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前編において、「『トランス』という言葉の持つ意味の二重性」のうちの「そもそもの意味としてのトランス」について触れた。後編では、「音楽ジャンルとしてのトランス」について見てみたい。
いわゆる「トランス」と呼ばれるクラブミュージックには、大きく分けて二つの潮流がある。二つの誕生と育ちは違うとされているが、現在までの過程において、互いの影響があったことは否定しようがない。
95〜98年頃までは「トランス」と言えば「ゴア・サイケデリック系」のことを指していたが、現在ではこの「エピック・ユーロ系」を指すのが一般的であるのが実情である(一般層において)。これも「エピック」と「ユーロ」をひとくくりにしてしまっているが、もともと「エピックハウス」「ドリームハウス」などと呼ばれていたものが、今ではジャンルがかなり増えたため、その総称としてこの言葉を便宜的に使用した。歴史的な部分はあまり触れないが、90年代初頭に主にドイツで起こった「ジャーマントランス」が元となっている。
内容としては、恍惚感のみに焦点をあてそのやり方を抽出、様式化し、どちらかいうと展開や雰囲気で恍惚感を呼び起こさせるようなものが多い。よって、理性を忘れて自我を忘れるほどのトランス状態というものとはほど遠いものであるが、その一歩手前のトランス状態、「夢中」という状態には比較的なりやすい内容であるし、作り手もそれを意識している。
しかし、様式化しているということはもっと言えば慣用句的なものが増え、結果的に似たようなものが乱発される傾向になってしまうということである(きれいなメロディ、分かりやすいブレイクなど)。その様式化は、時としてブームを起こし、終焉させる。もっと言えば、ポップなのであり、商売戦略的視点から見ても、扱いやすいものなのである。
エピック/ユーロトランスの中でも色々なサウンドがあり、詳しくは「ジャンル内ジャンル解説」を各々参照されたい。
前半の内容と深く関係があるのが、もうひとつのトランスの潮流、この「ゴア/サイケデリックトランス」である。
「ゴア」と「サイケデリック」をひとつにまとめてしまったが、厳密にはこの二つは完全に同一のものではない。この二つの違いは「ジャンル内ジャンル」で触れるが、基本的にサイケデリックの中にゴアが含まれると考えてよい。
前編の内容とよりかかわりが深いのは、疑うことなくこの「ゴア/サイケデリックトランス」である。前編において、宗教と音楽とトランスの関係について説明をしたが、そうした儀式的な場に満ち溢れている「非日常性」、これがこのジャンルでは、音楽的な部分だけでなく、実際の儀式の場(=パーティー)においても巧妙に取り入られている。
視覚面についてまずは見てみよう。
最近はともかく、90年代中ごろ、すなわち「トランス」と言えばまだ「ゴア/サイケデリックトランス」のことを指していた頃、主流となっていたのはゴア色の強いトランスであった。そうした音楽のCDジャケット、及びインナースリーヴには得てして宗教色の強いもの(といっても欧米のそれではなく、イスラームであったり、仏教であったり。理由は前編を読んでいただいたから分かるであろう)であったり、サイケデリックな派手な色調のものであったり、文字フォントをあえて読めないようなものにしたり、など、一目見てゴアトランスのCDだと分かってしまうようなものばかりであった。やはりここでもキーワードは「非日常性」である。
またこのジャンルはパーティーとの関係が非常に強い。それはパーティーが「儀式の場」であるため当然である。場所も屋内だけでなく屋外でも盛んで、大自然の山林や広い砂漠と様々である。またパーティーに行くと、いろいろな面で他のジャンルのパーティーとは異なる部分を見ることができる。それは多様なオブジェクト類で装飾が施されていることだ。つまりこれは前編ともつながることであるが、視覚的にも非日常的なものを取り入れようというものであり、結果として宗教的なものを連想させるものから、超現実的なもの、やや俗っぽい言い方をすれば、「なんだか意味不明なもの」を見ることができる(そしてそれらは部外者から見れば不気味であったり、気色の悪いものと映るかもしれない物である)。フライヤーやビデオクリップなどのその他の面でも、視覚的に変わった試みをしている所が多く、そうした部分はコミュニティの外にいるものからは非常に特異に思えるかもしれない。
以上、視覚面における前編とのつながりを見てきた。では、聴覚を刺激する実際のサウンドの方はどう関係があるのであろうか。
音の方でも、前編での説明と関係がある部分が聴かれる。まず「単調な展開、重低音と高音」というのはクラブミュージックのほとんどにおいて言えることであるが、「複雑な倍音構成の音色」、このことはエグい音の出し方のあたりに見受けられる。このエグい音色と、ダブの要素が組み合わさった時に出されるサウンドを耳にすることは、非日常的体験以外の何ものでもない。またフレーズが細かく刻まれ、速いBPMに乗ってたたみかけてくる様は、バリのガムランなど、ハードな宗教音楽、民族音楽と共通する部分がある。また宗教的なものを思わせるフレーズ、メロディが出てくることもあるが、これに関してはもはや説明は要らないであろう。宇宙などがよく出てくるのも、全ては「非日常性」から来るものである。
こうした視聴覚面で施されている工夫により、聴くものは非常に忘我的な気分を味わいやすく、またその内容からドラッグの存在と強く結びついている。というか、そもそもドラッグを使用していることを前提としている部分もあり、そうした工夫は、言い換えればドラッギーなものであるとも言える(どちらも非日常的、超日常的なのであるから、当然ではあるのだが)。
さて、ジャンルとしての解説はほぼこれで終わったのであるが、最後にアンダーグラウンド性についてみてみたい。
ゴア/サイケデリックトランスは前編の内容と深く関わっているため、当然ながらその性格も似ている部分が多い。つまり儀式的な場というものは非常に特殊的なもの、非日常的なものであり、どちらかと言うと限られた状況でのものが多い(だからこそ神秘主義集団などが好む)。そして、そうした限られたコミュニティにおける限られたコミュンミケーションは、そのコミュニティ外の者から見ればある種の「いかがわしさ」を連想させるものである(だからこそ神秘主義教団、カルト教団は「妖しい存在」として社会に受け止められ、また彼らもそうした評価をされても気にしない)。
ゴア/サイケデリックトランスは、ヒッピーやインドのゴア地方と密接な関係があることからも分かるように、もともとの性質としてアンダーグラウンドなものである。またドラッグとも強く結びついているため、長い間、社会の陰で一部の者たちにのみ熱狂的に、いわば神秘主義的に支持されてきたのであるが、最近はそうした今までの流れから変わり、メジャーな存在となってきている。それはオーガナイザーやレコード会社やマスメディアが助長している部分もあるのであるが、そもそのトランスアーティスト側が先に述べたような「非日常的」な部分を止めてしまった部分もあり(主に視覚面)、その結果、神秘性というか、特異性が薄められ、他のジャンルとそれほど変わらないものとして受け止められてしまっていることが理由のひとつにあるのではないかと思われる。その結果コミュニティは大きく膨れ上がり、商業戦略の枠組みに組み入れられ、以前から属していたもの達と新しくはいってきたもの達とのカベがあるという状況は、残念と言えば残念であるが、当然と言えば当然である。
以前から属していた人たちの中にはこう思っている人もいることだろう。
「トランスのことをよく知りもしないでブームに乗って来ているお前たちのお陰で、俺たちの居場所がなくなっちまった…!」
(Last Update: 2003.07)
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