杉並の通史 中世

The History of Suginami City

最終更新 2003/11/03

杉並の通史 中世

トピック 古代 中世 近代 現代

1.平安時代の杉並

荘園の成立 官牧 武士団

平安時代の武蔵国は、荘園ができ、官牧が整備され、武士団が形成されていきます。しかしながら杉並のあたりの記録は残念なことにありません。

初期に開発された皇室領・神宮領の荘園

  • 七松御厨
  • 大河土御厨
  • 橘樹郡榛谷御厨
  • 豊嶋郡飯倉御厨
  • 入間郡河越荘
  • 入間郡榛原荘
  • 高麗郡安堵郷栗生村
  • 高麗郡山本荘
  • 入間郡広瀬荘
  • 多磨郡弓削荘
  • 埼玉郡太田荘
  • 橘樹郡賀勢荘
  • 橘樹郡稲氏本荘
  • 橘樹郡船木田本荘
  • 橘樹郡船木田新荘

平安中期以降の武士領荘園

  • 野与荘 南埼玉郡内牧村?
  • 横山荘 八王子市内
  • 児玉荘 児玉郡児玉町
  • 大蔵荘 比企郡菅谷村大蔵
  • 畠山荘 大里郡内
  • 江戸荘 東京都区内
  • 小山田荘 町田市内忠生
  • 騎西荘 北埼玉郡騎西町
  • 白鳥荘 秩父郡白鳥村
  • 師岡荘 入間郡内
  • 長江荘 台東区橋場

官牧

  • 桧前馬牧 台東区浅草付近?
  • 神崎牛牧 桧前馬牧の近く?
  • 石川牧 八王子市石川町?
  • 由比牧 八王子市由井町から上柚木・下柚木にかけて
  • 小川牧 秋川市(あきる野市)大字小川
  • 立野牧 所在地不明 立川市?

私牧

  • 秩父牧 秩父郡下吉田村字牧林
  • 石田牧 秩父郡内の地?
  • 小野牧 横山荘内
  • 阿久原牧 児玉郡若泉村

武蔵の武士団10党

  1. 横山党 八王子付近 小野党ともいう
  2. 猪俣党 児玉郡猪俣に移住
  3. 野与党 南埼玉郡内?
  4. 村山党 北多摩郡 村山・狭山・久米川・野口 一帯
  5. 児玉党 児玉郡
  6. 丹党 丹治氏 秩父・児玉・入間郡
  7. 西党 日奉氏ともいう 百草・平山・関戸・日野・立川一帯
  8. 綴(つづき)党 都筑郡に栄えた武士団
  9. 私市(さきいち)党 北埼玉郡騎西付近
  10. 秩父党 秩父郡を中心に大里・豊島・入間郡 下総・相模にも

武蔵の国の国司

最初の頃は赴任していた国司も、藤原氏の時代になると実際には赴任しなくなりました。また、雑任国司として赴任したものはそのまま土着して帰らなかったことが多かったようです。これらのことが地方武士の台頭を呼んだ原因にもなりました。また、平氏の時代は、武蔵国は平氏の知行国でしたが、1184年以降源頼朝の知行国となります。

大宮八幡宮 井草八幡宮

いずれも源氏ゆかりの神社です。社伝によれば平安時代に創建されたと考えられます。

大宮八幡宮は、康平6年(1063)源頼義凱旋の際、記念の地として石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。

井草八幡宮は、1100年ごろの創建と伝えられ、文治2年(1186)には、源頼朝が奥州藤原氏討伐の折、戦勝を祈願して手植寄進したという松があったそうです。(昭和48年に枯れています)

いずれにしても縄文時代からの遺跡がある場所に古い神社があるというのはそれなりに考えられることです。

2.鎌倉時代の杉並

源頼朝の挙兵

平安時代後期、平清盛全盛の時代は、東国の武士もその多くが平氏の家人であったといわれています。しかしその後反平氏勢力が台頭してきます。

そのような状況の中治承4年(1180)伊豆に流されていた源頼朝は挙兵します。しかし、石橋山の合戦に破れ、安房国に逃れます。その後、千葉介常胤・上総介広常らを見方にします。

その上でいよいよ武蔵国に入るわけですが、関東の武士はなかなか頼朝を支持しようとしませんでした。しかし、豊島清元、葛西清重、足立遠元、小山宗朝などが馳せ参じ、ついで畠山重忠、河越重頼、江戸重長らも味方につき武蔵国を通って鎌倉入りしました。

そのとき杉並区を通ったという説もありますが、定かではありません。

武蔵国の御家人

最初は、家人と呼んだそうですが、幕府を開いてからは、御家人と呼ばれるようになりました。杉並区周辺で御家人がいたかどうかは定かではありません。武蔵国の御家人として「新修杉並区史」(資料11)には次のような名前が挙げられています。

  • 甘糟氏、内島氏、荏原氏、尾園氏、男衾氏、太田氏、岡部氏、鬼極氏、河勾氏、木部氏、蓮沼氏、人見氏、藤田氏、(以上猪俣党)
  • 河原氏、久下氏、楊井氏、(以上私市党)
  • 阿佐美氏、浅羽氏、小代氏、越生氏、四方田氏、塩谷氏、庄氏、富田氏、入西氏、蛭河氏、本庄氏、真下氏、(以上児玉党)
  • 安保氏、青木氏、薄氏、小鹿野氏、大河原氏、加治氏、黒谷氏、小島氏、高麗氏、勅使河原氏、中村氏、長浜氏、榛沢氏、古那氏、横瀬氏、(以上丹党)
  • 小川氏、川口氏、狛江氏、二宮氏、平山氏、由井氏、由木氏、(以上西党)
  • 大蔵氏、鬼窪氏、笠原氏、栢間氏、渋江氏、多賀谷氏、多名氏、道後氏、道智氏、箕輪氏、南鬼窪氏、(以上野与党)
  • 大井氏、金子氏、仙波氏、難波田氏、宮寺氏、山口氏、(以上村山党)
  • 藍原氏、大串氏、くぬぎ田氏、桑原氏、田谷氏、中条氏、野巻氏、古郡氏、由木氏、(以上横山党)

