災難の町:Accident Town



[ 章








  pole_fox





 イエロー・ドリー・ルゥがやって来た  
 
 仔鹿に乗ってやって来た
 
 彼女は羽根つき帽子をかぶってる
 
 中華四千年のよい淑女♪




 対訳
  Yellow Dolly Lu came to town,
  Riding on a fawn;
  She stuck a feather in her hat
  And called it Noodles.




的涼鹿宛に音もなく手紙は届いた・・・。


  matorjiska


 7月9日水曜日、午後12時40分。

 その手紙を最初に手にしたのはデス署長だった。さすがに同居はクロノに断られたが、ローズとジミーのその後が気になる彼は、時間をやりくりして最低一度はヘアーズ邸へ必ず立ち寄ることを日課にしていた。ノッカーのウサギに手を伸ばそうとしたデスの目に、ポストからはみ出しているクリーム色の封筒が映った。
 彼は手袋をはめると、注意深く封筒を取り出した。

 フェアバンクス夫人に教えられ、デスは庭へ回った。かすかな調べが流れてくる。フォスターの『夢見る人(Beautiful Dreamer)』。やがてフレーズは別の曲に変わった。デスはふと、眉根を上げた。
 手紙の受取人はベンチに座ってハーモニカを吹いていたが、彼に気づくと立ち上がった。デスは軽く挨拶すると座るよう合図し、自分も並んで腰を下ろした。「音楽が好きなのかね」
「はい」涼鹿の顔がほころんだ。
「父の影響みたい。パァパはいつも歌を歌ってたの。若い頃に流行ったポップスとか、いろいろ。これも」とハーモニカを示す。「パァパからの誕生プレゼントだったんです。くれたその年にいなくなっちゃったんですけど」
「なるほど」
 記憶が甦る。遠い昔のフォックスヴィルスタジアム。ベンジャミン・ヘアーズはフォックスヴィル高校の応援団長で、スタンドで声を嗄らして声援を送っていた。控えの1年生ピッチャーとして、ベンチで待機していたデスの耳にも、充分轟く大声だった。そう言えば、先刻のメロディーは確か……
 デスは大きく息をついた。「ところで、これを見て欲しい。さっきポストで見つけたんだ」そして、相手の顔色に気を配りながら、ハンカチにくるんで封書を差し出した。受け取る涼鹿の手がかすかに震えた。
 署長から手袋を借りて封を切った彼女は、無言のまま文面を読むと、天を仰いで瞑目した。そして小さく言った。「……今度狙われるのは、私なんですね……」

「安物の封筒と便箋、定規を当てたような活字体の文字、マザー・グース――いつものとおりだ」デスは値踏みした。「とは言っても署名がない。危害を加えることを仄めかすような文言も見当たらん。だから便乗した愉快犯のしわざとも考えられる。だが油断は禁物だ。“FOX”の犯行予告と解釈した方が無難だろう。
 しかし、なぜあんたが狙われるんだ?」デスは首をかしげた。「遺産が目当てならずいぶん持って回った話だ。そりゃあヴェリーだって脅迫状を受け取ったのだから、順位は関係ないとも言えるが……あんたはここへ来てまだふた月にもならないじゃないか。なのに、もうそんなトラブルに巻き込まれているのか」
「心当たりなら無くもありません」涼鹿は冷静に返答した。
「でも、その件は場を改めてお話します。私も少し考えてみたいんです」
「だったら明日にでも署に来なさい。この手紙は証拠として私が持ち帰る」
 デスは手帳を1ページ引き裂き、簡単な預り証を書いて渡した。そして涼鹿の顔をじっと見据えて言った。「さっき吹いていた曲を、もう一度演奏してくれないか」
 涼鹿は従った。吹き終えると、デスは腕組みをして何やら考えていた。そして言った。「タイトルを知っているかね?」
「いいえ。でもフォックスヴィル高校の応援歌でしょう? 教わったわけじゃないけど、いつも歌ってたから自然に覚えちゃったんです」
「耳で聴いたとおりに吹いたのか」
「はい」
 デスはしばらく無言で立ち尽くした。
 やがて重々しく口を開いた。「11小節目の弱起の三連符――ベンジャミンにも、同じ音を外す癖があった」

 くれぐれも注意するようにと言い残してデス署長が去った後、涼鹿は子供たちに午後の授業の中止を告げた。
「どうしたの?」とリヨ。涼鹿はあっけらかんと答えた。「FOXから手紙が来たの」
 絶句したふたりを前に彼女は続けた。「だから忙しくなっちゃった。ふたりとも手伝ってくれない?」


「まずリヨちゃん」涼鹿は命令した。「シュウシュの部屋の合鍵、借りてきて。フェアバンクスさんがきっと持ってるわ。それからジミーはこの前読んであげた本あったでしょ? 学校の図書館からもらったっていう」ジミーがうなづく。「それ、もう1回見せてちょうだい」
 子供たちが慌てて作業にかかったあと、涼鹿はデスとの会見を反芻した。去り際の一言は思いがけない嬉しい発見だった。いや、署長にはもっと感謝しなければいけない。音楽の話題が出たことで、ある考えが浮かんだのだから。
 ジミーが抱えてきた段ボール箱を手早く検分する。『宝島』、『ジャングル・ブック』、『フォックスヴィルの伝承・風習』、『狐物語』……『バスカヴィル家の犬』、『長い冬休み』、『悪の起源』、『操り人形殺人事件』……「あ、これだ」フォックスヴィル西区ボーイスカウト団の広報誌を広げ、何事かノートに書きとめると、涼鹿は立ち上がった。
 リヨが鍵束を持って戻ってくる。クロノは今日も留守だ。チャンスは今しかない。彼女はリヨとジミーを従えてクロノの部屋の前に立つと、祈るような気持ちで鍵をノブに差し込んだ。
 錠が外れた。中に入って周囲を見渡す。彼はかつてのバックスの私室を自分用に割り当てていた。ヨッシュが死んだあと、何度か3人で改めたが、特に手がかりになりそうな品は見つからなかった。しかし今は――
「あった」見覚えのあるビデオ・カセットに涼鹿は緊張を強めた。手早く取り出し、ビデオデッキに投入する。再生が始まるのを待ちながら、もしかしたらクロノが用意周到に消去済みかもしれないという懸念が脳裏に浮かんだ。けれども画像が現れ、続いてオープニングに表示された日時を確かめて、彼女は安堵のため息をついた。間違いない。リサが非業の死を遂げた翌日、『ハンプシャー・ダンプシャー』で見たエクササイズの番組だ。涼鹿は子供たちに頼んだ。
「ふたりとも一緒に見て。私に何かあった時、こういうものがあったって証人になってほしいの」

 以前に見たのと寸分たがわぬ内容が再現されていく。リヨとジミーはわけが解らず、それでも懸命に画面を追う。涼鹿はところどころテープを止めてはメモを取り、特に“バックス・ベアード”のリクエスト以降はコマ送りも混ぜて2回チェックを行った。
 やがて録画は終わった。リヨが質問する。「先生……今の、何?」
「私とシュウシュが前にこの屋敷から持ち出したビデオよ」いつのことかは言わなかった。リヨに悲しい記憶を呼び覚まさせるからだ。「でも、泥棒したのは私だけってことにしておいて。シュウシュに迷惑かけるから」
「それで……」とジミー。「何か解ったの?」
「解った。このビデオが何を意味しているのか――あとで教えてあげる」
 元通り巻き戻す。自分の推理は裏づけられたと確信しながら、涼鹿は誇らしさと悲しみの入り混じった複雑な思いを味わっていた。
 そして呪文のように呟いた。私は殺されるだろう……“I will be killed ――”

 それから彼女はノートにさらに書き込みを加え、ハンドスキャナーを同封して小包を作った。そしてとある番地に宛てて郵送した。
 次に『ファントム・レディ』に電話をかけた。ハリエットはちょうど休憩を取っているところらしかった。
「あ、涼鹿! ねえ、今夜は久しぶりにうちへ帰ってこない? 実は友達が来てるのよ。あなたにも紹介したいし。一緒に晩御飯食べましょうよ」
「ありがとうハティー、でも遠慮しておく。実はね、FOXが脅迫状をよこしたの。今度のターゲットはあたしらしいわ」
「何ですって!?」金切り声が鼓膜をつんざく。「それ、確かなの? だったら何をぐずぐずしてるのよ、今すぐそこを離れなさい! ボストン、いえ、中国へ帰るのよ。助かる道はそれしかないわ!!」
「だめよ、逃げ切れやしないわ。どうせ追いかけてくるに決まってる。それよりお願いがあるの」涼鹿は言った。「この話、町中に広めて。FOXが今度は的涼鹿を狙ってるって。誰も知らない人がいないようにしてちょうだい」
 息を呑む音。「涼鹿……正気なの?」
「もちろんよ。リヨとジミーにも話してあるの。最後のわがままだと思って、必ずそうしてね」
「最後だなんて――何てこと言うのよ」ハリエットはすすりあげた。
「OK。あたしも何かできないか考えてみる。でもひとつだけ約束して。くれぐれも自棄を起こさないこと。危ない真似だけはしないで。絶対よ」
「うん」


