感想『〈出雲〉という思想』
・原武史『〈出雲〉という思想 近代日本の抹殺された神々』 講談社学術文庫 05/11/30 現代日本の基礎になったのは明治維新であるように思う。長く続いた武家政 治から近代制国家へと大転換を果たした明治維新は、その後に続く日本の様々 な方向を決めたからだ。 第二次世界大戦の敗戦で日本は、それまでの大日本帝国という形から戦後民 主主義の日本へと、もう一度、転換するわけだが、しかし、変わらなかったも のも数多くある(変わらずに温存されていたものが、今、敗戦前の日本を懐か しむように各所で蠢きだしているように感じる)。 最近、靖国神社に興味をもって色々と本を読んでいたのだが、敗戦を経て、 なお、残された天皇制(戦後は、象徴天皇制になったわけだが)、また、靖国 神社に関してよく言われる日本の固有の信仰体系である神道ということに関し ても興味の対象が拡がっている。 明治政府が、国家神道を確立する際に伊勢神道を採用し、出雲神道というも うひとつの有力な神道の流れを葬り、現在に続く天皇制を確立する基礎を築い た歴史が、この本には書かれている。 神道はひとつではないし、単なる信仰でもない。神道は元々、天皇が司る祭 祀についての細目の体系だった。その細目は、仏教などの信仰体系と混ざり合 う形で、また民間信仰と様々に習合する形で、信仰としての宗教としての神道 が整ってきたわけで(高取正男『神道の成立』などを読んでの私見)、一般に 言うところの信仰とか宗教とかとは相容れない性質を持っている。 明治政府は近代制国家を創設するに当たって祭政一致の政体、国家神道を作 るのだが、これは、天皇が司る祭祀と、政府が行う政治を、天皇制という制度 のもとに一致させたもので、通常の宗教、信仰とは全く違う体系として意識さ れているし(明治政府においては、神道は宗教ではないと規定されている)、 現に違うものであった。仮に、この時点で、神道に信仰的な要素があったとし たら、それは天皇個人を神格化するということであって、明治政府の祭政一致 や、天皇制そのものとは全く別の問題として考えられるべきことのように思わ れる(もし、今、天皇制の存続が問題になるとしたら、祭政一致ではない政体 における天皇制の役割ということになるのではないか)。 この本ではそのような国家神道が成立する際に出雲神道というもうひとつの 流れがあったこと、またそれが葬られたことが掘り起こされている(著者は、 あとがきで、この本は「敗者」の思想史であると書いている)。 伊勢神道とは、アマテラスオオミカミなど、現代の天皇家に連なる神話体系 (歴史)を採用した神道の流れであるわけだが、著者は、そこに伴走するよう な形でスサノヲ、オホクニヌシが主となる神道の神話体系(歴史)があったと する。 国譲りの神話というのがある。簡単に言えば、高天原のアマテラスオオミカ ミが、オホクニヌシのおさめる出雲国を譲るように要求し、オホクニヌシがそ れに応じて、地上の支配権をアマテラスオオミカミに譲ったというもの。 この国譲りの神話があるから、日本の支配権がアマテラスオオミカミにある という正当性が成立し、現在に繋がる万世一系の天皇という神話に正統性がも たらされることになるわけだ。 出雲神道は、アマテラスオオミカミに国を譲ったオホクニヌシが、幽冥界の 支配権を得たということを中心に神道の流れを作り出している。つまり、アマ テラスオオミカミが支配する日本と、オホクニヌシが支配する幽冥界の日本と いう二重支配の構図があったとするのである。 「本居宣長の晩年の神学を継承し、〈出雲〉の神々に着目した平田篤胤が、 この流れの原点にいる。篤胤はそれまでの国学を、復古神道として宗教化 し、オホクニヌシを中心とする独自の神学を作り出した。この篤胤神学が 与えた思想的影響はきわめて大きく、門人の間に反発を招きながらも復古 神道のひとつの大きな流れになり、明治政府が維新に際して、復古の名の もとに作ろうとしたアマテラスや造化三神(記紀神話の冒頭に登場する三 神)を中心とする神道とは異なる解釈を、堂々と主張するようになるので ある」 (原武史『〈出雲〉という思想』講談社学術文庫P6より引用) 「つまり出雲国造とは、天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、 天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである。しかも天皇の権威 が、明治になって作られた要素が多かったのに対して、出雲国造の権威は それ以前からあり、特に中国、四国地方を中心とする西日本では、その存 在は明治以前からよく知られていた。このような権威をもつ出雲国造であ った千家尊福(せんげたかとみ)という人物が、明治になって篤胤以来の オホクニヌシを中心とする神学を受け入れたことで、出雲が伊勢に対立す る思想的中心となっていったことは、注目に値する」 (原武史『〈出雲〉という思想』講談社学術文庫P7より引用) つまり、明治政府が用意した祭政一致の政体の基礎になる伊勢系神道である 国家神道に、神道の側から異を唱える思想があったということになる。 国家神道は、あくまで万世一系の天皇が日本を支配するという正統性のもと に成立する国家体制の基盤としてのフィクションであり、そこにオホクニヌシ の流れを中心とする別の神話体系が出てきてはまずいわけである。 「明治維新とともに歴史の表舞台に現れ、天皇制国家にも思想的影響を与え た復古神道の流れに属しながら、明治政府、さらには〈伊勢〉に神学的に 対立し、抹殺されていった〈出雲〉。〈出雲〉という思想的場所に徹底し てこだわることで、幕末から維新、さらには近代日本全体にわたる、もう 一つの思想史が見えてくるのである。(中略)第一部「復古神道における 〈出雲〉」は、本居宣長から大本教団の出口王仁三郎、さらには戦後の折 口信夫に至るまでの、近世、近代の日本における〈出雲〉思想の屋台骨を 支えた人々の軌跡を描いた、いわば総論にあたる。第二部「埼玉の謎 ー ある歴史ストーリー」は、この問題を明治初期の埼玉県の成立に即して 論じた、いわば各論に当たる。両者はセットになっている」 (原武史『〈出雲〉という思想』講談社学術文庫P8より引用)) 学者の方の書く本は大概の場合、まえがきやあとがきに、きちんと要約が書 かれているので感想文を書くときには助かるのであるが、ここに引用した文章 が本書には詳しく書かれているのである。 色々と分けて考えないと、混乱してしまうと思う。 神話、信仰、祭祀、政治、体系、神格化、体制などというように。いや、も ちろん、これらが相互に複雑に絡み合うから問題はねじれ、錯綜してくるのだ けど。 うまく整理して問題を分類することは、今のぼくにはとても荷が重いし不可 能だけど、少なくとも神道と言ったときに、単純に、現在の天皇から遡ったア マテラスオオミカミの神話から一直線に語られてしまう神話や、それに対する 信仰ということを持ち出しては間違えてしまうということを思う。 現在、語られているような天皇制が、神道が、神話が固有の唯一の信仰とは 到底、言えないのである。 この本では簡単に触れられているだけだが、靖国神社との関係も書かれてい る。 「(千家尊福が政府の要職を歴任し始めた)この時期は、占領地に新たに建 てられた台湾神社や樺太神社にオホクニヌシがスクナビコナとともに祀ら れ、この神が「幽冥主宰神」から、1879年に招魂社を改称して別格官 幣社となる靖国神社の祭神と同様の、「護国の神」へと変質を遂げる時期 に一致している。しかしこのことは、1880年代以降の出雲大社と靖国 神社が、同様の役割を担ったことを意味するのわけではない。それどころ か靖国神社は、出雲大社に入れ替わるようにして、神道が有していた宗教 性を一手に引き受けるようになる。確かにここでいう宗教とは、主として 国家のために戦死した軍人だけを対象とする点や、彼らを無条件に「神」 とする点で、復古神道とは決定的に異なっていたが、「国家神道」が確立 されてからも、靖国神社だけは例外的に宗教性を保ち続けるのである」 (原武史『〈出雲〉という思想』講談社学術文庫P187より引用) 平田篤胤により掘り起こされた神話としてのオホクニヌシは幽冥界を支配す する神であった。それが、世界を相手に戦争をする時代になると「護国の神」 として神社の主宰神にされるわけで、それが、ある程度、定着していくことに なる。その流れとは別に靖国神社の「戦死者」を神として祀るという形もある わけであり、ここに、両者の奇妙な隣接関係が生まれている。あるサイトでは それを怨霊鎮魂の視点から見ていて、興味深い。 この本で、神道についての考え方の入り口が少し見えたような気がする。 更に色々な本を読み、問題を整理していかなければならないわけだが、何か 着々と進んでいるなという気分にはなる(自画自賛(笑))。