The History of Suginami City

最終更新 2003/11/03

杉並の歴史 人口の推移

その3 江戸時代の人口

その1 明治以後の人口の変化へ その2 江戸時代までの人口の変化

杉並区の人口
化政年間(江戸時代) 推定 7,763人
明治5年 9,463人
大正10年 18,148人
平成15年 512,882人
平成15年は、10月1日の住民登録者数を示します。
外国人登録者 11,396人 を加えると
総人口は、524,278人となります。

2.江戸時代の人口

杉並区の江戸時代の人口は中期以降ほとんど変化がないといってよいと思われます。

近世初期には急激に人口が増加します。その理由は、農地開発が盛んに行われ、発展の余地があったことが考えられます。その後江戸中後期に減少しますが江戸の時代後半にはまた元に戻ります。ちなみに、江戸時代全国の人口は、享保以後、2900万人から3200万人を上下していただろうと考えられます。

江戸時代中期以降の人口減少の理由は定かではありませんが、おそらくは飢饉などが影響していたものと思われます。分かりやすい記載ですので、「新修杉並区史 中 」(参考文献12 p.495) から引用します。

『総括的には封建社会自体が時代とともに活力を失い、とりわけ当時の人口の九割近くを占めていた農村社会の荒廃が著しく、農村人口が増加し得なかったための結果といえる。それは、具体的には飢饉の頻発、たびかさなる疫病の流行、堕胎・間引きの横行などによるものといえよう。しかし、結局のところ封建的重圧によって、当時の一般農民に生活の余裕がなく、慢性的な飢餓状態を余儀なくされていたところに基本的な要因があったといわなければならないであろう。』

上の記述が杉並区にも当てはまるかどうかはわかりません。というのは、江戸の繁栄によって農間余業とよばれるお店などの副業を行ったものもいたからです。しかし、これも街道沿いや妙法寺周辺を除いてそれほど多かったとも考えられませんので、ほぼ当てはまるといえそうです。

近世後期、やや少ない頃の人口を、新編武蔵風土記稿によって知ることができます。以下、「新修杉並区史 中 」(参考文献12 p.498,499) から引用します。上の図は下の表の人口をグラフ化したものです。

近世後期杉並各村の戸数と推定人口 と 明治5年の人口構成 をまとめたもの

村 名 戸数 人口 一戸平均家族員数 出典 明治5年
実数 推定
上井草村 150 655   4.4 天保10年 宗門人別改帳 866
下井草村 144 597   4.1 文政12年 宗旨御改人別証文帳 729
上荻窪村 34   153     459
下荻窪村 42   189     292
天沼村 77    347     400
成宗村 80   360     369
田端村 73   329     356
阿佐ヶ谷村 94   423     486
馬橋村 55 213   3.9 文政4年 当巳宗門人別改帳 307
高円寺村 108   486     572
堀之内村 55   248     374
和田村 156 798   5.1 文政11年 宗門人別御改帳 943
和泉村 80   360     418
永福寺村 42   189     228
上高井戸宿 168 787   4.7 天保14年 甲州道中宿村大概帳 1030
下高井戸宿 183 890   4.9   〃      〃 729
大宮前新田 80   360     458
松庵村 13   59     47
中高井戸村 7   32     25
久ヶ山村 64   288     375
(合計) 1,705 推定 7,763人 平均4.5人   9,463

【江戸時代後期の分についての本文註】

・出典の空欄は、「新編武蔵風土記稿」。したがってその数値は化政期頃のものである。
・戸数については、風土記以外の史料でこの頃の実数がわかる村もある。たとえば安政5年高円寺村入用帳では88戸、天保9年大宮前新田村入用帳では85戸、同年松庵村入用帳などでは13戸であるが、ここでは風土記の数値によった。
・各村戸数には寺を含まない。

【明治5年の人口構成に関する本文註】

 「東京府志料」による。
・戸数には寺を含む。

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ありがとうございました
(open2003.6.29)