 午後9時。警察から戻った涼鹿は夕食を断り、ベッドに身を投げ出して再び頭の整理を始めた。
 ハリエットが確かに噂をばら撒いてくれた証拠に、デス署長に散々叱られた。だがそれは彼女の精一杯の防衛策でもあった。
「亡くなった3人は、狙われていることを隠していて結局犯人の手にかかったんです。反対に町長は大っぴらに警戒したので命拾いしました。だから私も公表したんです」
「しかし、却って危険じゃないのか」デスは苛立った。「寝た子を起こさないとも限らん。どこかのお調子者がその気になったらどうするんだ」
「でも、今私に近づこうって人がどれくらいいるかしら? 下手したら巻き添えになりかねないもの。だからきっと人は私を避けるわ。けれど好奇心はそそられる。結局、見ないふり、知らないふりをしつつも周囲の耳目は私に集まるでしょう。こないだの騒動の時みたいに」
「周りの人間を相互監視下において、FOXの犯行を妨げようって腹か」
「ええ。少なくともやりづらくなるはず。それに便乗犯が出たとしても、仮に何らかの証拠を残したら、その人は過去のFOXの犯行まで背負い込むはめになるのよ。そんな危険を冒すとは思えないわ」
「考えたな。だが、そううまく行くといいが」
「……とりあえず」涼鹿は肩をすくめた。「そう祈るしかありません」
 ついで彼女は自分を疎んでいるかもしれない相手について語った。まず町長のヴェリー。かつてポッター夫人から彼が彼女を目の敵にしているから用心しろと警告された。そしてローズ。はとこ同士であり、今は同じ家に住んでさえいながら、彼女はなぜか涼鹿に対して距離を置こうとしている。しかも先日はボストンから彼女そっくりの身なりで帰ってきた。
「あとは――パドルダック弁護士です」
 結婚を申し込まれたが断ったと、彼女は告白した。遺言状発表の時から決めていたといいながら、順位が4つも繰り上がった今になって持ち出したことに彼女は不信感を抱いていた。「相続順位の変動に伴う了解事項」という前置きともそぐわない。案の定、本題は別にあった。バックスは遺言補足書を残していたのだ。それによると、涼鹿の相続順が暫定5位以内になったら、本人にDNA鑑定を受けるかどうかの意思確認を行う旨が記されているという。
 もしDNA鑑定を受ければ、判定結果に関係なく彼女の相続権は保証される。すなわち彼女がバックスの真の孫でなくても、財産は譲られるというのだ。しかし拒否したら、その時点で相続権は剥奪される。
「それも断ったのかね」
「いいえ、それはまだ。考えがまとまらなくて……祖父の疑念を見返したい気持ちと、財産を叩きつけてやりたい気持ちがごっちゃになって――弁護士さんはやっぱり金が惜しいんだろうって顔してましたけど」

 帰りは署長自身が送ってくれた。途中、『ファントム・レディ』の前を通った。ハリエットに会って行きたかったが、車窓からそっと覗くだけで我慢した。彼女ともうひとり、誰かの姿がちらっと見えた。ロビンかもしれない。あのふたりができれば元の鞘に納まってほしいと、涼鹿は心から願った。
 運転しながら、デスがぽつりと言った。「アレックスのことだがね。命だけは助かるすべがあるらしい。究極の手段らしいが――」
「本当ですか。だったら嬉しいわ」
「それと、あの子の本当の母親についてもだいぶ詳しいことが判ってきた。名前はデボラ・フォックス。夫のリンドン大尉は1991年の湾岸戦争で戦死している。つまり、ベンジャミンの失踪とアレックスとは全く関係がないんだ。トマトがあの子を君の弟に仕立て上げた理由は――まあ、そんなことはもうどうでもいいか」
 涼鹿は返事をしなかった。そのまま、車はヘアーズ邸に着いた。


 心配そうに家人が出迎える中、彼女はローズとクロノの表情を窺った。ローズは動揺を隠せなかった。そしてクロノはちらりと彼女を見やったきり、無言で部屋に引き上げた。侵入に気づいただろうか。それならそれでかまわない。
 FOXの手紙にあったマザー・グースを思い浮かべる。『ヤンキー・ドゥードル』のもじりだ。


ヤンキー・ドゥードルがやって来た   Yankee Doodle came to town,
  仔馬に乗ってやって来た        Riding on a pony;
  帽子に一本羽根挿して         He stuck a feather in his cap
  イタリア仕込みの伊達男        And called it macaroni.


 FOXは涼鹿に合わせて歌詞を一部変えている。イエロー・ドリー・ルウという呼び方は一見、東洋人蔑視の表れのように取れる。けれども彼女はそれは見せかけにすぎないと直感した。理由は、彼女の名前の綴りだ。あの「ルウ」には“o”が欠けていた。正しくは“Dolly Lou”なのだ。
 定規を使ったため書きづらくてミスしたとは思えない。なぜならyankee をyellow、macaroniを noodleと、むしろ“o”が多くなる単語へ言い換えているからだ。それなのに肝心の名前で落とすというのは……
 知らなかったからかもしれない。
 あの一連のタブロイド紙騒動が脳裏をよぎる。だが、あまたの新聞の中で彼女のことを「ドリー・ルウ・ヘアーズ」として扱っていたのは一紙もなかった。彼女はあくまで「的涼鹿(De Liang Lu)」だった。従って手紙をよこしたのは彼女のアメリカ名を知っているが、綴りまでは知らない誰かとなる。だから「ルウ」に対応する音の表記をそのまま援用したのだろう。
 ただし、「鹿」または“lu”が中国語のdeerもしくはfawnであることは知っていた。さもなければ元歌どおりponyを使ったはずだ。それだけの情報を持ち合わせているのは、当のヘアーズ一族以外に考えられない。そして誰も除外できない。死者でさえもだ。無知を装うことくらい簡単だし、あの手紙がいつ書かれたのかは決して判らないのだから。
 無性に母の声が聞きたい衝動に駆られ、携帯電話を取り出す。しかし指は震えるばかりで動かない。何を話せばいいのか、思考が働かない。疲労は頂点に達していた。
 張り詰めていた糸がぷつんと切れた。今、彼女はまぎれもなくひとりぼっちだった。
「可怕(カーバー)……」
 涼鹿は声を殺して泣いた。

          ※可怕……中国語で「怖い」「恐ろしい」の意。


 翌朝、フォックスヴィルの住人は、新聞1面の隅の個人広告欄に目を奪われた。涼鹿も例外ではなかった。

   
 レナードへ ※

        尻尾は押さえた。箱から出るには5万ドル。
                                              ハンター

         ※『狐物語』の主人公・狐のルナール(Renard)の英語読み



3  SergeantVelie

No.1  フォックスヴィル警察署長デス・ウルフのファイルから

    <デボラ・フォックスの日記抜粋>(ジマイマ・トマトのバックから発見)



1991年2月 
 半年前に結婚したばかりの夫――リンドン・フォックス大尉湾岸戦争で戦死の知らせが届く。

同 6月 
 フォックス家はリンドンの弟が継ぐことになり、私は争いを避けるために身一つで婚家を出る。
 格式ばかりの姑とはどうせうまくはいかなかった。
 ○○(不明)弁護士が訪ねてくる。私に代理母を依頼したいと言う。
 精子提供者は財産家だが、孤独な老人で、後継ぎが欲しいそうだ。
 莫大な謝礼を申し出られる。
 私がその精子との適合者だと言うのがどこでわかったのだろう・・・
 夫の戦死の後、精神的に鬱になり、姑の勧めで『ジャバウォック』付属の精神科にかかった時に受けた健康診断以外思いつかない。

同 7月 
   経済的にも困窮していたので、結果的に代理母の話を受ける。
   男の子がほしいという。女の子であれば、施設に引き取るなり、私が手許で育てるなりしてもいいと言う条件だ。
  

1992年11月末 
   男の子が生まれる。アレックスと名づける。
  精子提供者のバックスがやってきた。老人とはきいていたが、80歳とは・・・
  アレックスを将来、一族の後継者にしたいという。
  外聞を憚るので、すぐには引き取れないが、しばらく手許で育てていて欲しいと言われる。
  赤ん坊は可愛い。一緒にいられるのが嬉しい。
 
同 12月
  弁護士に頼んであったアレックスの出生証明書が届く。
  父親はベンジャミン・ヘアーズとなっている。バックスの行方不明の息子とか。
  彼との結婚証明書もある。
  バックスは父親になるには年をとりすぎているから名目上だと説明されるが・・・
  万が一、ベンジャミンが生きていて、姿を表すことでもあればどうするのだろう。



1995年5月(アレックス 3歳)
  バックスは半年に一度ほど姿を見せる。相変わらず元気で、100歳まで生きそうだ。
  アレックスは「おとうさん」と呼びかける。この子をいつか手放すのが恐い。もう、私の生きがいだ。



