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「潮風がいっぱい」 よしまさこ |
集英社
マーガレットコミックス
1984年1月20日 初版 新書版
青い空。その下に広がるきれいな海。
筒井清美は高校1年生。繰り広げられるパノラマのような毎日を、あふれるエネルギーで元気いっぱいに過ごしています。
窓の向こうに見える水平線。清美はそこから吹いてくる潮風に、少しだけ憂うつ。それは「髪がベタベタするから」と言った、思春期の少女らしい理由。
けれど、なんでそんな海辺にある高校を選んで来たのか。人には簡単に言えないその訳はまた、思春期の、彼女らしい理由。
中学3年生の或る日。浜辺で一緒に大事な時計を探してくれたあの人。
あの人にまた出会いたい。あの人と同じ高校に入りたいからと言う理由。
一時期、作者に傾倒していた時期があって、それまで出ていた単行本を集めるのに、何年か、かかった記憶があります。
知ったときは既にヤングユーなどに書く作家になっていましたが、個人的にはマーガレット時代の物が好きで、これは最初にはまるキッカケになった作品です。
思い切りのいい線で描かれる、シンプルで、目に気持ちいい画面。作者のエネルギーが作品の中からあふれてくるようです。
元気な女の子が、年頃らしく恋に胸を痛め、たまたま好きになってしまった人の気後の揺れ具合に、また心乱される様は、当時高校生だった僕の胸にも、切なく染みてきました。
恋をしているときの浮かれよう。20歳も過ぎれば、誰にでも適当に記憶があると思います。
しかし、つきあっていても、気持ちが通じ合っていない気がする……と言った不安。証が欲しいと思う気持ち。非常に切ないです。
欲を言うと、清美がひとつの恋を乗り越えて、また新しい恋に出逢ったり、青春を謳歌する様を、見たかった物です。
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「薫さんの帰郷」 TONO |
朝日ソノラマ
眠れぬ夜の奇妙な話コミックス
1998年9月25日 初版 A5版
作者は、無意味な「常識」という価値観を心地よく破壊してくれます。
表題作。東京から帰ってきた近所の「お兄ちゃん」は、髪も伸ばして化粧して、ピアス穴なんか開けている…と言った案配に、自分の生きたいように生きている。
そんな彼に、主人公がする相談は…。
幸せを共有するのは難しいです。親子という物は、死ぬまで血縁であっても、その価値観はかなりかけ離れていたりします。
幸せを求める権利は誰にでもあります。
両親の望んだ通りではないかもしれない。だけど、子供の幸せを望むなら、違う幸せを理解し合いたい物です。
作者を追いかけていると、同じようなテーマの作品をよく目にします。
すわは、残念ながら(?)主人公のような趣味はありませんが、自分の気持ちに素直でいたいとはいつも思っているせいか、作者の作品はとても胸にしみるのです。
「夜の子供」
「ぼく」と「たっちゃん」と犬の「ブチ」はいつも一緒に遊んだ。暗くなるまでずっと。
そんな、少年の日の思い出。懐かしい思い出。
けれど「たっちゃん」は大人にならない。ぼくは、もう「たっちゃん」とは遊べないくらい、大人にならなきゃいけないのに…。
この短い、叙事詩のような作品。何して遊ぶかばかり考えていたあの頃が、切なく思い出されます。
他12作を掲載した作者の短編集。
ミステリーでファンタジーで、そして少々ブラックな短編を、軽やかな絵柄で描くひとつ一つが、僕はとても好きなのです。
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「カルバニア物語 1巻」 TONO |
徳間書店
Charaコミックス
1995年 7月 25日 初版
「年若い女王様の即位」
そこから始まる物語。よい噂より、悪い噂の方が広まりやすいモノ。その辺を利用してかされてか、少々の威厳を持たせようとちょっと不気味な噂が流れます。
群集心理と、噂の流れ。人の心の移ろいを、作者らしく、軽快に、気持ちよくまとめた第1話。
お姫様とお城の出てくるお話でも、人の心の仕組みは、リアルな世界とそう変わらない気がする。
ファンタジックな世界に描かれる、妙な現実味を帯びた話。時にのんきに、時にブラックに。倒錯したりもしています。
その辺の作者の味わいが、僕は非常に好き。
絵も好き。風にばらまかれてはなびくエキューの金髪。舞踏会での華やかなドレス姿の女王タニア。
シンプルでいて、「華のある」絵というのは、こういうのを言うのだと僕は思う。
見ていてとても気持ちいいから。
そして後半のバスクの話。
家柄、男尊女卑。身分。結ばれない恋と、望まれない結婚。そういったテーマを、広げるだけ広げて、うまくまとめて。その3話で、僕はこの作者にハマッたのです。
そしてこのセリフ。
「おまえが
いっしょに
いてくれるんなら
おれはなにもかも
どーでも
いいんだ」
恋とか愛とかでなく、「一緒にいて、愛おしい」と言うことを、性別関係なく、相思相愛と言う所。切なくなく、ほのかに甘い感覚に浸れる所。
そういう所が、何度読んでも好きなのです。
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「チキタ☆GUGU 2巻」 TONO |
朝日ソノラマ
眠れぬ夜の奇妙な話コミックス
2001年12月30日 初版
連載も軌道に乗って、主要なキャラも出そろい、作者の方でも話やキャラの整理が出来つつ……ある様子が、伺える? 2巻。
1巻の最後で出てきた「クリップ」。彼の生い立ちと、そして進行形の現在は、チキタとラー・ラム・デラルのこれからを占う大事な見本となるのか?
