●出会い編●
私とFZの出会いは、そう忘れもしない...え〜と19才の時かはたまた20才の時かなんにしろまだ若かったころの話しなわけさ。ええい、細かいことはいいんです。(笑)
当時フュ−ジョン小僧からプログレ少年に進化(?)しつつあった私は知人に「Open The Next Page」/Black Pageっていうレコ−ド(!!)を借りて、結構気に入っておりました。んでもって近々ライブがあるという話を聞き、今は無き新宿サウンドハウスというライブハウスにそのバンドを見に行ったわけ。んでそのレコ−ドの曲をノリノリで聞いておったのですが、Kbの小川文明さんが「次はカバ−やりま〜す!!」ってことで演ったのが「Black Page #2」だったわけだす。
いやあ、そのときの衝撃はすごかったです。後で聞く「Zappa in New York」のそれとは全然違った音だったのをはっきり憶えております。メロは多分Kb(現奥様のTamikoさんも弾いてたのかな...だったらKb×2?)とギタ−のユニゾンの音がけっこうすさまじかった。後のライブでもよくMini Moogとか使ってたから、このときもMini Moogだったのか、はたまたGtrがオクタ−バ−とかかましてたのか、とにかく分厚い鋼鉄のワイヤ−か、はたまた極太のライト・サ−ベルか、そんなような音のイメ−ジだけが残ってます。(印象だけが時間とともにデフォルメされてる可能性大...(^_^;))
それ以上に衝撃的だったのがノリノリの8ビ−トだったものが、へ−んなリズムであれれ?っていうまにアタマが一瞬どこかへ消え、1/5/9thのコ−ドが平行移動した時にアタマに返ってくる...リズムが伸び縮みしてるような、とにかくこれまでに聞いたことの無い音楽に、その日はその1曲の興奮のおかげで夜悶々と眠れなかったのを記憶しております。
で、ZAPPAに詳しいという知人のドラマ−に「Zappa in New York」をテ−プにダビングしてもらい、しばらくはヘビ−・ロ−テ−ションどころではなく、それしか聞いてなかった。(笑)
全てはそこから始まりましたねえ...。(しばし懐古モ−ド)
でおなじ人から「Halloween Live '81」という海賊ビデオを借りてしまったことでトドメを刺されました。この中でやってる曲の気に入ったものが入っているレコ−ド(まだまだっ!!)を渋谷タワレコ(当時は今の石橋楽器のあるJeans Mateの上だった)でFZのコ−ナ−に行き、「おおっ!!こんなにたくさんあるじゃないか...こんなんお金がなんぼあっても足りへんやんっ!!」と思いながらもその顔は喜悦の表情だったと思われる今日この頃、食費を削ってレコ−ド買いまくってました。
一番の出費は当時廃盤になってた「ZAPPA IN NEW YORK」。ダビングしてもらったテ−プも伸び切ってたし、なんとかレコ−ドをゲットできないものかとそれこそ新宿、渋谷、高田馬場等々探し回ったのですが、灯台下暗し...明大前のモダ−ン・ミュ−ジックで発見。値段が¥15800-也。目が点。でも欲しい。あのビンボ−な当時どうやって工面したのかは忘れてしまったが、見つけたその日から数日以内にゲット...その時の至福感はどうやって表現できるか?否、できないであろう。(笑)
こきたない格好のあんちゃんが喜悦の表情を隠しきれずに1枚のレコ−ドを抱きかかえ、京王線に乗ってる姿は...回想したくないぞう...。
●「Peaches En Regalia」編●
で、話しは飛んで、先日の2001.12.4に吉祥寺はマンダラ2で行われた「Freaks!! Freaks!!」FZトリビュ−ト企画ライブ@マンダラ2のステ−ジにてポチャカイテマルコが演奏した「Peaches En Regalia」のハナシです。
1994年、私はKORGという楽器メ−カの営業技術課という修理/修理パ−ツ発送部門で準社員をやっておったのですが、バブルの崩壊とともに準社員は解雇となり「ああ、またバイトをさがさにゃアカンのか〜...。」状態でした。その時同じKORGのWAVE DRUM開発部署から声がかかりそちらで働くことができるようななったのでした。
最初は「スティック関係のアドバイザ−」的な立場でやってたのですが、やはり開発には色々な特殊な知識が必要で、それはもう忙しさとプレッシャ−で大変なうえに毎日が勉強につぐ勉強でした。(夏休みに分厚い本を4〜5冊渡されて「参考までに読んでおいて」...とか(^_^;))
