シリア旅行記
6日目 アレッポ、ハマ観光後パルミラへ
夕べ食べ過ぎたので今日も朝食前にウォーキングをした。ホテルの周りの道を1周すると7分半ほどだったので6周ほどして引き上げる。全部で7km足らずだから400カロリーくらいしか消費していないが、これだけでもしないよりましだし、後で体の調子が良いのがありがたい。
9時ホテル発、まず近くにある国立博物館を見学する。この博物館はシリアで2番目に大きな博物館で、正面にはた3神の像が並んでいる。これらの像はトルコとの国境近くのテルハラフにあるBC9世紀の遺跡から出土したもので、中央の神はゼウスと同格のハダト神でシンボルの牛の上に立っている。向かって右は豊穣の女神アシュタルでライオンの上に立っている。左側は不明だが力のある神と考えられている。ここにあるのはレプリカでオリジナルは20世紀の初頭にドイツに持っていかれたが、アメリカの爆撃を受けて破壊されてしまった。
国立博物館 3神の像
中に入ると東大の調査隊が見つけたネアンデルタール人の子供の全身骨格がまず目に付いた。ここにあるのはレプリカでオリジナルは東京にある。
各地のテル(小さな丘)で発見された土器や女神の像が並んでいたが、靴を作るための足型が置いてあったのには感心した。
アガサ・クリスティの2番目の夫のマックス・マラワンが発見したBC3000年頃の金銀の装飾品、花の模様のついたイシタル神の像、印鑑、悪霊を防ぐ動物のお守目を強調した人の像などが並んでいた。アガサ・クリスティの名を持ち出さなくても通用する一流の考古学者だ。
マリ遺跡からの発掘品がも並んでいた。粘土板に小さな文字が刻まれたマリ文書やひげを伸ばした王の黒い像が目を引いた。5000年前の王が食べるパンの焼き型があり、できあがったパンは見事な彫刻のようだ。発掘品の大半はフランスの発掘隊に持ち去られルーブル美術館に展示されている。
ほかにハマ遺跡のバール神の宮殿から見つかったBC400から300頃の青銅器文明後期の青銅の人像、テルハラフで発掘された賽銭箱を持つ神々の像やライオンの像、ウガリットデ発掘された青銅の人像や粘土板などがあった。
1964年〜74年にかけて発見されたBC2400から2250年のエブラ文書が展示されていた。文字の書かれた粘土板は1700枚あり、バビロニアにより宮殿に火をつられたので粘土が固まりよい状態で保存されたのは皮肉だ。
10時50分博物館を出発、道路は黄色いタクシーで溢れている。多分走っている車の半分以上がタクシーだろう。乗用車には200%の関税がかかるので一般の市民には手が出ないのだ。途中古い3階建てのホテルがあった。アガサ・クリスティーの夫のが滞在したホテルだという。
アガサ・クリスティの夫が泊まっていたホテル
20分ほどでアレッポ城に到着した。この城は海抜440mの丘の上に建てられていたハダト神の神殿がローマ時代に要塞にされ、12世紀にサラディーンの子ガーズィーによって周囲に堀が巡らされて現在の形になった。
唯一の入り口である正面の橋は馬が歩きやすいように段差が小さく造ってある。正面の建物は高さが34mあり、上の階には謁見の間がある。入り口の上にはハザト神のシンボルである蛇が彫られている。
入り口の橋 蛇の彫刻
城門から城の中に入るまでに扉が5つあり、最後の扉の脇には2頭のライオンの像があって、そばに「この扉を出るときは笑って出るか泣いて出るか」と書かれている。
笑うライオンと泣くくライオン
まず雨水の貯水槽を見た。壁の上の方には水の跡がついている。貯水槽の奥には地下牢がある。天井から床まで10m近くあるがこの天井に開けられた穴から突き落とすのだから只ではすまない。
地下牢
屋上では修復作業が続いていた。修復前は瓦礫の山だが、修復が終わったところはきれいになりすぎて歴史を感じさせなくなってしまっている。数十年経てばなじんでくるからよいという考えなのだろうか。屋上の一角に劇場があった。あまりにも現代風なのでおかしいと思っていたら、遺跡ではなく催し物をするために造ったのだという。
屋上 劇場
