映画『13days』感想| 原潜事故について| HP開設騒動記| 靖国神社とは何だ| 戦争の正義と報復|
外務省と雪印食品| 台湾の憂鬱| 北朝鮮の危機| 日露戦争100年| 模型店|
知覧特攻平和会館| 世界史を教えない|


映画「君のためにこそ、俺は死にいく」感想

19年6月11日
やっと、見てきました。 画面には泣いたのですが・・・。 平成17年4月に知覧記念会館に行って来たので(下をご覧下さい)鳥濱トメ さんが語り部となり「富屋食堂」が舞台となるのは自然な感じですが・・・。

若い命が「何のために死んでいくのか?」「死んだら・・家族はどうなる、自分は・」 自分なりに答えを見つけた人、見つけられなかった人・・・。 若い少尉さん達は部下を思い、皆で本懐を遂げようと努力、配慮するのですが・・・。 自分が生き残ってしまって、自責と苦悩から立ち上がれない人・・・。 高倉健主演の「ほたる」でもテーマとなった朝鮮人なのに特攻に行った人の答えは・・。

建前(本当に特攻兵を前に尤もらしく出陣を祝うがごとく賛辞を皆が述べたの?) と本音(上記)がかくも噛み合わない中で特攻は続くのです。 映画の女学生達の行動が北朝鮮の美人応援隊を思い出してしまいました。 石原慎太郎の脚本が未消化なのではないかと思えたり、するのですが・・。

特定の年代の方々が犠牲となりました。 少尉が言っていました「お前達、 靖国神社の入り口の2本目の桜の下で待つんだぞ。皆、揃って行くからな」 戦後の復旧をなし終えても、贖罪感につまされる歴史なのです。

台湾の元総統李登輝さんがこの度3度目の来日で、実兄が祀られている靖国 神社を参拝しました。中国の抗議は限られたものです。日本の馬鹿マスコミ も騒ぎませんでした。小泉首相、安倍首相の成果でしょう。
「美しい国 日本」であるためには鳥濱トメさんがなさったように英霊の 御霊が安らかであるようでなければなりません。

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世界史を教えない

18年11月5日
受験科目に無いから世界史を教えない(教えたことにした)高校が山のように出てきた。
 日本が経済的に発展して世界中に普通の日本人が外国人と係わっているという現実や、 日本の基本的立場を身近な外国人に説明できない世界から馬鹿にされる日本人を輩出している ということが教育界は理解出来ないらしい。 足元の自分の利益だけを守る校長だったり教育委員会だったりする。  世界史の教え方は江沢民が反日教育を徹底してやってどうなったか、を見ると判る ように、中国の紐のような盧武鉉大統領が偏った歴史観に嵌って韓国を危うくしているように、 難しいことは認める。 だからこそ時代の変化に歴史の温故知新をたどり自分で考えられる基礎を教えることが大事だと思う。  無知な日本人が中国や韓国の謂れ無き要求に屈したり非難されても言い返せないのは 日本の大手マスコミが中国や韓国の肩を持って正論を封印しようとするからでしょう。

 今、憲法改正論や日本の核武装論が政界から起きてきた。 当然のことでしょう。これに、議論すらさせようとしない感情論だけの 平和運動とそれを賛美する政党や大手マスコミは第2次世界大戦の勃発の原因を意図的に封印しようとしているのか。  「ヒットラーの責任」にしているのはあまりにも子供騙しです。回避できるチャンスはあったのです。英国首相チェンバレンがヒットラーに 違う対応をしたらどうなったのでしょうか? 以下は有名な仮説です。

  英国の首相チェンバレンは国民の平和運動、「あらゆる戦争に反対」運動に直面していた。 そして新聞や平和運動家の要求はイギリスの「軍縮・宥和外交」だった。 ヒトラーは、チェンバレンの態度やイギリス新聞の記事をみて、英仏はいかなることをしても (ポーランドに侵攻しても)立ち上がることはないと、確信した。 すなわち、チェンバレンの宥和外交がヒトラーに(武力行使をしても英仏はたたないという) 自信を与えた。そして、この結果、第二次大戦が発生した。実に、平和運動とそれに唱和した チェンバレンの宥和政策こそが第二次大戦を引き起こす有力なバネとなったのである。 平和運動は国民意識の隅々に浸透していた。 英仏における第二次大戦 へ向かう原動力となったのは「平和運動」家であって、軍備拡張論者ではない。「平和運動」家とは自国 の首相に独裁者へ頭を下げろと要求し、独裁に反対する人々を「戦争キチガイ」とレッテルを貼る連中で ある。

