レバノン旅行記

2日目 シドン、ティルス、ベイルート観光
 

 ガイドのクリスティーヌさんに迎えられてバスに乗り込む。車体は大きいが後部にサロンがついているので座席数は多くない。空港の写真を撮っていて乗り込むのが遅れたら座る席がなくなってしまったのでサロンに座る。左右、後方と3方向が見渡せるので初めのうちは良い気持ちでいたが、カーブで横に振られるのでじきに気分が悪くなってきた。
 バスはしばらく海岸沿いに走るが埋め立て工事中の所が多く眺めは良くない。市内に入ると10階前後の集合住宅が密集していてこれまた眺めが悪い。

 
海岸沿いの通り         市街地

 15分ほど走ってビクトリアホテルで下車しホテルのレストランで朝食をとる。ビュッフェ式だったが品目が少なく特に肉類がなくて、これなら肥らずに帰国できるといった感じの簡素な食事であった。
 食後出発の時間までホテルの付近を散歩する。道端に八百屋が店を出していて大きなトマトやナスを売っていた。秤に天秤が使われていたのが珍しかった。 

 
ビクトリアホテル        大きな天秤

 8時45分発、ハムラ地区のメインストリート、ハムラ通りを抜けて海岸通り(コルニーシェ)に出る。少し走ると沖合いに大きな岩が2つ見えてきた。ベイルートのシンボル「鳩の岩」だ。岩の形が鳩に似ているからこの名が付いたという説もあるが、どう見ても鳩には見えない。以前ここから伝書鳩のレースが行われていたのでこの名が付いたという説が正しいのだろう。今はスキューバダイビングの名所であるが、自殺者も多いという。展望台の周りにはレストランが並び、観光客目当てにパン屋が店を出していた。大きな丸いパンで、持ちやすいように端の方に穴が開いていている。

 
鳩の岩          パン屋

  さらに30分ほど海岸沿いに南に走るとシドンに到着した。シドンはギリシャ語で魚という意味で、アラビア語の魚の意味のサイダとも呼ばれている。フェニキア時代から続くヨルダン第3の都市で、現在人口25万人、イスラム教徒の多い町である。
 まず、海の中に造られた砦を見学する。12世紀に十字軍によって造られた砦でレバノンには十字軍の砦が40kmおきに散らばっている。砦には左右2つの塔があったが、右側の塔は破壊されてしまっている。城壁には丸い石が挟まれているが、ローマ遺跡の大理石の柱を輪切りにして使っている。

 
十字軍の砦             城壁

 門のアーチの上には十字軍のシンボルライオンの像が飾られていたが、頭が欠けてしまっている。


ライオンの像

 塔の上からシドンの市街が一望できる。向かって右側は旧市街でモスク、キャラバンサライ(隊商宿)、スーク(市場)などがあり、向かって左側は新市街で高層ビルが立ち並んでいる。旧市街の港はフェニキア時代から使われてきたという。

 
旧市街           新市街

 このあと18世紀から続いているスーク(市場)に向かう。途中魚市場があった。日本では見かけない魚がたくさん並んでいた。


魚市場

 スークはあまり古さが感じられなかった。ベイルートでは髪の毛を隠している女性は少なかったが、この町では大部分の女性が頭にショールを巻いて髪を隠し、長いスカートやコートを着ていて身体の線が出ないようにしている。

 
スーク          身を包んだ女性

 このスークにはおいしいケーキ屋があってクリスティーナさんが買ってくれた。甘い甘い菓子であった。


ケーキ屋

 次いで17世紀に造られたキャラバンサライに行く。入り口をくぐると正方形の広い中庭があり、周りを2階建ての石造りの建物が取り囲んでいた。


キャラバンサライ 

 1階の部屋は動物を入れる部屋で、馬やラクダを繋ぐ穴のついた柱や水飲み場があった。


1階の部屋
 
動物を繋ぐ柱           水飲み場

 この部屋は資料室になっていた。シドンの空中写真には先程見学した十字軍の砦が右下の海の中に見える。

 1階にトイレと浴室の跡があった。便器の形は現在の洋式便器とあまり変わらない。

 
トイレと浴室         便器

 10時45分シドン発、ティルスに向かってさらに南下する。道端にはバナナやオレンジの畑が続いている。45分ほどでティルスに到着した。ティルスはギリシャ語で砦を意味し、同じ意味のアラビア語のスールという名でも呼ばれている。BC1000年ころにフェニキアの王ヒラムが沖にある3つの小島をつないで海中に高さ45mの砦を造った。BC332年にアレキサンダー大王はこの砦を攻めるため橋を造って7ヶ月かかって征服した。この橋に土がたまって島は陸続きになった。現在フェニキアの遺跡はなくローマ遺跡だけが残っている。
 この遺跡は陸側の町の遺跡と海側の町の遺跡の2つからなっている。まず陸側の町の遺跡を見学する。門をくぐると左右にたくさんの石棺が並んでいる。ここは墓場で、レリーフをつけた石棺もあるがこれは金持ちの石棺である。