2002年5月(アレックス 9歳)
  弁護士からいきなり契約破棄の連絡が来る。
  アレックスをヘアーズ家に迎えられなくなったと一方的に通告される。その代償に500万ドルを提供された。
  よかった。もうこれでアレックスを手放さなくて済む。ヘアーズの内情など、関係ない。

同 9月半ば  運命は残酷だ。
  医者に余命三ヶ月と宣告される。アレックスはまだ9歳だ。どうしたらいいのだろう。
  もう一切連絡をしないように言われていたが、バックスに知らせるしかない。

同 9月末
  ジマイマ・トマト・カッコーがバックスの依頼だと言ってやってきた。
  私の看病とアレックスの世話をしてくれる。看護婦の経験があると言うが、彼女は何者なのだろう。


同 12月 
  もう残された時間はいくばくもない・・・
  全ての財産はアレックスの信託基金にしておいた。あの子が20歳になったら受け取れるように、
  それまではその利子で生活していくことができるだろう。
  ジマイマ・トマトにはその中から給料を払って、今までどおりに世話をしてくれるように頼もう。
  くれぐれもアレックスをバックスの許には連れて行かないように。
  フォックスヴィルには何か嫌なことが待ち構えているような気がしてならない。

 

   愛するアレックス――いつまでもよい子で。




No.2  アレックスの手紙(2003年7月9日)


クロノのにいちゃんへ


ぼくは明日手術を受けます。きょ・・きょせい手術というらしいです。
にいちゃんがぼくの保護者として手術許可のサインをしたと医者が言ってました。
あとは・・・なんとかホルモンの注射を打っていくだけでいいそうです。
女の子になるのかと聞いたら、あと五年ぐらいしてから決めればいいといわれました。

でも、もう女の子がいいと思っています。さっきTVでやっていた東洋のかのー姉妹みたいなナイスバディになって、
浜辺でトップレスで寝転んでみたいです。

一番初めに、ほうきゃ・・・ほうきょ・・豊胸手術を受けようと思っています。
名前もアレクサンドリアに変えることにしました。

医者はぼくが成功してW・W病に効果がでたら、クロノにいちゃんにも試してみたいと言ってました。そうしたら、本当に姉妹だね。


                あなたのアレクサンドリア





10日夕刻
『ダブルダブル・ダイナー』

ハリエットは不安気に的涼鹿を眺めやった。
彼女に会わずにはどうしても心配だったので、ヘアーズ邸に出向こうとしたが、的涼鹿は自ら出てきた。

「FOXから私に手紙が来たことは、もう町中の人が知っているわ。私の姿は目立つから、衆人監視の中、正体を見せずに襲えるわけない」
ハリエットは頷くだけだった。
テーブルの上の料理は手もつけられず、とっくに冷めてしまっている。

「探偵にご用はないかね。お嬢さん」いつ来たのか、アイザック・ビートルが隣りの椅子に腰をおろした。
「安くしとくよ。護衛は要らないか」
「あんたを雇うと殺されるってもっぱらの評判よ」キーリーンが笑って彼の前にビールを置いた。
「私は結構よ。デス署長にも断ったけど、シープ・ジョーキングがこっそりくっついているみたい」
「ちえっ・・まとまった金が出来たら、こんなフォックスヴィルとはおさらばするつもりなんだが」
アイザックはにやりとしてビールを飲み干した。

「町長のところに行ってみたら?」ハリエットがくすくす笑いながら、
「間違われただけなら、FOXはまだピーターを狙っているんじゃないのかしら。タウンホールも欠勤して家に閉じこもってるらしいわよ。あの家政婦のポッター夫人もとうとう追い出されたみたい。FOXがまたやってくるんじゃないかとビクビクして、泣いてるのかもしれないわよ」
「そうでも無さそう」キーリーンがそっと目配せした。


ピータ―・ヴェリーは若い女性を連れて機嫌よさそうに店に入ってくると、奥のテーブルに腰をおろした。
「まあ、誰かと思ったら、キャシ―・ダークホウクじゃないの?マーサは知ってるのかしら」
声をあげたハリエットに、ヴェリーはわざとらしく挨拶を送った。
「誰かと思えば、ハティー・キャップじゃないか。今日は小判鮫のロビンは一緒じゃないのか。頭を寄せ合って、何の密談だね」
「FOXの標的が的涼鹿に移ったと思って、ずいぶんご機嫌ね、ピーター。デートなら、食事代張り込んでよね」
キーリーンが注文を取ろうと立ち上がった時、飛んできた棍棒がヴェリーのテーブルに音を立てて当たった。

「おのれ、ピーター!この女たらし!正義の裁きを受けてみよ!」
マーサの振り回す新たな棍棒が吹っ飛んでくる。
「ママ!」キャシーが慌てて立ち上がった。マーサは娘の腕を掴んで店から引きずり出した。
「いいかい、ピーター!うちの娘に手を出すんじゃないよ!さもないと、FOXより前に、私があんたを殺してやるからね」
正義の棍棒をぴたっとヴェリーの胸に当てて、マーサは高らかに宣言した。

店の片隅でちびちびと無料の水を舐めながら聞き耳を立てていた警官のジョーキングは、大慌てでメモを取り出した。
デス署長に、怪しいことはなんでも報告しろと厳命されているのだ。



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 7月10日夕刻。

 デス署長は大忙しだった。ローズたちを襲った中国人マフィアの連中を逮捕できたのだ。そればかりではない。リサとシュトラウスが死んだパーティーの夜以来行方不明になっていたケン・アルバトロス、フォックスヴィル高校の体育教師の身柄を拘束することにも成功したのだ。
 ことの発端は匿名の電話だった。今日の午後、FOXと名乗る電話の主から「ぽんぽこ山の廃坑へ行くよろし。王藍もうだめのことあるよ。ぽこぺん」という謎めいた伝言があった。FOXという名前やわざと東洋風を装ったアクセントなどがいかにもインチキ臭く、十中八九は悪戯だろうと思ったが、念のためシンバルとティンパニーという二人の刑事を伴って捜索に出かけた。すると見張り小屋の中にまるでリボンをかけられたプレゼントのように七人の中国人マフィアとケン・アルバトロスが縛られて転がっていたという次第だ。デス署長には、誰の仕業か思い当たるふしがないわけではなかったが、確証はなかった。捕らわれた男たちは自分たちが誰に襲われたのかさえ把握していないようだった。
 ケン・アルバトロスは弁護士を呼んでくれと言ったきり黙秘を続けている。彼が指名した弁護士がパドルダック&ケップ法律事務所のジェレミー・ケップだったのでデス署長は心底驚いた。
 ケン・アルバトロスとマフィアたちとのつながりが見えてきたのは収穫と言えた。しかしデス署長はマフィアのボスと目される王藍の行方が気になってしかたなかった。アリス・ホテルを引き払ったことまでは分かっている。その後出国した記録がないのである。王藍はまだフォックスヴィルの周辺にいるのではないか。それにしてもボスからの連絡が途絶えた状態のマフィアたちは完全に統制を失っていたようである。この間のローズ襲撃も、ボスがハリーに誘拐されたと疑った手下たちが、勝手に報復を考えて実行したものであることがわかった。
 シープ・ジョーキングがダブル・ダブルダイナーでの椿事を報告してきたのは、そんな忙しい訊問の最中のことだった。「捨て置け」と言いたかったが、実際口にしたのは「ふたたびピーター・ヴェリーの護衛任務につけ」という言葉だった。的涼鹿のことはハリエットがなんとかするだろう。


 マーサとキャシーが去った後、ダブル・ダブルダイナーは落ち着きを取り戻した。奥のボックス席でピーター・ヴェリーとシープ・ジョーキングがなにやらひそひそ話をしているのが目に付くくらいである。それを横目にハリエットも声をひそめて言った。
「涼鹿、やっぱりあのヘアーズ邸は出るべきよ。あそこにいては危険だわ。FOXからの手紙を受け取った五人のうち二人があの邸で死んでるのよ。三人目になりたくはないでしょ。またうちへ戻ってくればいいじゃない。もう家庭教師の仕事どころじゃないんだから」
「そう言ってくれるのはうれしいけれど、ハティに迷惑をかけるのは申し訳なくて」
「なに言ってるの。もともとあなたを呼んだのは私なのよ。とにかくあの邸は危険すぎる。妙な仕掛けもあるというし、怪しい人間が隠れていてもわからないじゃない。うちは狭いけど戸締りさえしっかりしていればまず安全だわ。それにあの邸の住人のクロノやローズだって気心が知れてるわけじゃないんでしょ。一刻も早く引きあげて私のところへ移ってきなさいよ」
 そこまで言われると的涼鹿の心も動いた。ヘアーズ邸ではもう見るべきものは見たような気がする。
「少し別の角度から、あなたのお父さんのことを調べてみたらどうかしらね。フォックスヴィル高校の校長のロバート・プローンに会って話すといいわ。彼はヴェリーの担任だったし、同学年のベンジャミンのことも覚えているはずよ。ずーっとフォックスヴィル高校の教師を続けて校長にまでなった人だから卒業生の情報には詳しいはずでしょ」
 ただ逃げ回っているだけでは精神的にも袋小路に追いつめられてしまうだろう。的涼鹿には積極的に取り組む目標をあたえてやることが何よりも大切なのだ、とハリエットは考えた。
「そういえば、パアパもヨッシュもリサもみんなフォックスヴィル高校の出身だったわね」的涼鹿がうなづく。
「デス署長もね。それに私も。クロノやマーサやキーリーンだってそうだわ」
「なんか言った?」キーリーンが耳ざとく聞きつけて問いかけてきた。
「俺もフォックスヴィル高校出身なんだけどな、一応」アイザックまで身を乗り出してきた。「なんなら調査を手伝おうか?」
「とにかく、涼鹿」ハリエットが決めつけるように言った。「荷物は明日にでも取りに行けばいいから、今夜から私の家に泊まりなさい」
「荷物なら俺が取りに行ってもいいぜ。なにしろ俺は探偵でもあるが便利屋でもあるんだ」ほろ酔い加減のアイザックが熱心に売り込みにかかった。


