[自著本の評価]

渡辺一郎の伊能忠敬本

 英国伊能小図自費出版

アメリカ伊能大図発見から

 『伊能大図総覧』刊行まで

 

 

 

 

 

 

 

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渡辺一郎の伊能忠敬本 英国伊能小図自費出版

 

自著本の書評という企画は例がないと思うが、私が中心になって、これまでに造った忠敬

図書の自己評価をしてみたいと思う。自著といいながら、しばらく時間がたっているので、

執筆時のことは忘れて他人の眼となっている。

歴史・地理や、測量とか地図の門外漢で、NTTの通信やコンピュータの技術者に過ぎな

かった私が、なぜ伊能忠敬に関心を持ち、最低660円から最高40万円までの本作りに係わっ

たかを述べ、忠敬に関心を持つ方々の御参考に供したいと考えます。

 

英国にあった伊能小図(自費出版、頒布価10,000円、会員価格8,000円、1995年刊)

最初は本ではなく、地図でした。約10年くらい前の時点で、忠敬研究書として定評があっ

 た大谷亮吉『伊能忠敬』にも、保柳睦美『伊能忠敬の科学的業績』にも、「幕末に英国測量艦

 に渡された伊能小図は、現在も英国海軍に保存されており、英国海事博物館に保管されている」

 と書いてありますが、写真は載っていませんでした。

 ほんとかいな、と疑問を持ってヨーロッパ研修旅行のついでに、海事博物館を訪れ見学を希

望しましたが、あっさり門前払い。一週間前に予約しないと駄目だといわれる。

 地図があることは確認できたので、学芸員さんの名前を聞いて引き下がる。手紙を出したと

ころ、モノ写真のみでカラー写真はないという。それではと、料金を払って4×5吋のポジを

撮ってもらう。これで3枚揃いの存在が確定。当時日本では、神戸市立博物館に北海道と日本

西南部の小図はあるが、3枚揃いは無いとされていた。

 英国の3枚揃いの詳細が知りたいな、という気になって、8×10吋のポジ撮影の引き合いを

出す。1枚数万円と意外に安かったのですぐ依頼し、縮尺を60%くらいにしたプリントも一緒

に注文した。

 ポジはなかなか良く撮れていたので、印刷頒布する気になって、4枚に分割して印刷したも

のである。日本にない本州東部は1枚を3枚に分割し、北海道と日本西南部は2図を一枚に収

めた。北海道と日本西南部は小さくなってしまったが、本州東部をはじめて紹介できたので、

幕府軍艦方旧蔵の伊能小図複製ということもあって、多くの方々に御購入いただいた。

 3枚つなぎでなく、1枚ものにしたかったし、北海道、日本西南部も大きくしたかったが、

予算がかかり過ぎて、到底見込みが立たなかった。また、鮮明度が不十分で、今度刊行した

『伊能大図総覧』とは格段の違いがあるのは、やむを得ないことだったが、残念である。しか

し、このとき入手した大型ポジは、江戸東京博物館の伊能忠敬展図録にも活用され、伊能忠敬

の盛り上げに大いに貢献した。

 経済的には数百万の出資を要したが、印刷部数の大部分を、会員有志をはじめ、多くの方々

に買っていただき、伊能忠敬研究会創立当初の事務費用に当てることができた。この自費出版

がもし大失敗であったら、研究会を発展させるエネルギーは出てこなかったかも知れない。忠敬

フアン諸氏のご協力には心から有難いと思っている。

 ただその後、東京都立中央図書館で幕府天文方制作の本州東部と日本西南部の写本が発見され、

東京国立博物館で天文方から昌平坂学問所へ提出された伊能小図副本3枚揃いが見つかったので、

本書は完全にその歴史的役割を終わった。記録としての希望があるかも知れないので、若干部は

残したが過日絶版とした。

 申し添えるが、伊能図の存在を世界に知らしめ、当時のグロ−バル・スタンダードであった英国

海軍の海図2347号を改訂させた根拠となった本図の復刻版は、古地図として流布しても良いので

はないかと思うが、いまだにそういう話を聞かないのは残念である。

 また、伊能中図、大図は精密な複製が完成しているのに、東京国立博物館蔵の伊能小図副本の公

刊の計画が聞かれないのも残念である。

                                           (07.2.10.