 平和とは軍事的緊張の中に生まれるのであって、もし拡張主義をとる国家に隣接していた場合、平和運動 は極めて平和を脅かす危険な政治運動となることがある。

今の半島情勢は明治の時代に逆戻りしており、中国の朝鮮侵略が日清戦争を引き起こした事を高校の教師は 教えられるのか? 

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知覧特攻平和会館

17年4月13日
知覧見学に行ってきました。  事前情報で館内は撮影禁止との事。 現地に行って考えよう!・・。
館内に入ると視聴覚室に他の団体と一緒に入れられます。 「語り部」さん から特攻兵の遺書や出撃前夜の話を聞かされるのです。  ・・涙でハンカチがずぶ濡れです・・・。 終わったら他の団体のご婦人 が泣きながら「兄が特攻で・・・有難うございました。」と「語り部」さんにお礼を言ってました。 ・・ 館内は特攻で散華された方々の写真が一杯でした。 とても盗撮どころではないですね。

   飛燕と疾風を見て その大きさを意外に思いました。 普段、模型製作では 見上げる視点からは作らないからでしょうね。 其れから翼端を触って(触るなと注意書がありました)・・脆そうな感触に驚きました。 此れで機体を空中に支えるの? ・・タブってこんなに頼りないもの等など・・・。

 館内には模型が数多くありました。 「語り部」さんが説明の時に持っていた右翼に爆弾を左翼にバランスを取る為の増槽を装備した疾風(多分1/32)もとてもよく出来ていました。 特に会場の飛燕の周りには1/24の精巧な模型で隼、屠龍、飛燕、疾風等・・・う〜ん写真に撮りたかった。 けど諦めました。

 結論 我々モデラーが飛行機の写真を撮りに行くところではなかったのです。 沖縄特攻で散華された1,036柱の隊員との霊がとこしえに安らかならんことを祈念する場所でした。 帰りのバスの中でガイドさんからまたまた「話」を聞かされて・・ 涙・・でやんした。 戦後60年ですがまだまだ客観的なアプローチ をするには時間が短いようですね。

「この特攻平和会館は、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう。) 、沖縄決戦に、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録など貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。」

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模 型 店

16年12月26日
100年前の1904年は日露戦争の年ですが、同じ年に始まったものがありました。 三越の前身、三越呉服店が「デパートメント宣言」を発表して、 多くの商品を扱う日本初の百貨店として営業を始めたのは1904年12月21日だそうです。 百貨店も小売業で売上高首位の座をスーパーに追われ、 今スーパーも息も絶え絶えとなってしまいました。 最近は専門店の元気が宜しいようです。

 残念ながら模型の小売店は寂びれているようです。 店主の高齢化と 店の老朽化が同時進行している町の模型屋さんを見ると 私が子供の頃世話になった思い出があるだけに心が痛みます。 元模型店主でありモデルアートを創刊した 井田博さんの「日本プラモデル興亡史」を読むとモデルの購買者の楽しみを先取りして企画宣伝イベントなど等・・・メーカーか広告代理店の仕事のような 事まで業界に先駆けて成功させています。  しかし小売業としての模型店はどうだったのでしょうか?

 私には模型店を利用した時期に 空白期があるため解りませんが おもちゃ屋と模型店とゲームショップなど商材には恵まれていたのではないでしょうか? 浜松に出張して寄り道した店では 模型とラジコンとモデルガンをワンフロア−にゲームとオモチャをワンフロア−にした陳列で好感が持てました。 品揃えは深いのですが専門化をひけらかさない 程度の陳列です。 飛行機はショーケースに地元の模型クラブと作者名入りで飾られていました。・・・・・  
 
 子供も大人も同じ店で 楽しめるような店つくりで各地に根を張ると良いですね。 トイザラスとは違うんだな。 イベントは地元の大人が先頭に立って遊んでいるような。・・・・待てよ!大人がやると子供は逃げ出すのか?・・  ミニ四駆は大人が遊ばなかったから大ヒットしたのか? ・・ムー 難しい!
・・・オートバックスが自動車用品小売店を創業したように 誰かやんなァい!! 

