レバノン旅行記

3日目 クサラ、バールベック、アンジャル観光

 今日はレバノン山脈を越えてバールベック遺跡とアンジャル遺跡を観光する。8時メリディアンホテル発、市内を10分ほど走ると右手に高い塔が現れた。フランスの建築家アマル・フェルモンドが作った内戦終結のモニュメントで塔の中には実際に使われたソ連製の戦車が埋めこまれている。記念碑の前には17世紀にレバノンを統治したサファー・ディーレの騎馬像がある。ブラジルにいるレバノン移民が建てたという。現在のレバノンの人口は約300万人だが、ブラジルには約700万人ものレバノン人がいる。

 
戦争終結記念碑              サファー・ディーレ像

 ベイルートとダマスカスを結ぶ国際通りを通ってレバノン山脈の中の道を進む。20分ほど走ると右手に新しい橋が見えてきた。今年の夏に完成したアラブ橋で、この橋に続く道は中東5カ国(シリア、ヨルダン、レバノン、イラク、サウジアラビア)を結んでいる。ベイルート、ダマスカス間はこれまで3時間かかっていたが、この橋ができたお陰で1時間で行けるようになった。
 さらに10分ほど走ると峠に出た。海抜が1500mあり、国際通りなので大型車はここで厳しい検査を受ける。この峠を越えるとベッカー高原に出る。ベッカー高原はレバノンで一番肥沃な土地で、小麦、大麦、ジャガイモ、ブドウなどが栽培されており、ワイナリーが6つある。以前はハシシも作られていたが今は医療用のみが作られている。放牧も行われており、肉はアフリカ、中近東へ輸出されている。
 峠を越えて10分ほど走るとシュトラーサの町に出た。ここはベイルートとダマスカスの中間地点で、この町はおいしい乳製品の産地として知られている。

 9時20分クサラの町に到着した。ここで1857年に創設されたワイン工場を見学する。この工場は1974まで教会の所有であったが、ヨハネ・パウロ2世にワイン造りを禁止され民間会社に買い取られたものである。


ワイン工場

 中に入るとレトロなワインの樽やブドウ絞り機などが展示されていて歴史の古さを感じさせられる。ここでワイン造りのビデオを見た後、数種のワインを試飲させてもらった。

 
ワイン樽         ブドウ絞り機

 工場の裏には全長2kmの洞窟がある。かってクサラが寒村だった頃、農家の鶏がいなくなるので調べたところ狐が襲っていることがわかり、狐の巣を探しているときにこの洞窟が見つかった。洞窟内は温度が13度から18度に保たれ、湿度も一定なのでワインの貯蔵所に利用されていて、フランスのボルドー産の樽につめられたワインが400樽、ビン入りのワインが100万本貯蔵されている。教会の所有物だったころのワインも保管されており、1913年から1916年の樽入りのワインや1918年の瓶詰めのワイン、1940年のコニャックなど非常に古い酒が残っている。


洞窟のワイン貯蔵庫

 10時10分発、右手にアンチレバノン山脈を見ながらベッカー高原を走る。アンチレバノン山脈は冬になると雪で覆われるため、古くは白を意味するルボンと呼ばれ、聖書にも64回出てくるという。白い食べ物であるヨーグルトはラバン、チーズはラビネと呼ばれるがこれらはルバンから出た言葉だという。

 10時40分バールベックの町に入る。バールとはフェニキアの神バールを指し、ベックとは場所の意味である。バールはギリシャ時代になると太陽神に代わり、ローマ時代にはローマの力を周辺国に誇示するため多数の神殿が造られた。
 町の中を5分ほど走ると石切り場の跡に出た。ここには幅4.5m、高さ4.3m、長さ21.4mの巨大な石灰岩の石が横たわっていて、大地からまさに出ようとしているように見えるので誕生岩と呼ばれている。重さは1000トンを超えているだろうが、動力を使えなかった昔の人が砂地の上でこのような重い石をどうやって運んだのだろうか。


誕生岩

 石切り場を出発しバールベックの神殿の遺跡に向かう。この神殿はベッカー高原で一番高い海抜1100mの所に造られているが、フェニキア人は高い所に神がいると考えてここに神殿を造ったのである。
 10分ほど走るとバールベックの神殿の前に出た。中に入る前に入り口の手前でバスを降りて外側から写真をとる。