確かに充実してたし、その時期のデジタルオ−ディオやシンセサイザ−の知識のスキルアップは現在の自分においてもとても重要な通過点だったかもしれません。
ただ、そういった時間の流れにいる以上これまでのペ−スで作曲、Drumsの練習、自分の音楽活動みたいなものがほとんどできなくなったのも確かです。「かなりコアな音楽の仕事をしてるし、キライじゃないというか本来好きな作業だし...このままでもいいのかなぁ...。」と思い始めている自分がいました。
こういった思いがつのり、プレイヤ−として上京してきた自分に疑問を投げ掛けつつも、そのうち忙しさやら疲れやらで、自宅の録音システムは眠ったまま、自分で音楽を聴くことすらどんどん少なくなっていってしまい、体調を大きく崩してしまうことになってしまいました。
最初は食欲不振だったのですが、そのうち食べ物を受け付けなくなってしまい記憶にの残っている最悪の状態だと、「せめて、糖分を...」と思って買ってあったプリンを食べようとして半分も食べないうちに吐き気をもようし、結局その日食べたものはそれだけ...という日もありました。
それにくわえて不眠(これはホントにツらかった...)無気力感など、でも熱があるわけでなかったので病院にも行かずに過ごしてたのですが、その当時に新聞かなにかで「躁鬱病」の症状と酷似していて、かなりショックを受けました。自分でそういう関係の病院を探したりもしたのですが、病院でそういう診断をされるのが恐くて(仕事を続けられなくなると完全に失業する!!)なんとか自分で直さなければと、実はそういう本を買って実践してました。かなり本気で。ただこういったタイプの治療って時間がかかるらしく、「ああ、もう若かりしころの食欲とか戻らないのかもしれない...。」とかかなり嘆きつつも気長に自分なりの治療を行ってました。(ホントは絶対医者にかかったほうが良かったのでしょうが...シロウト治療は恐いと思うし...。)
そのうち食欲は戻らないまま血便が出たりして「う〜ん、いよいよまずいな〜...(^_^;)」とけっこうマジメに「死」というものを身近に考えてたりもしてたので、一発奮起、病院にて徹底的に検査を行いました。バリウム&レントゲン、そして胃カメラもこのときに初めて体験しました。結果、内臓的には胃炎をおこしているだけ(?)だったのでもっといやなことに想像を膨らませてたので、かなり安心しました。
でも病院でもらう薬ってやっぱ副作用が有り、それは躁鬱病的精神面にはよくなかったような気もしてます。
ずいぶんと前振りがながかたのですが、こういったどうしようもない時期に、ある日当然しばらく使ってなかったカセットのWalkManを引っ張り出してカバンに突っ込んで出社、桜上水駅に降りて歩き始めてから入っていたカセット「Hot Rats」をなにげに聞き始めたわけです。
そしたら、なぜか「Peaches En Regalia」を聞いてるうちに涙が溢れてきて止まらなくなってしまったのでした。何故に唐突にそういう思考になったのかは、そういった変な精神状態の成せる業だったのかもしれないのですが、言葉にするとなんて陳腐になってしまうのかと、今書きながら自分の文章表現力やボキャブラリ−のなさに幻滅しつつ、
「生きてるっていいなあ、音楽っていいなあ...。」
「やっぱ、自分は“音楽”をやらなければなんだ、きっと...。」
という「感じ」が「ぐじわぁ〜」と沸き上がってきたのでした。
FRANK ZAPPAの「Peaches En Regalia」という曲で、この時からの状況が全てが良い方向に転じたとは言いません。が、自分の生き方としての方向性を軌道修正してくれた(もしくは、そのキッカケを与えてくれた)というのは間違いないです。
FZはひょとしたら命の恩人なのかもしれません。そういうこと言ってると、「俺が死んだら、俺のことなんかみんな忘れちゃってくれていいんだよ。」と言ってたFZにとってはうざいだけかもしれないのですが...ね。(酒飲んでこの話をすると、いまだに数分は再起不能になってしまひます。)
そういったあれで、12/4の演奏でも最初のアノDrumsのFill Inを叩いたときには、このような思い出が一瞬頭の中を走り抜け、全身に鳥肌が立ってたことをここに暴露しておきます。