 ジェレミー・ケップは三十代半ばのすらりとした姿態の優男で、身体にフィットしたクリームイエローのスーツを優雅に着こなしていた。長髪のブロンドに縁取られた容貌は薄いブルーの瞳から発する強い光と少し鉤型に曲がった鼻の下に引き結ばれた薄い唇が酷薄そうな印象を醸し出している。署長室に入ってくるや、持っていたブリーフケースを署長の机の上にドスンと置き、デス署長をねめつけ、開口一番「ケン・アルバトロスの即時釈放を要求します」ときた。
「そうはいきませんな」デス署長はジェレミーの強気な姿勢などいっこうに意に介さぬといった風情で椅子に寄りかかったままゆったりと答えた。「リサ・グレイならびにクロード・シュトラウス二重殺害事件の重要参考人として逮捕状もとってあります。これまでずっと逃亡していたのだから、保釈などできるわけないでしょう。判事の許可が下りませんな」
「おや、シュトラウスとグレイの無理心中事件はいつから殺人事件になったのかしらむ」
「FOX連続殺人の一環として見直すことになったのです。ケン・アルバトロスはいずれの事件にもアリバイがありませんな。疚しいところがないのならなぜ逃げ隠れしていたのか知りたいのですがね、本人に口を割る気がないらしい。あんたからも説得してやってくださいよ。依頼人の利益のために行動するのが弁護士の務めでしょうからな。さあ、どうぞ面会してください」そう言うとデス署長はインタフォンで部下に呼びかけた。「弁護士さんを12号独房までご案内しろ」


 7月11日午前。

 ハリエットはアイザックに店番を頼んでヘアーズ邸に涼鹿の荷物を取りに行った。涼鹿は自分で取りに行くと言い張ったが、ヘアーズ邸へ戻すとまた涼鹿の気が変わるかもしれないと考えたハリエットは自ら邸に乗り込むことにしたのである。
「先生もうここには来ないの?」荷物の整理を手伝いながらリヨが尋ねた。
「ええ。事件が解決するまでは無理でしょうね。リヨちゃんやジミー君によろしくって」
「事件が解決するまで・・・」リヨはハリエットの言葉を噛みしめるように繰り返した。

 その頃ヘアーズ邸の応接室では、クロノとパドルダック弁護士が言い争っていた。
「無茶なことは言わないでください」パドルダック弁護士は怒りに顔を紅潮させていた。
「ヘアーズ基金の投資先の明細を教えて貰おうというのがそんなに無茶なことなのかね」クロノは嘲りの表情を浮かべながら鋭い目つきで弁護士を見据えた。
「相続の意思確認のときにお渡しした財産目録で充分なのではないですかな。それ以上くわしいことなど、だいたいあなたはまだ正式の相続人ではないのですから、あなたに教える必要はありません」
「土地・建物・株式・債券・金地金・銀行預金などの財産目録は確かに見たよ。しかし肝心の情報が開示されていないじゃないか。バックス・ヘアーズの資産を担保にしてパドルダック&ケップ法律事務所がヘッジファンドで資金運用しているという事実が明らかにされていないのはどういうわけなのかね。いやなに、念のため郡の法務局に人を行かせて不動産の登記簿を確認させてみたら抵当権が設定してあったというのでね。抵当権者はキング・インディゴ投資顧問会社となっていたそうだよ」
「そ、それは」パドルダック弁護士は胸ポケットからハンカチを取り出し、こめかみの汗を拭いた。「それは形式的なことでして、ヘアーズ基金の運用の一形態ということで、なんら問題はないのです。誤解されているようですが、ご心配はいりませんぞ」弁護士はそういい抜けると、今度は逆襲に転じた。
「それよりも、クロノ・レイヴン様。遺言状の制限条項は遵守されていらっしゃるでしょうな。万一違反があった場合には相続権が剥奪されますから、充分ご注意いただきたいものです」
「ふん、俺が正式相続したらヘアーズ基金は解散整理するから、そのつもりでな」クロノは不敵に薄ら笑った。

7月11日夜

 クラブ「ア・サウザンド・アイズ」は金曜の夜ということもあって盛況だった。今宵はクラブ付き歌手“なぎさブリーズ”のデヴューの夜でもあった。オーディションに一発で合格したローズは、いよいよ今晩初舞台を踏むことになったのだ。大勢の聴衆の前で歌うことにはなれていたが、ジャズ・シンガーとしては一からのスタートだったのでやはり緊張していた。客席にはキーリーン、アイザック、的涼鹿、ハリエット、マーサ、キャシーらが詰めかけ、ピ−ターとシープ・ジョーキングの姿もあった。
 一方、クラブの裏口に面した小路に潜む人影があることに気付いたものはいなかった。 もちろんその人影が鉄仮面をかぶっているということなど、夜空の星だけが知っていた。


 7月12日午前。

 的涼鹿は護衛を買ってでたアイザックを伴いフォックスヴィル高校の校長を訪ねた。ロバート・プローンの邸宅はヒルズの高級住宅地の一角にあり、コロニアル様式の建物の前庭にはマリーゴールド、サルビア、ヘリオトロープなどの花々が美しく咲き誇っていた。
 プローン校長は気さくな人で、涼鹿たちを書斎に通すとまずお茶とクッキーを奨めた。それからおもむろに、書棚にずらりと並んだ卒業アルバムから一冊を抜き出すと、テーブルの上にひろげては<3年B組>と書かれたページを指し示して懐かしそうに目をほそめた。
「ピーター・ヴェリーなら、ほれ、この写真の最前列にいるよ。わしの隣にちゃっかり座っておる。昔から目立ちたがりやでのう。生徒会長に立候補したのだが校内での喫煙がばれて落選しおった。せこい小悪党だったが、それが今では町長だからのう。まあ、この町にとってはいい災難じゃて」
「先生はベンジャミン・ヘアーズについては覚えていらっしゃいますか」涼鹿は単刀直入に切り出した。ヴェリーのことより父ベンジャミンのことが知りたいのだ。
「もちろん覚えておるよ。バックスの息子だった。詩や芸術を愛するまじめな良い生徒だったよ。3年C組だったな」校長は卒業アルバムのページをめくった。「ここじゃ、ここじゃ、二列目の一番左におるわい」
 校長の指し示す写真を、涼鹿は食い入るように見つめた。
「ベンジャミンとピーターは良く似ていたのですか?」アイザックが質問した。集合写真を見る限りではあまり似ていないように思えたのだ。ヘアスタイルが違っているせいかもしれない。
「ああ良く似ておった。まるで双子のようじゃったな。性格はだいぶ違っておったがのう」
「先生はベンジャミンの担任には一度もならなかったのですか?」とアイザック。
「ああ、ピーターは一年生から三年生まで受け持つ羽目になったが、ベンジャミンは一度もわしの担任にはならなかったのう。もっとも英語の授業で3年間教えてきたから担任ではなくても、あの学年の生徒は良く覚えておる。わしもまだ若手の熱血教師じゃった。そうそう、ベンジャミンは演劇部に所属しておった。彼が文化祭で演じたハムレットはドルリイ・レーンばりじゃったぞい。殺されたリサの父親のポール・グレイがホレーシオを演じておったっけ。3年生の時は応援団長もやっておったな」
「リサ・グレイといえば、ケン・アルバトロスが逮捕されたそうですね」このアイザックの言葉が校長を懐かしい過去から忌まわしい現実へ呼び戻した。
「ふむ」プローン校長は悲痛な表情を浮かべた。「リサ・グレイが在学中の頃、わしはすでに校長になっていたので直接教えたことはないのじゃが、彼女のことも良く覚えておる。可哀想なことをしたものだが、シュトラウスがあんなことをしたとは今でも信じられん。アルバトロスは無断欠勤が続いたので懲戒免職処分済みじゃ。もともと評判のいい教師ではなかったが、まさか彼奴がFOXとも思えんのじゃがのう。昨日、職員室ではその話題で持ちきりじゃったぞい」
 アイザックは的涼鹿に目で合図を送った。そろそろ辞去するころあいだろう。


  kuronoyuuwaku

 7月13日(日)
 的涼鹿はヘアーズ邸を訪れていた。
 なにしろ、次の手が思い浮かばない。 とりあえずはクロノの知っている情報が頼りだ。
 ホールに通されたものの、がらんとして暗く冷え込んでいる。
 寝起きしている間は全然気にもならなかったのだが・・・。
 リヨたちは、ぽんぽこ山へピクニックへでかけたようだ。
 マフィアの再襲撃の恐れもあったが、マーサやアイザックがついているから大丈夫だろう。
 
