ヨルダン旅行記

10日目 ネボ山、マタバを経てアカバへ

 8時にインターコンチネンタルホテルを出発する。アンマンの市内は白い建物ばかりだが、建物の材料や色は国によって規制されているためで、高級住宅地は壁から屋根まですべて石灰岩で造らなければならない。また、中級住宅地は道に面した面を石灰石で造らなければならず、一般の住宅地は壁を白く塗らなければならない。
 今日からバスが変わりサロンカーでなくなったので座るのが楽になった。バスは市街地を抜け、東へ向かう。この道はイラクまで続いているのでイラクから石油を運ぶトラックが次々と通る。ヨルダンはイラクから石油を輸入しているが、イランにアカバ湾を使わせているので石油を無税で手に入れることができる。周囲はだんだん砂漠地帯になってくる。このあたりは年間降水量が50mm程度しかない。道幅が急に広がったところがあったが空軍が緊急時の滑走路として使うためだという。

 水不足を解消するためアンマンはワルーサから3m角のパイプで水を送る工事を行っている。水は百年間もつというが、百年経ったらどうするのかというと別の場所を探して持ってくるという。地下水の水位を下げて環境に与える影響が問題にならないのだろうか。もっとも地球はそれまでもたないかもしれない。アンマンではこれまでクーラーを使っていなかったが、ここ2,3年急に気温が上がり使う人が増えてきたという。地球温暖化の影響がここにも及んでいる。 

 9時頃右手に城が見えてきた。AD710年に建てられたハラナ城だ。高さ8m、縦、横35mで72の部屋がある。ダマスカスからメッカに向かう人のために使われたという。


ハラナ城

 ハラナ城から5分ほど走るとクセイル・アラムに到着した。クセイルとはキャッスルより小さい城を指し、この城はカリフのアブ・ワリードがメッカに向かうときの休憩所として造られた。この小城はレセプションホール、浴室、井戸の3つからなっていて、多数の壁画が残っているので世界遺産に登録されている。

 
クセイル・アラム           井戸

 レセプションホールの壁や梁には多数の壁画が描かれている。この城はベドウィンが住んでいたため壁は真っ黒に煤けていたが、1971年から73年にかけてスペインの調査隊が復元をした。

 
レセプションホールの壁

 壁画には女性の裸体が目立つ。イスラムの世界では肖像画は禁止され、ましてや女性の裸体などはもってのほかであるが、人目につかない場所では密かに描かれていたという。

 
女性の裸体の壁画

 浴室は冷水、ぬるま湯、熱い湯の3つの部屋からなり、冷水の部屋には当時の人々の生活ぶりや動物など描かかれている。また、熱い湯の部屋の天井には天体図が描かれている。

 
人や動物の絵           天体図

 1時間ほど見学して出発、20分ほど走るとアズラク城に到着した。この城はAD1世紀のローマの砦として造られたが地震で崩れ、AD13世紀に再度砦として築かれた。入り口に厚さ10cm以上で重さ2トンといわれる石の扉がついているが、底にオリーブオイルが塗られているので女性でも開けることができる。


入り口

 広い中庭にはモスクが建てられ、周囲の建物は2階建てになっている。アラビアのロレンスは戦いのときここに滞在し、彼がいた部屋が残っている。

 
中庭            ロレンスが滞在した部屋

 10分ほど見学した後西へ向かう。周りは砂漠で地面にはほとんど草が生えていない。1時間ほどでネボ山についた。ここは預言者モーゼがカナンへ向かう途中120歳で亡くなった地である。丘の上にはモーゼのモニュメントがある。ここからは死海やヨルダン川が一望できるが、今日は霞がかかっていてはっきりと見えなかった。

 
モーゼのモニュメント         ネボ山からの眺め

 ネボ山にはAD390年に教会が建てられている。このあと3回増築され4つの祭壇がある。地震によって崩れ瓦礫の山であったが、1933年に発掘調査が行われて復元された。遺跡には雨よけのトタン屋根がつけられているので教会のようには見えない。

 
教会        教会の模型

正面の祭壇

 正面の祭壇の左右には後から造られた2つの祭壇がある。このほか後方に聖母マリアの祭壇がある。

 
左にある祭壇              右にある祭壇

 教会の床には6世紀のモザイクが残っている。また壁には地下から見つかって移設した8世紀のモザイクが展示してある。

 
6世紀のモザイク            8世紀のモザイク 

 13時ネボ山を出発、アカバに向かって南下し15分でマタバに到着した。マタバはギリシャ時代に小さな町が造られ、ローマ時代に多くの道や家が造られた。749年の地震で大きな被害を受けさびれたが、1884年南からきたキリスト教徒で賑わう町になった。今は人口7万5千人でメッカへ向かう道の途中にある。
 ここで、ハレット・ジュトナというレストランで昼食をとる。オスマントルコ時代の金持ちの家を使ったレストランで石灰石で造られた重厚な建物である。


レストラン

 昼食後近くにある聖ジョージ教会へ歩いて行く。この教会には6世紀のエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ近辺の地図を描いたモザイクがある。このモザイクはかっては長さ15m、幅5mあり100万ピースのモザイクだったという。ただモザイクの大きさを測ってみると10cmの間に8個であったから実際は50万ピースぐらいだったのであろう。今は一部のみしか残っていないが死海やヨルダン川、パレスチナなどを見ることができる。

 
教会正面               祭壇
 
地図のモザイク      パレスチナ周辺

 15時マタバ発、アカバに向かい南下する。途中カトラーナの土産物屋に寄ってトイレ休憩をする。死海の塩を使った石鹸や化粧品などお土産物がたくさん並んでいたが、この手の店は割高なことが多いので見るだけにしておいた。


カトラーナの土産物店

 18時頃日が沈み、後は暗い道をひたすら走る。アカバ湾に出ると対岸にたくさんの明かりが見えてきたがイスラエルの町の灯だという。

 
夕暮れの砂漠            イスラエルの灯

 19時30分ようやくアカバ・ガルフ・ホテルに到着した。


アカバガルフホテル

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