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日々早々エッセー
バックナンバー集(2007年7-12月分)
2007年下半期各月バックナンバー:6月、7月、8月、9月、10月、11月、12月、
<<タイトル>>
12/28 年末所感 12/27 新年のカレンダー 12/26 逆転世界地図 12/25 十二進法 12/21 古くからの競馬ファン 12/19 体感天気予報 12/14 はじめてのこと 12/11 金子みすゞの著作権 12/10 うらをみせ 11/28 どんぐりころころ 11/26 日本人の舌 11/22 湯たんぽ 11/16 うちの嫁が 11/14 早くもクリスマス準備 11/09 大食い番組と見世物小屋 11/01 人の一生と45億年 10/31 盗まれた方が悪い 10/26 男の一人旅 10/19 日本人町 10/12 ラヴィアンローズ 10/11 相撲の常識、世間の非常 10/05 歳とともに 9/28 Jazz Country 9/25 天国と地獄 9/21 裸の小父さん 9/18 柔道場の神棚
9/14 サービスの世界標準 9/07 辛いピーマン 8/31 土左衛門の話 8/29 それは通りませんよドルジ君 8/24 日本人の語学力 8/17 朝のフルーツ 8/16 夏の甲子園 8/15 お盆休み 8/10 もうすぐお盆 8/03 遅すぎる! 7/30 梅雨明け宣言 7/27 縄文の人口 07/20 夢のプロジェクト 07/17 早明浦ダムはどうなった 07/13 東洋人の女 07/09 ふくよかな方が 07/06 ON砲を知らない世代
2007年12月28日
年末所感
タカさんにとって還暦の年でもあった亥年も残り数日、まもなく新たな年、子年が明ける。
今年は、春の終わりに罹った日光敏症なるアレルギーで遂には入院までしなければならないなどと言う、とんだ目にあった年でもあったが、こうやって年末を迎えてみればまあまあやりたいこともやってきたし、家族も平穏に健康に過ごせたし、過敏症ももうほとんど治ってきた(ように見える?)ことを思えばやはりトータルでは幸せな年だったと言えるような気がしてくる。
年末年始はこれと言って特別な計画がある訳ではないけれど、こうやって平穏に静かに新年を迎えることができることが何よりの幸せという気もしてくる。タカさんも還暦となれば、随分と丸くなってきたということだろうか。
このまま、新しい年になだれ込み、来年の末にも同じような気持ちになれたらなぁと思う。
まあ、そんな年越しという訳です。
さて、「日々草々」は本稿を以って本年最終稿となります。
このホームページ「タカさん大いに語る」も98年に開設以来、遂に来年からは次の10年に入ることになります。土日を除く平日にはほぼ休みなく更新してきたその延べ数は2500回余り、又、「タカさんの読書日記」で取り上げた本の数も累積約1300冊になった。
もっともさほど労力と時間をかけたわけでもなく、日記をつけているような気持ちで気楽に続けていたものが、いつの間にかこんな数字となってしまったのだから、まさに「継続は力なり」ということなのだろう。
新しい年にも肩の力を抜いて気ままに続けていくつもりです。どうか、引き続き御愛読のほどを。
新しい年2008年が皆様にとってより良い年でありますように。
(12/27/07 11:30pm S.T.)
2007年12月27日
新年のカレンダー
年末の大掃除というのが嫌で、一時期は口実を作って外出し、行くところもないので年末の公営競馬に行ったこともあったけれど、最近は、観念して妻の指示に従うことにしている。
部屋の壁の高いところを拭くとか、窓ガラスを外側から拭くといった身長がものをいうような分担は、腰が痛いのなんのと言って逃げようと試みても結局は妻の指示(?)に従ってやらされていた。
そんなに嫌いだった大掃除だが、最近は大掃除の後のカレンダーの架け替えという仕事が結構、楽しいことだということを知ってそうそう逃げ回ることもなくなった。
来るべき新年のカレンダーというのは書店などで見ていると早ければ10月中には売り出しが開始されているが、まだその頃には切迫感もなく買い求める人は少ない。12月の声を聞く頃にはこのカレンダー売場もかなり活況になる。企業が取引先やお得意さんにカレンダーを配り始めるのも、その時期ではないだろうか。そして新年まで1週間を切ったクリスマス過ぎの今頃になると架け替えるべき新しいカレンダーの目処がついていないとちょっと焦る気持ちになる人も多かろう。
カレンダーの種類は実に多く千差万別だがその家なりの好みがあるし、多くは例年と同じ種類のカレンダーを飾りたいという気持ちも強いようで、例えば書店のカレンダー売場にそれこそ100種類以上ものカレンダーがあっても、どれも気に入らないなんていうことは良くある。それだけにお気に入りのカレンダーを確保しておくということが意外と重要なのだ。
タカさんの家では、リビングには昔から富士通の「世界の車窓から」のシリーズを架けているのだが、このシリーズは世間でも評判が良いようで、例年ちょっと早めに声をかけておかないと確保できないこともある。今年は、先日どうにか手に入れることが出来てほっとしているところだ。
又、亡き娘の部屋には例年近所の花屋で年末花を買った際にくじ引きの賞品として配られている花のカレンダーを飾っているが、これは年によってはくじにハズレてどうしても手に入らないなんていうこともある。そんな時には妻が、くじを引き当てた近所の奥さんに、お願いして譲っていただいたなんていうこともあった。(これも今年は家内が無事くじを引き当てたというから安堵している)
カレンダーも正月の松飾などと同じで「一夜飾りは縁起が良くない」なんていうこともいわれるから、新しいカレンダーの架け替えは29日か30日に大掃除が終わってからということにしている。
大掃除に駆り出され、日頃はめったにしない所まで拭き掃除をし、窓ガラスもきれいになったところで、見違えるように綺麗になった部屋に新しいカレンダーを架ける。
外した古いカレンダーに、一年の様々な思い出が走馬灯のように浮かび、新しいカレンダーを眺めれば新しい年には大いなる希望が湧いてくる。
この瞬間の清々しい気分がなんとも捨てがたくよいからこそ、年末の大掃除がそんなに嫌ではなくなったという訳だ。
(12/26/07 10:00pm S.T.)