 ♪♪♪
 どこからか、ピアノの音がする。
 しかし、ピアノを弾く人間など、この屋敷にいたのだろうか?
 2階のサロンのほうから音は漏れている。
 涼鹿は音の主を確かめるべく2階へ赴いた。
 曲は涼鹿も知っている「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」だった。子供のようにたどたどしいメロディだった。
 軽くノック。返事はない。少し開けて覗き込む。
 館の主が、足でピアノを弾いていた。
 一応、ピアノは最低価格でも数万ドルはする高級ピアノだ。
 ワンフレーズ引き終わるのを待って、涼鹿は拍手する。
 クロノは一瞥するだけだった。
 
 「・・・・・・凄い腕前だね、シュウシュ。ピアノが弾けるとは思わなかったよ」
 「・・・手慰みだ。この程度のことならアルマンは数十種類の楽器を扱える。」
 にべもない。
 涼鹿はなんとか話の端緒を見つけようとする。
「・・・。シュウシュはなんで、この街に帰ってきたの?」
「ジジィとの契約もあったしな。それから・・・どうでもいいことだ」
「どうでもよくないよ! それがパァパを見つけるのに役に立つかもしれないでしょ?
 リヨちゃんだって、リサさんやヨッシュさんの敵を討つのに、少しでも手がかりがほしいと思っているはずよ」
 クロノは椅子にきちんと座りなおした。

 「本当にそう思っているのなら、めでたいにも程があるな・・・。まぁいい、教えてやるよ、私がこの街へ本当に帰ってきた理由を。ただし今後、下らん質問は一切受け付けないからな」

 ピーター・ヴェリーは、がらにもなく、町長室にて町史について勉強をしていた。
 無論、通常業務をほっぽりだしてやっているので、誉められたものではない。
 偶然、王藍の手下と会った際に得た情報が「徐福伝説」だった。
「徐福伝説」とは今から2200年前,中国に徐福(じょふく)という人物がいた。
 徐福は始皇帝に,はるか東の海に蓬莱という神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出たことに端を発する(司馬遷の『史記』がもとになっている)。
 この願いが叶って莫大な資金を費やして一度旅立つが,得るものがなくて帰国したが、再度、若い男女ら3000人を伴って大船団で再び旅立つことになった。
 そして,何日もの航海の末にどこかに到達した。実際,徐福がどこにたどり着いたかは不明だが,「平原広沢」の王となって中国には戻らなかったと中国の歴史書に書かれている。
 いわく、その平原広沢というのが、アメリカのここフォックスヴィルであるらしい。
 そして、その財宝がいまだにこの街のどこかに眠っているとのことだった。

 現代アメリカ人のヴェリーには、正直そんな話はピンとこない。
 しかし、時価数百億ドルを超えるとされているその財宝を見つけたならば・・・・。
 たしかに、こんな片田舎に娯楽施設を作るよりかは建設的だと思う。
 そんなわけで、ヴェリーは郷土史なぞを漁っているのだった。
「・・・・フォックスヴィルの町の名の由来? 『昔、移住者たちの集落は、ちょうど六角形の丘の上に出来たことから、Hexa Ville(ヘキサヴィル:六角形の村)と呼ばれました』・・・ふぅーむ、違うな」
 あぁでもない、こうでもないとたちまち混沌の山ができる。
 そしてそろそろ飽きてくる。でなければ、こんな一山あてようなどという発想を実行したりするはずがない
 「フォックスヴィルとサムライ」
 ライリー・ビブルオクス著とある。
 興味をひかれて、ぱらぱらとめくる。
 そしてヴェリーの目にある一文が釘付けとなるのだった。



 ケン・アルバトロスは眠っている。
 保釈は、デス署長に却下されたものの、事件との関連性を示すものは見当たらない。
 とはいえ、また失踪されても困るので急遽、重要参考人ということで、身柄を拘束してある。
 留置場とはいえ、人権を配慮して、簡易ベッドとトイレは備え付けられている。
 エアコンつきの個室だ。雑誌の類や着替え、それから御菓子の類は差し入れ自由だが、署長の検認が必要となり、金属探知機やX線で調べたうえで渡される。
 保釈が却下されたとき、アルバトロスはケップ弁護士に指示して、氷砂糖とミネラルウォーター、毎日の新聞を、マムズ・マーケットからとりよせていた。
 暖房を入れるよう申し入れたほかは、一言も喋らない。起きているときも、ぼうっとしていることが多い。デス署長は、薬物反応を調べさせたが、薬物を摂っている可能性はまったく見当たらなかった。
 しかし、ほとばしる汗、汗、汗。
 寝汗にしても、滝のような汗。幽鬼のように起き上がって、水をがぶ飲みする。
 そして吐いた、吐いた、滝のように吐いた。
 テニスボール大の石が口からこぼれおちる。
 握りつぶしてトイレに流す。ほとばしる水流に消えてゆく石の破片。
 下水道に流れ落ちた破片はもはや探索不能だ。
 水を飲み、氷砂糖を口に含み、ケン・アルバトロスは久しぶりの熟睡に身をゆだねるのだった。

 
 クロノと涼鹿は向かいあう。
「私がここにきたのは、月の石を探しにきたんだ」
「月って、お月様のこと?」
「いや、違う。概念上のものと思ってくれ。トルマリンは知っているか?」
「知ってるよ。枕に入れると体の調子がよくなる石でしょ?」
 クロノはカーテンを開ける。外の光が眩しい。

「・・・私の母親は化学者、それも生体化学の分野の学者だったんだが、ある時期から、とある素材に興味を示すようになったんだ」
「・・・それが月の石・・・。」
 クロノはかぶりを振る。
「いや、それは賢者の石といって、ある意味、画期的な素材なんだ。なにしろ、神経線維の代替品として利用できる可能性がある。現在、最先端医療のひとつ、人工義肢のパーツの素材として調整段階にまで入っている。そして、その賢者の石は、とある鉱物と一緒に発見されることが多いといわれている。賢者の石がその鉱物を外敵から守るようにな」
 
 その石こそ月の石といわれている。
 クロノは穏やかに告げる。しかし涼鹿にはチンプンカンプンだ。
 「・・・・・。その成分は、一切不明。私は、正体を結晶ラジウムあたりに想定しているんだが、実際のところはわからない。なぜなら、それは外気にあてると、劣化してただの珪素化合物と変わりなくなってしまうからだ」
 「・・・それと今回の事件がどー関係するの?」
 涼鹿は至極当然の質問をする。
 「だから、いっただろーに。関係ないことだ、と」
 クロノはためいきをついた。


「ねぇねぇ、それよりなんか別の曲を弾いてよ、明るい曲!」
「・・・たいして、ピアノの曲など知らん」
「にゅ? じゃあシューベルトの『さすらい人幻想曲』なんてどぅ?シュウシュにぴったりでしょ?」
 ちょっと、意地悪したくなる涼鹿。なにしろこの曲は、作曲者本人がまともに弾けないので、悪魔にでも弾かせろと言い放ったとの伝説があるほどの難曲だ。
 クロノは、ちらりと涼鹿をみて、大きく息を吸い込むと、怒涛のようにピアノを弾き始めた。ただし、シューベルトの「さすらい人幻想曲」ではない。
 涼鹿の脳裏に鮮やかな青が浮かぶ。
 映画「シャイン」で有名になった、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だ。
 これもまた、難曲中の難曲である。
 涼鹿には、クロノの背中がなぜか微笑っているようにみえた。


 「で、シュウシュは、月の石を見つけてどーするの?」
 「私が探しているのはただの月の石じゃない。『月の骨』と呼ばれる、特殊な塊だ。
 ぽんぽこ山付近にあるということだけはわかっているのだがな」
 言葉を区切る。その眼には炎が浮かんでみえた。
 

 「そいつを破砕する、それがこの街にかけられた呪いを解く唯一の方法だ」



 夕暮れ時、グロースター郡気象中央観測所。ジェリコ・フェザーンは、ある報告に目を留める。

「・・・フォックスヴィルの地温・水温がわずかながら上昇している・・・??? それと地磁気の乱れや微弱な振動も計測されていたのが、ここにきて沈黙を守っているなんて・・・」

 いやな予感が湧いた。新人の頃、ベテラン気象官をして、達人と言わしめた老農夫の言葉が耳によみがえる。

 「バランスだよ、バランス。振り子がゆれるように世界は成り立っている」

 そのときこそ迷信だと鼻で笑っていたが・・・・。
 苦い記憶・・・。
 フェザーンは、所長の自宅に電話をいれようとした。



 7月15日(火)、夜。スペード・クィーンでは「十傑衆」の定例会が行われていた。

 「さて、今月の議題は以上で終了であるが、他に何か案件のある方はおられるか?」
 議長席のヴァールは会員に問う。
 ヒポポタマス、グラディウス、マッカレル、サバティーニ以下のメンツには特段なさそうだった。

