今回の旅行を振り返ってみると、どこに行っても教会と宮殿の見学で最後のほうではやや食傷気味になっていた。
その中でチェコのチェスキークルムロフは街全体が中世のまま残された美しい街で、4年前訪れたドイツのローデンブルグに通じるもので印象的だった。
30年近く前、出張の折に訪れたベルギーのブルージュもそんな街だった。

ドイツの町はどこに行っても実にきれいな印象を受ける。
ごみもなく、壁の落書きも少ない、家々のつくりが赤い屋根に白い壁に統一され、一つ一つが安普請ではない重厚な感じがあり、電信柱や無制限に散らばる広告の看板(交通安全の看板も)もなく、家々の前に洗濯物やフトンもぶら下がってない。
郊外の野原の雑草までが、雑然としたつたやススキではない絵になる雑草に見えるのは少しイカレタかな?。

旅行中の天候は、4年前とちっがってセーターを着るほどではなく、快適な気温だったが、1日の中で突然のにわか雨になったり、直後に太陽がでて晴れ渡りというように変わりやすい気候だった。

食事は相変わらずのソーセージが毎朝のバイキングにあり、飽きたはずなのに何種類ものソーセージをお皿に持って食べてしまう。帰国したら2.5kの体重オーバーだった。
食に関しては、やっぱり食の変化のある日本のほうがいいですねー。



        

ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウ城

ノイシュバンシュタイン城は前回の旅行で中に入っているので、私は今回ホーエンシュバンガウ城の方に入った
こちらはノイ城を作ったルートビッヒ2世が生まれ育って生活したお城で、内部の部屋も実際の生活した感じが伝わるものだった
右上の写真はホーエン城から見たノイ城の遠景で、ルートビッヒ2世は建設中のノイ城をホーエン城の部屋から望遠鏡で眺めていたそうだが
完成後ノイ城には160日足らずしか泊まっていないという
あまりきらびやかに飾られた部屋では落ち着かなかったのかな?

4年前、この周辺は大勢の観光客でノイ城へ行くミニバスに長い行列ができていたが、今回は行列も短くなって観光客の数が減っていた
前の晩、ミュンヘンの有名なビアーガーデンレストラン(ホフプロイハウス)に行ったが、4年前は満員の客で米国からの若者団体も多く盛り上がっていたが、今回は米国人らしい客は見当たらず、客の入りもテーブルの1/3程度しか埋まってない状態で、生演奏がちっとも盛り上がらなかった
不況と新型インフルエンザの影響で観光客の減少が顕著に感じられた





パッサウ
この町はオーストリアとチェコの国境に近い町で、ドナウ川、イン川、イルツ川の3つの河川の合流するところ
世界最大のパイプオルガンのあるステファン大聖堂で知られるところ。しかし残念ながら行った時間はミサの最中で
内部には入れずパイプオルガンも見られなかった。
秋田市と姉妹都市関係を結んでいるとのことだが、日本人観光客は無論、他の観光客も見かけない静かな田舎町だった





チェスキークルムロフ

ドイツからチェコへの国境越えは、さすがユーロ圏内、全く何の手続きもなくバスに乗ったまま、かつての検問所跡のガイドさんの説明を聞いたまま通りすぎた。

チェスキークルムロフはブルタバ川沿岸にたたずむ古都で、13世紀に築かれた城を中心にした中世の美しい街並みがそのまま残されたている。
しかしこの美しい城も街並みも、ナチスドイツによる占領とその後の共産党の独裁体制下で伝統文化が否定されたことから、廃墟同然に放置されていたのを、チェコが民主化された後元の美しい姿に修復したそうです。
この跡に訪れた東ドイツでも同じような姿があり、このことだけをとっても、共産党独裁体制では人間性が失われるとの感を深くする
日本でもテレビの「シリーズ世界遺産100」にも取り上げられて紹介され、最近日本からの観光客の数も増えているらしく何組かの日本人ツアー客に会った。