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日露戦争100年

16年2月27日
 一つ呉れよう露に拳固(1904年)。 今年は日露戦争から100年目です。  「歴史読本」4月号を読んでみました。 司馬遼太郎は「坂の上の雲」で日本が参戦したのはロシアに 追い詰められた防衛戦であるとした。 如何だったのか? 当時の元老の山県や桂首相・小村外相はそうしたグループであり。  他方 元老の伊藤や井上はロシアに満州での一定の権益を与えればロシアとの妥協が可能とする 伝統的な路線を維持したようです。 陸海軍の首脳部も参戦派であったと云われているが、1903年6月参謀本部(陸軍)が上奏した案は 「ロシアに満州を任せる代わりに韓国は日本が支配権を持つ」であり外交取引で対立を解消するもので あった。 海軍大臣・山本権兵衛に至っては「韓国ごときは失うも可なり。帝国は固有の領土を防衛すれば足りる。」 と力説して陸軍との共同上奏(天皇に提出)に反対し 参謀総長の単独上奏となった・・・。必ずしも皆が戦争が必要と考えていたわけではなさそうです。
 外交秘話では ロシア側は皇帝の承認のもと 第4回目の回答で「韓国での勢力圏を認める」と日本に譲歩した内容のものを2月7日に駐日公使のもとに届けたが 日本側に届くことは無かった。 日本は5日に開戦の命を下し8日に戦闘を始めた・・・。 日露戦争は日・露とも戦争を望まないにもかかわらず 日露相互の誤解で始まってしまった。 との見方が示され興味深い。 
あと 海軍軍令部の戦史編纂で黄海海戦では 丁字戦法に依ったと記したが、日本海海戦の記述では丁字戦法と書かれる事は無かった・・。 何故か等など日露戦争の常識 と思われたことが検証すると間違いであったりするので大変面白かった。
 何れにしろ日露戦争は1904年の歳入 3億27百万の2.7倍 8億円の外債償還や多額の戦費を費やしてその後の日本国の運命に大きな影響を投げかけた。

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北朝鮮の危機

15年7月20日
北朝鮮の余にも危険な体質が明らかになってきた。 イラクは遠い国だが 北朝鮮は身近だ。 アメリカの国際政治にお付合いしてイラク関連法案を検討するより 、焦眉の問題なのだ。 北朝鮮の危機管理を真剣に早急に考える時だ。   韓国と北朝鮮の戦争はいまだに終わっていない。 休戦状態であることを忘れてはいけない。  朝鮮戦争は1950年6月25日北朝鮮軍の38度戦南下によって始まった。 スターリンと毛沢東の軍隊の支援のもと金日成は、僅か3日後の28日にはソウルを占領した。  マカッサー元帥は3個師団を投入して押し返し、1ヵ月半後にはソウル奪還を果たした。 その後、国連軍と韓国軍は38度戦を越えて進撃したが、中共軍100万の 介入が入り38度戦まで下がる事となる。 やがて、 ソ連の国連代表マリクの提案で51年7月から休戦会議が 始まり53年7月27日に国連側と金日成と中国の彭徳懐によって休戦協定が交わされたのである。  以降も、北朝鮮のゲリラ活動は止まらず、68年の青瓦台襲撃事件始め4度も大統領暗殺を企てる。拉致は韓国民500人以上といわれている。 力の行使が起こりそうな情勢である。 日本は金日正が韓国に攻めてきたとき何をするのか? 湾岸戦争の時のように軍資金を拠出すれば良いなどと暢気な事では無いでしょう?   日本も攻撃を受ける可能性が極めて高い。 自国民を守る為の自衛隊活動に、法制の整備が必要になる。 憲法問題も派兵や徴兵を視野に入れた検討が必要ではないのか?  小泉首相や政治家は勇気を持って、国家的な危機に対処する試案を発表しないと急場は凌げなくなると思うのだが? 日本人の拉致問題ですら、外務省の曖昧さに呆れる。  マスコミも余にも暢気で米軍、国連を表に出しているだけ。 広く国民の意見を集める努力をするべきだ。 「坂の上の雲」の時代に逆戻りした地政に顔を背けるな。

