問題主婦主婦論

 さて、結婚しました。
 たいていの恋愛譚はめでたしめでたしとむすばれて大団円となる。
 が、現実はここから始まるのであって、見えない駆け引きのはてにどのような着地点へ向かうのか
 生活設計がはじまる。

 この項は、そろそろ結婚という人生の段階を踏みはじめた竹薮組組員の顔を思い浮かべながら書いています。


結婚とは生活である

 くりかえすが、愛があればすべて解決するわけではない。
 愛しているから、思いやりをもって考えて何かしたとしても、それが勘にさわることだってある。だから、大事なことは生活の形こそ大事で、少々のことはあっても、形さえしっかりしていれば、なんとかなるのだ。
 朝の流れ、夜の流れ、土曜や日曜の形、病気の時、春夏秋冬、実家や親戚との付き合い、記念日。それぞれの形がお互いの腑に落ちていればいいのだ。花よりも団子とはこのことだ。

生活のイメージ

 彼と彼女が持っている結婚生活のイメージのきっかけになるのは、それぞれが育って来た家庭のイメージだろう。パターンは大別して二つにわかれる。自分が育った家庭を肯定する場合と、否定する場合だ。

 自分の育った家庭像を肯定できる人は、結婚後もそのイメージを再生産しようとする。それが、彼と彼女で一致すれば良いが、一致しなかった時が問題だ。なぜなら、自分の持っているイメージに対する批判が薄いからだ。お互いの持っているイメージを固持し、修正を加えられなくなるからだ。
 男はやさしいものだという父親のイメージを夫に求める。父親と夫は違う人間であるにもかかわらず、夫への不満をつのらせる。有能な主婦であった母親のイメージを妻に求める。母親とは別の人格である妻に、怠惰、無能の判定をくだす。これは残念なことだ。

 自分の育った環境を否定する場合。これは、もう少し複雑だ。
 親が生きた家庭像を否定して、自分なりの家庭像を作ろうとする場合。たとえば、夫にしいたげられていた母親のイメージがいやで、母親とは違ったタイプの女を求める。イメージが理想化され過ぎると、現実の彼女には重荷になる場合もあるだろう。逆もまた然り。

 さらに、自分が育ってくる家庭でえられなかった欠如を、新しい家庭で取りかえそうということもある。育った過程でなんらかの欠損があった時、それを補うような家庭をもとめるのだ。だが、これも、その要求が深いものであるだけに、非常に困難をもたらす。

実家と自分の家庭

 大事なのは、自分が上記に書いたような精神構造をもって、新家庭にのぞんでいるということを自覚することだ。さらに、自分のもっている家庭像が唯一絶対ではないときちんとふまえることだ。

 上の肯定型の場合には、とくに無自覚であることが多く、さらに自覚の過程で自分の大事にしたきたもの、あるいは大事にされてきたものを否定しなくてはならない場合があるので、一山二山こえなければならないだろう。しかし、守るべきは、これから作り上げていく自分達の家庭であって、実家ではないのだから。親と伴侶とどっちが大事か、あるいは、自分の伴侶を義父母に預けて良いのかと思う。

 何かあると実家にかえる妻というのが、竹薮はまったくわからない。竹薮は結婚して以来、何かあって実家にかえったことがない。2号がうまれてから、ばあちゃんと同居だったから実家がないのもその一因、あるいはそれ以前も実家が遠いのもその一因。しかし、それがなくとも、実家にはかえらなかったと思う。何かあった時は、女友達に電話して、さんざんしゃべくりちらして、どうにかしてきた。実家ってそんなにいいもん?まあ、いい人にはいいんだろうなあ。
 ともかく、実家にかえってしまったら負けのような気がする。帰るなら、なんでもない時に帰ろう。なんかあった時は帰らない。だって戦線離脱だもの。

 その意味で、お産の時も実家にかえるのは不賛成。それしかなければ仕方ないが、お母さんに出て来てもらえるなら、出て来てもらって、自分のうちへ帰ってほしい。それも無理なら夫ごと実家にかえる。新生児のあの戦争のような時期を共有すべきは、実家の母ではなく、夫であるのは明らかだ。だから別居はなるべくしてほしくない。その時期の赤ん坊、その時期の産婦を見せないで、育児参加しないとか言っちゃいかんのじゃないか。だって育児参加の機会をうばってるじゃないの。

 それに、夫にはあるんですよ。すごく大事な役割が。それは『サンドバック』という役割我が家は夫というサンドバッグがなければ1号のゼロ歳を乗り切れませんでしたよ。

 さらにまた、実家にかえると妻が夫に対する想像力を失ってしまう危険もある。これまでの想像力の範囲で生活できてしまう安易さは「夫が気がきかない」とか「分かってくれない」という不満にこそなれ、「夫を理解しようとしない」自分にふたをしてしまう。夫よりお母さんがいいというのはここからくる判断停止だ。夫が「わからない」のは当たり前だ。その上で、いかに「わかる」ようになっていくかというその過程を省略してしまったら、赤ん坊は夫婦の子ではなく、実家の孫になっちゃうもの。