「百年は
そりゃあ甘美な
時間だよ……」
そうささやくクリップ。
普通に百年生きることさえ、人間には難しいのに、人間同士が百年添い遂げることは、まず不可能。
それが叶うと言う条件は、人外の者と一緒。そして時を重ねるうちに、人も人でなくなって行く……。
その時間は、普通の人間には想像できない世界。だからこそ、それが「甘美」と言われて、その間にあることに、思いを巡らす。
人が人でなくなる時の気持ちに、思いを巡らせる。
それは、人としてのしがらみから解放される、楽になる瞬間。人として生まれて、人でなくなっていく、切ない瞬間。
そして一緒に時を重ねていく者が、愛おしくなっていく時間……。
まだ百年が始まったばかりのチキタは、少々ずれた所のあるモノの、まだまだ「人間」で、それだけに、自分の環境にとまどい、悩み、憂鬱になり、涙を流す。
人は、それを乗り越えて、「成長」する。
人でないモノは、自分の存在する意味を、失ってしまった時、静かに消え去る。丁度、シャルボンヌの様に。
チキタとラー。クリップと、オルグ。彼らはこれからどこに行くのか。
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「チキタ☆GUGU 1巻」 TONO |
朝日ソノラマ
眠れぬ夜の奇妙な話コミックス
2000年 3月25日 初版 A5版
「腐る寸前が一番うまい」っていうようなものなのだろうか。それとも、「我慢して、腹を減らしているほどよりうまい」っていうような物なのか。 誰でも、ただ命を繋ぎとめると言うこと以上に、おいしいものを食べたい。
そして、自分の命を紡ぎ続けているということは、動植物の命を必ず自分の口に運んでいる。
生きるとか、死ぬとか、食べるもの、食べられるもの。家畜。モラル、共食い、カニバリズム。
作者は昔から、そういった、人が口にする「きれいごと」の皮を、穿った見方で物語にちりばめるのが上手で、ラブリーな絵とは裏腹なそんなブラックさに、僕はずっと惹かれ続けている。
この作品には、そんな作者の持ち味を全開に出して、それにストーリーを結びつけているようなフシを感じる。人がいかにきれいごとを並べても、その下にある血生臭い現実を、作者はいつもどんな気持ちで眺めているのか。そんなことを想像してやまない。
もちろん僕も、作者もその血生臭い現実の上に立っている訳で、そこからは誰も目を背けられないという事実が、作品の魅力を色濃くさせている。
お涙ちょうだいではない。容赦なく死ぬし、食われるし、食う。
人類は、万物の霊長であると思う。しかし自分の命を紡ぐための犠牲には、いつも感謝していたい。「こんなにおいしくなっちゃって」ってね。
「まずい人間は、百年たつと至上のごちそうになる」という話から、まずい人間――チキタは、人食い妖怪ラー・ラム・デラルに、飼育され始めるが。百年への道は、長い長い。
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「幻想懐古店」 片桐澪 |
集英社
りぼんマスコットコミックス
1993年 3月20日 初版 新書版
自分が生まれる前からある道具がある。それは誰にでも分かる形で、過ごしてきた時間を記憶するもではなくても、動かした時に出来た傷や、様々な色や匂いの空気の中にさらされて、そのすり減り具合に見てきたことを記す。
そんな古くさい記憶が閉じこめられた骨董品屋で、恋する少女は、まねき猫と「出会う」。
まねき猫は、霊媒。結ばれなかった切なく、強い思いを残して死んだ、青年の思いを宿して、少女にその胸のうちを語る。
切ない思いに打たれた少女は、思い人のその後を訊ねて歩くことに。
一つのすれ違い。少女は、自分の届かない思いと、まねき猫の彼の無念を重ねて、感傷に浸る。
少女の思い人は、すぐ側にいるのに、自分の気持ちは伝わらない。そう彼は、「誰にでも優しい」という思いこみ。
散る桜は、切ない思いを旨に募らせる人たちに、何をもたらすのだろう。
自分は「こんなに」好きなのに、相手の気持ちを確かめられないまま、側にいられるというぬるま湯。そんな少女漫画。無窮の空間を有する骨董品屋が舞台。
個人的に、骨董屋/古道具屋という舞台は好き。描く人も、きっと好きなら、その独特の雰囲気を、その人らしく描けるだろう。そんな空間と、そこにあふれそうにある思いが織りなす物語。