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台湾の憂鬱

14年5月6日
連休に台湾の台北に行ってきました。 ガイドをしていただいたAさんの発言に台湾の憂鬱(苦悩)を 垣間見ましたので雑感とします。 市内観光に訪れた「忠列祠」を日本の靖国神社のようなものですと説明した彼は 「4月に小泉首相が靖国神社を訪問したことで中国と韓国は文句を言っていますが日本への内政干渉です。台湾の立場は小泉首相に好意的です、何故ならば 靖国神社には台湾人が2800柱祀られているからです。」と発言しました。 「228公園」では蒋介石を侵略者として 当時の台湾が蒋介石との戦争で負けて20万人の各界リーダーが虐殺された経緯を説明していました。 ご存知のように台湾は日清戦争で負けた清国から日本に割譲 されたわけですが、日本が1945年太平洋戦争に負けるまでの50年間を日本統治時代。 蒋介石の統治で言論の自由もなかった、 1987年李総統が誕生するまでを中国統治時代と区切って被支配者台湾の歴史を説明しました。 今、中国の胡副主席が 米国を訪問していますが、彼は米国に台湾への兵器の売却を止めるように要求したそうです。 米国は台湾侵攻を止めるか、 台湾に向けた大砲とミサイルの撤去を見返りに求めたそうです。 Aさんはブッシュ政権を高く評価し大陸支援の元大統領 クリントンを貶していました。 一方で今後の台湾の世界政治への参加(国連への加入)の道筋の困難さを考えているようでした。 Aさんは60歳台です。 台湾を去る日、空港までの短時間ガイドのBさん32歳に台中関係を聞いてみたところ、彼は政治話には乗ってきませんでした 。 彼は同世代の人間は中国とも仲が良いし、憧れは日本だと言いました。年寄りの世代の一部にある日本への憎しみは若い世代には全然ないと言っていました。 ・・・独立国台湾を実現したい思いが伝わるAさんとは別人種のようでした。

写真は左から忠列祠 中正紀念堂(蒋介石の記念碑) 龍山寺(仏教寺:本文とは関係ありません)

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外務省と雪印食品

14年1月31日
政局は田中外務大臣、野上事務次官更迭と鈴木宗男議会運営委員長の辞任という事態を迎えた。 外務省の機密外交費の問題は不透明なまま残った。日本の不透明な政治システム(官僚と族議員の密室政治)は 変わらないのか?・・(水戸黄門の悪の世界の構造)。NGOという民間人の組織が世界の国々と友好(外交) を行うことを役人の権益の中に抑え込もうとする役人根性が丸見えになった。
・・・日本の新しい社会システム 構築の胎動は旧態依然の社会システムに呑みこまれてしまうのか? フロンティアを目指す若い人の失望を 誘い自堕落な生活・・引いてはダメな社会、ダメな国家に成り下がるのか?
一方、雪印食品は語るまでもない、共通することは自分たちの組織を守るor拡大する事 だけに結集している醜さである。 社会における役割は果たしているのか?という自省が欠如している。   抜きがたいエリート意識が自省を困難にしている。戦前の軍部、今の官僚に共通した誤りを歴史の中で自覚することだ。
雪印に対する庶民の対応は”買わない”という行為で意思が示せる市場経済社会になっているが、 問題は官僚をどう糺して行くのかという方法が日本では極めて曖昧なことだ。 今の政治家が族議員である限り選挙を 通しての改革に限界を感じる。この閉塞感がドイツワイマール憲法の下でも独裁者ヒットラーを生んだ背景である。
民主主義とは結局、選挙民の購買活動なのだ。 どんな政治社会を目指すかという自問自答の中で候補者という 商品を選択するのである。但し、厄介なのは”買わない”という行為だけでは日本の政治システムは機能しない。 食品なら雪印がダメなら森永、明治があるさで済むが、日本は政権与党になる政党の選択が市場経済のように 対抗馬を簡単に選べないからに他ならない。政党政治の未成熟さを早く何とかしなくては。