 もちろん、産後に限らず、緊急避難として実家があるのはもちろんです。
 そこしかなければしかたないし、なによりも「もうだめ」という時、そこへ行く。それはもうしょうがない。
 でも、あくまで緊急避難であって、なんでもない時に帰ってほしいと思います。お金があれば、友だち何人かでシェルターを借りとくなんていいね。夢だけど。

 

影の実家と自分の家

 影の実家というのは、自分が育ちたくなかった家ということ。
 でもそこで育ってしまった。その人はその家でがんばった。まあまあそこそこやれてきた。しかし、辛くなかったわけではない。その過去が清算されていない場合が問題。

 その当人にとっては不幸な環境にめげず、立派に乗り切ってきたかにみえるひと。つまり当人は私は不幸ではないと思っている人が、自分の影を新しい家庭に持ち込む。それは親を否定して、新しい像をつくりだす否定型とか微妙にちがう。むしろ、親を肯定したくてできなかった、その親に自分がなろうとする。あるいは伴侶をしようとする。そういうことだ。
 あるいは、逆に親を愛するあまり、親が生きられなかったものを代わりに生きようとする人もいる。親子の密着だ。
 もとめる像そのものは、きっとよいものなんだろうけれど、その像を巡る人間関係がねじれてしまうのが困り者。例えば理想の夫を求める妻のはずが、父親を求める娘になってしまったり。そこにこどもがうまれたりすると、実際のこどもの分もあわせて二人分求められるわけだから、夫は大変なことになる。そういう家庭ではこどものためにが猛烈な金科玉条になってしまったりして。

 自分が育ち損なった負債を、結婚までに返済できておればいいのだが、なかなかそうはいかなかったりする。でも、返済できていなくても返済できてないということを意識して、自分の求める家庭像の意味を理解するようにつとめれば、相手に対するスタンスはかわると思う。

 結婚して新しい家庭を作るということは、おおかれすくなかれ自分の育てなおしのような面がある。その上でこどもを持ってもう一度育てなおす。なんどもなんども自分に直面させられるのが家庭なんだけども、その家庭のなかでなりふりかまわず自分をさぐっていく傍らに、もうひとり同じ作業をする誰かがいるわけで、自分が大変なら、そんなやつといっしょにくらす相手もきっと大変だと、まあ、いまだから思える竹薮です。

生活さがし

 具体的にはどうするんだろう。
 何かあるごとによく話し合うに限る。

 どっちの机がいいかで揉めたとする。
 それぞれがどっちがいいと言い張ってないで、生活の形から考えてみる。その机で何をするのか。御飯を食べるとする、だれとどんなふうに食べるのか。そうすると求められる机の機能やデザインはおのずときまってくるはずだ。その機能やデザインをみたしているなら、それ以外のことは好みだから、譲り合えばいいのだ。あるいはこだわりが強い方が意見をとおすことになるだろう。絶対こっちがいい。絶対そっちはいや。その部分は盛大にやりあえばいい。いろいろ試行錯誤をかさねて、どちらが譲った方か得策かというの表を作成していくのだ。でも、その前の部分はぶれさせないで。

 ことばで話し合うといっても、早い話が喧嘩かもしれない。
 でも、その喧嘩がだんだん上手になって、話し合いになっていければと思う。女は感情的だから、話し合えないなどといわず、ぜひ、その感情的なものを言語化してほしい。その過程で女も言葉の力をつけていくのではないか。逆に男は世の中や仕事のことなどはきちんとはなせるのに、自分のことになると全くはなせなかったりする。「お前に任せた」「もっとちゃんとやれ」「お袋は〜」に終始したりして。じゃあ、「ちゃんと」ってなに?なんでそれが「ちゃんと」なの?それに対して無反省無批判であることもあるのだ。

自分を変えること

 相手に気に入らないことがあるとする。それは相手の欠点かもしれない。しかし、その欠点は、誰に対しても欠点かというとそんなことはない。同じことが、別の人との間では全く問題にならなかったりする。「全然気にならないよ」とかね。ということは、その欠点は二人の関係性が生み出したものだともいえる。だから、たいていの問題は、どっちかが一方的に悪いということはないのだ。

 これを世の中では「喧嘩両成敗」というのだな。

 だから、結婚を機会に、そして喧嘩を機会に、自分を変えることを恐れないでほしい。相手が自分にあわないということは、自分が相手にあってないということなんだから。自分も相手もすこしづつ変えていけばいい。相手だけをかえるより、そっちの方がきっと簡単だろうと思う。

 竹薮?かわりましたよ。
 朝起きるもん。
 結婚前は、朝寝ることはあっても、朝起きるなんてことはなかったからね。

 

(2005/03/07)

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