僕が、今まで見た夕日の中で一番美しい夕日は、一年前のあの日に見た夕日だ。

僕は、車で仕事から帰る途中、利根川沿いの見晴らしの良い田舎道を走っていた。そして、信号待ちをしている車の列の後ろに止まった。その時、ふと、赤い光線が視野の中へ流れ込んできた、そして僕は無意識に横を見た。そこには、はっと心が釘付けにされるような美しい光景があった。

柔らかく膨らんで、あたたかな赤色をした、まん丸な太陽が、これもまた、柔らかくあたたかな赤色を滲ませた、羽毛のような雲のふとんに、ふんわりと浮かんでいた。僕は、その美しい光景に心を奪われ、じっとその景色に見とれていた。そして、後ろの車のクラクションで、信号が青に変わったのに気づき、急いで車を発進させた。そのまましばらく車を走らせてから、このまま走り去るのは惜しい気がして、路肩に車を止めて、外へ出た。

土手の下に広がる田園の向こうに小高い丘のような山があり、その上に、美しい夕日が沈みかけていた。柔らかくあたたかい羽毛のような雲の中へ、眠ろうとする子供のように、そのほっぺたのような赤みを帯びた太陽が、沈み隠れようとしていた。僕は、思った。こんな美しい夕日は、今まで見たことがない、これは、今までで一番美しい夕日だと。

しかしその時、僕は、心の中を占める感動と共にその影のように寄り添うかすかな不安もまた感じていた。本当に美しいものを見たとき、僕は同時にかすかな寂しさや不安の、その影のような気配を感じることがよくある。しかし、その影のような不安が、よりいっそう陰影として美しさを際だたせるのである。その時もまた僕は、その美しい夕日を見ながら、かすかな不安のようなものが心を一瞬去来するのを感じていた。そして、いつものようにその不安は、美しい夕日をよりいっそう美しいものへと昇華させていた。夕日が沈んでしまっても、しばらく僕は、そのまま、夕日の名残を惜しむようにその場所を見つめていた。そして、おもむろに僕は車に乗り込むと車を走らせた。

その知らせは、その日の夜におとずれた。僕は、やはり車の中にいた。幹線道路の空いている右側の車線を軽快に走らせていたとき、突然、携帯電話が鳴りだした。僕が電話に出ると、友人が言った。あいつが死んだと。僕は、一瞬、悪い冗談だと思った。しかし、友人は繰り返した。あいつは死んだ。その時、誰かが僕を見たら、奇妙な薄笑いを浮かべながらハンドルを握りしめている異様な男を見たに違いない。そう、確かに僕は笑っていたのだ。そして、二車線道路の右側車線を徐行していたのだ。

僕は、クラクションの大騒音の中で、おそろしく静まりかえったところにいた。僕は、なんの音も聞こえない世界で、バックミラーを見ながら、車を左に寄せ、怒りをみなぎらせて横を通り過ぎる車の列を、スローモーションを見るように横目で見送った。そのまま、脇道に入ると路肩に車を止めた。遠くに聞こえる友人の叫びに、僕も遠くまで届くように叫びかえした。そして、電話は切れた。

恐ろしく寒い静けさの中で、僕は、あの夕日を思い出していた。本当にあの夕日は美しかった。本当に忘れられない夕日になったと。あいつの死がその美しさをいっそう際だたせて、沈んでしまった今も、僕の目の前で、より美しく沈みつづけるのだ。永遠に美しいままに沈みつづけるのだ。



  美しすぎる夕日と沈みゆく魂

   たった一言の勇気
僕は、高校三年生の時、北海道に一人旅をした。
その途中、釧路から札幌行きの特急に乗った。
 
そこで、ぼくは、あるおばさんと仲良くなった。そのおばさんは、実は癌で余命三ヶ月と宣告されていたのである。そして、そのおばさんは、そんな運命を背負いながらも、旅の孤独に沈んでいた僕に話しかけてくれ、とても明るく接してくれた。僕もおばさんの明るさにおされて、そんな告白のあとでもおばさんの運命に同情する暇もなく話に夢中になった。おばさんは、家族の同意の上で、今は自分の好きなことをして生きていると言っていた。そして、僕は未成年であったが、おばさんにビールをおごってもらい、二人で乾杯した。
 
それまでの旅での僕は、普段の高校生活の延長線上、つまり、引っ込み思案で、自分から人に話しかけたりするのを恐れ、孤独のなかに引きこもっていたのである。そして、そのときも、窓の外を眺め、隣に誰が座ったかも気にとめず、外の景色に閉じこもっていた。そんなとき、おばさんは僕に話しかけてくれた。あとで聞いたのだが、僕がおばさんの甥に似ていたというので、おばさんも孤独にふける僕に話しかける気を起こしたということだった。僕は、おばさんの甥に感謝しなくてはならないだろう。僕がおばさんの甥に似ていたおかげで、僕は、このおばさんとの出会いという、それからの人生において多大な糧を得ることになったのだから。
 