プラハ

ブルタバ川(モルダウ川)が中心を流れ、プラハ城のあるところにはすでに9世紀に城が築かれていたというが、現在の形になったのは14世紀のカレル4世の時代。
有名なカレル橋は修復作業中で美しい全体の姿は見られなかったが、古い石畳の街並・建物が数多く残され、海外からの観光客も非常に多いという。
プラハは教会の塔の多い街でも知られており、高台になった宮殿広場から見る街のあちこちに塔が見える。

プラハ城の中にある聖ヴィート大聖堂は塔の高さが96mという堂々としたゴシック建築で、全体の建物を写真に収めようとしても入りきれない大きさだ
この聖堂の中にあるステンドグラスは他の教会の中にある古いものではなく、20世紀になってから完成したもので、内部の窓一面に飾られた迫力に圧倒される。
ステンドグラス教室の研修旅行には最適な見学だったと思われる。







ワルトダッセン

ステンドグラスの材料のガラスを作る工場(ランバーツ社)のあるチェコとの国境に近い小さなドイツの町
同居人がここを訪れるのは4回目になるが、私は前回の4年前に次いで2回目
前回は作っている作業を間近に見ることができたが、今回はこの工場も世界不況のあおりを受け、生産が途絶えがちとのことで、生産工程は中断されていて見ることができなかった。手作りのアンテイークガラスを作っているところが世界的に減っており、残された数少ない希少工場だ

ワルトダッセンは人口約7000人くらいの小さな国境の町だが、それに似つかわしくない立派な教会があり、これに付随する立派な図書館がついている。教会内にある10体の着飾った骸骨と図書館の蔵書、木造の彫刻は相当のものだ。


ドレスデン

中世の頃のドイツはいくつかの王国に分散しており、ドレスデンはザクセン王国の首都として栄え、栄華を極めたアウグスト強王が1728年に完成したのがツヴィンガー宮殿。
東ドイツ時代には放置されたままになっていたようだが
東西ドイツ統一後、1988〜92年にかけて修復され、北のフィレンツエといわれる美しい街並みが戻っている。

市電が走り、車の行き交う大通りのすぐ脇に歴史的な立派な教会が立っているのには驚かされる。日本と違って石の建造物なので、木造のように不心得者に簡単に燃やされることもないのだろうが




ベルリン

ベルリンは、今回訪問した都市の中で一番まとまりのないドイツらしくない街に見えた。
確かにシャルロッテンブルグ宮殿のものすごい装飾品の数々を見ると、敗戦を覚悟したナチが良くぞこれだけの歴史的品々を隠して保存したと驚かされる。
ナチといえども、敗戦を前にした混乱期にあってなお、文化遺産の保存には多大なエネルギーを掛けたわけだが、この辺はタリバンとは違う点だと感心させられる。

宮殿広場に立つベルリン大聖堂は見事に復元され、荘厳な姿を見せているが、ベルリン市内のあちこちで道路の工事中が見られ、今なお全体が戦後の共産党支配からの復興作業が完全には終わっていないところがある。

東西ドイツを分割していたベルリンの壁跡を見たが、壁のあった周辺にあるユダヤ人の慰霊墓標や分断中の東からの脱走脱走犠牲者の墓標などが並ぶ反面、旧緩衝地帯に立つ近代建築のビルは歴史的建物と違和感がある。
私だけでなくほかの人たちも、あまりいい印象を持たなかったようだ。



ベルリン大聖堂
ドイツ、チェコ観光

ヴィート大聖堂

シャルロッテンブルグ宮殿

2009、6月4〜12日


プラハ城とモルダウ川

ガラスを吹く釜は火を落とせない

ツヴィンガー宮殿

ステファン大聖堂

4年前にドイツ観光をしたのに続いて、同居人の主催するステンドグラス教室の研修旅行という名目のドイツ、チェコ旅行に行ってきました。
研修旅行であるため、ガラス工場見学で”ワルトダッセン”というチェコ国境に近い小さな田舎町は再訪問になりましたが、チェコを含めて前回とはかなり違った観光が楽しめました。
今回の参加者はステンド教室のメンバー10名、その家族や友人が8名の総勢18名。


バジリカ教会

ベルリンの壁
この辺だけ100m位残る

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ノイシュバンシュタイン城


ホーエンシュバンガウ城

内部のステンドグラス

ブラウエン教会

チェスキーの町を背に

ドナウ川と砦跡