親を諦めるこども

 一昨日、いい大人を叱り飛ばした。

 社会人で看護師をめざしている四才女児の母だ。
 竹薮がふだんいく校舎の生徒ではないが、夏期講習でであって、それいらい毎週一度、竹薮をストーカー(本人が自分でいってるの)のように訪ねてくる。だもんで、7時開始の授業なのに6時過ぎにいって彼女の答案の添削をしている。

 彼女に「次世代育成支援対策推進法」の話をした。子どもが大人になる力、親になる力ということを説明した。「キャリアでばりばり働いてても、朝はお母さんに起こされて、御飯も作ってもらって、いってらっしゃいと送りだされるんじゃ、学校いってたのが会社にかわっただけでしょ。そんなんじゃ大人とは言えないわよ。」だから、自分の生活を自分で作る力をもつこと、それが次世代育成だねといった時、「私ダメです」とのこと。

聞けば、彼女の4歳児はおばあちゃんが育ててるとのこと、食事も何も全部おばあちゃん任せ、保育園送り迎えから夕飯、お風呂、全部おばあちゃん。最近は寝かし付けるのもおばあちゃんがいいという。「ママはお勉強があるでしょ」が決め台詞で、あっさりしたもんだとのこと。育児も親にやってもらってるというのだ。

さらに。

この前の運動会の時、彼女は、運動会に行くのを躊躇したとのこと。そしたら4歳児は来てくれないのという。彼女、葛藤。その日は授業があって、一日休めばついていけなくなるんじゃないか。それが原因で躊躇したと。そしたら、子どもは「来てくれないの?」といったので、それで「行くのは行ったんですよ」だって。何その言い方。

ここで竹薮、戦闘モード。

ほんとに子どもはあっさりしたもんなのかもしれない。でも、そうでないかもしれない。精一杯ママに協力してる表現でないとどうしていえようか。ママにたいして良い子でいることがママを喜ばせるので、だから良い子する。それはママに可愛がってもらうためにそうしているのかもしれない。どうして、そこに思い至らないか。子どもの寝顔見ながら、すまないと泣きながら勉強するのが母親というものでしょうが!!と保守系ばりばりの説教。

責任ある仕事をしている場合ならまだしも、自分がお金はらって学校にいってるのだ。これは休んでも誰に迷惑もかけない。それがなぜ休めない。年に一度の運動会じゃないか。その運動会を日曜にしてくれという園に働きかける、それはいい。しかし、今年の運動会はそのままなんだから、仕方ない。気持ちよく出席して親子で十分に楽しむべきだろうが。

保育園に迎えにいって、竹薮にむかって身体ごと飛び込んでくるタケノコ。これは育児のだいご味だ。小さい間は、その後寝るまで片時も離れず、台所の流しやガス台の下で、電車を走らせたり、お絵書きしたりして、竹薮べったりという日もあり、ふんづけそうで邪魔なんだが、その姿に今日は園で気にそわないことがあったんだろう、明日先生に聞いてみようなどと、思ったり。

保育園から帰る道すがら、前後二人のせた自転車がなんとも重くてこげない日もあった。そういう時には、自販機の前で自転車をとめ、三人で何か飲んだりした。そうやって親子ですごしてきたのだ。ある時など、いうこときかないのに竹薮が腹を立て、自転車をとめ、タケノコたちを自転車からおろし(一応おろさないと危険だし)すたすた一人で歩き出したことがある。そしたらなんと1号が後ろから自転車おしてついてくるではないか。傾くので荷物がこぼれて、それを2号が拾ってはのせ拾ってはのせ。。おかしいやら泣けるやらで和解。チロルチョコではなく100円のお菓子を奮発したりして。

この話にはオチがある。

社会人母を叱った次の日。竹薮がたまたま買ったキャンディーを2号におすそわけ。早速口にいれて、一言
「あ、このあめ、プリンミルクの味がする」
「プリンミルク?」
「ちっちゃいとき良く飲んだジュースだよ」
そんなジュースのんだっけとよくよく聞くと、保育園の帰りのみちすがら、自転車をとめた自販機にはいってたやつだった。中にミルクセーキみたいな液体と、固体のプリンがはいっていて、良くふってプリンを砕いてのむというもので、タケノコたちは必死に振って、それでも心配で、最後の振りを「ハハ振って」と竹薮にやらせていた、あれだ。

これだよ。これ。

そういう記憶が親子の間に蓄積されていること。
これが親子関係なのだ。

おばあちゃんに助けていただくこれは大変結構。保育園の育児仲間に助けてもらう、それもいい。竹薮も帰りが間に合わず、同じクラスのおかあさんにつれて帰ってもらったこともある。駅前でたこやきかって、その家に駆け付けると、ダイニングは大祝祭の真っ最中。子ども4人がワーワーキャーキャー大変な騒ぎ。
その中で、そこの母親が悠然と缶ビールを飲んでる様がかっこよくてね。

ともかく、親子の間に関係があるとか、経験を共にするということだから、勉強する母親を持った子の気持ちを、母親がどう受け止め、母親の気持ちを子どもがどう受け止めるか。それをするために、もっと心を砕かないでどうするか。

もっと早くかえりなさい。
自分でお迎えにいきなさい。
先生と話しなさい。
子どもの友だちの顔と名前を覚えなさい。
夕飯はおばあちゃんにつくってもらってもいいから、
一緒にお風呂にはいってもっとおしゃべりしなさい。
子どもに愚痴ってもらえない母親なんて失格だよ。

譲り渡しちゃいけない、最後の防衛線をどこで引くか。
今の常識に照らせば、竹薮の条件は厳しいのかもしれない。
でも、ずるずるにならないで、自分の最終線をきちんときめてそれだけは必死に守ってほしいんだよ。

そうでないと、そうでないと、
ともかく、そうでないと。

(051010)

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