 
バールベック遺跡

 バールベックの遺跡にはゼウス(ジュピター)神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿の3つの神殿があり、ビーナス神殿は道路を隔てた場所にある。目下発掘調査中で、この場所は19世紀までは聖バルバラ教会として使われていた。

 
ビーナス神殿跡          神殿復元図

 ゼウス神殿の入り口には長い階段がある。オリジナルの階段の石はアラブが砦に使用するため持ち去ってしまい、今ある階段は修復工事のため造られたものである。階段の上にはカラカラ帝の時代にエジプトから運んできた花崗岩で造られた柱が立っている。当初は12本の柱があったが今は7本が残っている。オリジナルの階段はこの柱の列の端から端まであったという。 


入り口の階段

 階段を登ると6角形の前庭に出た。庭の直径は62mある。前庭を造ることはフェニキヤ時代の神殿の様式でレバノンにしかない。6角形の各辺の壁には空、地、太陽、月、火、水を司る6神が安置され、参拝者はここで瞑想してから祭壇に向かった。

 
6角形の前庭入り口付近               前庭の壁

 前庭の先には大小2つの祭壇のある大庭園と呼ばれる広場がある。


大庭園

 大庭園は列柱で囲まれていたが、今は一部しか残っていない。柱頭には手の込んだ彫刻が施されている。

 
列柱              柱頭の飾り

 大きい祭壇は参拝者が、小さい祭壇は祭司が用いていた。

 
大きい祭壇              小さい祭壇

 大きい祭壇にはビーナスのシンボルである貝の形の天井のある窪みがあり、ここに神々が安置されていた。

  
窪み              窪みの天井 

 祭壇の左右には清めの泉がある。泉はゼウスと牡牛の像が彫られた石で囲われている。中には作りかけの像もある。

 
ジュピターと牡牛の像        作りかけの像

 大庭園に続く階段を登るとゼウス神殿に出る。この神殿は参拝者は祭りの日にしか来れなかった。当初長さ22m太さ2.2mの大理石の柱が54本立っていたが地震で倒れ、今は6本しか残っていない。

 
ゼウス神殿の列柱         柱頭の飾り

 22mの柱は3本の柱を積み重ねてあり、つなぎ目には3つの穴が空けられていて、ここに焼いた鉄棒を入れて押し付けて接合した。3は父、母、子を意味している。柱は角柱の状態で運んできて柱を立てる場所で削って円柱にし、柱頭の飾りは柱を立ててから上に登って彫っていたという。角柱の石を運ぶときは両端に丸い木の枠をつけ転がし、角柱を立てるときは滑車とロープを使っていたが、ロープの材料については謎だという。

  
落下した屋根の水落とし            接続用の穴

 ゼウス神殿の脇にはバッカス神殿がある。小さ目の神殿なので地震に耐えて原型に近い状態で残っているが、内部は空で像などは残っていない。屋根は残っていないがレバノン杉で造られていたという。内側の壁には神殿の発掘を決めたドイツのウィリアム2世の名を刻んだドイツ語とアラビア語のプレートが貼り付けられている。

 
バッカス神殿              神殿内部

ウィリアム2世のプレート

 神殿入り口の柱には酔った人のレリーフがあり、周りにブドウが描かれていることからこの神殿がバッカス神殿であることがわかったという。もう1本の柱にはブドウ、ザクロ、麦などのレリーフがある。柱に刻まれた落書きの位置から発掘前は地面が高いところにあったことがわかる。

   
酔った人の像            植物の像

 入り口の天井にはローマの象徴である鷲とヘルメスが彫られている。

 
鷲                 ヘルメス

 神殿の右側の壁と列柱の間の天井にはローマ時代の有名人の像がある。下には地震で落ちた女性の像があったが、蛇を持っていることからこの女性はクレオパトラで、女性の下に見える波の形はナイル川を表すと考えられている。

   
有名人像                クレオパトラ像

 遺跡の中に博物館もあり、出土品や写真が展示されていた。ここから出口に向かって歩いていくと途中に民家の壁にあったモザイクが展示されていた。相当裕福な人だったのだろう。