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戦争の正義と報復

13年11月25日
 アフガニスタンの状況は先が見えてきたようだ。 今回は戦争と言うには違和感がある。
世界一豊かな国アメリカが、超貧乏なアフガニスタンと戦争する・・では世界の世論を見方に付けられない。
そこで、アメリカの正義はテロに対する戦い(報復)と宣言し、注意深くイスラム社会との戦争という構図にしないようにした。 これは賢い(歴史に照らして)遣り方だったのだろう。
ビンラビン氏はアメリカの市場主義、資本主義が 自国勝手な論理であることを宣言したかったのだろうが、余りにも内容の薄っぺらな宣言であった。 アメリカの市場主義、資本主義が強者だけの論理臭いとか、弱者とどの様に共存するのか?とかを考えさ せられる処はあったが・・。
ビンラビン氏は日本に期待していたのだろうか、原爆を使い無差別殺害を行った アメリカを非難して自分たちのテロを正当化する論理を展開していた。
武力による報復は必ず報復を呼び、犠牲者はうなぎ上りに増えていく。 アメリカはナチ・ドイツの無差別爆撃を非人道的だと非難したが、日本への空襲では平然と無差別殺害をおこなった。
東京の3月10日の爆撃で10万人、原爆投下によって広島で20数万人、長崎で7万人余りがなくなった。
戦争の口実である正義は真理ではない。
報復は報復を呼び、ついには無差別の大量殺人を起こすのが歴史の教訓であろう。

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靖国神社とは何だ?

8月25日
 戦後56年、日本の夏は中国との15年戦争の見方 (「新しい歴史教科書」問題)・戦争犯罪に対する態度(首相の靖国参拝と A級戦犯合祀)・憲法改訂の是非をめぐって騒がしかった。 私の小中学校時代には、教師は敗戦を開放として捉えて「民主主義」の御旗一色の様だった。 一方では「我斯く戦えり」的な記事は、幼い私でも読んでいた。 敗戦・占領を境として 大人達の言っている事は、どおも辻褄の合わないように感じられた。 大人になってから、興味本位に戦前の昭和史に繋がる本を乱読してきたが、結局は後付の史観 みたいでスッキリしない。
8月24日付けの朝日新聞にフランス文学者の渡辺一夫氏の『敗戦日記』が紹介されていた。 当時の市民達の言動が紹介されて新鮮であった。・・以下新聞に乗った日記の抄を書いておく
・・・ 20年7月6日「どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし。 皆が平和を望んでいる。 そのくせ皆が戦争、戦いが嫌さに戦っている。すなわち誰も己の意思を表明できずにいる。」
6月20日「・・(又従兄弟)が言った、<私は最後までやりますよ!・・・例え死んでもね!・・・ ここまで来てしまった以上、戦い続けるほか無いでしょう・・・最後までね!>この叫びは 僕を強く打つ。つまり日本人一般の気持ちを表しているからだ。悲劇的な愚かさ!この叫びが 一たび行動に移ると、国を無に帰すだろう。」

・・・日本は組織が《行け行けどんどん》になった時、それをどうやって軌道修正するの だろうか、そして誰がどう責任を取るのかがその後の反省になるのだろうに。戦後も社会・経済的に大勢の共倒れ現象があったし、 これからも在るだろう。曖昧な姿は子供に孫に受け継がれ国を滅ぼすのではないか?。・・
8月8日
 8月6日のテレビ朝日系「ニュースステーション」司会 久米弘志の番組に 自民党の野中広務氏が出演して靖国問題の問題点と解決策を明確に発言した。
靖国神社は戦勝国の論理である。それが証拠に、賊軍となった西郷隆盛は祭られていない。 あくまでも軍人、軍属が戦闘に因って亡くなった人を祀ったので、民間人は祀られていない。 乃木希典、東郷平八郎は祀られていない。(彼らの死は戦闘に因っていない)
敗戦した為、国営靖国神社は宗教法人となった。
あの戦争は200余万人の犠牲者を伴った。誰かが責任をとるべきだ。 日本は海に囲まれた国境の無い国だから戦争の総括が行われていない。
1978年A級戦犯の合祀とともに数かずの問題がおこった。1975年以降昭和天皇は参内していない。 徳川侍従長の発言だが靖国神社は『靖国』では無くなってしまった。 合祀は近隣国わけても中国と韓国の反発を招いた。日本政府は村山首相の公式発言どうりあの戦争を侵略戦争と 位置付けたのであるから、A級戦犯を祀ってある神社を首相が公式参拝するのはおかしい。戦争の犠牲者、 ご遺族の気持ちに配慮する為にも分祀すべきだ。そして国立墓地とすべきだ。 この様な発言だった。A級戦犯の合祀の経緯も話していたが忘れた。(審議会で決められなくて 宮司の判断によった?)
感想
やはり日本が戦争の総括をきちんとしない今の状態は、アジアや世界には 通じない(正当に認められない)。又、何するかわからない国に見えるのだろうな。 靖国問題は戦争責任が総括されないままなので、犠牲者を純粋にお参りする行為が 採りずらいく、政争の具になり易いということか。