オスマントルコ時代の兵舎があり、屋上に登ってアレッポ市内を眺める。さすがにシリア第4の都市だけあってこれまでの町より整然としている。
アレッポ市街
最上階に宮殿があった。この宮殿は25年前に作り直されていて、政府関係の会合に使われている。中には大きな謁見の間があり壁や天井には手の込んだ装飾が施されている。床は大理石で覆われているが、この大理石は商人の家から持ってきたという。
宮殿入り口 謁見の間の天井
ステンドグラス 鴨居の彫刻
大広間にある秘密の通路を通って外に出る。12時20分発、今度は近くにあるアル・ハラウィア・メドレッセへ行く。この建物は6世紀に造られたビザンチンの大聖堂が12世紀にモスクに改造されたもので神学を学ぶ場として用いられてきた。10世紀に造られた高さ45mのミナレットがある。
門をくぐって中庭に出ると水場で男たちが身を清めていた。礼拝をしている最中なのでしばらく隣の建物で待つ。ここには12世紀に造られた木製の精巧なミヒラブが置かれていた。サラディーンが作らせた2つ目のミヒラブで、1つ目のものは壊されてしまったという。
12時45分に礼拝が終わり靴を脱いで中に入る。中は絨毯が敷き詰められており,南側にはメッカの方向を示すミヒラブがある。西側に窪みがあるが、ここは教会だったとき聖人へレナを祀る礼拝堂だった。このモスクからは十字架が2つ見つかっている。
身を清める参拝者 礼拝堂
13時発、10分ほど走ってからバスを降り、細い路地に入っていくと奥に時代を感じさせる石灰石造りの立派な建物があった。ジャスミンハウスというレストランで、昔の商人の家をそのまま使っている。メニューは前菜とヨーグルトのかかっているチキンライスであった。
ジャスミンハウス チキンライス
14時20分発、1時間半ほど走るとハマに到着した。ハマはシリア第4の都市で人口は13万人である。1979年から1982年にかけてイスラム原理主義者と政府の戦いがあったが、政府軍が勝って今は落ち着いている。
この町にはオロンテス川にかかる大きな水車がある。川の水面が町より低かったので汲み上げるために14世紀に造られたのである。基本はギリシャ・ローマ様式で1年に1回修理されている。以前は32あったが今は16に減っている。近づくと直径20mもある水車が今にも止まりそうなほどゆっくりと回っていて、汲み上げた水のしぶきが日光に当たって虹ができている。軸がきしんで重低音を出し、水車の回転速度によって音程が変化して心がリラックスしてくる。
ハマの水車
20分ほど休憩してから出発する。綿花、ピスタチオ、オリーブ、アーモンドの畑が次々見える。右手に火力発電所が見えてきた。シリアは以前は水力発電だけで足りていたのだが、近頃は足りなくなり、天然ガスや石油が見つかったので今は火力発電に切り替えて余った電力をシリアやサウジアラビアに輸出している。
やがて道は砂漠の中に入る。地元の人は冬になると雨が降って草が生えるので砂漠ではなくステップだと言っているという。左手に土の家が見えてきた。1戸100ドルで造ることができ、夏涼しく冬暖かいので今でもこの家で生活している人がいるという。
土の家
砂漠の中に小さな土の山がつながっていることがあるが、リン鉱石の採掘をしているのだという。リン鉱石はシリアの重要な輸出物で日本にも輸出されている。
リン鉱石の採掘跡
オレンジ色の小さなプレートがところどころ見えるが、イラクから地中海まで石油を運ぶパイプラインの位置を示す標識だという。ただしパイプラインは今使われていない。白いプレートもあるが、これはシリア東部から地中海までのシリアのパイプラインである。
18時30分、パルミラ遺跡のすぐ近くにあるシャーム・パレスに到着した。ロビーに入るとロビーの両端に大きな鏡が向かい合わせに張られていてまるで列柱の通りがずっと続いているように見える。
パルミラ・シャーム・パレス ロビー
食事の前に急いで風呂に入ったら水が赤い。流し続けたら澄んでくるだろうと思ったがいつまでたっても赤い。地下水に鉄分が多いのだろう。夕食後に洗濯をしたら蛇口の下にあったきれが赤く染まってとれなくなってしまった。水を貯めておいてから洗濯物を入れるべきであった。