2007年12月26日
逆転世界地図
南半球の小学校で使っている世界地図は南が上になっている。というのは壮大なジョークだが(そういうジョークがあることを知ってオーストラリアなどの土産物屋では実際に、南が上の世界地図を観光用に売っているらしいが)、このジョーク笑っているばかりではなく、実際に見てみると結構色々なことに気がつくし、大げさに言えば世界観が変わるかもしれない。
先ず、手元に見開きサイズの世界地図があったら上下をひっくり返して見て欲しい。
日本がどういう地理的位置にあるか、目から鱗のような感覚を得られるのではないだろうか。
ユーラシア大陸の東端にある大きな湖(日本海)の太平洋側に砂州のようにある陸地が日本列島だ。ロシアの極東、あるいは北朝鮮からすれば太平洋への出口にある邪魔な堤防みたいなものが日本なのだから昔から彼らが日本を邪魔に思い、ロシアなどはできればこの邪魔な堤防を自国の領土にしたがるのももっともだ。北方四島は、ほんの小さな島でしかないが、ロシアにとってはあの広い領土の中で唯一太平洋に突き出た出島なのだから、日本が手に入らない以上は、この四島を手放す訳がないということがよくわかる。
同じような地政学的、戦略的な意味からみれば、中国にとっての台湾も同じだ。地図をひっくり返してみると、中国が太平洋側に勢力を拡大していこうと思った時、いかに台湾が目障りな位置にあるかが理解できる。できれば台湾を懐柔して、懐柔が無理ならば軍事力を使ってでも我が物とすることが、世界覇権を狙う中国の野望であることに疑いはない。又、逆の意味で中国の軍事的拡張を抑えたい米国にとって、中国の鼻先にある台湾を同盟下においておくことが必須になるだろう。もし、中国が台湾侵攻を企てるようなことがあれば、米国は本気でこれを軍事的に叩くだろう。
上下逆さの世界地図を見た瞬間に、この二つの事実に気が付いただけで、日本という国が、実は地政学的、軍事的に相当際どい位置にあり、のんびりと「世界情勢など気にしないで自分達だけが平和であればよい」なんていうことは言っていられないという事態であることが直ちに理解できるだろう。
更に、南北アメリカをこの逆転地図で見ると、アメリカという国にとって近くて大切なのは大西洋とその向こう岸にある欧州、アフリカなのだということも一目瞭然だ。西海岸地区などは、太平洋という大きな海に面した辺境の側であり、一般の家で言えば裏口、勝手口だ。アメリカ人にとってヨーロッパ諸国は身近であり大事だが、太平洋のかなたの堤防の裏にある北朝鮮が子供のおもちゃのようなちゃちな核を持っていても、たいして気にはならないはずだし、まして日本人が北朝鮮に拉致されて泣いていてもどうしても他人事に聞こえるに違いない。
日米安保におんぶにだっこしていれば、何事も上手く行くだろうなどという甘い考えもこの逆転地図を見れば吹っ飛ぶだろう。
そう、やっぱり日本という国は相当危うい地理的位置にあるのだし、少なくとも自国を守ることぐらい、自分でやらなければ誰も助けてはくれないことも良く分かる。
(12/25/07 10:00pm S.T.)
2007年12月25日
十二進法
英国に赴任した当初、英国の通貨単位はややこしくて、1シリング=12ペンス、20シリング=1ポンドになっているという古い知識を持っていたところ、実際は1ポンド=100ペンスというすっきりとした十進法がつかわれており、シリングという単位のコインも紙幣もないのにちょっと戸惑った記憶がある。
何のことはない1971年に通貨単位の改革が行われ、英国通貨は十二進法を捨てて十進法になっていたとのことで、小学校か中学校で習ったことというのは人間の記憶に相当強く焼き付けられているものなのだということをつくづく思ったものだった。
そんな訳で日本の皐月賞にあたるイギリス伝統の競馬レース「2000ギニー賞」の「ギニー」も古い通貨単位であって日本で言えば皐月賞のことを2000両賞、などと言っているようなものだということを知った。
この1ギニーは21シリングに相当したというからここでは十進法でも十二進法でもない単位が使われていることを考えると昔の英国の通貨単位相当にややこしいものであったことがうかがえる。(ギニーの他にもクラウン、フローリン、グロウトなどというややこしい単位があったらしい)
こう考えると十進法以外の進記数法はいかに不便で、十進法がどれほど便利なものなのかと思いがちだが、逆に現在でも十二進法を使っている時間の単位などは(1分は60秒、60分で1時間、24時間が一日、一年は12ヶ月といった風に)、十進法であらわそうとすると結構ややこしい。ちなみに「5時間は何日に当るか?」などと問われるとその答えは0.208333---日、などという変なものになってしまうことを考えれば、両方ともに要は「慣れ」の問題なのかとも思うが。
そもそも十進法は人間の指の数が両手で10本というところから始まったらしいが、そんなことを言えば十二進法も、片手で数を数える際に親指の先を使って他の指の関節をあてはめて数えれば3x4=12になるところから来ているのだと言われれば、こちらの方も「なるほど」と思うし。
ビールなどを買う時の単位として使うダースも12が基本だが、確かにビールを10本買うよりも12本あるいは6本買った方が持ち運び易い。これは12の約数が1,2,3,4,6,12と6つもあり (10の場合には、1,2,5,10と4つしかない) 分割し易いことに由来しているらしいが鉛筆箱やビールケースをみれば、なるほどこれが10だとすると並べ方に困るだろうな!と合点がいく。
日本でも干支とか、大安、仏滅などの六曜なども十二進法を今でも使っているのは、一年で月の満ち欠けが12回起きることから来ているのだと聞けばなおさら十二進法の方がよほど自然だという気がしないではない。
そうそうタカさんも、単に「60歳になった」といわれるよりも「還暦を迎えた」といわれる方がいくらか落ち込まないで済むところをみると、意外と十二進法好きなのかもしれない。
(12/24/07 10:00pm S.T.)
2007年12月21日
古くからの競馬ファン
今週はいよいよ有馬記念。競馬にさほど興味がない人でもこの年末グランプリレースだけは買ってみようかという人は多かろう。古くからの競馬ファンとしては、その収支が年間トータルでどれだけへこんでいようとも、有馬記念を取ればその年は勝ったような気にもなれるから、ここ数日ははやる気持ちを抑えきれない。
競馬はタカさんの趣味の一つだ。この趣味は飽きっぽい性格の割には40年近く続いている。生来の臆病のおかげ(?)で大金を賭けることもせず、自分の小遣いの範囲でやっているから長続きしているのだろう。
競馬歴も長いが、中央競馬9競馬場(小倉はまだ行ったことがない)はもちろん、地方(ローカル)競馬場も随分と行ったし、アメリカ、イギリス、香港等々と訪ねたことのある競馬場の数は、結構自慢だ。
タカさんの馬券術の基本は何しろパドック(下見所)で出走前の各馬の状態を見ることに尽きる。(過去の成績や、展開、血統などのデーターの重要度はずっと下の方だ)この馬券術だと、どこの競馬場に行っても直ぐに応用できる。(極端な話、パドックさえみればデーターはいらないし、レースそのものさえ見ないことも多い)
もっとも最近は競馬場に足を運ぶ回数は極端に落ちた。現場には今年は中山に数回、船橋に一回行っただけだからもはや正統派の競馬ファンとは言えないかもしれないが、ほぼ毎週テレビ中継でパドックを見て電話投票で馬券を買っている。もっとも中継だと一頭の馬あたり精々数秒の画面だから中々その馬の状態をつかみにくい。これが最近の競馬成績低迷の理由だと思っているのだが。
競馬場から足が遠のいているには一つ理由がある。それは特に最近の中央競馬や大井などの競馬場の雰囲気に親しみを感じ難くなくなっていることだ。かれこれ30年、40年前の競馬場といえば、雑然としていて施設も古く、決して綺麗ではなかった(はっきり言って汚かった)。場内にはもぐりの予想屋やコーチ屋といったえたいの知れない連中がうろうろしているし、観客はオジサンばかり、たまにいてもヤクザの情婦風の女性が多かった。
昔は地方競馬に限らず、煮込みだの、イカ焼きの店があって(競馬場の煮込みは美味かった)、飲み物もホッピーなんていう安酒が中心で賑やかだった。今、中央競馬の中山や府中にでかけてみると観客層が昔と全然違う。女性の数が格段に多くなっていて、ボーイフレンドあるいは女同士で来ている若い女性も多い。勿論、みるからにオミズという女性は見当たらない(もっともオミズと素人の服装が同じようになっている所為もあるが)。家族連れも多く内馬場では幼い子供たちが遊園地にでもきたかのように嬉しそうに遊んでいる。
競馬場の建物は立派で、清潔だ。ゴミも散らかっていない。ある意味、立派過ぎて、清潔すぎてちょっと戸惑うところもある。煮込みで一杯やろうかと思っても最早あの猥雑な店のムードはない。マックもあるし、高級寿司店が立派なレストランを開いている競馬場には、ホッピーで煮込み、なんていうのは最早場違いだ。
いやあ、競馬場は本当に良くなっている。良くなってはいるけれど、古くからの競馬ファンにとっては、何だか淋しい気持ちもないではない。
そんなことがタカさんの足が現場から遠のいている理由の一つなのかもしれない。
まあ、相変わらず関東周辺なら船橋、浦和は十分(?)汚いけれど、これは土日には開催がないからまず行くチャンスがない。もっとも、汚い競馬場を選んで出かけるというのも今時倒錯しすぎかとは思うが。
(12/20/07 10:00pm S.T.)