7月15日
  小泉首相は改革を標榜しているが参拝するという。関係あるのか?  私事だが私の亡父は大正7年の生まれで大学を卒業し半年後に赤紙が来て 戦争に行った。兵役検査は乙種だった。今のベトナムあたりで敗戦。 日本に復員したのは昭和21年だった。私にも興味がある。 調べてみようと思い、7月7日昼間の靖国神社を訪ねた。 社務所のパンフレットを簡単に要約してみよう。
起源と性格
幕府政治体制から近代国家体制に変わる時に、起きた明治維新の内戦(戊辰戦争) で亡くなった人たちの霊を慰める為、明治2年(1869年)明治天皇が「東京招魂社」 として現在の位置に建てられたのが起源で、明治12年には「靖国神社」と改称され 今日に至っている。祀られている神々は戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、 日露戦争、第1次世界大戦、満州事変、支那事変、大東亜戦争で戦死された方々 など現在の御祭神総数は246万6千余柱に及んでいる。5万7千余柱は女性だそうです。 さらに、大東亜戦争終結時に責任を負って自決された方々、いわゆる戦争犯罪人と して連合国側によって一方的に処刑された千余命の方々、学徒動員中に軍需工場等で 爆死された学徒、「対馬丸」で沖縄から鹿児島へ学童疎開中、敵潜水艦によって撃沈 された小学校児童などだそうです。
祭 典
 
「春季例大祭」4月21日から23日まで
「秋期例大祭」10月17日から19日まで
上記2つの祭典には勅使(天皇の御使者)が差し遣わされる。
「みたま際」祖先の祭り「お盆」にあたる7月13日から16日まで
 その他、新年際、建国記念祭、昭和祭、御創立記念日祭、明治祭、新嘗祭、 天皇御誕辰奉祝祭、など等

遊就館(宝物遺品展示館)
館内には御祭神方の魂魄のこもった御遺書・遺品が展示され(飛行機は彗星と桜花) 館外には火砲・魚雷等が展示されている。現在、創立130年記念行事の一つである本館改修 及び新館建設工事の着工に伴い、靖国会館2階に仮展示場を開設しています。彗星・桜花 は見られません。仮展示期間中『かく戦えり。近代日本』と題する特別展を開催中です。 平成13年5月7日〜平成14年6月9日
感想
明治以降の国家目標《世界の一等国の一員》に個人の命を捧げた方々を祀っている神社 と感じた。政府としては永久に祀る責任があるだろう。日本の首相が米国を訪れると必ず戦没者の墓地 に献花する。日本は不幸にして敗戦に伴い、国家に命を捧げた人すら次世代(私も含めて・・私は戦争遺族 ではないが)に誇れるものを亡くしたのであろうか? 父も含めて戦後は企業戦士となり家庭を省みること 極めて少なく、結果、経済における世界の一等国としてその地位を築いた。それは世代の怨念(戦闘で 仲間を亡くした贖罪的行為)だったのか?「銀河」で紹介したようにレンゴーの長谷川元社長の「私の履歴書」 から読み取れる悔しさがバネだったのか? 韓国・中国は帝国主義日本に領土と占領政策に蹂躙された。 教科書問題はマスコミが日々伝えているが、彼らは問題の教科書のどの記述を非難しているか残念だが、 今の私には其れすら知らない。 千鳥が淵に戦没者慰霊碑が在るという。今度はそこを見学してみよう。 いずれ順送りで居なくなる父の世代の巡礼を兼ねて。私の息子に語り継ぐ彼らの祖父・祖母の時代とは???

