予感と予兆
コンスタンティノープルは平和をかけたローマ人最後の願いだった。
それは文明の十字路に設けられた世界の富が集まる空間であり、六十万人のローマ人とバルバロイのための貿易と外交の場。そして中世の闇に輝く……たったひとつの道しるべ。
時はローマ帝国第十八紀元の幕開け。巨大な戦争の影が忍び寄っていた。これは最後のローマ人の都の物語である。
西暦1025年、その都市の名は……コンスタンティノープル
「第十八紀元、てなんじゃ?」
「ロムルスとレムスによる建国、共和制発足、ガリア人襲来、イタリア統一、ポエニ戦争、マリウスの改革、カエサル暗殺、ローマ帝政、五賢帝、三世紀の危機、コンスタンティヌスの統一、東西分裂、西ローマ滅亡、ユスティニアヌス、アラブ人襲来、聖像画破壊運動、ビザンツの最盛期、をそれぞれ一紀元と数えたので。
話半分に聞いてくれれば結構です」
「すごい数え方をしましたね」
「ていうか、これの元ネタ分かる人いるの?」
「いなくても問題ないんじゃないですか? 趣味でやっているんですから」
「さいでっか」
「バシレイオス2世の弟コンスタンティノ8世は存在するだけの皇帝ですが、兄が死んでしまったので政治の表舞台にたつことになってしまいました」
「バシレイオスに子供はいないの?」
「年がら年中戦い続け、禁欲的だった皇帝にそのようなものはありません。そのため、帝位はコンスタンティノ8世の子供に継がせたいところだったのですが、彼には娘しかいませんでした。そこで娘の一人ゾエ
をコンスタンティノープル総督のロマノス3世と結婚させました」
「皇女と結婚するというなら、さぞかし嬉しかったでしょうね」
「まあ、どっちも五十を越えた老人ですけどね」
「萌え分を吹っ飛ばすようなこと言うな」
「ロマノス3世は即位するとほどなく、バシレイオス2世の定めた小作人保護の法を撤廃して、大土地所有者の保護に努めます」
「そんなことをしては、テマから安価に募れる兵がなくなってしまうのでは?」
「まあ、彼自身が大土地所有者でしたからね。自分の財産を増やそうとでも思ったのでしょう。そんな彼がバシレイオス2世の政策を快く思っていなかったのは想像に難くありません」
「本当にかつて来た道をそのまま行ってますね」
「同じ国ですね」
「それだけなら、普通の皇帝でいいのですが、いきなりシリアで先端を開いてボロ負けするということをしてしまいました」
「いきなり躓いてるわね」
「それを救ったのがゲオルギオス・マニアケスです。彼は帝国史上屈指の名将で、もしかしたらニケフォロス2世以上の手腕を有しているかもしれない人物です」
「でも新戦術を開発したわけでも、勝利によって歴史を変えたわけでもないから武力90はつけられないわね」
「前から思っていたのですが、その武力90の基準、厳しすぎません?」
「なに言ってるの。やりすぎたらインフレになるでしょ。そんなこと言い出したら、全歴史上に武力90が何人いるか分かったものじゃないわ」
「戦争に負けるだけならまだしも、ロマノス3世は皇帝になったらもう用済みと言わんばかりにゾエをないがしろにし、彼女への資金を断ってしまいました」
「仮にも妻にそのような仕打ちをするとは許せませんね」
「貴方は妻に対してろくに夜の相手もしてあげなかったじゃない」
「仕方ないじゃないですか。私は女なんですから」
「同性愛もまた美しいと思いますけど」
「いいのかよ」
「同性愛の成否は置いておくとして、ゾエは当然のことながら彼のこの仕打ちを深く恨みました。そこでゾエはミカエルという若者と手を結んでロマノス3世を倒しました」
「そのミカエルも皇帝になったと同時にゾエをないがしろにするんですけどね」
「どいつもこいつも老女の心を弄んでますね」
「しかも、彼の場合は宮廷に少なからず影響力をもっている宦官の兄がいたので、ゾエは厳重に監視されていたそうです」
「ミカエル4世はそれなりに有能な人物で、勢力拡大に乗り出しました。目標はバシレイオス2世の目指していたシチリア島です。そこの攻略を近年、頭角を現し始めていたゲオルギオスに一任。ついでバルカン半島で起きた反乱にも適切に対処しました。
任されたゲオルギオスはメッシーナ、シラクサをはじめとするシチリア島の東側を攻略。『鉄腕』との異名を得るほどの大勝利をおさめました」
「人を見る目はあるみたいね」
「しかし、癲癇を患っていたためなのか猜疑心が強くなっていきシチリア島で奮戦していたゲオルギオスを配下の進言から首にしたりしていました。ゲオルギオスは辱めを受けた後、砂漠に追放されています」
「うーん、耄碌してるわね」
「それは仕方ないと思います。この国では有能で強力な将軍はどうやっても帝位簒奪の予備軍にしか見えないと思いますよ」
「つまり、有能な将軍は功績を重ねると皇帝とその取り巻きに疑われ、皇帝になるか引退するしか道がなく、皇帝は功績を重ねた将軍に殺されるか、さもなくば有能な将軍に功績を与えないようになるべく自分で戦うか、それも出来ないなら殺すしかない、ということですか」
「バシレイオス2世が年がら年中、自分で戦っていた理由が分かる気がします」
「この国は皇帝が直接動かない限り、どうにもならない構造になってるのね」
「実に我好みの国だな」
「どこが?」
「我のように卓越した指導者であれば、全てが思いのままということに他ならないということだ」
「死んだ後でボロクソ言われそうですけどね」
「ベリサリウスとやらと違ってすぐに謀反を起こすなど、こらえ性のない連中よ」
「そんなこといっても普通に考えてベリサリウスみたいに何も言わないでひたすら皇帝のために戦ってくれる将軍なんていません」
「彼はマゾです」
「それでいいのか?」
「それは置いておいて、ミカエル4世が病に倒れて没すると、兄の宦官は甥のミカエルを皇帝に仕立てようとしましたが、甥は叔父が嫌いだったのか追放して、帝国の全権を掌握しました。さらに追放されていたゲオルギオスを復帰させて足場を固めようとしたのですが、先代に続けてゾエを蔑ろにしたことで首都住民の怒りは爆発。
ゾエとその妹テオドラを戴いたクーデターが起きました」
「国民の支持はあったんですね」
「普通に見てもどっちが悪党なのかくらい分かりますよね」
「ミカエル5世はこの反乱を抑えきれず、両目を刳り貫かれて追放されました。
邪魔者はいなくなりましたが、ゾエは別に仲のいいわけではないテオドラと上手くやっていく自信がなかったので元老院議員コンスタンティノと三度目の結婚を果たして、権限を彼に譲ることにしました」
「まだ存在してたのか。元老院」
「官僚たちの帯びる名誉職なんですけどね」