2007年12月19日
体感天気予報
ここのところ冬晴れの日が続き天気予報も「晴れ」か「晴れ時々曇り」といった程度の予報を出しておれば「当った」ということになるから、関係者もほっと胸をなでおろしていることだろう。(もっとも「冷え込む」とか「比較的温かい」、といった気温の予報になるとこれは相変わらずハズレが多いような気もしないではないが)
本欄では、余りにしばしば当らない天気予報の話を持ち出すから、タカさんは気象庁に何か恨みでもあるのかと思われる向きもあるかもしれないが、別にそういうことはない。何事につけても「予報」「予想」の類には科学的根拠が薄く、あとになって「結局インチキだったじゃないか」と思わされるものが多い所為だ。
天気予報などという物がなかった時代、人々は天気を経験や体感で予測していた。海に出て行かなければならない漁師や、天候によって収穫に大きな影響を受ける山や野良で仕事をする人々は、命にも関わる天候には本能的な感覚をもっていた。今でもこういった職種に従事する人には天候に優れた感覚を持っている人は多い。
タカさん自身はそういった体感天気予報感覚を磨けるような人生体験は全く積んではこなかったけれど、朝出がけに曇を見上げれば、その日の天気予報が「午後から雨」あるいは「曇りのち晴れ」などと言っていても、「これは、降りそうもないな」あるいは「予報は晴れと言っているけれど、一雨来るかもしれないから傘は念のために持って出よう」などと自分なりの勘で判断することが多いが、これが不思議と当る。
それは「晴れているところでも、午後からは雨の予報ですので傘を持ってお出かけ下さい」とか、その逆に「今日は朝の内は曇っていても、午後からは晴れて暑くなりますので、お出かけの際に傘は不要でしょう」なんていう天気予報に何十回、何百回と騙され続けて来た為に、「その日の天気の予測は、自己責任による自己判断をする」方がベターと思うに至った結果だ。
無限と言ってよいほどある天気を決定するファクターのエントロピーが複雑に絡み合う天気の予報は、いかにコンピューターの能力が増したところで無理である事は「熱力学第二法則」という科学の大原則から明らかだ。
朝、雨が降っているときに、今日は一日降り続くだろうか、それとももうそろそろ雨も上がりそうかは、天気予報が何と言おうが人間の勘のようなものの方がよほど的確に言い当てることは、読者諸兄もきっと思い当たる節はあるのではないだろうか。
今日の天気、明日の天気ですら当らないのに、3ヶ月先、半年先の予報が当る訳がない。しかし、如何いう訳か世の中は「天気予報」とやらが好きで、テレビもあちらでもこちらでも、各局が競い合って当らない天気予報をやっている。あの天気予報の的中率はどうも感覚的に言えば「今日の運勢」といった占い番組といい勝負ではないだろうか。
そうなると10年先、30年先の地球の温度がどうのこうのという予測は、ノストラダムスの「空からの悪魔」と同じようなものでもうこれは科学とは言えない代物に思えてならない。
以上、尚再度申し上げるが、別に気象庁に意趣があっての見解ではありませんので念のため。
(12/18/07 10:00pm S.T.)
2007年12月14日
はじめてのこと
間もなく誕生日が来る。
今年の誕生日はいつもの年とちょっと感じが違う。数え年では正月からそうだったのだけれど、実年齢、満年齢の還暦となるからだ。
巨人の長嶋監督が宮崎キャンプで還暦を迎えた時に記者に感想をたずねられ「感想といわれても、何せ還暦ははじめてなもので」と答えて皆の笑いを誘ったけれど、自分がそういう身になってみると、まさにあの長嶋の言葉こそ還暦を迎えた人々の偽らざる心境なのだということが良く分かった。
喜びとか何とか言う以前にあるのはやっぱり戸惑いだ。
確かにお祝い事ではあるのはよく分かるけれど、還暦を迎えたのは自分の努力の結果という訳でもないから祝いを述べられても面映いばかり。丈夫に生んでくれた両親や、60歳を迎えるまで元気に過ごさせてくれている家族には感謝はするけれど。
昔の風習では還暦祝いには赤いちゃんちゃんこと赤い頭巾を身につけたそうだが正直言ってまだ還暦という覚悟が出来ていないからとてもじゃないけれどそんなチンドン屋みたいな衣装をつける気はさらさらない。
ちゃんちゃんこや頭巾でなくても現代は赤いネクタイだとかセーター、あるいはハンカチなどを祝いに贈られたり、身につけたりするとのことだが、元々から赤という色が嫌いだから「絶対にいらない!」と家族には言っている。
「それでも赤い物をくれるとしたら、それは嫌がらせと取るからね!」などと妻に言ったら「そこまで意固地にならなくても」と呆れていた。
「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん」というのは唱歌「船頭さん」の歌いだしだけれど、昔はともかく今の自分は「孫以外にはおじいさんと言われたくない!」という気持ちだ。
本来、喜ぶべき誕生日だけれども、こんなに心に迷いや戸惑いがあるようでは、精神年齢的な還暦を迎えることができるのはまだ随分先のような気がする。
(12/13/07 10:00pm S.T.)
2007年12月11日
金子みすゞの著作権
日本における著作権の存続期間は著作者の死後50年となっている。
従って、夏目漱石の小説の場合は、既に文化的な公有財産(パブリックドメイン)となっていると考えられ、例えば「ぼっちゃん」を映画化したとしても原著者への著作権料の支払はない。
しかし、もし映画「ぼっちゃん」を作ろうということになれば、この映画は製作者、監督、あるいは出演俳優などによって新たに創られた作品として製作者側には著作権が発生する。したがって新作映画「ぼっちゃん」を勝手にDVD化して販売すると勿論著作権法違反となる。
童謡詩人金子みすゞは昭和5年、今から80年近く前に自殺しているので、金子みすゞの詩を新たに出版したとしてもみすゞ本人に対する原著者著作権料の支払は必要ないはずだ。
ところが現代の金子みすゞブームのきっかけになったと1982年に刊行された「金子みすゞ全集」を刊行した出版社内にある「金子みすゞ著作保存会」は、金子みすゞの埋もれていた資料を収集してきたのだから、二次的著作権は彼らが有すると宣言している。
さて、この著作権料が幾らかは別にして金子みすゞの詩は、彼女の死後80年を経過しているのに公有財産ではなく一部の人が著作権を所有しているということになり、もし彼女の詩に曲を付けCD化して販売しようとするならば、著作権料として金子みすゞ著作保存会に対価を支払わなければならないということになる。
「金子みすゞ全集」無くして金子みすゞはその死後再び人々に愛唱されるようにはならなかったであろうし、これ等の埋もれた資料を苦労の末に発掘した童謡作家という肩書きの方の努力は大いに賞賛されるべきだが、さて、金子みすゞの詩は既にパブリックドメインになっているはずなのに、この童謡作家氏が主宰するという「金子みすゞ著作協会」がみすゞの亡霊のように著作権を主張するということには、なんとなく納得がいかないという人もいるのではないだろうか。
「金子みすゞ著作協会」には、みすゞの娘さんも加わっているそうだから、母親の作った詩の著作権を、その子が引継いでいると言えば、多少は納得できるかもしれないが、そうなると、死後80年経っている漱石の子孫が「漱石著作協会」を作って著作権を主張することもあながちノーとは言えないということになりはしないかといった疑問も湧いてくる。
そうなると、狩野永徳の洛中洛外図屏風の図柄を使った織物を作り販売したら、今も続くといわれる狩野派の一族に著作権料を払う必要があるなんていうことに段々エスカレートしないだろうか。
勿論、多少の歯止めがないと洛中洛外図の図柄を使って下品な商品を勝手に作って売るなどというふとどきな者が出て来て国の宝を傷つけることまで自由というのではこれもやはり問題ではあるけれど−−−−。
創作者達の権利を守るために知的財産権は尊重されるべきではあるが、あまりに権利、権利と主張するばかりの世の中になっては、公有財産という観念が薄らいでしまいはしないだろうか。
百年も二百年も著作権を主張する人ばかりになっては、文化を守るための知的財産権が逆に文化を萎縮させることになりはしないかと心配だ。
(12/10/07 10:00pm S.T.)