靖国神社の写真はこちら

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HP開設騒動記

6月5日
厚かましくHPを開設したところ、多くの方から祝福を頂きました。 大変有難いことです。又多くの質問も頂きました。 「HPの開設は何をするのか?」「大変だったでしょう。」「私には難しくて出来そうもないがどうするの?」 「HP立上げソフトはどこのを買ったの?」などなど… 私も落ち着いてきたので整理してご報告します。 皆様方が気軽にHPを開設するお手伝いになれば幸いです。
きっかけは自己紹介で書いたように当時中2の息子がHPを立ち上げた事です。 「HTMLタグ辞典」を読んだだけで作り上げたようで感心しました。 彼との会話でうっかり「お父さんも作ろうかな」と軽く言ったのが間違いの元でした。  彼は事あるごとにいつ作るかと聞いてきたのですが、何時もの如くいいかげんな返事をしてたら、怒って「又これだ!」 と部屋に消えてしまいました。シラーとした雰囲気が家族を包み"これはまずいぞ"「夏休み!夏休み!」と叫ぶ私でした。   夏休みがなぜ春休みに為ったかなんて追求しないでネ。長くなるから。
コンテンツ(内容)
 何を発表するか、此れがはっきりしていると楽ですね。私の場合はプラモです。   まず人様の作品をたくさん見ることです。リンクをわたり歩きましょう。  その中で自分にピッタリくる、又は気に入った作品の構成を頭の中で反復して、  自分のHPをイメージして下さい。このページはAさんのこのページはBさんの…。  掲示板があればメル友になっておくと楽しいですよ。
写真撮り
 とにかく沢山撮る。これに尽きます。デジカメは現像代を気にしなくても済むのですから。   その中で本当に気に入った写真を選ぶ。 これですよ。
HTML言語
私は「私が作る一夜づけの自分のホームページ」明日香出版1300円を買いました。 しかし、まともに読んだのは12頁ほどで 後はページを作る時、必要な項目を読むと いう方法でしたので読んだのではなく使ったという印象です。 ちなみに息子が買った本は「超図解HTMLタグ辞典」潟Gクスメディア 1380円 でした。彼も同じような使い方で作ったようです。
プロバイダ
 ホームページをサーバーに預かってくれる業者です。私はメールを利用しているジェイコム東京  に申込みました。10Mまで無料です。息子はジオシティーです。これも無料です。
アップロード
 自分が作ったページをプロバイダに転送するソフトが必要です。  ソフトはインターネットで無料版が出ています。私が買った本に書かれてあった WS−FTPを手に入れて、プロバイダに登録された番地に無事転送できました。
苦 労
 文章を書くこと! これが実は一番難しい事だったのです。半日経ってから読み返す。翌日読み返す。全然ピントが合っていない自分の文章に愕然としました。 推敲を重ねるしかないのでしょうね・・・・。
大 騒 動

5/12に無事自分のページをプロバイダに転送して、インターネットから自分の HPを見たのですが、文章とページ飾りは写っているのに、何故か肝心の写真が 全て写っていません??????
日頃お世話になっているHPの掲示板に、宣伝してしまったのに焦る焦る… ゲストブックには開設祝いと共に 『写真が無いヨ!』とご指摘を頂くし。・・・・ 焦れば焦るほど見当違いな所をいじくり回わすばかりでした。
肝心の三男は機嫌が悪く、まともに事態を観察してくれるどころか、日頃の "恨み辛み"を私にぶつけて自分の部屋に入ってしまいました。…… 私が頑固に彼が指導する解決策(写真をフォルダに入れるから駄目で、フォルダから全部 出したら良いのに)に耳を貸さなかったものですから・・・・。 正解な事は判っていたのですが、今後のこと(ペ−ジが増えて沢山の写真が増える)を 考えればフォルダに拘りたかったのです。 結局、事態を正確に見通してくれたのは、学校から帰ってきた次男でした。 次男は高校の物理部でコンピュウター(PC)を楽しんでいるのですが、 彼のたまわく「お父さん、サーバーは別のPCなんだから、フォルダで深層化するには、 うちのPCのフォルダの場所指定(私の場合D)では駄目だよ。」 《そうだったのか!……》 作業する事15分・・・・出来ました・・出来ました。 産みの苦しみからやっと解放されました。
家族の愛は偉大です。 又、私の場合、普段の家族との接し方は如何であったか?自省を 促す機会ともなりました。
皆様家族は大切にしましょうネ。