 ジャック・ソールは席を立つ。
 「一応、報告よ。新しい主は月の骨を捜しているらしいわ。それも破壊するために」
 一同に衝撃が走る。制して、議長のヴァールは尋ねる。
 「本当なのか? それこそ我らが長年の宿願なのだぞ? それをやり遂げるだけの器量があるのか?」

 「さぁ、でもなんだか勝算はあるみたいよ?考察自体も間違っていないし・・・」
 「そぉいやぁ、パイソンの親父がなにか、頼まれ物を受けてたみてぇだな。いっちょ、調べてみるか?」
 「・・・・アヤツの母親も何か調べていた節がある、そのデータを検討してみんとな」
 ソールの言に、フランク・コンガーとグラディウスはめいめい意見を述べる。
 「ふむ、ではイール、調べてくれるか?」
 奥の席の黒服の男は頷いた。きっちり整えられた髪、夜でもサングラスをはずしていない。無機質な表情はアンドロイドを思わせた。
 アラン・イール。フォックスヴィルにある保険会社営業所の所長である。
 主に十傑衆の諜報部門を担当している。

 「それから、ソールは引き続き監視といざというときの制止を頼む」
 「わかったわ」
 ヴァールの額に険しい皺が刻まれた。

 「あの悲劇をふたたび繰り返すわけにいかん、十傑衆の名に賭けて!!」


  pole_fox


7月18日夜
 クラブ「ア・サウザンド・アイズ」は今日も盛況だった。クラブ付き歌手“なぎさブリーズ”の歌声は拍手で持って迎えられていた。初日こそ緊張がよい方向に働いてくれたものの、クラブ付き歌手としては今日からが本番であるといえる。
 客席には的涼鹿、ハリエット、アイザックの姿が見える。
 リヨたちはクロノに連れてきてもらうのだ、といっていたが、それはそれでローズは心配だった。
 たしかにヘアーズの新しい頭領や十傑衆に来てもらうのは、店にとって、またローズにとっても、大いにプラスではあるが・・・・・・。それは余計な混雑をもたらすことも意味する。混乱に乗じて、ということもあるのだ。

同時刻。
 フォックスヴィル警察署留置場第12号独房は、音もなく開け放たれていた。
 そんなことを意に介する者は今のところ誰もいない。
 部屋の主は忽然と消えていた。
 デス・ウルフ署長のもとへ、ケン・アルバトロスが脱走したとの報告が入ったのはそれから30分後のことだった。

午後11時。
 的涼鹿はアイザックをともなって、ローズの楽屋を訪れる。
 ローズは演出のための黒い鬘をつけているところだった。挨拶も簡単に、辞去しようとする二人。そこへクロノとリヨ、ジミー、マーサが現れた。
 途端に場が和む。そんな時間が10分ほど続き、クロノたちはヘアーズ邸へ戻るのだった。

午後11時30分すぎ
 外は小雨が降っていた。
 「ア・サウザンド・アイズ」の裏口近くのビル建設現場にて。
 アイザック・ビートルは御手洗から戻らぬ的涼鹿を探して、そこで姿を見つける。
 ケン・アルバトロスと的涼鹿の姿があった。
 ケン・アルバトロスは喉を針を束ねたような凶器で刺されており、また、背中に切りつけられた傷が数箇所みられた。
 的涼鹿は、血まみれではあるものの、外傷はまったく見当たらない。脈拍も平常。脳震盪を起こしているようだった。
 
 つぶされた喉でアルバトロスは囁く。
「よかった、よかった・・・ひと安心というものだ・・・」
「おい、おっさん、誰にやられた? FOXはいったい誰なんだ?」
 しかし、アルバトロスの耳にはアイザックの問いももはや届いていない。うわごとをブツブツ繰り返すのみだ。
 

 ・・・そして、警察と救急車が到着する5分前、ケン・アルバトロスは絶命した。
 的涼鹿の意識が回復するのと同時だった。


  matorjiska


 7月20日午後12時。
 デス署長はヘアーズ記念病院の特別病棟で、検査入院中の的涼鹿と対面していた。
「具合はどうだね」
「ありがとうございます。夕方には退院できるそうです。それにしても……」彼女はあたりを見回した。「随分と豪華な病室ですね。まるでホテルみたい」
 脳震盪は比較的軽症で一時的なものだったが、正体不明のFOXが再度襲撃してくる場合を考えて、個室があてがわれた。しかし涼鹿はひどく恐縮していた。調度品が立派なのに加えて、専任の付添い婦までいるのだ。今は席を外しているが、40がらみの既婚女性で、ヴァネッサ・メイスンと名乗った。
「数年前、有名な推理作家がぽんぽこ山でスキー中に脚を折ってね、この部屋に入院したんだよ。そしたら何でもすばらしいインスピレーションに恵まれたとかで、退院時には多額の寄付を残していった。まあ、それだけ落ち着ける部屋なんだろうね。大丈夫。君が心配する必要はない」デスは彼女の気負いを和らげようと、そんな逸話を持ち出した。
「ところで、落ち着いたところで答えてほしい。誰に襲われたか判るかね?」
 涼鹿は申し訳なさそうに首を振った。「ごめんなさい。顔を見ていないんです。いきなり頭を打たれて、気がついたら……あの現場で……」恐怖がぶり返したか、大きく身震いする。
 予測していなかったわけではなかったが、デスは落胆を隠せなかった。彼女は後頭部を殴られていたのだから。「ケン・アルバトロスがFOXだと思うかい」
「それも判りません。なぜあの人が居合わせたのかも。その時のことは……何も覚えていないんです」
「じゃあ、何でもいい。思い出せることを話してごらん」
 涼鹿はうつむき、じっと考え込んでいた。やがて小声で打ち明けた。「実は私、ローズさんの楽屋に行ってたんです」
 トイレへ行くとアイザックに告げたのは、ひとりになるための口実に過ぎなかった。ハリエットはそれより先に、わざと喧嘩を仕掛けて追い払っておいた。「標的にされて長いから、神経質になってるように見せかけて……なのにメイスン夫人を頼んでくれたのはハティーなの。帰ったら謝らなくちゃ」
 アイザックと一緒に楽屋へ行った際は、準備中でろくに話もできなかった。しかし、舞台がはねた後なら……

「何しに来たの」ローズの声は脅えが混じって、いつにもまして刺々しかった。
「理由はそれよ。ローズ、あなたどうしてそんなに私を避けようとするの。私、あなたに何も悪いことした覚えはないわ」
「中国人だから。私が中国人を恐れるわけ、知ってるでしょ」
「それが変だと思わない? 中国人を警戒している人間に、当の中国人を差し向けるなんて。教えてあげてるようなものじゃない」
「普通はそうね」ローズの態度は、今度は勝ち誇ったものになった。
「でも、あなたはただの中国人じゃない。再従妹の立場を利用して、ごく自然に近づくことができる。だから気を許せないのよ」
 涼鹿は傷ついた。「残念だわ。あなたとは境遇が似てるから、もっと仲良くなれると思ってたのに」
 その様子にローズも多少気が咎めたのか、やや語調を和らげた。「濡れ衣だったら謝るわ。でも今は無理ね。お願いだから側に来ないで。もちろん、ジミーの側にも」
 そのあと、彼女が殺人犯に狙われていることを思い出したか、こう付け加えた。
「ひとつだけ忠告してあげる。本当に味方になってくれる人が現れるまで、誰も信用してはだめよ。頼れるのは自分だけ。私はそうやって生きてきた」

 そして楽屋を出て外へ通じる階段を昇っている時に、突然頭に衝撃を受け、あとは何も解らなくなった。


 デス署長はひとつの仮説を反芻しながら、警察署へ戻っていった。FOXの正体はアルバトロスだろうか。通報で駆けつけ、涼鹿と並んで倒れている彼を見たとたん、真っ先に閃いたのはそれだった。だが、だとすると彼を殺したのは何者か。小柄な涼鹿には到底不可能だ。ではアルバトロスは単に巻き添えを食っただけか。しかしいずれにしても涼鹿があの日『ア・サウザンド・アイズ』に出向くことをどうやって知ったか、説明がつかない。
 凶器は鋭利な刃物及び剣山のようなものと推定されたが、それと思しき品は現場からは見つからなかった。それにアイザックが伝えた彼の最後の言葉。これもアルバトロス=FOX説には不利な点だ。
 それとも、涼鹿を襲ったのが実はFOXではなかったということはありえるか? 彼女はローズの楽屋からの帰り、暗がりで背後から殴られている。ということは、犯人も彼女の顔を見ていないということだ。ローズと間違われた可能性も否定できない。
 彼は急いだ。そろそろアルバトロスの検死解剖の結果報告が届いている頃だった。