2007年12月10日
うらをみせ
12月も月半ばになろうとしているというのに、都内の芝公園や日比谷公園のもみじは先週末が最盛期、見ごろだったという。
もう雪が降り始めたどころか積もっているところもあるというのにやっぱり日本というのは南北に長い上に、結構広いのではないかなぁなんて思ってしまう。
紅葉の季節といえば9月か10月、遅くても11月の初めなどという歳時記的な季節感は地方々々によって随分と修正の必要がありそうだ。
今年の紅葉は例年に比べると色合いが今一つだなどともいわれたが、だからといってもみじ狩には行かないというのもやはり淋しい。
結局、奈良、京都へのそれぞれ日帰りなど、3回ほどの遠出を含め、近郊への散策など例年通りに紅葉を楽しんできた。
以前、伊那の山奥のもみじの名所といわれる渓谷に行った時、地元の方から「何十年もこの土地に住んでいるけれど、これ以上はないというほどに見事な紅葉は、十年に一度しかない」と言っておられたのを思い出す。
そうだとすれば紅葉の当り年でなければわざわざもみじ狩に出かけないなんていう贅沢なことを言っていると、死ぬまでにもう何度も紅葉を楽しむことができない、なんていうことになるかもしれないからと思い、色合いがどうのこうのと言われていても、毎年、秋にはもみじを見にでかけるべきということになる。
さくらも好きだが、秋のもみじはやはり良い。心にしみじみと染み入る静けさがある。
そんなもみじを見ていると、その美しさだけではなく良寛の辞世の句といわれる
「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」
にあるような日本人はこうやって生き、こうやって死んで行くべきだという思いが込められているのだと最近しみじみと思う。
(12/09/07 10:00pm S.T.)
2007年11月28日
どんぐりころころ
もみじを見に行くと良くどんぐりを見つけることがある。先日もみじ狩りに行ったところにも夥しい数のどんぐりが落ちていた。
どんぐりはシイ、カシ、トチなどのブナ科広葉樹の実の総称で、もみじと同様、日本の秋の風情にはかかせないものだ。
縄文時代、人々の主食はどんぐりであったという。縄文遺跡の周辺には今もシイやカシなどの木が生い茂っていることが多いのは、これらの木々は数千年前にもこの周辺に茂っており、我々の祖先は貴重な食糧の集め易い場所に集落を編んでいたからだろう。
もっとも、どんぐりはタンニン分が強く、そのままでは食べられない。殻を取り除き、実を粉砕し、何度も水にさらすことによってタンニン抜きをしていたのだそうだ。
そのどんぐり水洗いの為に、細かい目の竹篭が必要であったらしく、それらの縄文遺跡からは現代の作品かと思わせるほど美しい目のつんだ竹篭やムシロが発掘されている。
現代ではまずどんぐりを食べようという人はいないだろうが、どんぐりに似たトチの実などは今もトチもちなどにして結構食べられているようだ。これもタンニン、いわゆるあく抜きが大変だという話を聞いたことがある。
そうそうゲルマン民族も昔、森に覆われた地で畑を耕すことも出来ず、食べる物に困り森のどんぐりを食べて育つブタを飼育してそのブタを食べることで食糧問題を解決していたのだとか。
洋の東西を問わず人類が今日の繁栄を築けたのはどんぐりのお陰といえるのかもしれない。
その所為だろうか、どんぐりが落ちているのを見ると今でも人は本能的にそれを拾おうとする。大きなもの小さいもの幾つか拾って手にのせてみると、そのつやつやとしたどんぐりの表面は磨き上げられたマホガニーの木肌以上に美しい。
我々の祖先が生きて行く上で欠かせない存在であった上に、これだけ美しいとなれば、我々が今もこのどんぐりに親しみを感じてしまうのは当然だろう。
そうそう、漸く幾つか言葉を覚えだした2歳になる孫も、近所の公園に行くと熱心にどんぐりを拾い「どんぐり!」と言うそうだし、たどたどしく「どんぐりころころ」を歌うそうだ。
(11/27/07 10:00pm S.T.)
2007年11月23日
日本人の舌
ミシェラン東京版が発行され随分と話題になっている。東京は以前から美食の都などと言われていたのだから、世界に誇るミシェランの東京版が今頃漸く発行されたというのでは寧ろ遅すぎたと言えなくもない。
しかし、発行のニュースが伝わるや日本全体が、ミシェランの権威にひれ伏したかのように大騒ぎをしているのはいかがなものだろうか。
ミシェランのレストラン格付けは元々フランスのタイヤ会社が、郊外ドライブをするタイヤのユーザー達の為に、それぞれの土地ではどんなレストランに行ったらよいかを案内した無料のパンフレットがはじまりだった。以後百年近くに亘ってフランス料理、及び他の西欧料理の格付けをおこなってきたという歴史を忘れてはなるまい。
確かに今やヨーロッパの一流レストランは、ミシェランの格付けの権威にひれ伏しているが、しかしその格付けはあくまでもフランス人などの欧米人の舌を基準とした判定だということなのだ。
彼等が、東京のフランス料理店、イタリア料理店などの格付けを行っても文句は言うまい。しかし、日本料理、寿司となると彼等の舌が格付けした店が三ツ星だの星なしだのと格付けされ、日本料理や寿司を一番良く知っている日本人が、外国人の舌による評価を鵜呑みにしてしまうのはどういう訳だろうか。
外国人の富豪が自家用ジェット機に乗って東京の寿司店に食べに来たいというなら、同じ西洋人の舌を基準にしたランク付けであるミシェランは参考になるかもしれないが、寿司のことをもっとも良く知るはずの日本人が、何故外国人にどの店の寿司が美味いかを教えてもらわなければならないのかがさっぱり分からない。
日本料理、例えば懐石料理の良さが分かる超グルメも外国人の中にはいるだろうが、それでも懐石料理というものの由来、歴史、素材の繊細さなどを取り巻く日本文化を知っている日本人の美食家の評価にはとても及ぶものではあるまい。
それはどれだけ日本人が食通ぶってみても、フランス料理やイタリア料理の味を評価する能力においては、その料理の本国で育った美食家たちには到底かなわないのと同じ事だ。
ニューヨークで一番美味しいといわれる中華料理は、アメリカ人の舌に好まれるようにアレンジされているし、それは本物の中華料理ではない。すなわち中国人にとっても一番美味しい店とは言えないかもしれない。
味の評価は相対的な物であって、絶対的な評価などできるものではないということは、人気ナンバーワンといわれる店のラーメンをみんながみんな美味いと言う訳ではないという例などで知っているのに、どうして東京の日本料理や寿司の格付けは、フランス人の舌による評価を日本人があがめてしまうのか理解できない。
格付け調査を行った判定員の中には日本人もいるとの話しだが、それでもやはりミシェランがフランス起源のガイドブックである以上、その判定員の舌もフランス人迎合の舌になってしまっている可能性は否定できない。
アメリカ人はミシェランを、「あれはフランス人が作っているから」とさほどあがめることはしない。あの味バカのアメリカ人がそれでも自分達の舌に自信を持っているのだから、繊細な味覚を持つといわれる日本人は、自分達の舌にもう少し自信を持って良いのではないだろうか。
(11/25/07 10:00pm S.T.)
