ヨルダン旅行記

9日目 ボスラ、ジェラシュを経てアンマンへ

 8時シャームパレスホテルを出発、ゴラン高原へ向かう。しばらく走るとコナイトウの町を通過した。ここは1973年にシリア領になったが、イスラエル軍によって破壊され今は住んでいる人が少ない。30分ほどでコーカブの丘に到着した。ここは、かってキリスト教徒を迫害しに来たユダヤ教徒のサウロ(後の聖パウロ)が、強い光によって目が見えなくなり落馬した丘である。この丘には1965年に建てられた教会がある。

 
教会                  礼拝堂

 コーカブの丘のからは、コナイトウの人たちが移住してきた町が見える。このあたりは蝿が多く、追っても追っても顔にとまって気になってしようがない。


コナイトウから移住してきた人の町

 小麦畑、ブドウ畑、オリーブ畑などが続く道を通って10時20分ボスラに到着した。ボスラはナバテア人が造った町で、後にローマの支配下に入り、多数の神殿が造られた。ビザンチン時代にはアヤソフィア寺院のモデルになった聖ギルギオス教会が造られたが527年の大地震で崩壊した。その後も巡礼路として発展してきたが、相次ぐ地震とモンゴルの攻撃で衰退した。

 ボスラにはAD2世紀に造られたローマ劇場がほほ完全な形で残っている。観客席は上部5列、中部18列、下部5列の合計37列あり全体で6万人も収容できた。オーケストラの周囲には柵を巡らせた穴の跡があり、音楽以外に人間と動物との戦いも行われていた。出入り口がたくさんあり、すべての観客が5分で外に出られたという。ここは2年に1回行われるフェスティバルの会場になっている。

 
ローマ劇場           通路

 円形劇場の外側には十字軍と戦うために12世紀に砦が築かれ、この砦のために劇場が原型を保たれたという。 


 1時間ほどしてボスラを出発、30分ほど走るとダラに到着した。ダラはヨルダンとの国境の町で人口は10万人である。ここでガイドのニダルさんと別れゲートの前で出国の手続きが終わるのをバスの中で待ち、次いで緩衝地帯を通過してヨルダンの入国手続きが終わるのを待つ。今回も1時間ほどで手続きが終わり、13時20分ガイドのジャミールさんとともに出発する。手続きを待つ間にトイレへ行くためバスから降りたら猛烈に暑くヨルダンに来たという実感が湧いた。


ヨルダン国境ゲート

 30分ほど走った後、レストラン「グリーンバレー」で昼食をとる。 


グリーンバレー

 店の入り口近くでナンを焼いていて、食事の初めに焼きたての暖かいナンをちぎって食べる。ほどよい塩味で胡麻がのっていてなかなかおいしかったが、あとの食事に差し支えが出るので控え目にしておいた。

 
ナンの釜                焼きたてのナン

 店の入り口に水タバコが置いてあった。上の皿の中心にある穴にタバコを載せて火を点け、底から出ているチューブをくわえて煙を吸いこむ。タバコにはフルーツの香りが染み込ませてあって、いろいろのフルーツの香りを楽しむことができる。1回の使用量は3ドルだった。


水タバコ

 15時15分ジェラシ遺跡に到着し、猛烈に暑い中を歩く。ジェラシはBC335年アレキサンダー大王の時代に栄え、BC63年ポンペイウスによりローマ化、AD4世紀にはビザンチンの時代になり多数の教会が造られた。AD7せいきからイスラムの支配下に入るが749年の大地震によって崩壊した。1806年ドイツにより発掘作業が始まり、1920年ヨルダン政府による本格的な発掘が始まった。
 バスを降りると修復工事中の門があった。AD130年に造られたハドリアヌス門である。門からは広い道が続いており、左手には5000人収容できる競技場の跡がある。


ハドリアヌス門

 競技場を通り過ぎると南門に出る。ハドリアヌス門と同じ構造で周囲の壁は3.5km続いている。


南門

 南門をくぐり先に進むとイオニア式の列柱に囲まれたフォーラムと呼ばれる丸い広場に出た。

 
フォーラム               イオニア式列柱

 フォーラムの左手には南の劇場がある。この劇場はAD1世紀に造られディオニソス神を祀っている。
 


南の劇場

 各座席には番号が刻んであり、最下段の座席の下には反響を良くするため穴が開いている。

 
座席番号          音響効果用の穴

 次いでアルテミス神殿に行く。

 
アルテミス神殿の門        アルテミス神殿内部

 神殿の脇には13mの大理石の柱が立っている。ジャミールさんが柱の根元にナイフを差し込んだのを見ると柄がゆっくりと上下している。柱が揺れているのだ。隙間に指を差し込むと指先に加わる圧力が大きくなったり小さくなったりして揺れを実感できる。

 
アルテミス神殿の列柱             揺れる柱

 神殿の前には階段があり、7段ずつ区切られている。当時から7は良い数なのだ。


神殿前の階段

 階段を下りたところには泉の神殿がある。

 
泉の神殿             泉

 泉からこぼれ出た水は淵にあるライオンの口から流れ出て、魚の彫刻が彫られた水受けに落ち込んで水路に入り下流の町に流れていく。

  
ライオンの口         水受け

 泉の傍に市場の跡がある。奥の方に羊が彫刻された石が立っていて、そばには刀の傷跡のたくさんある厚い石盤がある。この石盤が石の上に載っていてこの上で動物の肉を切っていたのだ。

 
市場跡               肉屋跡

 神殿の前の通りはカルドと呼ばれ、北と南を結ぶメインストリートである。重要な建物のあるところは列柱が高くなっていてその場所がわかるようになっている。カルドは敷石で覆われており、馬車の轍の跡やマンホールが見られる。カルドはデキマと呼ばれる東西の道と交差し、交差点には四面門があった。赤ちゃんを連れた若い夫婦が通っていった。女性は真っ黒な服で身を包んでいた。半袖でも熱いのに女性は大変だ。

 
カルド           若い夫婦

 16時50分ジェラシ発、50分ほどでアンマンに到着した。アンマンはヨルダンの首都で人口は約1000万人ある。この都市はBC1200年に造られ、ギリシャ・ローマ時代にはフィラデルフィアと呼ばれていたが、7世紀にイスラムの支配下になったときからアンマンと呼ばれるようになった。
 片側4車線もある広い道を通り、17時35分、インターコンチネンタルホテルに到着した。


インターコンチネンタルホテル

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