自分は引っ込み思案であり、そのために、僕は今孤独に悩んでいると言うと、おばさんは、自分から話すことだと、言った。おばさんは、近くの港に遊びに行ったときに、漁師さんに「なにとれるんすか?」って言うのだそうだ。そうすると、そこから話が始まって、ついには、漁師さんから魚を分けてもらえたりするのだと。
 
「なにとれるんすか?」と話しかけること。おばさんは、出会いは、話しかけることから始まって、話しかけることなんて、こんなに簡単なことだと教えてくれた。ただ、「なにとれるんすか?」と言うだけでいい、こんなに簡単なのだと。
 
僕は、そのあと、少なからず、「なにとれるんすか?」を勇気を出して、実行した。
そして、僕は、たくさんの出会いを経験できた。
おばさんとの出会いが、それからの多くの出会いを生んだ。
おばさんは、たぶんもうこの世にいない。
「なにとれるんすか?」の言葉と共に、おばさんとの出会いは、僕の大切な宝だ
小説のような現実

  アバンチュール、その理想と現実
あれは、六年前、1995年の夏だった。
僕は、大学の夏休みを利用して、一ヶ月間フランスへひとり旅に出た。
片言の英語と、片言のジェスチャー、使えないフランス語会話の本をもって、フランス語の国、フランスを旅した。
 
僕は、フランスに着いてから十日間一言の日本語もしゃべらなかった。かといって、英語やフランス語をしゃべっていたわけでもなく、ほとんど会話という会話はしていなかった。そのためもあって、僕の胸には、知らずに寂しさだけが降り積もっていたのだ。
 
そんなある日、コートダジュールのニースの安ホテルの部屋で、僕は寂しさをかみしめ、ベッドで横になっていた。相変わらず、今日も一言もしゃべらなかったなと思いながら。そして突然、部屋の電話が鳴った。驚いて飛び起きた僕は、受話器を取った。
 
「もしもし・・・」
電話の向こうで、日本語が聞こえた。僕は、誰だろうといぶかった。その日その日で、ホテルを転々としてる僕の部屋に、親から電話がかかってくるわけもない。誰だろうと思いながら、僕は、日本語で答えた。「もしもし」と。
 
「初めまして、フロントで聞いたんですけど、日本人の方がいらっしゃると」
電話の声は、若い女の子の声だった。
「あの、これから、そちらへうかがってもいいですか?ちょっと、話しませんか?」
僕は、びっくりしたのとうれしいのとで、しどろもどろになりながら、久しぶりの日本語で、部屋が散らかっているので、ここではだめだと言った。すると彼女は、自分の部屋で会おうと言ってきた。僕は、喜んで、後ほど伺うと答えて電話を切った。
 
ふつうの小説なら、このあと、彼女の部屋で何かがあるとおもうだろう、あるいは、このあと二人が、一緒に旅行したりなどと。しかし、現実は、シビアなのである。
 
僕は、どきどきしながら、彼女の部屋のドアをたたいた。今思うと、ワインの一本でも持っていくべきだったのだろう。しかし、僕は、手ぶらで、彼女のドアを叩いたのだ。全く何という子供だったのだ。
ドアが開くと、少し小柄だが、かなり若くて綺麗な女の子が立っていた。僕は、どきどきしながら部屋に入った。部屋は、かなり狭かったので、ベッドに二人で腰掛けた。僕は、どきどきしていたが、それよりもなにより、日本語で話ができるのでうれしさの方が強かった。
 
僕たちは、お互いの境遇や、旅の目的などを時間を忘れて話した。彼女もひとりでフランスに来ていた。大学の留学の一環で、一ヶ月半ホームステイと旅行を半分ずつ行うと単位が取得できるというものだった。僕も彼女も、ふつうのツアーで来ているような日本人を見ると、虫ずが走るという点で一致した。ぼくもまた、修行のような気持ちで、フランスに来ていたのだ。僕らは、しばらく、外国の地で出会った、孤独な旅行者として、慰め合った。話は弾んだ。僕らは、さっきまで見ず知らずの他人だったことも忘れ、昔からの知りあいのように楽しく話した。
 
読者は、ここからの盛り上がりを期待するに違いない。二人はその夜、お互いの身体に日本を感じ、懐かしさを求め合ったなどと・・・。
 
しかし、僕らは、その後、何もなくお互いの部屋に戻った。僕は、次の朝早くその地を立つ予定だったから。ひとり、女を部屋に残し去ったのだ。全く、馬鹿だったよ。次の日の予定なんて、僕にはあってなきがごとしだったのに。なぜ、そんなに予定にこだわってしまったのか。おかげで、僕は、その後、フランス各地で彼女の面影を探す羽目になった。完全に恋をしていたのだ。結局それ以来、会っていないが。青春の苦い思い出さ。
 
僕は、学んだよ。
アバンチュールとは、自分で作るものなのだと。