武蔵国の成立
645年、大化の改新がおこり、国郡制がしかれ武蔵国に国司が派遣されました(646)。府中市の大国魂神社のあたり(?)に国府(後に国衙(こくが)とよばれる)が設置され、741年には現在の国分寺市に国分寺が作られました。杉並区は、武蔵国多磨郡に含まれました。多磨郡10郷の中で海田(あまた)郷に含まれました。
武蔵国は、従来北部勢力が強かったので、中央の足場としてすでに屯倉が寄進されていた南部を選んだといわれています。しかも全国に先駆けて改新の翌年大化2年に行われたのは、それだけ東国が注目されていたということでしょうか。
帰化人(渡来人)の活躍
武蔵国には朝鮮半島からの渡来人が安置されます。彼らのために、高麗郡と新羅郡が建郡されます。また、浅草寺付近、狛江付近、深大寺付近も彼らが活躍した場所といわれています。
彼らは、仏教、馬の飼育、調布の技術などを伝えたといわれます。また、新開の地を一生懸命開拓したのだろうと思います。
乗潴(あまぬま)駅(天沼?)に、伝馬十匹が置かれる
武蔵国は東山道に属していましたが、東海道に属すことになり、それに伴って武蔵国府(府中)を中心とした交通路が出来上がっていきます。その中の一つに、武蔵国府(府中)−
乗潴(あまぬま)−豊島−井上(墨田区寺島)−茜津(松戸)−常陸国府(石岡)というルートがありました。
タイトルにあるように天沼に駅があったとする説もありますが、真偽の程は定かではありません。
奈良時代、国郡制がしかれ府中を中心に多摩川沿いは発展したと思われます。しかし、ほとんどが荒野だったと思われる杉並区は、稲作ができる地域を除いてほとんど人が住んでいなかったのではないかと思われます。