源頼朝の挙兵
平安時代後期、平清盛全盛の時代は、東国の武士もその多くが平氏の家人であったといわれています。しかしその後反平氏勢力が台頭してきます。
そのような状況の中治承4年(1180)伊豆に流されていた源頼朝は挙兵します。しかし、石橋山の合戦に破れ、安房国に逃れます。その後、千葉介常胤・上総介広常らを見方にします。
その上でいよいよ武蔵国に入るわけですが、関東の武士はなかなか頼朝を支持しようとしませんでした。しかし、豊島清元、葛西清重、足立遠元、小山宗朝などが馳せ参じ、ついで畠山重忠、河越重頼、江戸重長らも味方につき武蔵国を通って鎌倉入りしました。
そのとき杉並区を通ったという説もありますが、定かではありません。
武蔵国の御家人
最初は、家人と呼んだそうですが、幕府を開いてからは、御家人と呼ばれるようになりました。杉並区周辺で御家人がいたかどうかは定かではありません。武蔵国の御家人として「新修杉並区史」(資料11)には次のような名前が挙げられています。
- 甘糟氏、内島氏、荏原氏、尾園氏、男衾氏、太田氏、岡部氏、鬼極氏、河勾氏、木部氏、蓮沼氏、人見氏、藤田氏、(以上猪俣党)
- 河原氏、久下氏、楊井氏、(以上私市党)
- 阿佐美氏、浅羽氏、小代氏、越生氏、四方田氏、塩谷氏、庄氏、富田氏、入西氏、蛭河氏、本庄氏、真下氏、(以上児玉党)
- 安保氏、青木氏、薄氏、小鹿野氏、大河原氏、加治氏、黒谷氏、小島氏、高麗氏、勅使河原氏、中村氏、長浜氏、榛沢氏、古那氏、横瀬氏、(以上丹党)
- 小川氏、川口氏、狛江氏、二宮氏、平山氏、由井氏、由木氏、(以上西党)
- 大蔵氏、鬼窪氏、笠原氏、栢間氏、渋江氏、多賀谷氏、多名氏、道後氏、道智氏、箕輪氏、南鬼窪氏、(以上野与党)
- 大井氏、金子氏、仙波氏、難波田氏、宮寺氏、山口氏、(以上村山党)
- 藍原氏、大串氏、くぬぎ田氏、桑原氏、田谷氏、中条氏、野巻氏、古郡氏、由木氏、(以上横山党)
このほか
- 足立氏、大河戸氏、熊谷氏、品川氏、多賀谷氏、野本氏、野辺氏、比企氏、尾藤氏、武藤氏、毛呂氏などがある。
- また、秩父氏一族として、井田氏、稲毛氏、江戸氏、小沢氏、小山田氏、葛西氏、河越氏、河崎氏、高山氏、豊島氏、畠山氏、榛谷氏、師岡氏がある。
- 成田氏一族では、玉井氏、奈良氏、箱田氏、別府氏などがいた。
これらの御家人の中には、ほかの場所を恩賞地としてうけ、守護となった人もいました。
杉並と関係あるとすれば、江戸氏、豊島氏などでしょうか。
武蔵国の開発
鎌倉時代は、武士は惣領が中心だったようですが、後に庶子(分家?)も認められました。その意味で、新しく土地を開発しなければならないはずです。また、武士は何とかして領地を増やすことが大切でしたからその意味でも闇で開発を行ったようです。また、幕府としても恩賞地を与えるために開発が必要なわけです。
武蔵国も開発が行われたようですが、記録に残っているのは多摩川沿いが多く、杉並区内がどうであったかは明らかではありません。
鎌倉時代の板碑
板碑は、本来供養のために建立した塔婆の一種で、鎌倉時代の板碑は、地方豪族や僧侶によるものが多いそうです。杉並区内にある、鎌倉時代の年代が読める板碑は10基ほどだそうです。位置と年代を示した地図です。
この図を見るとやはり川や水田の近くにあるように思います。
その頃の杉並区
大宮八幡宮、井草八幡宮の周辺や板碑が存在するあたりには集落があったと思われます。井草、今川、清水地域の集落は市のためのものであったと推定されています。
しかし、それ以外は本当に野原であったようです。後深草院二条(中院雅忠の女)の日記文学である「とわずがたり」の巻四に以下のような文章が見られます(後深草院二条による多少の文学的脚色はあるかもしれませんが、おおむねこのような景色だったのではないかと思われます)。こちらから引用させていただきました。
浅草の観音様へお参りするときの様子です。
このようにほとんど野原だったようです。萩、女郎花、荻、芒、萱などの名前が出てくるだけです。
いわゆる鎌倉街道
元弘3年(1333)新田義貞が挙兵し、小手指原、分倍河原で戦った後鎌倉に攻め入って北条氏を滅ぼしたことを考えると府中から鎌倉に至る道があったことがうかがえます。もちろんいざ鎌倉というときに、上に述べたような御家人が全部府中を通って鎌倉に行ったわけではなく、ほかにも道はあったのでしょうが・・・・上の「とわずがたり」にあるように一旦府中に出るのも多かったはずです。多摩川をどこで渡るかがかぎのように思います。
というわけで、府中に続くいわゆる鎌倉街道が杉並区内を通っていたのでしょう。しかし、どれがそうなのかはっきりしていません。鎌倉橋については、1822年の「武蔵名所図会」に記述があり、「今は農夫、樵者の往来道となりて、野径のごとし」とあります。ちなみに郷土博物館の展示目録(資料14)には下のような図が載っているので引用させていただきます。