 デス署長が去ってから数分も経たないうちに、今度はクロノが病室に姿を現した。つかつかと歩み寄るが途中で立ち止まり、離れたソファーにどっかと腰を下ろす。
「シュウシュ! お見舞いに来てくれたの?」
 だが彼は馬耳東風と聞き流し、じっと涼鹿を見つめたままだ。彼女は肩をすくめた。「……そういう人じゃなかったっけ」
「今度は俺が尋ねる番だと思ったからな」そう言うと、今度は珍獣でもあるかのようにメイスン夫人を眺めた。彼女は気を利かせて病室を出た。ドアが閉まり、足音が遠ざかるのを確かめると、クロノは向き直った。
「答えてもらおう。おまえはなぜこの町にやってきた?」

「それを言うなら、ボストンにはもう1年も前から留学しているわ。もともとこっちで生まれたんだし。中国は二重国籍を認めてないから、今後どちらに決めるにしても、両方の情勢を体感しておいた方がいいってマァマが決めたの。それに……」彼女の声がわずかに震えた。「アメリカにいれば、ひょっとしてパァパに巡りあわないとも限らないでしょ?」
「ふうん」と相槌をうつクロノ。
「でも、直接の理由はハティーね。ある日突然訪ねてきて、イェイェ(おじいさん)に会わないかって誘われたの。それだけよ」
「ふうん」
 今度の相槌にはかすかに揶揄が含まれていた。「……なるほど」
 耳ざとく聞き取った涼鹿は口を尖らせた。「信じないの?」
「ああ。おまえは見かけほど無邪気なお嬢さんじゃあるまい。実はかなりの事情通で、しかも何やら計画中だと俺は睨んでいる」
 涼鹿は腹を立てた。「だったらやぶ睨みもいいとこよ」
「そうか? じゃあ訊くが、それならどうして平然としていられるんだ? 町長の家で死んでいた男、あれは町長にそっくりだったが、同時におまえの親父にも似ているんだぞ」
 いつか涼鹿のポシェットで見つけた家族写真を思い出す。あの写真の男が15歳ほど年をとったら、件の死人と同じような外見になるかもしれない。
「現にベンジャミンを知る人間は、すぐに彼と結びつけて考えた。まして実の娘だったら、心配で落ちつけないのが普通だろうに、どう見ても気に病んでる様子はない」
 クロノは涼鹿を注視する。
「どうした? 父親の顔を忘れたか。それとも娘役の立場だってことを……?」
「おっと、待った」ふいにドアが開いた。「そいつは俺もぜひ聞きたいぜ」
 野太い声とともに乗り込んできたのはヴェリーだった。
 病室に緊張がみなぎった。

「ずばり言わせてもらうが、ベンジャミンに子供を作る能力はなかったんだ。娘なんか生まれるはずがない。あんたはよくて奴の養女か、母親の私生児――さもなくば真っ赤な偽者だ。その分だと、どうやら3番目らしいな」ヴェリーはせせら笑った。
「厭な人。ハティーが毛嫌いするのも不思議じゃないわ」涼鹿は軽蔑を浮かべて言い放つ。
「どうせ信用しないだろうけど、私は物心ついてからずっとあのふたりと暮らしてきたのよ。その間、本当はもらい子なんだとか、実の親がどこかにいるなんて話は一言たりとも出やしなかった。確かに血の繋がりまでは、今は証明できない。でも何て言われようと、あたしはベンジャミン・ヘアーズの娘です。誰が疑うもんですか」
「だったら」クロノが畳み掛ける。「死体を見ても動じなかった説明をしろ。何か理由でもあるのか」
「そうよ」涼鹿はあっさりと答えた。「だってあの人、パァパじゃなかったもの」

 あの日、ヴェリーが殺されたと聞いて駆けつけた町長宅で当の本人を目の当たりにした時、真っ先に脳裏に浮かんだのは、死んだのは実は父ではないかという懸念だった。想像するだに恐ろしい仮定に胸も張り裂けんばかりの彼女だったが、だが続いてある記憶が甦ったのである。彼女は死体の頭を覗き込んだ。そして、被害者はヴェリーではないが、ベンジャミンでもないという確信を得た。
「パァパはね、つむじがふたつあったの。ちょうどこのあたり」彼女は自分の頭で示して見せた。「子供の頃、何度も肩車してくれたから、パァパの頭はよく見て覚えてるわ。でもあの人にはひとつしかなかった。だからどんなに似ていても、あれは別の人よ。誰かは知らないけど」
 唖然として言葉も出ないヴェリーとクロノに、涼鹿は言った。「解ってくれた? じゃあしばらくひとりにしてほしいな、疲れちゃった。あ、ついでにメイスンさん呼んできて」そして、かまわずにベッドにもぐりこむとふたりに背を向けた。
 ヴェリーは涼鹿を睨みつけ、歯軋りしながら出て行った。クロノも立ち上がると踵を返し、その後を追った。


 彼らが去ると、彼女は大きく寝返りを打って天井を見上げた。デス、クロノ、ヴェリー、相次いでやってきた3人の男たち。ひとりは味方かもしれないが、もうひとりは明らかに敵、そして残るひとりはどちらとも言えない。彼らと同じ町の何者かに殺されかけたというのに。私は結局異分子なのだ……涙があふれた。
 シーサーを象ったお守りをポーチから取り出す。『ア・サウザンド・アイズ』の廊下で拾ったのだ。創立記念祭の時、涼鹿に相談したのがきっかけで、ジミーはローズからお守りをもらって着用していた。どうやら一昨日、楽屋を訪ねた際に落としたものと見える。
 退院したらジミーにこれを返して、ボストンへ帰ろう。もうこんなところにいたくない。
 お守りをしまい込むと同時に、メイスン夫人が戻ってきた。涼鹿はほっと安堵のため息をついた。



 ロビンは不安と困惑を持て余しながら、アイザックの訪問を待ちわびていた。『ファントム・レディ』の常連だが、彼とは特につきあいも無かったからである。それが突然「ハリエットのことで話がある」とだけ連絡をよこしてきた。驚いて問い返しても、電話では話せないの一点張り。そこで自宅へ招くことにしたのだ。
 客は約束より10分ほど遅れて現れたが、何も弁解せず、逆にいきなり質問してきた。
「ハリエットのことだが。あんた、どう考えてる?」
「どうって……今でも妻だと思ってるよ。少なくとも私は絆まで断ったつもりはない」
「愛してるって誓えるか?」
「あたりまえだ」ロビンは苛立ちを感じた。「それより話とは何だ。わざわざ時間を割いてるんだ、当てこすりが目的ならお引取り願おう」
 アイザックは頭を下げた。「すまない。だが俺にとっても彼女は友達だから、味方以外の耳には入れたくないんだよ」大きく深呼吸する。「よし解った。あんたを信じよう」そして話し出した。
 涼鹿に付き合って、ベンジャミンの思い出を調べているうちにふと思いついたのが、十傑衆のバークレー・ヒポポタマスである。彼は町の長老格だ。昔のことにも詳しいに違いない。その会談のさなか、うっかり口を滑らせた相手の一言がきっかけとなって、思いがけない事実を掘り当てたのだ。
「ハリエットが相続で軽く扱われている理由が判った」アイザックはゆっくりと告げた。
「厳密には、彼女は一族じゃないんだ。マーティンの血を引いていないんだよ」

 話は1927年に遡る。マーティン・ヘアーズとその長男ラーブルは、ひとり娘であり末の妹であるノーヴァの結婚相手に、キッド・ラパン青年を選んだ。紡績工場で働いているこの遠縁の従弟は、まじめで有能かつ眉目秀麗、年齢もつりあい、誰の目にもまたとない良縁と映ったからだ。事実、ノーヴァ自身にも異存はなかった。
 ところが婚約発表の3日後、ノーヴァ付きのメイドが自殺を図った。それで醜聞が明らかになった。キッドは彼女と関係があったのだが、本家の婿待遇という降ってわいた幸運に目が眩んで身重の恋人を捨てたのである。悲観した娘は首をくくり、病院に担ぎ込まれたが、手当ても虚しく女児を早産してそのまま息絶えた。
 裏切られたノーヴァの怒りは凄まじかった。彼女は即座に婚約を解消、不実な男を追放すると同時に父や兄に対しても責任追及の手を緩めず、遺族へ充分に報いるよう要求した。そして自分は別人と結婚したが、その際メイドの遺した赤ん坊を自分の子として引き取った。
「その子供が、スワニー――-後のハリエットの母親だったのさ」
 ロビンは息を呑んだ。ややおいて尋ねる。「それで、その死んだメイドの名は?」
「ステラ」アイザックは答えた。「ステラ・ムーンライト。マーサと同じムーンライト一族の出身だ」