2007年11月22日
湯たんぽ
小さい頃の冬の朝といえば家の中でも寒く、蒲団から抜け出すのが辛かったものだ。顔を洗おうにもお湯など出ないから冷たい水道の水をちょっと顔に付けただけでごまかそうとして母親に「ちゃんと顔を洗いなさい!」なんて叱られるなんていうこともあった。
そんな時に羨ましかったのが、母が湯たんぽの残り湯を注いで準備した温かそうな洗面器のお湯で髭剃りをする父だった。冷気の中を温かそうな湯気が昇っていくのを見ると「いいなぁ〜大人は。温かいお湯で顔が洗えて!」と思い、「大きくなったら湯たんぽのお湯で顔をあらうぞ!」なんて心に誓ったものだったけれど。あの洗面器から立ち昇る湯たんぽの湯気が、自分にとっては小さい頃の冬の記憶だ。
そんな情景も随分前の話で、あれから日本の冬の朝はどんどん変わっていった。瞬間湯沸かし器、石油ストーブなどが普及したのでさえもう40年以上前のことだろうか。最近は多くの家庭で全室冷暖房完備、蛇口をひねればお湯が出てくる。冬の朝、蒲団から抜け出すのが辛いと感じたりすることもないだろう。火鉢や炬燵も見なくなったし、まして湯たんぽなどは見たこともないという世代が大半だろう。
さて、タカさんはもの凄く寒がりだ。暖房を夜中中、点けっぱなしにして、その上、毛布と厚い掛け布団だけでは足らず、電気毛布まで敷いて寝ているのだが、それでも時には寒いと感じてしまうほどだ。
冬の暖房費がバカにならないと妻には、チクチクいわれるし何せ温暖化防止の為にエネルギー節約をしないと社会の敵みたいな目で見られるご時世だから、どうにかしなければと先日、最近リバイバル復活しているという湯たんぽを探してどうにか手に入れた。最近の湯たんぽは紅色のプラスチック製で、昔、父が使っていたブリキ製と違って随分とスマート(?)なものだ。
これが使ってみると実に便利だ。寝る前にお湯を入れておけば、電気毛布も暖房も要らない。しかも湯たんぽは、明け方まで十分温かい。まさに省エネの優れ物グッズである。
すっかり気に入って、愛用しているのだが、朝、湯たんぽのお湯を空ける時にちょっと迷った。家中の蛇口からはお湯がでるのだから、髭剃りの為にわざわざ湯たんぽのお湯を使う必要もない。か、と言って「大きくなったら湯たんぽのお湯で顔をあらうぞ!」という幼い日の心の誓いを思い出すと、そのまま捨ててしまうのもちょっともったいないような気もする。
結局、「洗濯機の中に空けておいてくれれば洗剤が溶け易くなるかも」という妻の案で、残り湯の行き先は決まったのだが。
しかし、これでは「冬はつとめて」と枕草子にあるような日本の冬の朝の情緒は全く感じられないし、幼い頃の美しい思い出の情景とは随分とかけ離れている。
便利になった分だけ失うものもあるということなのだろう。
(11/21/07 10:00pm S.T.)
2007年11月16日
うちの嫁が
他人に対して自分の妻のことを何と言うだろうか。
妻、家内、女房、かみさん、時には、奥さん、ワイフ、なんていうところがタカさんのレパートリーだ。そうそう親戚などと話す時などに、時にはファーストネームを使うこともあるけれど、まあこんなところだろう。
最近、良く自分の妻に対して「嫁」という人が増えているような気がする。
関西発祥の言い方だとも聞いたが、関西でも「嫁」という言い方は、20年ぐらい前に一部のお笑い芸人たちが使いはじめた言葉で、昔は使ってはいなかったという。(じゃあ「嫁」が出てくる前は、何て言っていたのだろう?)
関東でも、勿論、舅、姑などが息子の妻のことを「うちの嫁が」「うちのお嫁さんが」という言い方をするし、辞書にもその様な語意が書いてあるが、自分の妻のことを「嫁」という語法は新しい辞書ならともかくタカさんの手持ちの辞書には載っていない。(まあ、新婚間もない内は、「うちの嫁さん」なんて言ったこともあるかもしれないが、今現在の彼女の御歳を思えば、「嫁さん」(やっぱり花嫁さんといったイメージがどうしてもある)というのは面映いし、彼女自身も喜ばないように思う)
国語などというものは、どんどん変遷していくものだし、こういった新しい言い方や言葉が使われだすことには、別段目くじらを立てるものではないのだが、どうも古い感覚から抜け出せない為と、関東人気質が強い所為か自分の妻のことを「うちの嫁が」と言う人には、何となく違和感がある。
もし、この「嫁」という言い方が本当に関西の吉本辺りの芸人が言い始めた言葉だとしたら、関西、いや吉本が日本語を変えてしまったということになる訳で(関西弁の全国化などはその一つだろう)、そこまで行くと何となく関東の人間として抵抗がある、というのも違和感の原因の一つだろう。
いや、タカさんは、関西弁や関西が嫌いだということはない(寧ろ、関西の風光とか、若い女性の関西弁などは好きな方だが)。
しかし、巨人ファンとしては、どうしても関西イコール阪神タイガース、という刷り込みがあって、特に男性の関西弁に、無闇と反抗したくなるからなのだと思う。悪しからず。
(11/15/07 8:00pm S.T.)