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『原潜事故』について

5月4日
その後の経過は、ご存知の通りです。
一番お粗末だったのは、森首相の「アレは事故でしょ!」発言ではなかったろうか。戦争に借り出された人達や、外国で仕事をしている人達は独立国の誇りを虚仮にされたと思ったのではないでしょうか? ゴルフ場にいたことは問題ではないと思う、マスコミや野党のピントのズレた追求に思わず自己弁護から本音が出たというべきか。日本人は明治以来、誇りを持てる国際国家の一員となるべく努力してきたのに。 (方法論は別にして)。・・ まあ、追いつけ追い越せだけではなく本当に世界文化の進展に貢献する理想や方法論や信念が大切だと思うのだが。
2月20日
今日の朝日新聞夕刊に藤原新也氏の原潜事故における 感想が掲載されていた。 ニューヨークタイムズ紙の依頼で書かれ 17日付で掲載された原稿らしい。その中で興味があった一説は・・・ 現在の日本は人気と不人気が極端に振れる様になっている。その背後にある日本人の閉塞感は、ここ数年間国家を支えて来たあらゆる基幹システムがその誠実さを失いつつある事が原因と喝破している。 私の怒りを理路整然と解説している。
俺の怒りはこれだったのかと思っているところです。
2月15日
アメリカに留学した友人からの返事は・・・・
アメリカはこちらの意志を明確すぎるほどに言わなければ駄目な所で、おまけに黄色人種に対する潜在的優越感があるそうです。 何れにしろ、外務省の対応には腹を立てていた。
2月13日
俺は怒りの収めどころを失って皆ににぶつける。 迷惑だろうが付き合ってくれ。 ハワイの原潜事故だ。 アメリカ軍、アメリカ政府は責任を表明してない。 原因はアメリカ軍、アメリカ政府も言っている通り100%原潜にあるにもかかわらず、 アクティブソナーがどうこう等責任者艦長の名前も発表していない。責任者隠しを図ってうやむやにする気が見える。 何年か前、鹿児島沖で日章丸がアメリカの潜水艦に沈められ2人が死んだのにうやむやに終わった。 (責任者の処罰と賠償が不明) 日本の政府の対応も桜田外務省政務次官が関係者の家族とハワイに行って、アメリカ軍の責任者に原潜の事故後の対応は適正だったと声明をしている。 沈められてた大西船長は波も高く無く救助をしなっかた無責任さ、監視されているようだったと述べたこ とを消すために為に必死だ。外務省か?政府か?自民党か?だらしが無いのは。 パスポートに書いてある「・・・・・・必要な保護扶助をあたえるよう・・・・・。日本国外務大臣」 何とむなしいことか・・・・・・。 アメリカで生活した人の意見を是非聞きたい。

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映画『13 days』感想

1月4日
「キューバ危機」をホワイトハウスの内部から描いた映画です。 力を制御するのは難しい。 それが自国の軍部であればなお更ね。 日本も米国もソ連も失敗した。・・・・ 戦争に明け暮れた20世紀の歴史を振り返り、 1等国になりたかった日本の栄光と挫折を鑑みて思うに、(暮れに見たTV3chの影響) 日本は世界とのコミニケーション下手を直さなければ只の金を稼ぐだけの国だな。 何を訴えたいのかは、政治家よりもポケモンやドラえもんが雄弁に語っているかもしれない。 アトムは良いが科学の進歩の見方は(わけても原子力は想像をはるかに超えた難物だった) 楽観的すぎた。 我々、戦後生まれは21世紀を機会に行動の価値観を注意深く変更する必要があるだろう。

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