「さて、コンスタンティノ9世
を中心とした新政権最大の敵は廃位したミカエル5世によって復権させられたゲオルギオスです。彼は現在進行形でシチリア島のアラブ人勢力を圧倒している最も恐るべき相手です。
さしあたって、ゲオルギオスを罷免して権限を奪いますが、彼は配下の将兵から高い支持を得ており、この処置に憤った兵士の協力をとりつけて、皇帝になることを宣言し、一路、コンスタンティノープルへと進撃を開始しました」
「どうするの? とてもじゃないけど、勝てる気がしないんだけど?」
「勿論、新政権は反乱軍に押されまくり、彼の勝利は確実なものと思われていました。しかし、ある勝ったも同然の戦いで偶然にも矢を受けて死んでしまいました」
「運が悪かったですね」
「この直後にも続けて反乱が起きましたが、その反乱も鎮圧しました。まあ、この時代は確かに帝国の構造に変化を生じさせ、帝国が衰退する要因を作っていった時期であったのだけは間違いありませんが、それまでの成果のおかげで国庫が富み、周辺諸国が弱体化していたおかげで帝国はそれなりの繁栄を享受していました。文化事業に関してはかなり高い成果をあげているのも事実なのです。
その一方で新たなる脅威も現れ始めているのも動かしがたい事実ですが」
「ゲオルギオスが勝利を収めていたら、バシレイオス2世みたいになれたかな?」
「彼の即位はこの時期の最も興味深いIFだと思いますが、かなり難しいと言わざるえません。この当時の帝国は控えめに言っても下り坂でしたし、三人の軍人皇帝のように安価な兵を使うことの出来ない状況を考えると、シチリア島制覇辺りが限界のように思えます。
それに、彼のこれまでの事跡からは軍事的才能しか浮かび上がりません。良くて、ニケフォロス2世クラスが関の山ではないでしょうか?」
「つまり、武力と魅力の高いカリスマ軍人に多くを望むことは出来ない、て言いたいのね」
「そんな一部の人にしか理解しがたい用語を使わないでください」
「この時期のビザンツでは大土地所有者の権力は年々拡大の一途を辿りました。
彼らが最も欲したのは、公吏不入の権です。聞いて分かるとおり、これは中央に対して税を納めることを免除され、場合によっては裁判権にも及んでいました」
「それって、なんて封建制国家?」
「今度は古代帝国ではなく、西欧のスタンダードの王侯貴族のような構造になっていきましたね」
「それが時代の流れなのかしらね」
「フン、我の実力をもってすればそんな時代の流れなど吹き飛ばすことも容易いこと」
「不老不死を求めて飛び出したやつが言っても説得力がありません」
「帝国政府もこの現状に手をこまねいて見ていたわけではありません。監視を続け、色々と制約をつけようとしたのですが、やっぱりどうにもならず、現状はますます悪くなっていきました」
「せめて兵士の数が減少するのだけは防げないのかな?」
「それに関しては、各種特権の付与を条件にして軍事力を提供させる、ということにしました。いわゆる『プロノイア制』というものです」
「とうとう妥協したか」
「おかげで政府に納められる税金は減少の一途を辿り、ほぼ純金で中世のドルとまでいわれたビザンツのノミスマ金貨は年々質が悪くなり、後には発行しすぎてインフレが起きてしまいました」
「この事態をなんとかしようと思ったやつはいないの?」
「いません。どの官僚も時の権力者に媚びへつらって、栄達することだけを考えていましたから、時の皇帝を批判するのは死後か失脚した後です」
「生前には何も言わないのがエチケットなのね」
「それはさておき、この皇帝の治世末期の1054年に東西教会の最終的な分裂が確定しました」
「その通りです。
時の教皇聖下レオン9世に異端の総主教ミカエルは自らの優位を主張して譲らなかったのです。あまつさえミカエルはロシアのヒグマどもの支持をえて勢いに乗って、皇帝すらだまくらかして我々の聖なるあのお方に破門状を突きつけたのです。
この傲岸不遜なる神をも畏れぬ愚かな行いをしたギリシア人どもに神の祝福などありえないことを知っておられる聖下は彼らの地獄行きをより確実なものとするために、ローマ教会から破門しました。異端者に神の救いなど不要ですからね」
「断じて、聖職者の言葉ではありませんね」
「何を今更」
「つまり、互いに絶縁状を叩きつけたのね」
「しかし、誤解しないで下さい。皇帝はこんなことを望んではいません。むしろ南イタリアの領域を保持するために教皇の協力が必要だと考えており、一部の例外を除いて皇帝はなるべくローマとの関係を悪化させたがりません。それに当時は南イタリアの守備も担当していたゲオルギオスが倒れたことで南イタリアの領域の多くが奪われていたのです」
「絶対者である皇帝すら無視して暴走するとは、頑迷で脳の体積が猿並みの異端にしか出来ないことですね」
「関係ないって」
「彼らはあまりにも毎回毎回、言い争いを続けていたので、これが長く尾を引くことになることになるとは考えていなかったようです。どちらも五月蝿いやつがいなくなってせいせいした、くらいにしか思っていない可能性が高かったでしょう」
「ちなみに、彼はネクロノミコンを焚書しているわ。全世界の魔術師が嘆き悲しんだことでしょうね」
「東西教会の分裂したころにこのさほど強力な皇帝は死にました。ゾエもテオドラも子を残すことが出来ないまま没しました。
こうして、ビザンツ帝国に栄光の時代をもたらしたマケドニア王朝は断絶してしまったのです」
「貴族の支持も国民の支持もあったのに皇位継承権をもつ皇族が少ないために滅んだ王朝ですか。少し残念ですね」
「この国も気をつけないとね」
「さて、帝位を継ぐべき人物がいないということは、逆に言えば誰でも皇帝に仕立て上げられるということです。宮廷の陰謀で基本的にどうでもいい男が皇帝になりました」
「無茶苦茶ですね」
「次に進む前に、現在ビザンツ帝国を取り巻く状況を見ていきましょう。まずは当時イタリア最強の男、ノルマン人、バイキングの末裔ロベール・ギスカールです」
「我が教会の敵の一人ですね」
「どういう男なんです?」
「当時の南イタリア最強の人物で、十数倍の敵軍をぶちのめすのがざらという凄まじさで、当時のイタリアを席巻していました」
「嘘くさっ!!」
「その代わりに統治が基本的にお粗末なので、激しく略奪するかと思えば意味もなく寛容で、同じメンバーに幾度となく反乱を起こされている愛すべき男なんです」
「どこがです? よりにもよってアラビア人を雇ってローマを略奪したような男が愛すべき男ですか? 策略に長けているような男のどこが愛すべき存在なんです?」