2007年11月14日
早くもクリスマス準備
週末ホームセンターにちょっとした物を買いにいった。広い店内を見渡すと、季節の商品として冬支度関連の用品が随分目立ったけれど、中でもクリスマスツリーやらオーナメントあるいはクリスマスリースなどのコーナーが随分と賑わっていた。
アメリカでは11月末のThanksgiving Dayが終わってから、クリスマスの飾りつけが始まるが、キリスト教国でもない日本では、ハローウィンバージョンが終わった11月初めからもう早々とクリスマスの飾りつけをあちこちで見かけるようになったし、ディズニーランドもクリスマスイベントは先週位からスタートしている。まさに、クリスマスは既に始まったといった感じだ。
クリスマスという行事がこうやってすっかりと日本の冬の行事として定着したのは一体何時頃からのことなのだろうか。
タカさんが子供の頃から確かにクリスマスという行事はあるにはあったけれど、精々12月に入ってから商店街などでジングルベルが鳴り、サンタクロース姿のサンドイッチマン(今でもいるのだろうか?)が安売りの呼込みをやっているなどという町の風景にクリスマスを感じる、あるいはクリスマスイブにクリスマスケーキ(不二家辺りの)を食べられるのが楽しみだった、なんていう程度の物ではなかったかと思う。
三角帽子をかぶって、クラッカーの紐を引っ張る酔っ払いがバーなどで大騒ぎをしているなどという風景(実際には見たことはないが)が漫画などには描かれていた時代であり、クリスマスを家庭で祝うなんていうことは、タカさんの家ばかりではなく一般の家庭ではめったになかったと思う。
しかし、時代とともに大人の男たちだけがバーなどでバカ騒ぎするクリスマスというものも、何故か下火になり(まあ、景気の悪化などが原因だと思うが)、その分家庭で祝うことが段々と主流になってきたようだ。子供たちが、親や親戚からクリスマスプレゼントなんていう物を貰えるようになったのは、昭和の40年代か、50年代の話ではなかっただろうか。
更には、バブルの頃からは若い独身者がクリスマスイブを、家族とあるいは一人で過ごすのは恥ずかしいこと―――、などという話になって行った(らしい)。一流ホテルが若いカップルで満員になるなどという話を聞いて、「おい、おい、趣旨が違うだろう−−−−!」なんて思ったものだった。
そして、昨今である。タカさんがホームセンターで見た通り、一般家庭でもクリスマスツリーを飾り、垣根などにもクリスマスの電飾を飾る家も多くなってきた。
タカさんも子供達が幼くてアメリカに住んでいたころは随分気張って大きなツリーを飾り、窓にも電飾をきらきらと輝かせていた時代もあったけれど、そういうことも面倒臭くて止めてしまって久しい。
欧米では多くの家々がこうやってクリスマスの飾りつけを競い合うが、中にポツリポツリと全く飾りつけをしない家がある。これはユダヤ人の家だと聞いたことがある。彼等ユダヤ教徒にとってキリスト教のお祭りを祝うのは背信になるからだと聞いたことがある。
その点日本は仏教徒であろうが神道であろうが、あるいは無宗教の家もクリスマスを年中行事として何の抵抗もなく受け入れているのだから、なんとも宗教に関してはおおらかな民族といえよう。今や、クリスマスがキリストの誕生を祝う祭りだということを知らない日本人もたくさんいるのだろう。日本人のこういう異国の宗教や文化を我物にしてしまう能力は中々たいしたものだと思った。
(11/13/07 10:00pm S.T.)
2007年11月9日
大食い番組と見世物小屋
真似をした中学生が急死したという事件があって大食い番組は一時中止になったこともあったけれど、たちまちの内に復活し、今や毎週どこかのチャンネルでこの手の番組をやっていて、まさに大食い花盛りといった活況だ。
大食いクイーンギャル曽根嬢などは、旅番組や、グルメ番組にも引っ張りだこ、彼女の大食いによる年収は普通のOLの数倍になるのだとか。
最近は、この種のゲテ物番組をみているとなんだか気味が悪くなってくるので滅多にみることもないけれど、大食い番組と聞くと、幼い頃の神社の縁日に出ていた見世物小屋を思い出す。
今から半世紀近く前には、神社の祭礼には多くの露店と、必ずと言ってよいようにテント張りの見世物小屋が出たものだ。
電球を噛み砕いて食べてしまう男だの、ろくろ首、一つ目小僧、なんていうどくどくしい看板が並んだテント小屋の前では呼び込みが客を誘っていた。「さあ、さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、親の因果が子に報い、醜い一つ目に生まれたのがこの子でござい!」「さあ、お代は見てのお帰りだ!」なんていう啖呵が面白くて小屋の前で聞きほれていたものだ。(直ぐに「お金のない子は帰った、帰った!」と啖呵をきっていた男に追い立てられるのがオチだったけれど)
親にせがんで一度小屋に入ったことがあるけれど、何のことはない一つ目小僧は、おどろおどろしい色の一つ目小僧の絵だったり、電球を噛み砕いた男は、そのガラス片を水と一緒に飲み込むと見せてどんぶりの水の中にガラス片を吐き出してしまっている―――なんていうインチキな代物だったけれど、クラスの仲間たちには「あの見世物小屋に入った」ということは自慢できたし、時間が経つと本物の一つ目小僧を見たような気分になってきたものだった。
大食い番組も、この見世物小屋と同じ仕掛けなのではないかなぁ〜と思う。
番組の審査員(?)として現場に立ち会った某タレントが、実はロケ現場では出場選手たち(フードファイターというらしい)が真っ青な顔をして「あ〜あ、気持ち悪ぅ!」「うっ! 吐きそう!」とのた打ち回り、中には本当にゲーゲーと吐き、あるいはドクターストップで救急ベッドに横たわっている人もいるというまさに阿鼻叫喚の状態だったという。
テレビ放映される番組内ではそんな場面や絵は全てカットされ、出場者全員が超人的な胃袋を披露してケロリとしているということになるのだそうだ。
う〜ん、これっていわゆる「ヤラセ」にならないのか、放送倫理上どうなのよ〜と思わないではないが、この手の番組は別に「報道の使命」を果たす必要もなく、「ヤラセ」というべきではなく「演出」とか「編集の範囲」ということなのだろう。
まあ、いずれにせよタカさんの見世物小屋の記憶と同じで、大食い番組も視聴者が「本当に世の中には超人的な胃袋の持主がいる」信じて喜んでいるならば、それはそれで別段放送の倫理云々を持ち出すような話ではないことは確かだし、この手の番組をやっているのは民放だけだから、お代を払っている人はいないのだから文句いう筋合いでもないということなのだろう。
(11/08/07 10:00pm S.T.)
2007年11月1日
人の一生と45億年
地球誕生から現在まで45億年経っているという。一言で45億年というけれど、とてつもない時間であって容易にそのイメージを掴むことができない。
先日、ある本を読んでいてこの45億年をビジュアル化した面白い挿絵を見た。45億年という歳月を、オリンピックの50メートルプールに置き換えた絵である。一人の泳者がまさにゴールしようとしている。このプールの長さ50メートルというのが45億年という時間の物差しだ。従ってゴール板が現在であり、ゴールの反対側のプールの端が45億年前である。
生命が誕生した35億年前は、この絵ではゴールまでまだ39メートルの地点だ。カンブリア紀の大爆発といわれる多様な生命体の出現は、今から5億3千万年前、ゴールまであと約6メートルの地点だ。
恐竜の絶滅、6千5百万年前は、ゴールまであとわずか60センチ余り、ゴール板にいままさにタッチした泳者の胸の辺りだろうか。ホモサピエンスの登場25万年前はゴール板の手前2.8ミリ(センチではありませんよ)、泳者の爪の先っぽということになる。
こうなってくると4-5000千年という文明の歴史などは50メートルプールの絵の中では描けない細かさになってくるので、虫眼鏡やら顕微鏡をとりださなければいけなくなってくる。
今から、1400年前の聖徳太子の時代は、泳者の指の先の毛細血管を流れるヘモグロビンの直径と同じ1.5ミクロンだという。
そう、地球誕生の45億年を50メートルの長さの年表にしてあらわせば、我々の人生、精々7-80年なんて、わずか0.1ミクロンにも満たないということをこの時間スケールの絵は教えてくれている。
中国の故事に「邯鄲の夢」というのがあるが、あれは「人の一生なんて粟が煮えるほどのはかない時間でしかない」というものだが、この絵が言っていることは人の一生は邯鄲の夢どころか、それよりも遥かにはかないということなのだと思うと、言葉も出なくなってしまった。
(10/31/07 11:00pm S.T.)
