この地図のベース
この地図は、杉並区の現在の地図をベースに、「杉並の地図を読む」(参考文献16)収録の次の地図を参考にして作成しました。
- 「東京府豊多摩郡井荻町全図」 昭和5年
- 「東京府豊多摩郡杉並町全図」 昭和4年
- 「東京府豊多摩郡和田堀町全図」 昭和4年
- 「東京府豊多摩郡高井戸町全図」 昭和5年
いずれも、1/6000の地図をほぼA3版に縮小したもので収録されています。発行者は、小林又七氏(東京市麹町区)。井口金男氏蔵のものです。
この地図は、「小林編纂部実測」と記載があり、字・小名(小字)・番地まで正確に記入されているので、かなり信頼できるものと思われます。また、小字名の記述(明治22年改定)をもとに、その範囲を江戸時代の古地図と比較するとほぼ合っていますから、江戸時代の村名が字名として残っていると考えられそうです。
作成作業・凡例
作業は、一切地図をコピーせず、読みながら境界を記入していったので、河川の位置、道路の曲がりなどにより多少の誤差はありますが、拡大図(幅900pix)でも誤差の範囲と考えられます。赤系の色で井荻町、青系の色で杉並町、緑系の色で高井戸町、黄色系の色で和田堀町を表しました。文字は字名を示します。
また、バックの細かい線は、現在の町・丁界を表しています。
この地図を作成する作業を通じて感じたことは、次のようなことです。
現在の境界とは違っている。
現在の境界(詳しくはこちら)と比較すると分かりますが、ずいぶん違っていることが分かります。現在のどこそこ何丁目が、昔の何町であるというような記述もあります(入れ込みありとは断っています)が、ずいぶん違っています。ほぼ合っているのは、字永福寺と字下高井戸、字久我山と字大宮前の境界ぐらいのものです。
字松庵と字中高井戸が一緒になって松庵1〜3丁目になっているところは一致しています。
昔の村を区切る道
青梅街道(成木街道・青梅往還)とその裏街道、そして、新田縁通りと呼ばれる道で区切られていますが、現在のように、中央線や環七、環八では区切られていません。
圓寺と馬橋そして上井草はその中を青梅街道が通りますが、青梅街道がほとんどの境界になっています。古地図でもそのようになっています。(と考えると「杉並区立郷土博物館 常設展示目録」(参考文献14)と「杉並近世絵図」(参考文献10)にある昔の村名を示す図の青梅街道の位置は間違いと考えられます)
「杉並近世絵図」から参考に引用しました。(青梅街道の位置が違う)
また、現在はそれほど広くない道ですが、大宮八幡宮から東京女子大を過ぎて立野境までほぼ直線で続く道(古地図には青梅往還の裏街道とあり、現在は、部分的に神明通りと呼ばれています)は昔からあった道で、そこで土地所有が分かれていたとも考えられます。
反対に、五日市街道や人見街道は、昔の村のほぼ真中を通っているので、土地所有が決まってからできた道であるか、それほどの大通りではなかったとも思われます。