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男友達
土曜日、職場で偶然にとある同僚にあった。彼はまだ、30代半ば、竹薮とはひと回り以上離れている。
でも、現代文についての考え方、問題意識は共通していて、思いを共有することができる。
奇しくも、女子組員から恋愛相談が来る。
道ならぬ恋である。
竹薮の判断は簡単だ。
その男との間に恋愛以外にすることがあるなら、道ならぬ恋は即止めなさい。
そして、恋愛以外のことをすべきだ。
ほかにすることがないなら、恋愛してぼろぼろになるしかない。
それもまた人生。。
竹薮は恋愛マニアというくらい一時期恋愛に没頭していたが、ある時、ふっと飽きてしまった。
というのも、恋愛は一過性のものだからだ。恋愛は絶対におわる。恋愛とは男女の関係の一時期の形態だ。しかも、この恋愛というのは近代文化の産物であり、人間の発達過程に不可欠というわけではない。たとえば、若衆宿の風習では、それは性愛であって恋愛ではなかっただろう。
なんでこんなに恋愛が重要視されるのか。運命の人とかね。
竹薮は思います。人間はおそらく一緒に暮らしてれば、それなりに関係がつくられて、かなりの人と一緒に暮らせるんではないかと。竹薮は今の結婚に満足しているけれど、おそらく、今の生活以外にも可能だったと普通におもう。あたりまえじゃん。だいたい、この人だけが運命の人とかいう思い込みの方が、人間の可能性を限定していしまっているさ。
ましてや、たった一人の人と添い遂げたい。純愛なんてのは観念の産物以外のなにものでもない。
そういうと「結婚したい、結婚して恋愛を完成させたい」なんぞと寝ぼけたことをいうやつがいるが、恋愛は非日常、結婚は日常。その大きな違いを眼ん玉ひん剥いてよぉく見ろ!!である。
この伝でいけば、道ならぬ恋を忍んでいる人こそ、究極の恋愛者ということができるかもしれない。
うん。たしかに。
くやしかったら、忍んで忍んで忍ぶ余り、想像妊娠でもしてみんかい!!てなもんである。
ホワイトナイト(白馬の騎士)を求める幻想もあるだろう。
生きていくのが辛くって、そういう希望にすがらなければ生きていけないということもある。
幼馴染みのあの人を延々思い続けて、だからこそ、できない苦労もできたというやつ。
それは一途な恋愛の効能ではある。
だけど、それは副作用であって、主たる効能ではないはず。
そういう妄想系はさておいて、
普通なら暮らしているあいだに情が通い、
近しい人間関係ができるということこそすばらしいじゃないか。
というわけで、男と女を恋愛に閉じるなといいたい。
恋愛はむしろ簡単にできる。問題はそれ以外であって、それ以外の男友だちが重要なのであるよ。
件のひと回り以上年下の同僚との間にだって、いや、生徒に大してだって、男女はある。その彼が男だからこそ、生じる感情もある。それはそれで味わえば良い。そこで味わってそれでよいではないか。なぜことさらにその感情で関係のすべてをおおわねばならないのか。
そうやって、整理してしまえば、関係はむしろ良好に続く。良い感じの密度で。
生活の中でふっと息づく情緒のようなもの。そういうのが粋ってもんじゃないかね。
たとえば、夜中にふとメールする相手。
おもしろいものを見つけた時にその面白さを共有する相手。
凹んでいる時に、向こうからどうしたの?と聞いてくれる相手。
そういうのが人生の財産であるという価値観はいかが?
ときめくのはいい。
んでもって、わたしがときめいていることを知りながら、普通に応対してくれる男。
それが大人の関係ってもんではないかしら。
たった一人の一過性の恋人よりも、
数人の友人を持っている方が、人生としては数段豊かだと竹薮は思う。
異性と恋愛しかできない人間になるな。
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竹薮の男友達のタイプ。
皆、一言居士。
皆、偏屈というか、頑固というか、個性的。
皆、くいしんぼ。
皆、趣味人。一緒にいて話すネタがなくなるとかありえない。
たばこ、酒はそれぞれ。どっちもダメな人もいるし、両方の人もいる。
ただし、やる人はとことんやります。未だにたばこ吸ってる人はピースかハイライト
酒を飲む人は、がんがん飲みます
妻帯者もいれば独身の人も。
皆、やさしい。めったにおこらない。竹薮はたしなめられたことはあるけど、怒られたことはない。
年の近い人は「みさえさん」「みぃさま」離れた人は「竹薮さん」「竹薮先生」かな。
(051221)
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