                                             トップへ戻る

 

アメリカ伊能大図発見から『伊能大図総覧』刊行まで

 

ドキュメント

アメリカ伊能大図発見から『伊能大図総覧』刊行まで

                                   渡辺 一郎

☆アメリカ大図の発見は偶然だったが☆

 

『渡辺一郎監修 伊能大図総覧 限定300部』が2007年1月10日完売となった。発売の1年も前から

新聞紙上で扱ってもらい、半年前から予約は受けていたが、発行は061225日だったから、発売、即

完売といっていいだろう。

 

私は40歳代後半に偶然、伊能忠敬に関心を持ち、本物の伊能図を訪ね歩いているうちに、いつのまにか

伊能図通になってしまい、幾つかの発見にかかわり、展覧会企画などを手伝ってきたが、とうとう全伊能

大図を収録した『伊能大図総覧』を世に出すことになった。

伊能大図すべてを揃えて出版することなど、全く思いもよらないことだったが、刊行即完売とは、望外の

喜びを超えた大驚嘆であった。多少楽屋話めいたことを書いて伊能図フアンの参考に供したいと思う。

                   

  アメリカ伊能大図が見つからなければ、『伊能大図総覧』は実現しなかったわけで、この出会いが『伊能

大図総覧』の出発点だった。

発見の経過は色々なところに書いたから、ご存じの方も多いと思うが、全くの偶然で、ワシントン漫歩中

に思い立って、議会図書館に飛び込んだら見つかったというのはホントウである。

もっとも、外観は反古紙の束のような物だったから「これはひょっとして・・・・」と感じなければ見過

ごすだろう。開いたとき、北海道が多かったから、地図面は単調である。面白くはない。「これは装丁がない

が伊能大図だ」という発想は、大図を見たことが無い人には無理だったと思う。

私は、内閣文庫の蝦夷地大図、国立歴史民俗博物館、山口県文書館、松浦史料博物館の大図を実見してい

たし、国会図書館の華麗な伊能大図群も公表以前に鑑定依頼されて見ているから、迷わず伊能大図と断定で

きたということである。

  また、証拠写真を撮って持ち帰り、日本で説明したとき、これまでに実績があったから直ぐ信じていただ

いたということも大きいだろう。

偶然見つけたのが、私でなく、他の地理の先生だったらどうなっただろう? イタリア伊能中図のときの

ように、友人を介して私に話が廻ってきたかも知れないが、内容の確定には膨大な作業と資金が必要である。

うまくゆかなかった可能性が高い。

やっぱり発見者が私だったことは、アメリカ大図にとって幸運だったと思う。私だったから直ぐに評価し、

学術調査、展覧会というようなアクションに結びつけられたのではないだろうか。発見は偶然だったが、発

見した人間との組み合わせは、天の配剤だったような気がする。

 

☆アメリカで大図207枚を発見したとき、どう思ったか☆

 

新聞などに散々聞かれた質問である。伊能図を全て実見しようというのが、30年前からの私の希望である

から、アメリカで百数十枚の新伊能大図の出現は、胸躍らせるものであったことは事実である。

しかし、発見したのは2001331日の土曜日、翌日帰国の飛行機が予約してあった。全数をめくるこ

となどは、できはしない。何が優先か。

全部出してもらって数えると207枚。勿論新発見で、ニュース・バリューは充分である。どこかの新聞に話

して、大ニュースにすることはできるが、そんな程度の話しではない。

このとき、伊能ウオークはすでに終了し、伊能測量出発地である深川の富岡八幡に伊能忠敬銅像を建立する

計画が始まっていた。だから、忠敬イベントも一段落と思っていたところに、大発見である。またまた忠敬人

気は盛り上がるだろう。忠敬さんは「ツイテいるな」というのが実感だった。

また、そうしなければなるまい。この地図を世の中に、どう出していったらいいであろうか?この地図群の

今後の扱い方が、まず気になったことを覚えている。

日本に帰ってからの説明用に数枚を開いて撮影しメモを作った。このとき出会った学芸員はシャロットさん

というが、彼女には日本にはない有名な古地図で、大発見である。他日、調査団を組んでまた来るから、とい

い残して帰国した。

 