「まあ、そうなんですけどね。魅力的な人物ではあったようですが、かなり無茶苦茶なことをしていたために、あまり好かれてはいなかったようです。当然ながら、ビザンツのイタリア政策にとって最大の脅威です」
「手元の資料では統率61、武力89、知力74、政治29、魅力67。なかなか妥当な数値ね」
「神の敵らしい見るからに頭の弱そうなパラメーターです」
「続いての脅威は北方の遊牧民ペネチェネグです。キエフ・ルーシとも幾度なく対決していた有力な遊牧民であった彼らはこれまではビザンツの同盟国でしたが、ともにあたっていたブルガリアが消滅し、キエフ・ルーシと積極的に対決する必要のなくなっていた当時、その矛先をビザンツに向けてきました」
「キエフ・ルーシはどうなったの?」
「ウラジミールの死後に最盛期を迎えたのですが、その後で内部で混乱が起きたらしくあまりあてにならなくなったそうです。それになんだかんだ言っても、遊牧民の牛や馬は貴重なので無碍にも仕切れない困った相手だったようです」
「遊牧民は草原と農地を繋げる存在ですからね」
「彼らと同様に遊牧民で、確実に彼らよりも知名度が高いのがトルコです」
「とうとうきたわね、オスマン・トルコ」
「オスマンではなく、セルジュークです。彼らは中央ユーラシアから中東に侵入してイスラム教に改宗した人々です。
当初はイスラム王朝の支配下に入っていましたが、次第に頭角を現し始め、このころにはバグダートのカリフにも認められた名実ともに当時のイスラム世界最大最強の勢力でした。勿論、彼らの領域がビザンツのそれとぶつかり合うのにそれほどの時間を必要とはしませんでした」
「脅威が消えたと思ったら、また新しいのが出てきますね」
「その脅威の嵐全てを乗り切って、どういうわけかいつまでも消えないのがコンスタンティノープル宮廷なんですけどね」
「何かにとりつかれているみたいな強運ね」
「その運にも陰りが見えてきてるんですけどね」
「話をビザンツ帝国に戻しましょう。誰でも皇帝に仕立てられるからといって、本当に誰がなっていいわけでもありませんし、そもそも支持が得られるとは限らないのです。宮廷が皇帝を即位させただけあって、彼は宮廷の官僚貴族を贔屓しました。
それに軍人貴族たちは有力な軍人貴族であるイサキオス・コムネノス
を中心にしてコンスタンティノープルに進撃を開始しました。
官僚と軍人の戦争では結果は自ずと明らかです。軍人貴族連合軍は首都からの討伐軍を打ち破ります」
「当然の結果ね。これで貴族の時代が始まるわけね」
「それはもう少し先のことです。ところで、貴族たちは自分たちの権利を尊重してくれる皇帝の即位を望んでいました。
だからと言って、即位した当人が本当に貴族の代弁者になるとは限らないのです。皇帝になったからにはそれまで仲間である貴族とともに戦っていた人物も、『神の代理人ローマ皇帝』になりたいと思うんです」
「それがビザンツの皇帝に対する見方なんですね」
「ほとんど裏切りですよ。それ」
「皇帝というものに関しては一つ面白いエピソードがあるので紹介します」
ある日あるところに、ローマ皇帝を自称するギリシア人の皇帝がいました。ある夜に市井のことが気になってお忍びで街に出ることにしました。でも、皇帝が一人で外に出ることは出来ないので金貨を何枚も持っていって兵士を買収することにしました。
だけど、最後のところで金貨がなくなってしまったので門番は怒ってこう言います。
「この不届き者!!! 一体どこから入ってきた!!!」
門番に地下牢に連れて行かれた皇帝は鞭に打たれて牢屋に放り込まれました。傷が痛くて泣きそうな皇帝は門番に尋ねます。
「ねえ、皇帝に会ったことはないの?」
「皇帝? 会ったことありませんね。何度か遠くから見ましたが、人を見るというよりは何か奇跡を見ているような感じでした」
「それほどまでに皇帝と臣下との距離はかけ離れているのですか」
「それならなりたいと思う気持ちも少しは分かりますね」
「実に我好みだ。雑種と同席などありえん」
「それより、その門番がどうなったかのほうが気になるわね」
「買収された兵士のほうが問題だと思うのですが」
「それはこの反乱の首謀者であるイサキオスも例外ではありません。彼は皇帝が『副帝』にするという条件を聞いて反乱軍の解散を決定したのです。これに支持者たちは憤慨しましたが、首都ではそうこうしているうちに反乱が起きて、イサキオスの味方をしたのでその反対は完全に空振りに終わってしまいました」
「立ち往生していると不利になるもんだけど、運が良かったわね」
「即位したイサキオスは目論見どおりの政治を行いました。バシレイオス2世を模範として政治軍事財政改革に乗り出して、大きな成果をあげたのですが、そのやり方が強引過ぎたので、各方面から不評を買ってしまいました。
その急先鋒が前にローマ教会との話し合いを東西分裂にまで話を大きくした総主教ミカエルです。彼は皇帝の即位に手を貸して勢力を拡大したのですが、それに留まらず、総主教の力を皇帝を上回るものにしようとしたのです」
「やる気満々な総主教ですね」
「これならネクロノミコンの焚書くらい平気でやりそうね」
「それを例の『コンスタンティヌスの寄進状』で正当化したそうです」
「こっちでもあの捏造を使ってたんか」
「皇帝も彼に劣らずやる気満々でしたから、それにもめげずに真正面から対抗。彼を追放するために会議を開きました。
しかし、うざったいローマ教会に正面から挑んだ彼の人気は高く、とても会議で勝てそうにありませんでした。そこでイサキオスは総主教を拉致して追放しました」
「あんなのを英雄視するなんて、本当に見る目のない連中ですね」
「追放先で屈服することを強要されましたが、彼はいかなる脅しにも屈さないで死んでしまいました。皇帝が勝利したかに見えましたが彼も病に倒れ、その隙を反対派に突かれてしまい、退位せざるえませんでした。
総主教ミカエルが彼らの精神的支柱であったようです」
「怨念ですね。異端らしいやり方です」
「この次に即位したのがドゥーカス家のコンスタンティノ10世です。コムネノスが軍事貴族の頂点を極めているとすれば、ドゥーカス家は官僚貴族の頂点を極めた家柄です」
「巡り巡って元のところに戻ってきたような感じですね」
「しかし、彼にもこの危機を乗りえることは出来そうにありませんでした。貴族の領地はどんどん増えていき、それをどうにかするために買位売官を行っていたら元老院議員が数万人に増えていたそうです」
「そんなにいらん」
「宮廷で石投げれば元老院議員に当たりますね」
