ドラゴンクエストシリ−ズの第一作「ドラゴンクエスト」は1986年5月に発売されました。
すぎやまこういち先生は、このドラゴンクエストIから現在のドラゴンクエストVIIに至るまでの全作品の作曲を手がけられていて、開発の初期段階(企画立案の段階)からプロジェクトチ−ムの一員として、あの不朽の名作を作っていらっしゃるわけです。
でも、実は第一作目の「ドラゴンクエストI」だけは、すぎやま先生は開発の初期段階からの参加ではなかったのです。
ゲ−ムもある程度プレイできる段階からの参加でした。
そもそも、すぎやま先生がドラゴンクエストの音楽と出会うきっかけとなったのは、先生が「無類のゲ−ム好き!」ということが大きな要因だったようです。
80年代前半にエニックスから発売されたパソコン版ソフト「森田の将棋」のアンケ−トハガキを先生自らお書きになってエニックスに送ったところ、エニックスの担当者が「おい、あのすぎやまこういちからハガキがきたぞ!」と慌てふためいたという話が伝説となっているようです。
そのハガキにびし−っと書かれた内容をみて、エニックスの担当者も「これだけゲ−ム好きな人なら一緒に仕事ができるのでは?」という事で、すぎやま先生に作曲の依頼をしたそうです。
ところが、ドラゴンクエストの初代プログラマ−・中村光一さんは「有名な作曲家というだけで、ゲ−ムの楽しさがわからない方だったら困る」と、当初は反対意見を持っていたそうです。
その当時は、ゲ−ムを作るのは大学のサ−クルのように、小さな趣味の合う仲間同士のグル−プの中で作られるという物でした。
その為、すでに中村光一さんの仲間のサウンドプログラマ−による独自のドラゴンクエストの音楽が何曲かできていたそうです。
それで、すぎやま先生が初めて中村光一さんとお会いしたとき、中村さんの反応は、というと・・・?
すぎやま先生が前におっしゃっていた話によると・・・
「
オレ達のグル−プによそ者が入ってきたな?とでも言わんかのような雰囲気だった」そうです(笑)。
しかし実際にすぎやま先生とお会いしてお話をされたところ、ゲ−ムの話でかなり盛り上がり、特にすぎやま先生が昔、若い頃にハマりにハマったという「ビンゴ」というゲ−ムについて語ると、その瞬間から中村光一さんのすぎやま先生に対する態度が変わってしまって、始めはよそ者を見るような目つきだったのが、すっかり尊敬の眼差しに変わったそうです。
そして中村光一さんも、すぎやまこういち先生を「本当のゲ−ム好きで、驚くほどゲ−ム音楽というものを理解されていた」というわけで正式にすぎやま先生に作曲の依頼をされたということです。
※「ビンゴ」と呼ばれたそのゲ−ムは、正式名称はすぎやま先生もご存知ないそうです。
ちなみに昭和34年頃、この「ビンゴ」というゲ−ムは横浜の外人船員の為のホテルのバ−の片隅にあったらしく、すぎやま先生はこの「ビンゴ」ゲ−ムをやる為に、毎晩のように当時勤められていたフジテレビでお仕事を終えられると、雨の日も風の日も、深夜の第二京浜を車でひたすら横浜へ向かって走られたそうです。(しかも最高時速60km/h・・・だったらしいです(笑))
しかし、今日のドラゴンクエストが社会現象になるまでの人気を得た理由の大きな要因に、すぎやまこういち先生による音楽!というものがあります。
すぎやまこういち先生ご自身も、「
ドラゴンクエストというすばらしい作品と巡り合えて、大変幸せに感じています」ということを、よくおっしゃっています。
それから、先生もおっしゃっていましたが、「
ちょうどあの時期は運が良くて、作曲家として波のいい時だった」ということです。
作曲家としての調子のいい時、悪い時があるそうで、ドラゴンクエストの依頼を受けた時はちょうど波が上向きの時だったそうです。
ですから、依頼を受けてから何と一週間でドラゴンクエストIの曲(8曲)を完成されたそうです。
僕はこれからもすぎやま先生が素晴らしい曲を作曲してくださることを、楽しみにしています!
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