最後の武首間芸
  written by S.NUNOI / arranged by SOLENOID   last update : 01.03.11




武(もののふ)も斬られれば首(こうべ)となる。
呪(のろい)柳宗先生のお言葉である。
武と首の間に、武首間、すなわち襖(ふすま)がある。
武首間芸とは、生と死の狭間で見せる武士の咆哮である。


関白秀吉は武士のたしなみとして茶の湯と武首間芸を奨励した。
私は初め同士たちにそそのかされて茶の湯を選んだが、
呪先生のお言葉に触れて、戦乱の世に生きる益荒男は
武首間芸をこそ極めるべきではないかと思い改めるに至った。
よく武首間芸と屏風芸を混同する者があるが、迷惑甚だしい。
たしかに半身を隠した一人芝居であるという点においては似ているが、
ただ無造作に仕切りを置くだけの屏風芸には、
武首間を開く刹那の、あの夜這いのような胸の高鳴りがない。
武首間に手をかけて、その芸に要する幅だけ開くと、
強面の武者たちが頬を桃色に染めて待ち焦がれている。
一度広間を笑いの渦に巻き込んだ者は、
武首間芸の阿片のような魅力に取り憑かれ、逃れられなくなる。
かく申す不祥深川も、呪先生の門を叩いて以来武首間芸の奥深さに心底魅せられ、
まだまだ未熟ながら今年で四年目の「武首間初め」を迎えることと相成った。


忘れてならぬこととして、武首間芸には闇の一面もある。
最も広間の空気を寒からしめた者に対して与えられる罰、「自戒」がそれである。
一同の心を冷たくし、演ずる者を赤面させた粗悪な芸を、
もう一度、つまらぬことを前提に披露し直さなければならないのだ。
皆そのつまらなさを見下し、目尻に涙が浮かぶほど笑い転げる。
武士に生まれてこれ以上の屈辱はない。
昨年正月の自戒者が、誰あろうこの深川であった。
恥を拭うため腹を切ろうとした私を涙ながらに食い止めた妻のためにも、
面目を取り戻さなければならない。
私の武としての一年間が、元日のこの場に集約されているのだ。


*     *


大広間には入門者から呪先生に至るまで、
武首間芸の求道者たちが一堂に会している。
みな一様に緊張した面もちであったが、中には己が今日披露する芸を頭に思い描いて
頬を弛めたり肩を震わせている者もある。
広間の下手には、群青の波が荒々しく描かれた、白く輝く豪奢な武首間が立ちはだかっている。
武首間の向こうにあるのは暗黒の役所、冥府である。
独り死地に立ち、活路を見いだす武首間芸。
広間に座す面々は、笑いにもんどり打つか、はたまた冷たく静まり返るか。
もし今年も自戒を強いられるようなことがあれば、私はその場で腹を切るであろう。
脇差しに手をかけて、奥歯を噛みしめる。
新春の透き通った空気に、脇の下や太股が強張っている。


若々しい入門者たちの芸が披露される。
一人の身体を左右二つに分ける若武者たち。
着想、演技ともにまだまだ未熟であったが、武首間芸の世界は入門者に寛大である。
みな穏やかな笑顔をもって見つめ、
見つめられる若武者たちもまた、安堵の中で演技することを許されている。
それはじつに微笑ましい、心温まる光景であった。


入門二年目以降の武者たちに対しては、和やかな中にも厳しい選定の視線が注がれる。
身体の動きが緩慢であるために武首間に隠しておくべき半身が覗いてしまったときなど、
露骨に侮蔑の眼差しを向けられたり、庭の方に目を逸らされたりされてしまう。
芸が無駄に冗長であることや表情に硬さが見られることなども御法度だ。
笑いを取ったときでも、使用した小物が芸に見合わず大がかりに過ぎればまた評価を 下げる。
武首間芸一般に言えることとして、
達人になればなるほど演技の時間が短く、使用する小物も簡素である。
武首間を半分開いて、
演技を開始した刹那に場を笑いの渦に巻き込み、二呼吸目には演技を終えている、
というのが真の達人であろう。
申すまでもなく、この深川のごときには遠く果てしない道のりである。


中堅たちの芸も一通り過ぎて、
いよいよ昨年呪先生から紅の座布団を拝領した堀田近江守悠玄の出番が訪れた。
一同の視線がそれまでに増して期待に漲る。
悠玄は武首間初め四年目、
私と同期生であり、戦場においてと同様、武首間芸でも知将として知られていた。
一年目から笑いと感嘆の入り交じった唸り声を浴びていた悠玄だが、
昨年は呪先生のご子息である狩呂須(かるろす)殿と票を二分し、
先生の鶴の一声でついに第一等を得た。
へそを曲げた狩呂須殿は
呪先生を罵ってその場で勘当と破門を同時に言い渡され、姿をくらます。
以来悠玄は先生のご寵愛を一身に受けている。