「国債のつもりでやっていたと言われていますが、いくら国債で賄ってもどうにもならないことから、途中で禁止。
そこで軍縮をしたところ、さらに軍人貴族の不満が募り、さっき話した敵勢力につけ入る隙をあたえてしまいました」
「最悪の時代に軍縮をしましたね」
「コンスタンティノ10世の死後、その妻が皇帝になりましたが、この危機を乗り切るには軍人に頼るしかないということで東のほうで軍人をやっていたロマノスを夫に迎えました。
夫ロマノス4世はさしあたって、ロベールとペネチェネグ人と講和して、トルコと戦いました。何度か交戦して勝利を収めたまではよかったのですが、1071年に三度目の戦いのマンチケルトで裏切りにあって大敗。
この敗戦でイスラム帝国の侵攻すらはねのけた小アジアはセルジューク朝に奪われてしまいました。皇帝もとっ捕まって鼻輪をされてしまったと言われています。この敗北で周辺諸国にビザンツ帝国の力が弱まっているかを示してしまいました」
「鼻輪ですか」
「まあ、捕まったとはいえ、トルコと交渉して面目を保って帰還したのですが、皇帝がとっくに死んだものと思っていた宮廷は突然の帰還に大慌て。新皇帝の即位が済んだというのに、前の皇帝に出てこられては困ります。
そこでロマノス4世を策略で騙して殺しました。しかし、そんなことをしているうちにロマノス4世がトルコと結んだ条約の実施期限が過ぎてしまい、それを口実に攻撃してきました」
「駄目じゃん」
「それだけならまだしも、ロベールに南イタリア最後の都市を奪われ、旧ブルガリアで反乱が勃発。もう一つおまけにペネチェグ人やハンガリー人も定期的に略奪を再開しました」
「そんなに一度に敵を作るなんて、彼ららしくありませんね」
「ていうか、もう終わりでしょう。これ」
「どう見ても亡国ですね」
「領土もこんな感じです」

↓

「これは一気にうばわれましたね」
「この状況を当時の歴史家は『帝国は息を引き取ろうとしていました』と評しています」
「我ならここからでも逆転してみせる」
「無理無理」
「もう少しで帝国の救世主がやってきます。この新皇帝の間にもう一人いるのですが、彼のことは考えないですぐにその救世主の話に移りたいと思います」
「容赦なく飛ばしたわね」
「一々、名前出してるのが面倒なんです」
「1081年に救世主こと、先の皇帝イサキオス・コムネノスの甥、アレクシオス・コムネノス
が即位しました」
「来ましたね。最低の嘘つき野郎」
「きっといい人なのね」
「なんでそうなるんです?」
「だって、あんたが悪口言うやつに悪人がいるとは思えないんだもの♪」
「まあ、いいでしょう。彼の治世を聞けば考えを改めるに決まっていますから」
「救世主アレクシオスが手にした帝国はバシレイオス2世の築いた栄光が遠い昔のことのように思えるほど弱体化していました。
バシレイオス2世の時代に拡大された宝物庫にはほこりくらいしかなく、鍵もかけられないで誰でも自由に出入りできたそうです」
「わざわざ広くしたのにね」
「この帝国を立て直すためには、従来の皇帝のように貴族から遊離した存在ではいけません。すでに多くの土地が貴族のものとなっており、その力なくしては、とても国家を経営することが出来なくなっていたのです。
現に正規軍が編成できない重装騎兵を反乱軍は編成しており、貴族が豊かな財源を有していたのは疑いありません」
「貴族より金のない王様か……本当に封建制国家になってるわね」
「つまり、帝国政府に金がなくとも地方の貴族はそれなりの財産を有していたんです。これを上手くいかすことが出来れば、帝国の再建は不可能ではありません」
「だからこそ、新皇帝アレクシオスは軍事貴族と官僚貴族が手を結んだ新たな体制を作り出さなければならないと考えました。
その第一歩として、官僚貴族のトップであるドゥーカス家の娘を娶り、その繋がりを強化します。その妃の間に生まれた子供たちを帝国の各貴族と結婚させてその関係を強化しました。あまりにも婚姻を利用したために、これから皇帝になる家柄は全てこのコムネノス家とドゥーカス家の血をひいています」
「政略結婚の積み重ね……確かに関係強化には手っ取り早いのですが……」
「時間が経てば経つほど邪魔にもなるんですけどね」
「他にも先のプロノイアを直接下賜するなど、貴族の権益に寄与するような政策を展開し、その絆を少しでも強めようとしました。対外的にもこの新皇帝は敏腕を振るいます。
小アジアはトルコの巧みな統治によって、これまでのように奪還することは困難だと考えて一旦、トルコの占領を認めました。それにイタリアからコンスタンティノープルを目指して迫り来る巨大な影があったからです」
「シャルル・ダンジューね。あの無実の王子殺しは地獄に落ちて当然の異形だもんね」
「言っておきますが、その件に関して我らが聖王ルイ9世は無関係ですよ」
「ロベール・ギスカールですよ。シャルルのことは劇のほうでかなり詳しくやるので、それまで待っていてください」
「南イタリアを制圧したロベールの目指すべきところはアフリカのイスラム勢力でも、イタリア全土の制圧でもありません。目指すなら弱りきって動けそうにないビザンツ帝国、即ちコンスタンティノープルを陥落させて自らが真のローマ皇帝に即位するにこしたことはありません」
「誰でも皇帝になれるもんね」
「しかし、アレクシオスとてせっかく手に入れた帝位を海賊の末裔ごときにくれてやる気はさらさらありません。とはいえ、まともにやりあっては異様に高い指揮能力をもつロベールに殴り倒されるのは目に見えています。そこで後方で反乱を起こさせることにしましたが、それにもやっぱり時間がかかります。
そのために現在進行形でロベールと敵対していたヴェネチアと交渉して、海軍の派遣を求めました」
「ああ、あの地中海の拝金主義者の国ですね」
「なんで不可侵の領域になってしまったのか分からない銀河系のあの国のモデルですね」
「当時はビザンツ帝国の宗主権を認めていた属国だったのですが、840年ごろに総督を選挙する権利を手に入れて以来、事実上の独立国でした。当時の西洋では珍しい共和国で、フランス革命が起こるまで、恐らくヨーロッパで最も自由主義的な国家であったと思われます」
「なのに、止めをさしたのがフランス革命の申し子ナポレオン、なんて皮肉よね」
「これに応じて、ヴェネチアはノルマン軍の海軍を撃破したのですが、すでに上陸していたロベールは武人アレクシオスの力をもってしても勝つことがままならず、ロベールは一歩一歩、確実にコンスタンティノープルに近づいてきました」
