あれは、六年前、1995年の夏だった。
僕は、大学の夏休みを利用して、一ヶ月間フランスへひとり旅に出た。
片言の英語と、片言のジェスチャー、使えないフランス語会話の本をもって、フランス語の国、フランスを旅した。
僕は、フランスに着いてから十日間一言の日本語もしゃべらなかった。かといって、英語やフランス語をしゃべっていたわけでもなく、ほとんど会話という会話はしていなかった。そのためもあって、僕の胸には、知らずに寂しさだけが降り積もっていたのだ。
そんなある日、コートダジュールのニースの安ホテルの部屋で、僕は寂しさをかみしめ、ベッドで横になっていた。相変わらず、今日も一言もしゃべらなかったなと思いながら。そして突然、部屋の電話が鳴った。驚いて飛び起きた僕は、受話器を取った。
「もしもし・・・」
電話の向こうで、日本語が聞こえた。僕は、誰だろうといぶかった。その日その日で、ホテルを転々としてる僕の部屋に、親から電話がかかってくるわけもない。誰だろうと思いながら、僕は、日本語で答えた。「もしもし」と。
「初めまして、フロントで聞いたんですけど、日本人の方がいらっしゃると」
電話の声は、若い女の子の声だった。
「あの、これから、そちらへうかがってもいいですか?ちょっと、話しませんか?」
僕は、びっくりしたのとうれしいのとで、しどろもどろになりながら、久しぶりの日本語で、部屋が散らかっているので、ここではだめだと言った。すると彼女は、自分の部屋で会おうと言ってきた。僕は、喜んで、後ほど伺うと答えて電話を切った。
ふつうの小説なら、このあと、彼女の部屋で何かがあるとおもうだろう、あるいは、このあと二人が、一緒に旅行したりなどと。しかし、現実は、シビアなのである。
僕は、どきどきしながら、彼女の部屋のドアをたたいた。今思うと、ワインの一本でも持っていくべきだったのだろう。しかし、僕は、手ぶらで、彼女のドアを叩いたのだ。全く何という子供だったのだ。
ドアが開くと、少し小柄だが、かなり若くて綺麗な女の子が立っていた。僕は、どきどきしながら部屋に入った。部屋は、かなり狭かったので、ベッドに二人で腰掛けた。僕は、どきどきしていたが、それよりもなにより、日本語で話ができるのでうれしさの方が強かった。
僕たちは、お互いの境遇や、旅の目的などを時間を忘れて話した。彼女もひとりでフランスに来ていた。大学の留学の一環で、一ヶ月半ホームステイと旅行を半分ずつ行うと単位が取得できるというものだった。僕も彼女も、ふつうのツアーで来ているような日本人を見ると、虫ずが走るという点で一致した。ぼくもまた、修行のような気持ちで、フランスに来ていたのだ。僕らは、しばらく、外国の地で出会った、孤独な旅行者として、慰め合った。話は弾んだ。僕らは、さっきまで見ず知らずの他人だったことも忘れ、昔からの知りあいのように楽しく話した。
読者は、ここからの盛り上がりを期待するに違いない。二人はその夜、お互いの身体に日本を感じ、懐かしさを求め合ったなどと・・・。
しかし、僕らは、その後、何もなくお互いの部屋に戻った。僕は、次の朝早くその地を立つ予定だったから。ひとり、女を部屋に残し去ったのだ。全く、馬鹿だったよ。次の日の予定なんて、僕にはあってなきがごとしだったのに。なぜ、そんなに予定にこだわってしまったのか。おかげで、僕は、その後、フランス各地で彼女の面影を探す羽目になった。完全に恋をしていたのだ。結局それ以来、会っていないが。青春の苦い思い出さ。
僕は、学んだよ。
アバンチュールとは、自分で作るものなのだと。