開いた武首間から悠玄の半身が現れる。
身体の芯がしっかりと固定されながら、身のこなしは優雅である。
呪先生が白くなった後ろ髪を軽く撫でているのは、期待に胸を高鳴らせている証拠だ。
羨ましい、私の番でも呪先生はあの仕草を見せてくれるだろうか……
私がぼんやりしていると、何言ってやがる、このでくの坊! 悠玄の甲高い声が響く。
私ははっと我に返って悠玄の芸に眼差しを戻す。
悠玄は己をはるかに上回る身の丈の男と対峙していた。
悠玄は男に胸ぐらを掴まれた。
喧嘩芸とは、悠玄らしからぬ伝統的な芸である。
伝統に回帰するとは、呪先生に寵愛された知謀もいよいよ錆びついたか、
私を含めた誰もがそう思ったとき、悠玄の身体が宙に浮いた。
悠玄は大男に投げ飛ばされ、広間に転がった。
呪先生がそばかすのまばらな目尻に深い皺をつくって大いに笑われている。
私も一同も目を丸くするばかりであった。
血気盛んな若武者たちが好奇の心を抑えきれず武首間を全開すると、
驚いたことに、そこには檜の三方が転がっていた。
あの紅の座布団が載っていた、呪先生門下の者にとって神聖この上ない台である。
三方があったはずの場所を見ると、座布団が無造作に置かれている。
見事なお手前であった、呪先生が仰ると、皆悠玄の豪胆さと知略に感服し、喝采した。


悠玄に続く者たちは見るも無惨、語るも無惨であった。
扇子や刀、果ては槍や褌まで小物に用いる者もあったが、
ことごとく悠玄の大胆な武首間芸の後では霞んで見えた。
そして私の出番である。
この深川自身としては、今年の悠玄にも決して見劣りしていないと自負できる芸である。
何も臆することはなかった。
肝を縮めることなく万端慶びに満ちたまま終えれば、
そこには哄笑の渦が巻き起こっているはずである。
私は小物の三味線を携え、武首間の奥へと歩を進めた。


悠玄のような器用さを持ち合わせていない私は、
本日披露する芸の着想を得てからというもの、三味線に半年、小唄に半年の月日を費やしてきた。
指は震えていないし、声の調子も良く、血色も悪くない。
一同の口腔が次々と笑いに花開き、白い歯が輝くのが目に見えるようであった。
私は深く息をつく。
いざ晴れの舞台を踏まんとした、いままさにそのときである。
突然、巨大な毛むくじゃらの手が私の背後からぬっと突き出され、武首間にかかった。
度肝を抜かれた私が振り返ると、
そこには行方をくらませていた、かの放蕩息子、狩呂須の姿があった。
狩呂須は暗がりの中で爛々と眼光を燃やして私を見下ろしている。
異人の血が混ざったその体躯はまさしく猛虎のごとく強大である。
虎の毛皮でできた紋付きを羽織り、
頭には、戦場で討ち取った武将のものであろうか、兜のごとく髑髏が乗せられている。
私はか細い声で狩呂須殿、と呼びかけるのがやっとであった。
そんな私を無視して狩呂須が武首間を開くと、広間は大いにどよめいた。
悠玄をはじめとする一同が狩呂須と呪先生の顔を交互にうかがっている。
黙ってにらみ合う先生と狩呂須。
やがて呪先生が苦虫を噛み潰したような気色で、何しにきおったと尋ねられた。
決まっておる、武首間芸の神髄を親爺様にご披露しに参ったのだ、と狩呂須。
悠玄が刀に手をかけて立ち上がり、控えい下郎、呪先生の御前であるぞと絶叫したが、
呪先生がそれを制して、
面白いな狩呂須、よかろう見せてみよ、邪道を歩んできたお主の武首間芸を。
狩呂須は一礼して武首間の奥に退いた。
悠玄が取り乱した様子で良いのですか呪先生、と声を荒げている。
呪先生は白い髭をしごきながら、あやつも一度自戒の罰を受ければ変わるやもしれぬと呟かれた。
私の考えが浅うございましたと納得して腕を組む悠玄。
私は三味線を手にしたまま呆然とするばかりであった。


