杉並の歴史

The History of Suginami City

最終更新 2003/11/11

杉並の歴史 サイトのご案内

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杉並区の人口の推移 資料11(新修杉並区史 上)、14ページの表をグラフ化して転載

杉並区の人口が増えたのは関東大震災以後

最初ののグラフは明治5年以降の人口の変化を表したものです。明治5年の人口は、9,563人、もちろん鉄道はありませんでしたから街道沿いを中心に住んでいたとすると、それ以外のところはかなりまばらにしか人がいなかったことになります。この状態は、江戸時代から大正時代まで続きます(7,000人から10,000人で推移)。
その後、鉄道などの交通の発達とともに、関東大震災後から急激に増加し始め、途中戦争のために減少しますが、人口は順調に増加します。そして、東京オリンピックの頃ついに50万人になります(あの頃の状態で50万人も住んでいたのですから交通や生活環境は大変だったと想像できます)。それ以後は横ばいの状態です。ちなみに、平成15年9月1日現在の人口は、513,140人です(杉並区ホームページのデータ。住民登録者の数です。ほかに外国人登録の方がおよそ2万人います。)。杉並区の人口の推移のページ 参照

このサイト作成のきっかけ

このサイトを作成するきっかけは、高円寺の人たちがどこから来たのかが知りたかったことから始まります。詳しくは、ここをクリック! というわけで、このページは、杉並といっても現在のところ高円寺を中心に調べたものです。もちろんそれ以外の場所にもふれていますし、だんだん充実させていく予定です。このページは、杉並区民のルーツ探しとなればと思っています。(2003.06.29)

その後、興味はどんどん深まり区内全体に発展していきました。まだ十分ではないところもあると思いますが、何かございましたらご意見をお願いいたします。(2003.11.04)

少しずつページを充実させていこうと思いますが、Yahoo にサイトの推薦をしたところ、昨日10日、杉並区 > エリアガイド に採用されました。これからも「杉並の歴史」の名に恥じないようがんばります。よろしくお願いします。(2003.11.11)

明治までは近郊の農村?

東京の人だからいろんなところからの集まりだろうって?それはそうなんですが、いつ頃から集まってきたと考えますか?実は、100万都市といわれた江戸時代の末期でさえ、あまり人が住んでいなかったのです。19世紀前半で、推定7,763人(参考文献12 P.498)。というわけで、まずは、人口の変化についてです。

人口類推の方法

実は人口変化を類推するのは大変なことです。国勢調査が大正時代に始まってから以後はある程度はっきりするのですが、それ以前はある地域の人口は分かっても杉並区全体となると少しややこしくなります。資料としては、宗門人別改帳や檀家の記録や税金の徴収記録などがありますが、それにしてもそろっているわけでもないし、昔の地名が現在のどの範囲を示すかがはっきりしない場合もあるのです。さらには、寄留という問題もありました。(このことについては速水先生(参考文献23)にご教示いただきました)


五日市街道、尾崎橋付近にある地蔵。昔の街道の面影を残す場所。

ありがとうございました
(open2003.6.29)