2007年10月31日
盗まれた方が悪い
エジプトで暮らしていて最初は日本との違いに戸惑ったけれど、その内に日本の方が変なのかもしれないと思うことは結構多かった。宗教観とか道徳観なんかもそうだけれど日頃の挨拶というものに対する考え方がその一例である。
「こんにちは」と日本で言えば、それは相手に対する自分の気持ちであり、「ありがとう」も相手に対する自分の気持ちだ。
エジプトで「サレマレーイコム」はこんにちは、「ショクラン」はありがとうと訳されているけれど、元々の意味は唯一の神アラーに対して「素晴らしい日を感謝します」とか、「こういう機会を感謝します」と言っているのだそうだ。
インドに詳しい人に聞いたところではインドではインド人同士で「こんにちは」と挨拶し合うことはめったになく、いきなり会話に入るのが普通だし、買物をしても店で「ありがとうございました」と言われることはないという。
エジプトも似たような考え方からか、買物した人は欲しい物が買えて助かったはずだから、店と客はお互い助さまであり殊更「ありがとう」という必要はないというのが彼等のコンセンサスだ。
こんな調子でやられると、日本の常識に染まっていた人間にとっては、エジプトもインドも腹のたつことばかりということにもなる。(まあ、最近はこれらの国でも外国人客にはちゃんとThank You!というけれど)
その国の文化や習慣から考えれば、確かにこの方が納得はいくような気がしてくる。長く住めばその国の習慣の方が当然で、やたらと心にもないうわべだけの挨拶ばかりして、ぺこぺこ頭を下げている日本人がバカみたいに見えてくるなんていうこともある。
アメリカでは知らない人間同士がエレベーターに乗り合わせると、How are You? などとにこやかに挨拶を交し合うから、日本よりもアメリカ人は挨拶し合い、フレンドリーで礼儀正しいと思ってしまうが、あれも何時どこでお互いがズドーンとやられかねない殺伐とした社会だからこそ、にこやかに挨拶することによって「私はあなたの敵ではありませんよ、だから襲わないで下さいね!」と言い合っているのだ、と聞いたこともある。
どこの国でもその国の道徳観やら、風習があって、それが日本の物と全く違っていたからといって、道徳観に欠けているとか、非常識だ!と怒ってはいけないようだ。
中東では物を盗む奴よりも、盗まれる方の不注意の方がとがめられる。中国人は自分に加えられた危害を、あやまられようがどんなに賠償金が払われようが、絶対に「水に流す」ということはしない。
何もこれらの国々のやり方を日本が真似たり、取り入れたりする必要はないけれど日本の常識が世界標準だと勘違いして、やたらと愛想よく、相手に譲歩ばかりしていては碌なことはない、ということだけは知っておいた方がよいだろう。
(10/30/07 10:00pm S.T.)
2007年10月26日
男の一人旅
秋の旅行シーズンもたけなわで、色々な旅行会社からパンフレットを送ってくる。
やはり、秋はちょっと遠出して紅葉の中でしみじみ旅愁に浸り、夜はひなびた温泉でゆっくりと越し方、行く末を思ってみたい、などとロマンチックな気分になる。
そう思って、これはと思うツアーをパンフレットから探してみると、中々良さそうで料金もリーズナブルなものが幾つかある。しかし、いざ申し込もうとするとほとんどの紅葉探訪ツアーや温泉宿の予約は「二名様より」となっている。
二名様で申し込むとなれば、中年女性ならば、文句ばっかり言っている出不精の夫を誘うよりも、親しい女友達、あるいは娘といった選択肢があるから別段問題はなかろう。
しかし、男は妻以外に「二名様」になってくれそうな相手がいない。まさか愛人と二人というのでは「旅愁に浸り、越し方行く末を思う」どころではなく、生々しくなりすぎるだろうし。(それに愛人を持っている中年男なんて、渡辺淳一の小説ではあるまいし、そんなにごろごろいる訳ではない)
出張者用のビジネスホテルならば「お一人様」で行けるものの、「秋の旅」となると、ゴルフの為の一泊旅行などの場合を除いて、「男同士で行こうか!」などという話にはならない。
かと言って、息子あるいは娘を旅に誘ったりしたら、「お父さんは余命が残り少ない病気にでもなったのだろうか」といらぬ大騒ぎになりかねない。
所詮、男は中年を過ぎかみさんに構われなくなったら淋しいもので、一緒に旅愁を味わうために付き合ってくれる人はいないということなのだ。
勿論、割り増し料金を払えば男の一人旅でもOKというツアー、あるいは観光地のホテルや旅館もある。しかし夫婦者と女性客で賑わっているツアーや温泉宿に男一人で行くのも、どうもうら淋しい感じがして気が向かないし、宿の方でも「この稼ぎ時に多少の割り増し料金をもらっても一人客はありがたくないなぁ〜」と思われているに違いなく、それを思うと尚落着かない。
夫に先立たれた女性の平均余命は有配偶者の女性と変わらないが、妻に先立たれた男、あるいは独身者の平均余命は有配偶者の平均余命の半分でしかないという統計もある。
ということは、どんなに小うるさいかみさんでも、男にとっては元気でいてくれることが、どれだけありがたいことなのかということではないだろうか。
少し、態度を改めようかなと思った次第だ。
(10/25/07 10:00pm S.T.)
2007年10月19日
日本人町
世界各地にそして日本の各地にも中華街といえる地区がある。横浜の中華街のような大きなところになれば、まるで中国にいるかのような町並みに驚かされるし、ここには中国系の子弟たちのための学校まであるというのだからまさに中国租界だ。中華街(China Town)だけではない。各地に多くのエスニックグループの町があり、日本にもあちこちにコリアンタウン、静岡の方にはブラジル村といわれる区画もある。
アメリカには、チャイナタウンとかコリアンタウンに比べれば少ないが、三つのジャパンタウン(日本人町)がある。いずれもカリフォルニアにあり、ロスのリトルトーキョー、サンフランシスコのジャパンセンター、サンノゼのジャパンタウンである。以前、ロス、サンフランシスコに住んでいたのでこの三つの日本町には良く通ったものだし、日本食がなつかしくなった時、あるいは家庭の日本食材を求めて、お世話になったものだ。
しかし、最近ではこれらの日本町が日系人のアメリカ社会への同化が進み、又、日本からの駐在員の減少などともあいまって地盤沈下が甚だしく、いずれも消滅の可能性がささやかれているという。
リトルトーキョーのシンボル的存在であった日系ホテル「ホテルニューオータニ」は最近米系資本に身売りした。全米で唯一、畳敷きの和室があり、檜の日本式の風呂があるというので、日本からの「畳の上でないと眠れない」という老舗企業のオーナー社長さん一向の宿泊に使って喜ばれたこともあったし、日本人観光客が、ブランド物を一堂の下に買い揃えることができる日系デパートや、みやげ物展が軒を連ねていて随分賑やかだったあの地区も、早晩、消えて行く運命にあるのだとか。
サンフランシスコのジャパンセンターには、まだカラオケなんていう物がない時代、ピアノ弾きが客の歌いたい曲を次々と伴奏してくれるピアノバーといわれる店が何軒もあり、客を連れて、あるいは同僚達と連夜のように通い続けたものだった。全米最初のサッポロラーメン店がジャパンセンターに出来た時は感激したものだった。
サンノゼは、観光客や駐在員家族は少なくて、日系人の2世、3世、あるいは4世といった人たち中心の町で、日本語はめったに聞こえず、英語オンリーの変な感じの日本町だった。雰囲気はどちらかというと、サンパウロの日本町(行ったことはないが)といった感じだった。
これらの日本町には邦字新聞というものがあり、ロスでは羅府新報、サンフランシスコでは北米毎日などという新聞が、日本の新聞がまだ一週間遅れで日本から輸送されているような時代(ほんの2,30年前まで)には、我々駐在員でも重宝していたものだった。(時々、旧漢字、旧仮名遣いにであうことがあったのも懐かしい)
ユダヤ、中国や韓国、そしてメキシコやブラジルといった国々でも、その国を離れた人たちが、同じエスニック同士で結婚し、その母国語をいつまでも大切にして、それぞれのエスニックに基づくコミュニティーを海外でも維持しているのにくらべ(シカゴには、ポーランドコミュニティーがあり、NYにはイタリア、チャイナといった区画がある)、日本人は移民したとしても2‐3代で、どんどん他のエスニックとの混血を進め、日本語、日本文化とは縁もゆかりもなくなってしまい、その内に日本人町といったコミュニティーすら失ってしまうのはかねてからなぜだろうと思っていたが、故郷とか故国にあまり固執しないというのが、日本人の国民性なのだろうか。
ユダヤ人は今も家庭内では2000年前に滅びた故国ユダヤの言葉ヘブライ語をしゃべっている。それに比べて、ハワイや南米に移り住んだ日系人の子孫は、ほとんど日本語をしゃべれなくなってしまう。この違いはなんとも不思議だ。もっとも、日本に住んでいてもまっとうな日本語をしゃべれない日本人が多いというのが実情なのだから、海外ならば無理もないのかもしれないが。
(10/18/07 10:00pm S.T.)
