フロントページに戻る

タカさんの読書日記索引に戻る


会津落城     星亮一      中公新書         

 

鳥羽伏見の戦いも局地における短期決戦であったこと、あるいは江戸城は無血開城され、彰義隊の上野の山の戦いも、あっけなく終わってしまったこと、などから明治維新は、今や比較的平穏に進行した市民革命であるかのようにも受け取られているが、戊辰戦争における官軍と奥羽列藩同盟の凄まじい戦い、あるいは戊辰戦争最後の悲劇会津落城がいかに悲惨なものであったかを知れば、明治維新も、諸外国におけると同様に、血にまみれた革命だったということを実感できるだろう。

既に瓦解した幕府軍だが、官軍は執拗にこの殲滅をはかる。官軍に追われる側は、この時点では、戦う意義を見失っていたとも言えるのだが、降伏すら容赦しないというほどの官軍の攻撃に対して、防御の体制をとらざるを得なかったというのが、奥羽列藩同盟ではなかっただろうか。

勝算の無い戦いに会津は何故挑まざるを得なかったのか。婦女子を含む多くの非戦闘員さえもが、自決の道を歩んだあの鶴岡城の篭城戦、白虎隊の悲劇はなぜ起こってしまったのか。本書が解き明かそうとする会津落城の真実は、圧倒的な迫力で迫ってくる。又、本書は会津の失敗は何が原因であったのかに迫った、「失敗学」研究でもある。

会津降伏後も半年間に渡って会津側の死者の遺体は埋葬をゆるされず、悪臭を放って放置され続けたという事実を知るだけでも、明治維新が薩長の凄まじいまでの幕府側憎悪を一つの原動力にしていたことを表している。又、新選組などのドラマでは会津の名君として描かれることの多い松平容保が、鳥羽伏見の戦いでは会津藩士を残し、徳川慶喜とともに京から逃げ帰り多くの藩士たちから反発を受けていたにも関わらず、会津落城後も、再び藩士およびその家族の悲惨さとは別世界と言ってよい華族としての後半生を過ごしたことなどを知ると、太平洋戦争然り、会社の不祥事などにおいても、常に最高責任者が責任をとらず下の者のみが犠牲を強いられる日本的風土の原点を見るような思いがする。

明治維新とは、わずか130年前に起きた、日本における未曾有の暴力革命であったこと、そして今にも続く日本的社会秩序の原点であったことに、あらためて気付かされた。

(03年12月発行)

タカさんの読書日記索引に戻る

フロントページに戻る