再訪の目途は立っていないのだが、話をつながなければならない。これから努力すれば実現できることなの

で、こういうときは、話をしておくのが私の流儀である。

 

☆アメリカ大図学術調査とサンプルデータの入手☆

 

帰国途中、いろいろ考えたが、先ずアメリカ大図の全貌を調査し学術的に確定させることが先決と感じた。

『伊能大図総覧』執筆者の一人星埜由尚氏が、当時国土地理院の参事官をしておられたので相談する。

207枚全部をめくったわけではないこと、私一人の判断ではなく、複数の専門家の目で確認したいこと、公的

機関に係わってもらった方が調査の信頼性が高まること、出来れば国土地理院で調査してほしいこと、などを要

望した。

国土地理院の年度計画に追加は無理であるが、代案として、星埜氏が当時常任委員長をしていた日本国際地図

学会から若干補助金を出し、メンバーを参加させることにしてはどうかという意見が出され、後日固まった。

参加者を募った結果、『伊能大図総覧』執筆者の鈴木純子さん(当時日本国際地図学会常任委員)がきまった。

鈴木さんは国会図書館の伊能大図の発見者であり、参加して呉れるならば最適である。すぐ飛行機の予約を取った。

さらに()日本地図センターからは、理事の永井氏が出ていただけることが決まる。これで私を入れて三人。も

う一人欲しいので、前回現地で知り合った留学生の神田さんにアルバイトとして協力を依頼した。 

 

アメリカでは、2人2組の作業が可能となったので、鈴木・永井組と渡辺・神田組に分かれ207枚を一枚づつ

開いて、内容が伊能大図であることを確認し、寸法を測り内容の特徴をメモした。朝九時から五時までやって五

日間かかった。

神田さんは留学生なので日常会話は自由だったから、図書館とのやりとりに大変役立った。議会図書館地図部

長エベール博士には熱心だねえー、と冷やかされた。

地図の面白そうな部分を何十枚か部分撮影したが、これがあとで非常に役に立った。議会図書館は内部に立派

なカフェテリアがあって、地図談義をしながら昼食を楽しんだ。

枚数を206枚と数えていて、新聞発表後アメリカから207枚と訂正要求がある。新聞に大きく載せてしまった

ので、後から206枚でないですかといわれた。新聞に訂正広告を出すわけにもいかないので、日本国際地図学会

誌上で訂正をおこなった。御容赦をお願いしたい。

 

最終日には、議会図書館地理地図部長エベール博士にお礼を述べ、こんな挨拶をした。

「この素晴らしい伊能大図を借りて日本で展覧会をやりたい。全部貸してくれないか」と例によって、最初のジャ

ブを送る。エべール博士は目をパチクリ。

「コピーでよいのではないか」

「本物と変わらないコピーも作れるが―」

「日本には一部ではあるが、本物が残っている。コピーでは話にならない。一部でもいいが、本物が借りられな

いか」

「それなら可能かも知れない」

「了解」

「それはそれとして、複製制作の検討も始めたい。サンプルとして4枚分のデジタルデータをいただけないか」  

 <希望は 大坂、広島、浜松、札幌>

「了解した」

 

と申し入れる。毎日、朝から根気よく地図をめくつているメンバーを見て、エべール博士は「熱心だねー」と感心

していたが、それに免じてデータ謹呈の約束となったのだろう。 

サンプルは同年秋に到着した。データは大きくて、PC上で開くのは大変だったが、この時から国土地理院の積極

的な援助を得て、アメリカ大図展の検討が始まった。

 

注)私ども夫婦のアメリカ大図発見は2001331日、調査団による再調査は2001618 日から22日だった。

 