 
博物館内部        民家のモザイク

 13時20分発、10分ほど走ってサンパレスレストランで昼食をとる。ここも野菜盛りだくさんの前菜が出てメインディッシュは鱒であった。前菜に白い丸こいものがあったので食べてみた。柔らかくてなんの材料だかわからなかったが、後でメッサと呼ばれる羊の子宮だと聞かされてびっくりした。

 
前菜                メインディッシュ

 料理の支度が遅く、時間がないのに食事に1時間半もかかってしまった。レバノンの人は普通3時間もかけて昼食をとるというからこれでも速い方なのだという。

 15時発、35分ほどでアンジャルの遺跡に到着した。この遺跡はウマイヤ朝の夏の宮殿の跡でワリード2世の命により建設された。当時この地は交易で栄えていて、泉があったことから選ばれたという。建物は地震に耐えられるよう四角い石と平たい石を交互に積み重ねて造ってある。
 街並みはローマ風だが、所々にアラブ様式がある。中央にカルドと呼ばれるメインストリートがあり、道の両側には600の店が並んでいたという。カルドの中央付近に交差点があった。交差点の4つの角には四面門と呼ばれる4本の柱を組み合わせた門が立っていて、そのうちの1組が復元されていた。

  
カルド             四面門

 四面門のそばにはモスクの跡があった。入り口の門にはこの遺跡独特のアーチがついている。モスクの裏にはカリフの宮殿がある。この遺跡はイギリスの調査隊が復元したものであるが作業が雑で宮殿の南の壁と西の壁とで床の高さが2mくらいくい違っている。

 
モスクの門              カリフの宮殿

 モスク跡と道路を挟んで女の宮殿の跡がある。ここには女性以外に男の子供も母親と一緒に住んでいたが12歳になると出ていかなければならなかった。


女の宮殿跡

 北の城門近くには共同浴場の跡がある。モザイクが残っているが顔の部分が削り取られていた。

 
浴場跡               モザイク

 16時25分発、再びレバノン山脈を越えてベイルートに戻り、市内をバスで巡る。道端には内戦時の銃弾で破壊されたままになっている家が目に付く。内戦時には一般の住民は地下にシェルターを造って戦闘が始まると逃げ込んでいたという。 


破壊された住宅

 17時30分、1975年に内戦が最初に始まったダウンタウンのマルティ広場に出た。ここは内戦前にはベイルートの中心地で劇場などが並んでいたがすべて破壊されてしまい空き地が広がっていて、民間企業のソリダー社によって修復工事が行われている。この広場からはマロン派の教会、ギリシャ正教の教会、2つのモスクが見えるがいずれも内戦の被害を受けている。
 このあと修復工事が終わって最近オープンしたブティックやレストラン街を歩く。道には屋外レストランが並んでいて若い人たちで賑わっている。 

 
路上レストラン           水タバコを吸う女性

 街路灯にはアラビアの刀がデザインされていた。


刀をデザインした街路灯

 時計塔のある「星の広場」に出ると、広場に面してこじんまりした国会議事堂があり、ライトアップされていた。門にはレバノンのシンボル、レバノン杉の紋章が輝いている。国会議事堂の脇を通り抜けると銀行街に出た。この通りは内戦の被害を受けていないが、銀行が裏金を出して破壊を免れたという。

 
国会議事堂          レバノン杉の紋章

 銀行街の隣の通りにはローマ浴場の遺跡がある。遺跡の近くで挙式したばかりのカップルが記念写真を撮っていた。今日はテープで飾った乗用車を何度も見た。レバノンは50%がキリスト教徒なので日曜日に結婚式が多いのだろう。ビデオカメラマンが我々を見て来い来いと手招きするので近くに行って写真を撮らせてもらう。私のビデオカメラと同じソニーのVX2000を使っていて日本での値段を聞かれたので3000ドルくらいだったと言うと同じだといって納得して去っていった。カメラなどの海外での値段は日本の安売り店の値段とあまり変わらないようだ。

 
ローマ浴場の遺跡            挙式したてのカップル

 18時50分、ホテル・メリディアンに到着した。今日もたくさんの観光をして疲れた。夕食はホテルのレストランでとる。メニューはサラダとポテトのついたチキンだった。

 
サラダ              メインディッシュ 


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