ノスタルジア
二学期の席替えで、輪野(ワノ)くんは乙女のように溜息ばかりついていました。輪野くんは元の指定席、中庭に面した窓際の、最後部の席を離れ、今座っているのは栄養失調やせぎすの相川くんの席でした。相川くんの席は、廊下に面した窓際最前列で、夏は涼しいといえば涼しいのですが、日が当たらず、暗く、じめじめしていています。
「なんでよりによってこんなカビの生えそうな席に当たってしまったのだろう? 憂鬱な二学期! ああ、元の席が懐かしい……」
輪野くんが恋焦がれる窓際最後列の席は、春には蝶々がガラス窓をはたはたとはたき、中庭の花壇には色とりどりの花々がパステル調に咲き、晴れた日には柔らかい日差しが射し込み、春眠午後はぐっすり、雨の日には水滴がガラス窓に幻想的な模様を描き、飽きることなく時間は過ぎていきます。
夏は夏で緑いよいよ深く、花も鮮やかに目を楽しませ、少々陽射しは強いものの、窓を開け放ち、高く昇った太陽に土や草の焦げる匂いを嗅ぎながら日焼けを試みるのでした。
(乙女が花咲き乱れる野原を走ってくる)
勉強があまり芳しくない輪野くんにとって一学期は、周囲の人材も完璧でした。隣の席の田口くんは医者の息子で医学部希望で、休み時間ごとに英語辞書を1ページずつ書き取りしていました。性格も穏和で心が広く人格者です。前の席の渡辺くんは文学はからっきしですが、有望なピアニストで数学に関しては天才的な閃きを持っている変わり者です。彼らは授業中輪野くんが指名されたときには、頼まずとも小声で解答に導いてくれます。輪野くんは腹話術の人形のように彼らの言葉を繰り返せばよかったのです。
また輪野くんの後ろにある掃除用ロッカーと壁の隙間は先生の知らない秘密の本棚でした。週刊のマンガ本はもちろん、代々先輩が残していった三国志全巻、手塚治虫全集、カムイ伝、はぐれ雲、ゴルゴ13、ポルノ小説、SF、ミステリー……乱雑ではありましたがたくさんの本が眠っていました。授業中に読むのですが、一年かけても読み終えられないほど膨大な量です。
携帯ゲームも後ろのコンセントから電気を取りながら楽しむことができました。パズルゲームに圧倒的な強さを誇る渡辺くんに一勝することが今年の目標でした。
(乙女が蝶々の飛び交う野原を走ってくる)
「ああ……」
二学期はすでに始まっています。授業は矢のように進行していきます。しかし輪野くんは元の席恋しさに溜息ばかりです。乙女のように。眠たげな午後、漢文の授業中に輪野くんはうつらうつらと頭をうなだれて、深い眠気に落ち込んでいきます。ああ……。
(花咲く野原を走り抜け、乙女は優美で柔らかな笑顔で微笑みかける)
(輪野くんの胸に乙女が飛び込んでくる。両腕を拡げて抱き締めようとすると、やおら微笑みながら乙女は重たいびんたを喰らわした!)
眠っていた輪野くんに重い衝撃が襲いかかる。司馬遷好きのシバヅケの顔と花咲く乙女の顔が重なり合いながら、こう言う。
シバヅケ:「授業をなめるなよ!」
花咲く乙女:「勉学に励めよ!」
■ BACK TO "SOLENOID" TOP