☆アメリカ伊能大図展と大図総覧☆

 

展覧会の事業者と交渉し実行委員会を立ち上げる。会長は当時()日本地図センタ理事長だった大竹氏。渡辺が事務

局長を勤めることになる。いろいろ詰めていって、

 

@       アメリカから大図を借りて展覧会を開く。

A       実物大の複製図を作り、床に展開してフロア展示をおこなう。

B       記念出版をおこなう。

の3点の事業をおこなうことになった。@とAはそれなりに進み、延べ39万人の入場者を集めて大成功であったが、

大図全部を収録する大全集の発刊に、手を挙げる出版社は無かった。

やむを得ず、大図展図録に期待して、大図のなかの面白そうな部分だけを大きくして図録を制作した。この図録は

実行委員会の名前で編集したが、実質的には鈴木純子さんと私で作ったようなものだった。

  印刷は異論もあったが、アメリカ大図と同時に展示したフランス中図の無料修復を引き受けてくれた日本写真印刷

にお願いした。大変熱心にやっていただき、この価格帯としては立派な図録に仕上がった。5000部販売すれば損しな

い計画で10,000部刷ったが、完売して4000部増刷された。

 

大図展図録の成功と、最後の伊能大図4枚が海上保安庁で発見されたことを背景に、大図全集に再挑戦してはどう

かなとの思いを、日本写真印刷に伝えたところ、サンプルを作ってみましょうと、直ぐサンプルを印刷してくれた。

111号浜名湖である。

  これなら、いけるかも知れない、そう思いながら出版社を探すことになったとき、以前から多少気持ちのあった河

出書房の茂木さんに、まず話をしてみた。1社では無理だというので、星埜さんを通じて日本地図センタにも乗って

貰う、日本写真印刷にもリスクを分担していただく、というような話し合いを進めた結果、曲折があったが合意に達

することが出来た。

  早速、伊能大図総覧を刊行することになったと記者発表。サンプルを4枚くらい公開したが、“出版決定”などとい

う新聞発表は殆どないと思う。読売、毎日、日経、共同、NHKが取り上げてくれて、大きな一発目の花火を揚げるこ

とが出来た。報道機関の協力には感謝している。

 

大図総覧の実現に一番熱心だったのは代表理事の星埜さんで、地理院長のときからの熱意を受けて、日本写真印刷

(略称:日写)に打診した結果、サンプルが出来上がり、現物見本を見ることにより、関係者の腹が固まったと思

われる。その意味では、第一歩を踏み出した日写さんの功績は大きい。

 

  企画内容がどうの、サンプル費用は?、なんて言っていたら話は進まない。フランス中図以来の付き合いで、日写

と私はウマが合っているが、どうなるか分からない企画に手を挙げる挑戦体質はすばらしい。伊能忠敬の考え方そっ

くりの会社である。

  印刷屋なのに、携帯電話等の部品も手がけ、ある部分では、世界シエアの60%を持っているとのこと。携帯電話の

ケース造りも、印刷といえば印刷であるが、驚いた会社である。私がフランス中図修復で付き合い始めた2003年から

2006年度までに、1株利益を4倍に伸ばしている。とんでもない会社である。ご参考までに紹介しておく。

 

反省点は色々あるが、今後に生かすことにして、まずは「大図総覧」の大成功を心から喜んでいる。販売先の内訳は

個人60%、大学25%、公共図書館15%くらいだった。我々としては公共図書館に期待したが、自治体の財政逼迫で

振るわなかったのは残念である。

反面、かかる高額な本を買っていただける実力忠敬ファンが、かくも多数であることにものすごい心強さを実感した。

キャンセル待ち数十部を抱え、河出書房の営業は言い訳に苦しんでいたが、限定出版は公約であり再版はしない。

 

今年の予算にするか、来年度にするか、迷っているうちに売り切れになってしまい、お困りの公共図書館、大学図書

館の担当の方には心からお詫びを申し上げます。

                                                 (2007.2.10.

 

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