「コンスタンティノープルに立て籠もってればなんとかなるんじゃない? あの三重城壁を破れる敵はほとんどいないでしょ?」
「それをやると国土が荒らされるので、あまりやりたくないと思うのですが」
「そんな時、アレクシオスの策略が功を奏してロベールの領地で反乱が勃発しました。ロベールは急いでイタリアに反乱鎮圧のために帰還しますが、残されたロベールの息子ボエモンではアレクシオスの敵ではありません。ほどなくノルマン軍は撃退され、ヴェネチアとの挟撃によって彼らはバルカン半島に立ち往生してしまいました」
「今更だけど、汚いわね」
「まともにやってはとても勝てる相手ではありませんから」
「ロベールはどうなったの? こんなことされたら、反乱鎮圧後に怒りを糧にして前以上の勢いでコンスタンティノープルに突っ込んで来ると思うけど」
「ご安心を。怒りに燃えて戦列に加わったと同時にあっという間にヴェネチア艦隊を撃破して」
「駄目でしょ」
「すぐに病気になって死んでくれました」
「運も超一流ね……まあ、ここまで生き延びてるだけで運だけは異様にいいか」
「この戦いに協力したヴェネチアにアレクシオスは過剰とも思える特権を与えて報いました。なんと、帝国のいかなる地域においても関税を免除され、自由に交易が出来る権利を与えられたのです」
「関税自主権の放棄じゃないですか。そこまでして彼らの力が必要だったのすか?」
「それだけロベールが強力だったんです。彼らの力がなければ勝てる戦いではなかったでしょう。その割には、あっさり艦隊を蹴散らされているのですが」
「ビザンツならすぐに条約を反故にしそうだけど」
「まあ、こんな特権を与えては国家経済がまずいことになりますからね。後にそれは試みられるのですが、それは少し先なので、ここでは述べません」
「やっぱりやるんだ」
「アレクシオスは怪物ロベールを撃退してすぐにペチェネグ人と対決しました。今回はセルジュークの総督が彼らを誘って、陸海からコンスタンティノープルへと侵攻を開始したのです」
「久々に海と陸から攻撃したのね」
「総督が勝手にそこまでやっていいんですか?」
「セルジューク朝は内部に数々の小王国や数々の王族の作った地方政権の寄り合い所帯のような構造になっていたので、内部はバラバラです。つまり、総督がかなり大きな裁量を振るう機会が多いということでもあります。
スルタンに至っては、三人もいたようです」
「つまり、大きすぎて支配が行き届かないのね」
「さすがにこれはまずいと思った皇帝はペネチェネグとは別口の遊牧民に後方を攻撃させて退け、扇動している総督には別口のライバルをぶつけて、この危機を乗り越えました」
「そんなことばっかりやってるのね。そのおっさん」
「こいつらが自分の力だけで危機を乗り越えたのがだいぶ昔のことのように思えるのだが……」
「昔ですね……いつのころか覚えてませんけど」
「ところでさ、このセルジュークでの内部争いは利用できない? その気になれば一気に小アジアを奪還できるわ」
「ええ、この間にアレクシオスはどうにか戦力を整えて、小アジアに遠征に出るつもりでした。その際の戦力はなるべく多いほうがいいので、そのための傭兵を西欧に求めました。その結果1096年に……」

「HAHAHAHAHAHAHA!!!!!
我が世の春が来たぁっ!!!!!!!!!」
「……言わなくていいわ。皆、分かったから」
「本当は単なる傭兵派遣要請だったんですけどね」
「どこをどう聞き間違えたんです?」
「先の破門合戦を解消して、再びよしみを結びたかったらしいのですが」
「それで十字軍はないだろ」
「まあ、ビザンツから遠い西欧の話をしてたら、いつになっても終わらないので、それくらいにしておきましょう」
「なにこそこそしてるんです? ここから、サラセン人に対する裁きの鉄槌、メギドの火、神罰、第一回十字軍の英雄たちの輝かしい正義の戦いがスタートするんですよ」
「目の色見ました?」
「あれは完全にラリってますね」
「コカインやってもあそこまでは」
「全てはシスの暗黒卿ムハンマドがかつては今より一ナノだけ正しい教えに近かったギリシア人の帝国をぶっ飛ばして、聖地を片っ端から奪い、悪の教えを垂れ流したことからはじまります。
世界を支配してムスリム以外を奴隷にすることを目指していた連中の矛先は我らの西欧にまで及びました。ローマ帝国崩壊の傷跡から立ち直っていない我々に対して火事場泥棒のように殴りこんできて、破壊と略奪を繰り返しました。しかし、悪魔から力をもらっている連中にヨーロッパの聖なる大地に住み着くことは出来ません。
それでも欲望丸出しで乗り込んでくる野盗まがいのサラセン人どもは死ねば神の国にいけるという間違った教えを信じていました。ですが、そんな悪の魂で正しい教えを心に抱いている騎士に勝てる道理などありません。全ての進入を退けて、アラーと呼ばれる存在がサタンの化身であることを証明しました。
こうして神の恩寵と、正しい信仰を抱いた騎士によって守られた西欧は、その魂を異端であるギリシア人どもにも分けあげたいと思い、サラセン人どもの本拠地にして、悪魔の舞い降りた地、中東へと勇敢に旅立っていったのです」
「考えられる限り、最も悪意あるイスラム史ね」
「その割には諸要因を無視して、骨格だけを抜き出せば事実に反していないのが凄いですね」
「どこがだ」
「この我々の心遣いを無視して、異端皇帝アレ・クソオスは第一段階の敬虔なる信者の大群を無慈悲にもなにも与えないでトルコに対する捨石にして、敵の武器を消耗させようとしました」
「なにも与えないどころか、ろくに準備もしないで来たものだから、行く先々で略奪してたじゃないですか」
「DQN、逝ってよしか」
「何しに来たのかよく分からない、民衆十字軍の後で、十字軍の本隊が到着しました」
「第一回十字軍は神へのあまりの熱情ゆえに、一人でも多く異教徒を地獄に叩き落したい一騎当千が集まったために最後まで統一した指揮系統を築くことの出来なかったのが心残りですね。まあ、中には火事場泥棒をやって勢力拡大をしたかっただけの不心得者がいたことを考えれば、その輝かしい成功は神の御心によったものとしか考えられません」
「もう好きにして」
「リーダー格がフランス王の弟レーモン伯爵。スペインのレコンキスタで腕をならした歴戦の勇士です。我がフランスから従軍してきた諸侯を纏めていました。
ついでにロベール・ギスカールの息子ボエモンがいました。不信心な教会の敵の血をひいているだけあって、欲に駆られた異端児です。せいぜい、捨て駒にして利用したいところですね。
