ったのか、に目がいきがちであるが、肯定的に述べられたのは二人で作ったものの方であった。名前をあげられた順序から言って、まず2nd
アルバムはほぼもちより、3rd アルバムに注目させたい、というふうにおおざっぱにとらえることができるのだが、こうして書いてみることで彼の記憶に残る思い出としてのフリッパーズ・ギターを思い描くことが可能になる。もちろんそれこそが素晴らしいのだ、これこそ正に真のフリッパーズ・ギターなのだ、などとばかげた結論にいくわけでないことは言うまでもない。
さて、その他に分かることもまたあるわけで、たとえばシングルの構成がある。
1st シングルは
friends again : kenji
happy like a honeybee : keigo
の組み合わせだ。friends again
は89年6月27日に lollipop sonic が flipper's guitar と改名されたライブで初めて演奏されたものだ。1st
アルバムの後にできたものなのだろうか。映画に使われる曲とCMのタイアップの曲とのカップリングだ。
2nd シングルは
young, alive, in love
: kenji
haircut 100 : keigo
続くマキシシングルは
camera! camera! camera!
: kenji のバージョン違い
big bad bingo : keigo のバージョン違い
cool spy on a hot car : wko のライブ
という組み合わせだ。きれいにバランスを保っている。
そう考えると、3rd シングル
love train : keigo
slide : wko
を転機とする見方にうまく納得する結果となるのがわかるだろう。love
train まで。slide から。
他にもうまく逆転させて聞き込む楽しみ、ということもあるだろう。切り分けられた
boys fire the tricot
: kenji
joyride : kenji
friends again : kenji
young, alive, in love : kenji
camera! camera! camera! : kenji
camera full of kisses : kenji
hello : keigo
coffee-milk crazy : keigo
happy like a honeybee : keigo
goodbye, our pastels badges : keigo
haircut 100 : keigo
knife edge caress : keigo
big bad bingo : keigo
3 a.m. op : keigo
summer beauty 1990 : keigo
love train : keigo
papa boy and i : keigo
から、さらに各人のある種の特徴を引き出したうえで、さらにそれを個々の曲に返してやると、どうやらこれらの曲にもお互いの要素が絡み合っているのではないか、と新鮮に聞こえてくる場合も十分にあり得る。むしろそこにこそこの「無色の混沌」の妙味があるのだと言えるかもしれない。
つまり、当初は切り分けることなんて何の意味もない、ということを言うために切り分けられる一面を呈示してその残りの面(上で見たような共作の部分)を強調したわけだが、振り返って、切り分けられたものを見ていくと、そこにこそ切り分けられないことがありありと見えているのではないか、ということだ。この点こそフリッパーズ・ギターが「無色の混沌」として扱われた所以、としてとらえることが、「フリッパーズ・ギター」のファンにとって、もっとも救い取れるこのエッセイの読み方なのではないだろうか。何も小沢が真にそう言いたかったのだ、などといううさんくさいことを言うつもりはない。そう誤読することが最も好意的な読みであるだろうし、最も文脈に沿うことになるだろうし、何より解散して12年もたつバンドの曲を別の角度から聞くきっかけになるのだというだけだ。もしかして好きな曲にまたあらためて新鮮な驚きが加われば、それはまたファンにとってうれしいこととなる、のだろうと思う。
もちろん、ここで見たのは曲作りだけであって、「フリッパーズ・ギター」というのは曲を作っていただけではない、という話はもっともなことである。
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