呪先生、悠玄、私、その他大勢の武が、固唾を飲んで狩呂須の武首間を見つめている。
開いた武首間の向こうから何が出てきても、
狩呂須の異様な風体を越えるような強い印象を受けることはあるまいと誰もが思った。
しかし芸が始まると、その予想は覆された。
閉ざされた武首間から、突然庭石のような拳が突き出されたのである。
狩呂須がゆっくり拳を抜くと、穴のあいた武首間の向こうに闇がひろがる。
私は武首間の穴よりも大きく口を開いたまま硬直してしまった。
武首間に穴をあけるなどというのは武首間芸の常識を覆すものであり、
それだけでも豪胆さにおいて悠玄の芸を遙かに凌いでいた。
呪先生の額に汗がにじんでいるのが見て取れる。
しばらく沈黙していた武首間の向こうから、廊下を駆ける音が聞こえた。
助けてくれ、誰か、助けてくれ、泣き叫ぶような狩呂須の声。
武首間が素早く開かれる。
狩呂須の半身は、誰の目にも物陰に隠れている様子であるとわかった。
息を殺す狩呂須。
そっと身を乗り出して、左右をうかがう。
だいじょうぶだ、逃げ切った、もう追いかけてこない、
狩呂須は表情で巧みに心の声を伝えた。
すると、先ほどあけた穴から、亡霊のように髑髏が覗いているのが見える。
安堵しきった狩呂須を冷徹に見下ろす髑髏。
背筋に悪寒を感じた狩呂須がゆっくりと振り返る。
髑髏と目が合い、悲鳴をあげる。
天誅、という科白とともに開かれた髑髏の口から小鳥が飛び出し、
まっしぐらに上座の呪先生めがけて突っ込んでいく。
呪先生は都じゅうに響き渡るような叫び声をあげてひっくり返り、柱に頭を打ちつけた。
白髪を振り乱して痛みに悶え転げる先生。
いの一番に大笑いした悠玄につられ、私も一同も堰を切ったように笑った。
悠然と立ち上がる狩呂須、酒をこぼして着物を乱されたまま頭をおさえる先生、
それを指さして笑う武たち。
呪先生が身体を起こされたとき、笑いは止んだ。


沈黙する一同。
悠玄が畳に額をすりつけて失笑でございましたと詫びる。
私を含めた皆そこまではしなかったが、姿勢を正して咳払いなどをしながら笑いをこらえた。
永い沈黙が広間を支配した。
呪先生は苛立ったように周囲を見渡しながら笑わぬのかと仰ったが、
正直おかしいもののそういうわけにも参らない。
狩呂須をにらむ先生。
狩呂須は髑髏の頭に酒を注いで、一息に飲み干した。
なるほどのう、先生はそう呟かれたすぐ後に、悠玄の名を強く呼ばれた。
縮み上がったまま面を上げられぬ悠玄。
悠玄、お主も武首間芸に動きを取り入れた点で斬新であったが、
狩呂須は武首間に穴をあけ、さらに動物を用いるという荒技で
お主の遙か先を行ってしまったわ。
悠玄は声を震わせて、
恐れながら呪先生、私めにはいまひとつの秘技がございまして、
何卒ご披露の機会をお与えください。
無駄じゃ、と狩呂須が怒鳴る。
もう勝負はついた、お主らの中にわしの芸を越えられる者はおらぬ、
それは親爺様がいちばんよく御存知のはずじゃ、
のう親爺様、もはや投票の必要すらあるまいて。
先生はうつむいたまま黙られてしまう。
私は手元の三味線を顧みたが、
いまの狩呂須の武首間芸を凌ぐ芸が披露できるとは到底考えられない。
重苦しい空気の中、呪先生がおもむろに立ち上がられた。
親爺様自ら座布団を手渡しに立ってくださるとは光栄じゃ、
などとすっかり上機嫌になった狩呂須を先生が制して、
上には上がおることを知るがよい。
ほう、それではここにいる何者が、わしの芸を越えられると申されるのか。
先生はかっと目を見開き、だまらっしゃい、と強く叱りつける。
そして何と、自ら武首間の方へと歩んで行かれたのである。


狩呂須の登場にも増してざわめく広間。
先生は閉ざされた武首間の奥におられる。
先生の武首間芸は関白秀吉と、茶の湯の第一人者千利休が
絶賛したという伝説が残されているのみで、
門下生で実際にそれを目にした者はない。
実の息子である狩呂須ですら、稽古を見ることは禁じられていた。
かつては武首間芸の神髄と称えられた先生の芸も、時代の流れにどれほど応えられるものか、
私は不安でならなかった。
それ以上に、先生はご高齢を召されている。
追い打ちをかけるように、狩呂須の拳によって武首間に大きくあけられた穴。
万一呪先生が恥をかかされるようなことがあれば、
狩呂須を成敗してでも武首間芸の誇りは守らねばならぬ。
私は密かに狩呂須との間合いを測っていた。


準備だけでもう半刻が過ぎようとしている。
武首間の穴をどうすべきか、思案しておられるのだろう。
おやおや尻尾を巻いて逃げ出したかな、などと嗤う狩呂須を私はにらみつける。
しかしすぐににらみ返されて下を向いてしまった。
大丈夫だ、先生は必ずやあの穴を有利に転じて見せ、我々を仰天させてくれるはずだ、
私はそう己に言い聞かせたが、心の声も弱々しくなるほど不安であった。