そして、最終的にエルサレムを奪還したロレーヌ公爵ゴドブロワ。かつては教皇聖下と敵対している恩知らずの神聖ローマ皇帝につかえていましたが、我らが教皇聖下の言葉に心を揺り動かされて十字軍に参加した信仰の戦士です。なんて素晴らしいことなんでしょう」
「第三回に劣るとはいえ、なかなかに豪華なメンバーじゃない」
「第三回が豪華すぎるだけだと思いますが」
「それより豪華なのはナポレオンを倒すために欧州各国が手を結んだ対仏同盟ですね。当時の欧州の英雄がそろいぶみですから」
「そんなにナポレオンを倒せたのが嬉しいか」
「彼らが聖地エルサレムを奪還するために未知のシリアへと勇敢に旅立つパラディンなのです。一部に神の敵がいるのも事実ですが」
「権謀術数に塗れた欲深どもだと思いますけど」
「それが一番、当てはまるのはコンスタンティノープル宮廷の連中だと思いますよ」
「いきなりやってきたこの大軍団を信用するほど彼らは人間が出来ていません。とはいえ、彼らの力が利用できそうなのも事実なので食糧不足で立ち行かない十字軍に補給を条件に陥落させた都市を全て明け渡すことを要求しました」
「人の弱みに付け込みやがって!!!!!!」
「貴方が言いますか」
「さすがにこの厳しい条件に十字軍は抵抗しましたが、結局、アレクシオスがアンティオキアをくれるのなら、十字軍に参加すると約束したので渋々、認めることにしました。その共同作戦の第一歩が小アジアのニカイア攻略です。
この戦いでビザンツはほとんど何もしませんでしたが、事前の交渉で正面から戦っていた十字軍ではなく、少しはなれたところで策を練っていたアレクシオスがニカイアを己が物としました。さらに期待していた略奪をさせまいと、十字軍をニカイアに入場させませんでした。十字軍は怒りましたが、約束と補給のことを考えるとどうすることも出来ませんでした。
この後も似たような策を続けることによってビザンツ帝国はマンチケルト以来、二十六年ぶりに小アジアを取り戻しました。西側だけですけど」

「さっすが、ビザンツ皇帝。ずる賢い」
「しかし、信仰と知恵を兼ね備えた聖戦士がかのような悪魔の詐術にいつまでも踊らされている道理などありえません!!! 悪知恵に長けた異端者の呪縛から徐々に解き放たれていくのです!!!!」
「まあ、普通に取った領土が片っ端からビザンツ皇帝のものになる、て時点で士気落ちまくるのも当然か」
「そのため、一部の十字軍は分派行動をとってエデッサ伯国を作ったりしています」
「もう分裂してるわね」
「結局ビザンツは十字軍とイスラムが殴り合ってる隙に領土をちまちまと着実に回復していったわけです。聖なる軍を率いた騎士たちの血と汗と涙を利用するだけ利用したんです。
そればかりか、アンティオキアを落としても、異端皇帝はなにもしてくれず、小アジアの旧領奪回にばかり力を注いでいました。ここで、あの異端者にとって、自分たちが便利な道具でしかないことがはっきりと分かったんです。それを強硬に主張したのが、神の敵の息子ボエモンでした。
彼があくまで自分の勢力拡大のためだけに言っているのは間違いなかったのですが、信仰の戦士ゴドブロワはボエモンの野心に怒りを燃やすレーモン伯をなだめて、聖地奪還という聖なる使命を果たすためにボエモンと袂を分かって聖なる行進を再開したのです」
「内部分裂の時間が長かったので、物資が欠乏したので、食人とかしてたんですよね。中東での西欧人の評判は地の底まで落ちたんじゃないですか?」
「異教徒に生存権はありません!!!!」
「断言しやがった」
「ボエモンは父を策略で弄んだビザンツ帝国を憎んでいましたから。アンティオキアと本国の南イタリアでコンスタンティノープルを挟み込むことを計画していました」
「なんで誰も十字軍を倒すために手を結ぼうとしないの。これだけやってたらさすがに周りの連中がどうにかしようと思うでしょ?」
「セルジューク朝はああいう国ですし、他のイスラム国は最近勢力を広げてきたセルジューク朝が弱まることを望んでいました。大体、十字軍をビザンツ皇帝が緩衝国作りに派遣したものだと信じた連中もいたくらいですから、素直に喜んだと思いますよ」
「素晴らしいくらいに嫌われまくってるわね、セルジューク朝」
「不幸は分かち合い、幸福は邪魔しあうものなんです」
「神の奇跡によって、快進撃を続けた聖なる軍はエジプトの異端軍団ファティマ朝も打ち倒し、とうとう聖地エルサレムへと到着したのです。それも当然のごとく、神の奇跡によって1099年7月15日にエルサレムは我々キリスト教徒の手に戻ったのです。
そして」
「世界史で最も輝かしい殺戮劇が開始されたのです!!!!!」
それはうっとりするような光景だった。大勢のサラセン人が首をはねられた……。矢で射抜かれた者、塔から突き落とされた者、何日も拷問を受けたあげく、火炙りにされた者もいた。通りには切断された頭や手足が積み重なっていた。馬に乗って町を歩けば、どこもかしこも人間と馬の死体ばかり。ソロモンの神殿をさまよう馬は、膝まで、いや鞍まで血の海に浸っていた。この地が異教徒の血で覆われることは、正義ともいうべきすばらしい天罰なのである
歴史家であるアグレーのレーモンの言葉
「是非とも現場に居合わせて、異教徒が逃げ惑い、血の海に沈んでいく姿をこの目にしたかったものです」
「社会復帰は無理そうね」
「余剰人口を減らすことに大きな問題はない。問題ない」
「問題ない分けないです」
「もう少し、我々に近い感覚をもっていた同時代人のコメントを紹介します」
肩に十字架の紋章をつけた男たちに比べれば、サラセン人でさえ情け深く親切に思えるね
ビザンツ帝国の歴史家ニケタス・コニアテスの言葉
「同じキリスト教徒からもDQN認定ですか」
「ふん、聖戦観念の薄い異端にはこの正義の行いが理解できないだけです」
「こんなDQNでよく勝てたわね」
「まさに奇跡だと思いますよ。ろくな準備もなしで宗教的情熱と貴族個人の寄進と援助のみでシリアを席巻して、エルサレムを攻略したんですから。こんなこと最盛期のビザンツ帝国でもなければ無理な話です」
「よく分かっているじゃないですか。不信人者のサラセン人どもが分裂していたのも、神が我らに聖地を委ねようとしていた何よりの証です。神は我らの信仰に応えて、この奇跡的な大勝利の場を提供してくれたのです」
「十字軍は神の力で守られている。そうとしか認識できません!!! これが天誅というものです。キリスト教徒に難儀をしいたことに対する神からの裁きです!! 連中の頭蓋骨を粉々に叩き割れ!!! 町を片っ端から打ち壊せ!!! 大地に血潮をまいて不毛にしてやるのだ!!! 最後にムスリムを皆殺しにするんです!!!