思いが届かなくても、相手の安らかな顔が見られるなら、それでいいだろう。
気が付いてくれなくても、ずうっと側にいられるなら、そこにある空気は、また甘いモノになるだろう。
見つめ合えたら素敵。気持ちが通じ合えたらもっと素敵。
そんなはかない夢が見られる。
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「春の回線」 夢路行 |
潮出版社
希望コミックス
2001年10月25日 初版 B6版
未知の物との遭遇――こうしてインターネットなんてやっている僕らにパソコンは、もう当たり前のようになっているけれど、このページを見ている人くらいなら、まだこの箱が、テレビと区別つかなかった頃があるのではと思う。
「春の回線」は、そんな感じの女の子の母が、パソコンを拾ってくる所から始まる。
そんなパソコンを小道具に、女の子が時を越えてもうひとり女の子と出会うという、幻想。
そんな一瞬の出会いの幻が、ため息のように静かに描かれる。
部屋の中、机の前にいても、人と繋がることは出来ても、外に出ないと、出会うことは出来ない。
「ずっと前」に出会って、再び巡り会えることを、ずっと待っていた。その扉が、今開かれようとしている。
僕はこの作者を、もう10年以上追いかけているので、どうしても、作品が雑誌載せられた時の背景から、感想を抱いてしまう。
「コミックトムプラス」この雑誌のことを、僕は語るほど知らないけれど、元々歴史物の雑誌で、割と空想的なテーマも選ばれる雑誌であったため、作者のデビュー誌である「ぶ〜け」意外での活躍場所としては当初、丁度良かったと思う。
しかしそれも時代の過渡期で、表題作が載った頃は「インターネット」をテーマにしたりと苦しい時期があったように見受けられる。
そこで作者に与えられたであろう、「パソコン」というテーマ。ちょっと難しかったとは思われるけれど、上手に作者の雰囲気の中に取り込んで、昔からの読者も気持ちよくその世界に入っていける作品になっている。
音がしない。耳障りなまでに静かな感じがする、なんてのは、僕だけの感想だろうか。聞こえるのは話し声と、うしろの火鉢(?)で、お湯の沸く音。もしくは、花びらの落ちる音。
その静けさを色濃く感じさせる作品に、僕は、またひとりで深い夜に落ちていく気がして、その感じが、とても好きなのです。
表題作他、6作。それらの感想は、また後日。
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「光の回廊」 清原なつの |
集英社
ぶ〜けコミックス
1989年2月20日 初版 新書版
物語は聖徳太子の少し後。歴史の教科書にはあまり刻まれない時代の狭間から始まる。
いつの世も、人はなかなか自由には生きられず、欲しいものを手に入れるために、たくさんの人を傷つけ、愛する人を守るために、手を汚すことも珍しくない。
「世界中を
私の手にしたら
もう 誰の血も
流さないのに」
そんな強欲な絵空事すら考えてしまう。
一体誰の、何の為に、そんなに権力をほしがるのか。
どうしてそんなに全力で走らなくては行けないのか。
そばにいられれば、それでいいのでは、ないのだろうか?
追いかけては逃げられ、捕まえたと思っても、手の中で消えて。
「この世の終わりまで
私は あなたを
さがし続けなければ
ならない……」
何億もの昼と夜を
生まれ変わって
千の王国 百の城に
彼の人をさがす…
そんな悲しい業を、いつの間にか背負って。それでも人の、自分の安住の地を探し求めて今日も人の世をさまよっていく。
正気では 生きてゆけない
こんな世の中 でも。
清原なつのの作品には、悲恋物が多いと思う。そして僕は悲恋物が好きで、初めて読んだ時からずっと、「好きな作品」と訊ねられればこの作品はまず入る。
好きな人の側にいたいという単純な思い。
それが権力の頂点にいるばかりに、時代や周囲に翻弄されて、何不自由ないように見えて、その単純な思いすら叶わない。
どうしてそんな悲しい物語ばかり綴るのか。そんな疑問を何年も抱きながらも、久しぶりに読んでは、また切なくて涙したりする。
切なくなりたくて、こうして側に置いているのだろうか。