 
石棺置き場        レリーフのある石棺

 墓地を通り過ぎると正面に凱旋門があり、ここから列柱道路が続いている。

 
凱旋門                列柱道路

 列柱の裏側には壁があり、列柱と壁の間に屋根がふかれて商店街になっていたという。


商店街

 商店街の脇には広い空き地が広がっている。競技場の跡で、縦450m、横120mもあり、3万人を収容できたという。


競技場

 観覧席が残っている。観覧席の下にはまっすぐな通路が続いているが、この通路に沿って商店が並んでいた。

 
観覧席        観覧席下の通路

 5分ほどバスに乗って海側の町に移動する。遠く離れているようだが山側の町と海側の町はもともと一体だった。遺跡が土の中に埋まった跡に建物が建てられて分断されてしまったのだ。ここには10万人のローマ人が住んでいたという。ここにも列柱道路があるが、この道路は山側の町の列柱道路とつながっていた。


海側の町の遺跡

 列柱道路の脇に浴場の跡があった。ローマの浴場には冷水、ぬるま湯、熱い湯と3つの浴室からなっていて、熱い湯の浴室の下にはスチームを通すトンネルがあった。


熱い浴室の跡

 冷水の浴室の床にモザイクのタイルが残っていた。ローマ時代のモザイクは細かくビザンチン時代のモザイクは粗い。

 
ローマ時代のモザイク     ビザンチン時代のモザイク

 列柱道路に大理石の柱が転がっていた。美しい縞模様がついているが、ギリシャから運んできたものだという。


大理石

 海側の町には水が来なかったので雨水を蓄える貯水槽が造られている。そばには観覧席のあるプールの跡がある。ローマ人たちはここで水上競技を行っていた。

 
水槽            プール跡

 沖合いの岩の上に2人の男が立っていた。遺跡を発掘調査しているのだ。その先には、イスラエルとの国境の半島が見える。かって、この海岸を王様が犬を連れて歩いているとき、犬が貝を食べて口の周りが紫色に染まってしまった。この貝に熱湯を注ぐと汁が紫色に発色し染料になることがわかり、重要な輸出物になった。当時紫色をフェニキアと言っていたことがフェニキアの語源になったという。


発掘調査

 13時発、来た道を引き返しベイルートに向かう。途中海辺にあるモウネスホテルの野外レストランで地中海の波音を聞きながら昼食をとる。海の水は澄んでいて底に住む生き物がたくさん見える。東京湾の水も私の子供の頃はこのように澄んでいたのだが今は見る影もない。

 
野外レストラン           地中海の水

 レバノン最初の料理は大盛りにした青菜、トマト、胡瓜、カブ、青唐辛子などの生野菜が盛られた皿、ナン、胡麻やチーズの入ったペーストが数皿とオリーブの実や香辛料が出され、ナンや青菜にペーストを挟んで食べる。これだけでかなりお腹が一杯になったが、このあとメインディッシュに鯛に似た魚の唐揚げが出て、最後にフルーツが出た。レバノン滞在中は毎回このような食事だった。レバノンの平均寿命男が74歳、女が74歳と高いのはオリーブ油を使っていることと、野菜、チ−ズ、魚を主体とした食事をしているからだろう。

 
前菜           ナン

メインディッシュ

 時差ぼけのせいか、寝不足のせいか昼食が夕食のように思われ、ホテルに行って休みたくなった。しかし観光はまだまだ続く。14時50分出発、1時間足らず走って国立博物館に到着した。この博物館は1932年に開設され、シドン、ティルス、ビブロスなどレバノンの遺跡の発掘品を展示している。内戦で大きな被害を受けて1973年から閉鎖されていたが、修復作業が進んで2000年から開かれている。


国立博物館

 中に入ると入り口の近くに1人の女性の顔を中心として7人の男性の顔が描かれたモザイクが置かれていた。中央の女性はカリオペという哲学の神で、周りの男性はソクラテスほか8人の哲学者の肖像である。


哲学の女神と8人の哲学者のモザイク

 1階にはこのほかフェニキア文字の碑文が刻まれたアヒラム王の石棺、ティルスから発掘された側面にギリシャ時代の戦いの場面が彫られた石棺、ビブロスで発見された「巨人」と呼ばれているエジプト風の大きな石像、牛に乗ったエウロペのモザイク、医学の神イシュムシに奉納されたたくさんの赤ちゃんの像などが展示されていた。
 2階にはビブロスで発掘されたとんがり帽子をかぶったフェニキア兵士の像、エジプト王から送られた動物の金製の小像、ペスという安産の神の像、先史時代からアラブまでの石器や土器などが展示されていた。
 
 途中で内戦時の展示物の保護と内戦後の修復作業を紹介するビデオが上映された。モザイク、石棺などの大きな展示物は周りを厚さ10cm以上あるコンクリートで囲い、小さな展示物は地下室に保管した。コンクリートで囲ったものはほぼ無傷で残ったが小さい展示物はかなり破損し、建物も大きな被害を受けたのでこれらを修復する作業が映し出されていた。

 1時間20分ほど見学して17時5分に博物館を出発、15分ほどで今日の宿ホテル・メリディアンに到着した。今日は寝不足の上にたくさんの観光をしたのでひどく疲れ、風呂に入った後は夕食の時間までベッドに転がって過ごした。


ホテル・メリディアン

 夕食には昼食と同じような野菜の前菜が出た後でメインディッシュにラムの入ったご飯が出たが、眠くて食欲がなく半分以上残してしまい、デザートも8割方残してしまった。


メインディッシュ

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