2007年10月12日
ラヴィアンローズ
歓びの歌を聞けば気持ちも明るくなるし、悲しい歌を聞けばなんだか表情まで悲しげになってしまうというのは良く経験するところだ。
その逆もまた然りで、滅入っている時には明るい歌をきけば少しは気分もよくなるし、それまで明るい気分でいたのに悲しい歌を聞くと何だかちょっとメランコリーな気分になってしまうなどという経験をしたことはないだろうか。
随分以前のことだけれど、気分が滅入った時には「ラヴィアンローズ」を鼻歌で口ずさんで少しは気分を明るくするように試みていたことがあったが、案外効果があったことを映画「エディット ピアフ―愛の賛歌」を観て思い出した。
ピアフがフランスの伝説的国民歌手だといっても、死後40年ともなれば日本ではその名を知る人は随分少なくなっているようで、三連休中だというのに観客はパラパラと十数人といったところで、これでは早々と上映打ち切りになるのではないかとすら思ったが。
ピアフの代表曲といえば日本では越路吹雪がカバーした「愛の賛歌」が有名だが、映画のオリジナルタイトルが「LA VIE EN ROSE」であるように、本国フランスでは彼女の代表作はラヴィアンローズ(バラ色の人生)の方だろう。
「愛の賛歌」は彼女が飛行機事故で亡くなった恋人のことを思って作詞した悲しい恋の歌であるが、「ラヴィアンローズ」の方は、彼女がこの人こそ生涯の恋人とおもった男性との恋の歓びを詞にしたもので、作曲も彼女自身がしたともいわれている、まさに人生の歓びを歌ったものだ。
なるほど、かつて「ラヴィアンローズ」を口ずさむと不思議と気分が晴れやかになったのは自分には生まれ付いてのシャンソン魂があったとすら思った次第。(それとも、前世でフランス人だったことがあるのかも)
そういえば、かつて日本でもシャンソンブームというのがあった。古くは芦野宏、丸山(美輪)明宏、あるいはミステリー作家の戸川昌子などシャンソン歌手と言われる人々の歌声が、ラジオ、テレビから良く流れてきたものだし、シャンソン喫茶などというシャンソンを聞かせる喫茶店なんていうのもあったけれど、今やシャンソンを日本で聞くチャンスは随分少なくなってきたように思う。
本場フランスでもピアフやモンタンといったシャンソンの代表的歌手が亡くなり、日本でも越路吹雪辺りが亡くなってから、段々と衰えていったのかとも思うがどうだろう。
映画は、波乱万丈のピアフの48年の生涯を描こうと、あれもこれもと盛り込み過ぎ(それでも随分とはしょっているが)といった感じがあり、更にそこにピアフの歌を何曲もいれようとしたために、2時間50分というちょっと長すぎる映画になってしまった点など、難点はある。
それでも48歳なのに老婆のようになって死んで行くピアフの生涯を演じたマリオン コティアールの熱演と、ピアフの歌の素晴らしさが全てを帳消しにしてくれて十分楽しめた。
あれから時々「ラヴィアンローズ」を口ずさんだりしている。
(10/11/07 10:00pm S.T.)
2007年10月11日
相撲の常識、世間の非常識
朝青龍の仮病問題、時津風部屋での若手力士急死事件と相撲界は大騒動になっている。確かに、こういった相撲界での出来事は一般社会のルールや常識からみれば、おかしなことだらけとも言えるかもしれない。朝青龍が職場放棄をしながら首にもならないとか、時津風部屋の力士が急死では相撲協会が「弟子の指導は各部屋に任せている」と他人事を決め込み、「相撲界の名誉を傷つけた」まるで相撲協会は被害者だといわんばかりに一人の親方の首を切って済ませたことなど、常識外れの出来事にも見える。
しかし、ここで考えなければいけないのは、果たして相撲界も全て一般社会の常識やルールに従え!というべきかどうかということだ。
例えば「番付が一枚違えば虫けら同然」だとか「十両以下の力士は無給」なんていう相撲界の常識は、一般社会から見れば非民主主義的だとか労働基準法違反、なんていうことになってしまうだろう。
こういう社会から見た非常識の部分を全部あらためさせたとしたら「日本の国技、相撲」が守られるものだろうか。相撲を守るべき日本の伝統だというならば、相撲を構成する裾野でもある「相撲界のルール、常識」にも配慮があって良くはないだろうか。
女性は舞台に上がれないという大歌舞伎の伝統を、男女同権だからとあらためたとすれば、それは歌舞伎ではなくなるように、相撲にも尊重すべき社会では非常識なルールがあってもよいのではないか。
以前にも書いたけれど、神棚を奉っている道場で発祥した日本の柔道に、国際化の名の下に、「伝統」の部分をどんどん捨てさせ、「世界の常識」である体重別や、「一本」以外の変な判定を取り入れさせた時に、柔道がプロレスのようなJudoという格闘技になってしまった例もある。
高砂親方がどれほどダメな親方であったにせよ「師匠は絶対」という伝統的な相撲界のルールを朝青龍に守らせていれば、これほどの騒動にもならなかっただろう。
武蔵川部屋で後輩をいじめていたちゃんこ番の先輩力士を、部屋付きの山分親方が箒の柄で叩いたという事件も、相撲界の常識からみたら当然だったのかもしれない。それを問答無用で「傷害罪で書類送検」なんていう話にしてしまったのは一体誰だ!
暴力やいじめを肯定する気はさらさらないが、朝青龍や時津風を100人とも200人ともいわれるメディアスクラムで24時間取り囲み、正義の味方宜しくなんでもかんでも「謝れ」「謝罪会見しろ」とせまるマスコミと、そういう風潮に乗って訳知り顔に相撲界を非難しまくるタレントコメンテータたちの言っていることだけが正義という訳でもあるまい。
「愛の鞭」としての教師による生徒への体罰が一律に「暴力」として禁止されたことで、果たして教育の現場は良くなっただろうか。
「相撲界の常識、世間の非常識」ということはある程度あってもよいのではないだろうか。
(10/10/07 10:00pm S.T.)
2007年10月5日
歳とともに
年齢とともに体力が低下するのは避けられない。人の総合的な体力は17歳ごろをピークとして最初は徐々に、そして段々と速度を増して衰えていくこと