ヨルダン旅行記
13日目 死海、アンマンを経てベイルートへ
7時クラウンプラザホテル発、ボスラからアカバまで続く「王の道」を走る。この道はローマ時代にトライアヌスが改修したので「バヤ・ノバヤ・トライアヌス」とも呼ばれている。15分ほど走りモーゼの泉でバスを停める。この泉はモーゼがエジプトを出てネボ山に行く途中で杖をついて水を出した奇跡を起こしたことで知られている。泉の水は建物の中に導かれて飲用に使えるようになっている。日本だったらポリタンクを持った人の行列ができるだろうが、ここへ汲みに来る人は少ないようだ。
モーゼの泉のある建物と泉の水
ガスが出てきて今日は曇ってしまうのかなと思ったらしばらくして日が差してきて青空になった。この辺りでは朝にはよく霧がかかるのだそうだ。ジョバック山の坂道を登っていく。ベドウィンのテントがところどころ見える。彼らは夏はこのあたりで放牧し、冬になると渓谷に移動するという。
ベドウィンのテント
1600mの峠を越したあとはどんどん高度を下げ、砂漠の中の道を走り、10日目にトイレ休憩をとったたカトラーナで再びトイレ休憩をとる。先に観光バスが2台停まっていて黒い服で身を包んだ女性や頭に布をつけた男が出入りしていた。彼らはこれからメッカまで巡礼に行くのだ。
アンマン近くまで戻った後、ヨルダン渓谷に入る。かなり勾配のある坂道をどんどん下るが、周りの丘はちっとも高くなっていかない。地面全体が傾斜しているのだ。道の両側にはトマトやバナナの畑が広がっている。10時40分海抜0m地点に出た。ここで停車して記念の写真を撮る。
下り坂 海抜0mの標識
さらに20分ほど走り死海の畔に到着した。死海は長さ75km、幅15km、深さ400mあり、海抜は-400mで世界で最も低い。デッドシーホテルのプライベートビーチに入り水着に着替えて死海に入る。対岸にはイスラエルの山が見える。
死海
今日は波があり、対岸を見ていたらしぶきが目に入ってしまいかなりしみた。目をぱちぱちさせていたら直ったので岸に向かって立ってゆっくりと腰を下ろし顔を水から出したまま足を上げる。普通の海だったらこんなことをしたら顔が水にもぐってしまうが、死海は塩分濃度が33%もあるので浮力が強くぜんぜんもぐらない。足ばかりか手まで水面から出しても大丈夫だ。金槌の私にはありがたい海だ。
海底がぬるぬるしていて手で掬うと真っ黒な泥が手に残った。この泥は身体に良いというので泥パック療法が行われている。私も塗って記念に写真を撮ってもらう。あとで泥を落としたら肌がすべすべになった。
死海に浮かぶ 泥男
ホテルのレストランで昼食をとり、13時10分発、来た道を引き返して、1時間あまり走ってアンマンのジャバル・アル・カラーという丘の上に到着した。ここには考古学博物館があり、入り口の階段を登り切ると左に指が3本残った大きな手が置いてあった。ヘラクレスの左手と呼ばれているが、全身の像はさぞ大きかったことだろう。
考古学博物館 ヘラクレスの左手
この博物館の目玉は死海文書だ。死海文書は1947年に死海北西のクムランという場所の洞窟から羊飼いによって発見され、アラム語とヘブライ語で金板、銅板、羊皮紙に記されている。金板は羊飼いによって売られてしまい所在不明になってしまった。
BC9世紀のギアプ王国のメラヤ王の時代に書かれた黒い石の碑文があった。フェニキア文字で周辺の王国や自分たちの一生などが書かれている。オリジナルはルーブル美術館にあるので戻すよう交渉中という。
死海文書 ギアプ王国の碑
ほかにナバテア人の豊穣の神アタルザライ、遺体を縦に収める土器の棺桶などが目を引いた。
アタルザライ像 棺桶
博物館の前にはヘラクレス神殿がある。かなり崩壊しているが大理石の長い柱がまだ3本立っている。後ろ側にはアンマン城が建っている。
ヘラクレス神殿 アンマン城
ヘラクレス神殿からはアンマンの市街が一望できる。すぐ下には大きなローマ劇場の遺跡が見える。この劇場は今もコンサートなどに使われている。その左手にはアンマンのダウンタウンが広がっており、中心の広場も良く見える。さらに左手の丘には赤い屋根の家が見えるが国王の邸宅だという。
野外劇場 ダウンタウン中心部
国王の邸宅
15時ジャバル・アル・カラーを出発、1時間足らずでアンマン空港に到着した。滑走路の脇にはイラクの飛行機が2機見えるが、1991年から駐機したままになっているという。
アンマン空港
1時間半ほど待って中東航空のME313便に乗り込み、1時間足らずのフライトでベイルート空港に到着した。入国審査の際、パスポートにイスラエルの入国印が押されてないか今度も2度検査される。イスラエルに対する憎しみは強いようだ。20時10分最初の日に泊まったメリディアンホテルに到着した。