うつむく私の耳に、遠方から何かのかけ声が聞こえてくる。
せいや、せいや……。
声はだんだんと近づいてくる。
武首間の向こうからだ。
せいや、せいや……。
先生の声だ。
溌剌としたかけ声が徐々に近づいてくる。
もう武首間のすぐ向こうまできている。
せいや、せいや、せいや……。
私はこれから何が起きるのかを必死で予想した。
しかし実際に起きたことは、私の予想のどれにも当てはまらなかった。
私は己の目を疑った。
霹靂のような快音が広間に響き、武首間は穴もろとも全開されたのである。
開いた武首間の向こうには、一人汗をとばしながら神輿を担ぐ呪先生の姿があった。
せいや! せいや!
先生の華奢な身体にはあまりに荷重の神輿が、かけ声に合わせて揺れている。
揺れる神輿から軽快な金属の音が聞こえてくる。
先生の首筋が強張り、その目は鋭く虚空を見つめている。
せいや! せいや! せいや! せいや!
着物が乱れ、痩せた胸板や褌の端が見えている。
舞い降りる紙吹雪が汗ばんだ肌に貼り付く。
呪先生は神輿を担いだまま広間を一周し、廊下から庭の外へと消えていった。
私は夢現のままそれを見送った。


*     *


開票。
参加者全員が、左手に最も笑いを取ったであろう者の名を、
右手に最も場を白けさせたであろう者の名を書き、
一斉に、まずは右手から開く。
左手を固く握りしめたまま、開かれる右手。
私の右手にも悠玄の右手にも狩呂須の右手にも、他の誰の右手にも、
一様に「呪」の文字が刻まれており、当の呪先生の右手だけ「狩呂須」と書いてあった。
激する心を堪えきれぬ呪先生の頬が紅潮し、その目にうっすらと涙が滲む。 初めて弟子たちに披露した武首間芸が
よりにもよって自戒の憂き目に遭ってしまったのであるから、無理もなかろう。
もちろん、斟酌の余地はあった。
狩呂須があけた穴をどう使っても狩呂須の芸を超えることは不可能であったろうし、
師として、また父親として、あの場面では勝負に出る他なかったはずである。
しかし先生が見せたのは、武首間芸ではない。
武首間を用いた一人芝居、という伝統を根底から破ってしまったのだから、
皆の決定はやむを得ないことと思われた。


呪先生に自らが定めた自戒の罰が課せられる。
渋々神輿を準備する先生。
誰か手伝えと目線で訴えられたが、決まり事でそれは許されなかった。
演技に入っても先程とは打って変わってまったく覇気がなく、かけ声も小さい。
表情も腐りきっておられる。
かけ声を加勢しようとした悠玄がつい吹き出してしまい、一同は腹痛に涙するほど笑った。
堪忍袋の緒が切れた呪先生は神輿を畳の上に投げ捨て、
もう知らん、お主らこわっぱどもに武首間芸がわかってたまるか、
と吐き捨てて再び庭の外へ駆け出してしまわれた。
お待ちくだされと引き留める悠玄の声が笑いに震えている。
走り去る先生の目に涙が光っていた。


左手の開票。
今年ばかりは、この深川も己の決定に自信が持てなかった。
狩呂須や悠玄もどこか迷ったような風情を見せており、
先生がいないことも手伝って広間は何やら浮ついた空気に包まれていた。
開かれる左手。
私はそれを見て驚いた。
狩呂須の手、悠玄の手、その他門下生たちの手にも、
私の手に書かれていたのと同じ「呪」の一字がはっきりと記されていたのである。
皆顔を見合わせて唖然としている。
まったく、まだまだ親爺様にはかなわねえや、
狩呂須がそう言って笑うと、つられて私や悠玄たちも笑った。
正月の空は、高く晴れ渡っていた。


以後、武首間芸は衰退の一途を辿り、
翌年の正月を迎える頃には皆茶の湯に鞍替えしてしまった。
呪先生は究極の武首間芸を披露することにより、
結果として武首間芸の歴史に幕を閉じてしまったのである。
しかしあの瞬間、武首間が開いて神輿を担いだ呪先生のお姿は、
私の中にいまも力強く、鮮明に残っている。
先生のかけ声、ほとばしる汗、揺れる畳、白い紙吹雪、そして皆の笑顔……
それらの 一つ一つを思い起こすたびに、私の武としての魂には活力と勇気が溢れてくる。


武首間芸とは、生と死の狭間で見せる武士の咆哮である。


あのとき私たちが見た芸こそが、まさしく呪先生のお言葉そのものであった。



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