HAHAHAHAHAHAHAHA!!! 死んだムスリムだけがいいムスリムだ!!!!」
「想像通りの狂いっぷりね」
「今までので収まったと思っていたのですが」
「病院にいかせろ。心の病院にだ」
「まだ続きがあるそうですよ」
「分裂すれば破滅するという聖書の教えが正しいことが証明されたんです!!! コーラン!!! バグダート!!! カイロ!!! サマルカンド!!! ダマスカス!!! 全て破壊しろ!!! だからシラク!! アラビアに百万発ほど核を叩き込め!!!
ギャハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!! ムスリムがゴミのようだ!!! ムスリムが塵になった!!! 土は土に塵は塵に帰りやがれぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!」
「どうすればいい?」
「知るか」
「埋葬機関の十字軍に関する公式見解、てやつ?」
「非公式機関の公式見解とはなんぞや?」
「けちつけんなよ」
「ああ、うっかり全てのクリスチャンが心に秘めている思いを吐き出してしまいました」
「秘めてねえよ」
「この虐殺破壊活動の果てに建国されたエルサレム王国をビザンツは離れていたこともあって意外とあっさり承知しました。なにより、基本的に仲の悪い十字軍国家とはいえ、彼らを盾にすれば心置きなく軍事活動を展開できるのですから。
この十字軍国家の一つ、アンティオキア公国のボエモンはビザンツ帝国に対立しましたが、トルコをけしかけられて大敗。後にイタリアに渡って、再度のコンスタンティノープル征服を試みましたが、これまでの周囲の混乱をよそに力を蓄えていたアレクシオスに負け、その野望は完全に頓挫してしまいました。
1081年にこの皇帝は死にますが、死にかかっていたビザンツは再び地中海の強国として復活したのです」
「汚い手段ですよ」
「今回ばかりは貴女の意見に同意するわ。こいつもろくなやつじゃないわね」
「この策略好きな皇帝の後を継いだのがヨハネス2世
です。
歴代のビザンツ皇帝最高の名君という評価をされており、同時代人からもコムネノス朝屈指の名君という評価をえています」
「まだ二人しかいないのに、始まって以来の名君も何もないと思うけど。おべっかじゃないの?」
「それは置いて置いて、今回はただでさえ長いので、彼のことは省略します」
「いいのかそれで?」
「彼については長年の敵ペネチェネグ人の脅威を一掃し、小アジアなどで活躍したくらいに思ってくれれば大して問題ありません」
「手抜きですね」
「そしてビザンツ帝国最後の栄光の時代を飾るマヌエル1世
の時代です。父であるヨハネス2世暗殺の疑いもありますが、それはどうでもいいことです。そんなこと言い出したら、歴代ビザンツ皇帝で暗殺の疑いのない男を捜すほうが難しいので」
「ああ、確か無茶やってイタリアを統合した真・ローマ帝国を建国しようとした男ね」
「さすがにそれはやめたほうがいいと思いますが」
「この当時の西欧諸国の力を見くびったからです。戦略眼に欠けていたんですよ」
「確かに、彼はユスティニアヌス大帝に憧れ、その大事業を模倣したいとは考えていたと思いますが、その実はもう少し現実的な方法で帝国の威光を周辺に知らしめるという戦略を有していました。
即ち、国際政治の場に積極的に躍り出て、外交活動を展開するのです。資金提供や、大金で集めた雑多な人種による大軍団を率いて周辺諸国に脅威をちらつかせて、兵力提供を義務付けた属国を増やし、国家間の問題に積極的に介入して問題解決を図ったりもしました。こうして国際社会の頂点に立つというのが彼の基本戦略だったという見方があるんです」
「理解に苦しみますね」
「そこまでして目立ちたい?」
「スーパースターマンですか」
「仮にも世界を支配したローマ皇帝の名にかけて、国際的な舞台で目立てない、というのは耐え難いことなんです」
「プライド高いわね」
「世界帝国を目指さないビザンツはもはやビザンツではなりませんから」
「本当に中華帝国みたいな国ね」
「つまりは見栄っぱりの散財を東地中海レベルで展開してくれるわけですね」
「そんなにはスケールが大きくありませんね」
「中央ユーラシアでは世界史上最大級の電波がゆんゆんしつつありましたしね」
「この当時、最大の電波はイタリアから出てるけどね」
「十字軍は聖なる軍です。断じて電波ではありません」
「あれぇ? 誰も十字軍、なんて言ってないわよ」
「この異教徒が!!!!」
「彼がそれなりに有能な軍人であったことは疑いありません。それは数々の対外戦争で概ね勝利を収めていることからも察せられます。資質だけなら、相当なものがあったのです」
「でも、イタリアの完全制覇なんて、正気とは思えないわ」
「どうやら、彼の事業はイタリア回復を狙ったものではなく、当初はあくまでも第二回十字軍の監視でお留守になっていた帝国の西側を襲ったノルマンへの報復が目的みたいなんです。なにしろ、第二回十字軍もいい感じに通り道のビザンツで略奪してましたからね」
「まったく、自分の勢力拡大のために神の御心をないがしろにするとは、さすがは異端です。ノルマン人の侵攻がその不信心にたいする大いなる戒めなのです。ここで彼らも悔い改めて、聖なる行いに参加していれば、違った運命が待っていたかもしれませんね」
「そのノルマン人もいい感じにスルーしませんでした?」
「そういえば、第二回十字軍は十字軍史上、最も効果のない十字軍なのよね」
「何言ってるんです。貴女のところも仲良く参加して、仲良く失敗したじゃないですか」