このほか

  • 足立氏、大河戸氏、熊谷氏、品川氏、多賀谷氏、野本氏、野辺氏、比企氏、尾藤氏、武藤氏、毛呂氏などがある。
  • また、秩父氏一族として、井田氏、稲毛氏、江戸氏、小沢氏、小山田氏、葛西氏、河越氏、河崎氏、高山氏、豊島氏、畠山氏、榛谷氏、師岡氏がある。
  • 成田氏一族では、玉井氏、奈良氏、箱田氏、別府氏などがいた。

これらの御家人の中には、ほかの場所を恩賞地としてうけ、守護となった人もいました。

杉並と関係あるとすれば、江戸氏、豊島氏などでしょうか。 

武蔵国の開発

鎌倉時代は、武士は惣領が中心だったようですが、後に庶子(分家?)も認められました。その意味で、新しく土地を開発しなければならないはずです。また、武士は何とかして領地を増やすことが大切でしたからその意味でも闇で開発を行ったようです。また、幕府としても恩賞地を与えるために開発が必要なわけです。

武蔵国も開発が行われたようですが、記録に残っているのは多摩川沿いが多く、杉並区内がどうであったかは明らかではありません。

鎌倉時代の板碑

板碑は、本来供養のために建立した塔婆の一種で、鎌倉時代の板碑は、地方豪族や僧侶によるものが多いそうです。杉並区内にある、鎌倉時代の年代が読める板碑は10基ほどだそうです。位置と年代を示した地図です。

この図を見るとやはり川や水田の近くにあるように思います。

その頃の杉並区

大宮八幡宮、井草八幡宮の周辺や板碑が存在するあたりには集落があったと思われます。井草、今川、清水地域の集落は市のためのものであったと推定されています。

しかし、それ以外は本当に野原であったようです。後深草院二条(中院雅忠の女)の日記文学である「とわずがたり」の巻四に以下のような文章が見られます(後深草院二条による多少の文学的脚色はあるかもしれませんが、おおむねこのような景色だったのではないかと思われます)。こちらから引用させていただきました。

浅草の観音様へお参りするときの様子です。

「八月(はづき)の初めつ方にもなりぬれば、武蔵野の秋の景色ゆかしさにこそ、今までこれらにも侍りつれと思ひて、武蔵の国へ帰りて、浅草と申す堂あり。十一面観音のおはします、霊仏と申すもゆかしくて参るに、野の中をはるばると分けゆくに、萩・女郎花(をみなへし)・荻(をぎ)・芒(すすき)よりほかは、またまじるものもなく、これが高さは、馬に乗りたる男の見えぬほどなれば、おしはかるべし。三日にや分けゆけども、尽きもせず。ちとそばへ行く道にこそ宿(しゆく)などもあれ、はるばる一とほりは、来(こ)し方(かた)行く末野原なり。」

次は川口へ行くくだりです。

「十二月(しはす)になりて、河越(かはごえ)の入道と申す者のあとなる尼の、武蔵の国川口といふ所へ下る、あれより、年返らば善光寺へ参るべしといふも、たよりうれしき心地してまかりしかば、雪降り積りて分けゆく道もみえぬに、鎌倉より二日にまかり着きぬ。

 かやうの物へだたりたる有様、前には入間(いるま)川とかや流れたる。向へには、岩淵(いはぶち)の宿といひて、遊女どものすみかあり。山といふものはこの国内(くにうち)にはみえず。はるばるとある武蔵野の萱(かや)が下折れ、霜枯れはててあり。なかを分け過ぎたる住まひ思ひやる。都の隔たりゆく住まひ、悲しさもあはれさも、とり重ねたる年の暮なり。」

このようにほとんど野原だったようです。萩、女郎花、荻、芒、萱などの名前が出てくるだけです。

いわゆる鎌倉街道

元弘3年(1333)新田義貞が挙兵し、小手指原、分倍河原で戦った後鎌倉に攻め入って北条氏を滅ぼしたことを考えると府中から鎌倉に至る道があったことがうかがえます。もちろんいざ鎌倉というときに、上に述べたような御家人が全部府中を通って鎌倉に行ったわけではなく、ほかにも道はあったのでしょうが・・・・上の「とわずがたり」にあるように一旦府中に出るのも多かったはずです。多摩川をどこで渡るかがかぎのように思います。

というわけで、府中に続くいわゆる鎌倉街道が杉並区内を通っていたのでしょう。しかし、どれがそうなのかはっきりしていません。鎌倉橋については、1822年の「武蔵名所図会」に記述があり、「今は農夫、樵者の往来道となりて、野径のごとし」とあります。ちなみに郷土博物館の展示目録(資料14)には下のような図が載っているので引用させていただきます。

3.江戸時代までの杉並

南北朝時代

室町時代

戦国時代

ありがとうございました
(open2003.6.29)