「どいつもこいつも、自分の都合で動いていたのが最大の原因だな」
「利用するだけ利用したギリシア人は勝ち組ということで」
「当時は私もスルーしましたね」
「ライミーは第三回で何年も突撃して、尊厳王にメタクソにやれればいいんです。自称ローマ人は第四回でコンスタンティノープルを失えばいいんです。
最後に勝つのは神の加護を得たフランスなのは決定事項なんです。いいから認めろ」
「罵詈雑言が飛び交うのを見るのはそれなりに楽しいですが、長くなりそうなので、続きはまた今度にしてください」
「マヌエルはノルマンを倒すために十字軍を失敗した神聖ローマ皇帝と手を結び、ともに戦おうとしたのですが、その矢先に神聖ローマ皇帝が急死して、新たに即位した赤髭ことフリードリヒ1世は真のローマ皇帝を目指している人物で、目立ちたがり屋のローマ皇帝マヌエルと上手くいく道理がありません。
それで、ノルマンへの攻撃は一時お流れになってしまいました」
「バルバロッサはそういう人だもんね」
「しかし、マヌエルは周辺が静まったころに教皇庁をはじめ、各方面へ協力をとりつけるための工作を行い、例の計画を実行しました。帝国はそれほど多くの兵力を動員していないことから、当初は南イタリア制覇など考えてもいなかったと思われるのですが、予想よりもはるかに戦いが都合よく推移したことから、南イタリア制覇に目的を変えてしまったんです」
「途中で欲が出たということですか?」
「おかげで、面目は保たれたものの、危惧されていたフリードリヒ1世が介入すると思えば、敵であったはずのノルマンがこちらに寝返るなどで泥沼化して話がややこしくなってしまいました。まあ、当初の目的は果たせましたし、ドイツの変わりにノルマンの好意をえられたのですから、取り立てていうようなことはなにもないのですが」
「やっぱりなんのために戦ったのか分からないわね」
「このイタリアでの戦いはビザンツにとってさほどの痛手ではありません。まあ、資金を使いすぎたことを考えなければですが。
現にこれまで通り、東方世界では優位を保ち続け、この後のキリキア・シリア遠征ではほぼ圧勝していますし、ヴェネチア艦隊も蹴散らしています」
「なんで? ヴェネチアとは仲がよくなかった?」
「理由はよく分かりませんが、マヌエルは綿密な計画で帝国に住んでいたヴェネチア人を一斉に逮捕し、国外追放としました。
アレクシオスが大盤振る舞いしすぎたせいで、ビザンツがヴェネチアに敵意をもっていたのはまちがいなかったようです。それに加えて、フリードリヒ1世との関係が改善されかけたから、もうヴェネチアはいらくなったとか色々と言われています。少なくとも、イタリアでの戦いでヴェネチアはビザンツへの協力を拒んでいるので、両者のなかが冷え切っていたのは間違いないのでしょう」
「前に言ってた条約反故はこのことだったのですね」
「まあ、フリードリヒとの仲はこれからも順調に悪くなり続けますし、ヴェネチアがノルマンと手を結ぼうとしたので、特権を回復させたんですけどね」
「外交が上手いんだか下手なんだか」
「自分から仕掛ける分にはともかく、敵から仕掛けられるのには手痛い打撃をうけるタイプか。政治は70台で十分ね」
「いずれにしても、当時のビザンツはまだまだ強国で、イタリアでの失敗くらいはそれほどの問題ではないのは全くの嘘ではないのです」
「あれだけの混乱を迎えていたくせに思ったよりも強固な国ね」
「1176年のミュリオケファロンの戦いでは大規模な兵力を投入したというのにトルコに敗退してしまいますが、帝国はそれほど大きなダメージは受けていません。
現に、敗戦時に締結した条約の不履行に怒ったトルコのスルタンの攻撃を退けています」
「契約不履行ですか。また感心しないことを」
「それほど大きな失敗でもないのね」
「ただ、彼の統治は明らかに失敗しています。彼の国際社会に対するローマ帝国ここにあり、というスローガンは成功する可能性は低くなかったと思うのですが、どうも彼は敵を作りすぎました。
イタリアではヴェネチアのみならず、神聖ローマを。さらには小アジアではそれまで良好であったトルコを敵に回してしまったのは、明らかな失敗でした。彼は軍事財政上より、外交上の失敗のほうが響いていると思われます。経済政策もプロノイア制を推し進めすぎて貴族の領地ばかり拡大してしまったので、あまり感心できないんですけどね。
1180年、マヌエル1世は死にました。これでビザンツ帝国最後の華々しい時代も終了します。これ以降も腹黒い皇帝は結構あらわれますが、対外的に華々しい皇帝は全く出てきません。ミカエル8世は対外的に華々しいといえないこともありませんが。
さて、あれだけのショックを受けてもマヌエルはトルコを正教に染めようとしたり、フランス王家との縁組であくまでも世界に冠たるローマ帝国というイメージ作りには余念がありませんでした」
「本気で懲りないわね」
「他にもそろそろ死期を悟ったのか、後継者である息子のために、これまで敵対して各国の宮廷を渡り歩いていた従兄弟のアンドロニコスを連れ戻して息子に忠誠を誓わせました」
「そんなの信用できるの? 老いて判断力が鈍ったんじゃない。元からあんまり優れてない、て説もあるけど」
「昔は親友だったそうですから、少しだけ期待したのかもしれません」
「肉親だろうがなんだろうが、平気で裏切るのしかいないのになにを考えるんだか」
「全力で宮殿には住みたくない国ですね」
「次回は第一回コンスタンティノープル陥落からミカエル8世の台頭までを扱います」
「いよいよ大詰めですね」
「また、次回は劇の配役発表もあるので、そちらのもほうも楽しみにしてください」