 その後、ノーヴァと夫ローマン・キャプランとの間にはカーメンも生まれ、幸せな日々が続いた。しかし、いつしかスワニーは自分が両親の実子でないことに気づく。衝撃はあまりにも大きく、彼女は荒んだ。伯父のラーブルに諌められ、ようやく非行は収まったが、男性不信の念は心に深く巣食った。
「ハティーの母親が、フェミニズムを信奉するようになったのはそのためか」ロビンは呆然と呟いた。
「ああ、妹のカーメンは姉にかまわずさっさと結婚したけれど、スワニーは30過ぎても独身だった。だがマーサ母娘を見ても判る通り、ムーンライトの血筋は美人が多いからね。男嫌いの評判にもめげず言い寄る奴もいたんだ。で、とうとう拝み倒されてジャック・ハッターと一緒になったんだよ。ただし、結婚後は夫もキャプラン姓を名乗るよう、承諾させることを忘れなかった。
 本当はステラの姓にしたかったんだろうが、それだとヘアーズ一族の体面に傷がつく。それだけは許さないとバックス(当時すでに家長だった)にきつく申し渡されて、しぶしぶ諦めたようだ。ムーンライト側も、通り一遍以上のつきあいは慎むよう釘を刺されていたらしい」
「だけど、何でヒポポタマス老人がこんな話を知ってるんだろう?」
「御大の兄貴は、ヘアーズ記念病院の元院長だよ。で、あの兄弟の父親も医者なんだ。ステラの死に立ち合った医師のひとりだったんだ。
 緘口令が敷かれたんだが、よくある話で身内には漏らしちまったってところかね。御大もつまらんゴシップは好かないから今まで忘れていたんだが、ベンジャミンのことを訊かれて、つい彼の大ファンだったハリエットを連想したのが失敗だった」
「ハティーは……彼女はこのことを知っているのか」
「さあ」アイザックは首を振った。「確認のしようがないしな。でもヘアーズの威光ったって、所詮フォックスヴィル止まりで、町の外へ出ちまえば屁みたいなもんだ。気にすることはないぜ」
 そして帰り支度を始めながら付け足す。「ただ、あんたは知っておいた方がいいと思ってさ。いろいろ面倒が起きた場合に、力になってやれるだろう? もし復縁する気があるんなら、だけど」
 ロビンは玄関でアイザックを送り出しながらきっぱりと返事した。
「もちろんだとも。教えてくれてありがとう。感謝する」



 ドアチャイムが鳴ってもハリエットが出てこない。ゴットフリート・ヴァールは中を覗いてみた。女店主は一心不乱にデザイン画と格闘していた。大きく咳払いして、やっと注意を向けさせる。
「あ、ゴディ、いらっしゃい。ごめん、気づかなくて」
「忙しいようだな」彼は相手の手元を覗き込んだ。「“ドレスを引き立てる帽子ファッション”“蛍石のアレンジメント”……か」
「うん。小売だけでは先細りだからね。トータルコーディネート路線で、クララ・デパートとの提携を考えてるの。でも、今日はそろそろ終わりにするつもり。夜には涼鹿が帰ってくるから、支度しなくちゃ」
「なるほど。新分野への挑戦か」ヴァールは言った。
「それも結構だが、確認しておきたい。来年の町長選のことだが、まだ出馬意欲はあると考えてよいのか?」
 苦笑するハリエット。「だいぶ風向きが変わってしまったわね。正直、資金が乏しいの。もちろんピーターのやり方には反対よ。でも前回みたいに混戦になったら、持ち堪えられるかどうか自信がないわ」
 ヴァールは押し黙った。もともと生真面目な彼は、快楽派のヴェリーとは反りが合わなかった。そこへ持ってきてフォックスヴィルのアミューズメントパーク化計画である。伝統の林業の復興を願う彼としては、ヴェリーの再選は決して歓迎できるものではなかった。やがて口を開いた。
「……ヴェリーは決して手腕のない男じゃない。だが今回の事件で、相当足元が危うくなっているのも事実だ。君は新人で経験はないが、むしろフレッシュさとクリーンなイメージで対抗できるかもしれない。
 しかし、大きな弱点がある。まだ若い女性で、しかも離婚して独身だってことだ。この町は保守的だ。家庭も全うできなかった女に政治が務まるかと攻撃されても反論できない。私なら、夫を持ってから立候補することを薦めるがね。コックリルとはその後どうなっているのだ? 立ち入った質問で失礼だが」

 ハリエットの笑顔は、今度は半分泣いているように見えた。
「ついでだから白状するわ。ロブがどれだけかけがえのない存在だったか、今度こそ厭と言うほど思い知った。そう、町長の家でベンかもしれない死体を見た時にはっきり判ったのよ。
 ショックだったけど、なぜか悲しみは感じなかったの。その時気づいた。昔はベンを愛していたかもしれないけど、今自分にとって一番大事なのは誰かって。びっくりしたわ。ベンを失っても平気な自分なんて、考えられなかったのに」
「だったら、早いうちに縒りを戻した方がいい。もちろん今すぐは無理だろうが、事件が片付いたら、復縁すべきだ。きっと彼もそれを望んでいる」
 ハリエットは寂しげに微笑んだ。「……赦してもらえるならね」


 午後5時。デス署長は部下からの矢継ぎ早の報告を受けながら、状況の整理に追われていた。
 ケン・アルバトロスの死因は、当初喉からの失血によるものと思われたが、実は背中を一突きされた刺し傷による消化管内出血と判明した。
 凶器はまだ見つかっていないが、現場検証の結果、やや離れた地点に血痕が連続して発見された。ひょっとすると襲撃者のものかもしれない。体育教師のアルバトロスとまともにやりあったのなら、負傷していることも充分ありうる。また涼鹿の着衣からも、アルバトロス以外の人血が検出された。
 デスは想像を働かせてみた。アルバトロスと何者かが争って格闘になり、彼は背中を一撃される。ところが恐るべき偶然で傷は一時的に塞がってしまい、アルバトロスは反撃に出た。相手はなおも斬りつけたが果たせず、諦めて逃げたと思われる。だがアルバトロスの奮戦もそこまでだった。体内に染み出した血が内臓を圧迫し始め、じわじわと彼を蝕む。アイザックに発見された頃にはもはや立ち上がることさえできず、口を利くのもやっとだったのだろう。拉致または殺害されかけたらしい涼鹿が、どうこれに絡んでくるかは未だ謎だが。
 ナトキン、ピッコロ、ファゴット、シンバル、ティンパニーら先輩刑事に負けじと、シープ・ジョーキングも声を張り上げた。
フォックスヴィルの伝承・風習』を持ってるか、読んだかした人間ですけど……」
 ヴェリー護衛は何とか務め上げたものの、結局殺人を防げなかった彼は失地回復を図って、軽薄にも署長側に寝返っていた。
「フォックスヴィル高校出身者のアイザック、クロノ、リサ、キャシーは卒業時に贈られています。的涼鹿は最近書店で購入しています。それから町長宅にも一冊置いてあります、私がこの目で確認しました」
「ふん。そんなに持ってるようじゃ、絞り込むことはできんな」
 デスは鼻もひっかけなかったが、シープは挫けず続ける。「それとキーリーン・ホワイト」
「何? 確かにキーリーンもあの高校の卒業生だが、出版されたのは彼女の年代じゃなかろう」
「いえ、図書館に記録が残ってました。6月12日に借りて翌13日には返してます」彼は効果を計るようにひと呼吸置いた。「トマト・フォックス殺しの当日ですよ」
 デスはこの情報をどうしたものか、即座には決めかねた。ナトキンが言った。「そう言うおまえだって持ってるんだろう? どうなんだ、シープ」
「物置のどっかに紛れ込んでるとは思うけど、見つからなくて」彼は弁解した。「でも何となく引っかかったから、図書館で確認したんですよぉ。そしたら直前にキーリーンが閲覧してることが判ったんです」
「ダイナーの女将がねえ……」これはピッコロ。「それよりおまえ、最近ヘアーズ邸のメイドに付きまとってるそうじゃないか。苦情が来てるぞ」
 シープはべそをかいた。「違いますよぉ。シイラにはセッドって弟がいて、アルバトロスのフットボール部に所属してるんです。ひょっとしたらそっから何かつかめるんじゃないかと……」
 口論になる前にデスは遮った。「まあいい。それより目撃者がいないか、引き続き聞き込みに当たれ。それからローズ・ダイヤモンドの身辺もいちおう警護しろ。今の彼女はクリーニング店との掛け持ちで、移動が激しいからな、狙われる隙も多くなっている」

「じゃあシープ、明日から『フレンドリー・ランドリー』に詰めるといい。そしたらシイラの誤解も解けて、一石二鳥だ」シンバルが冷やかした。その時、ヴィオラ婦警が戸口に表れた。
「署長、こちらの方が、ぜひお話したいことがあると……」言葉の終わるのを待たず、入ってきた人物を見て、デスは驚いた。エリザベス・ポッターは主張した。「どこか別の場所か、じゃなきゃふたりきりで話せないかね。外聞を憚るんだよ」
 そこでデスは人払いをし、彼女の証言を待った。
 十数分後、帰って行く彼女を見送る彼の表情は、何とも形容のつかないものになっていた。


 午後7時。ハリエットの家についた涼鹿は驚いた。退院祝いのパーティーの席にロビンがいるのは当然としても、付添い婦のメイスン夫人までもが招かれているのはどういうわけか。しかも、颯爽としたスーツ姿だ。
 ぽかんとする涼鹿に、ハリエットが種明かしをした。「実は彼女、私の大学時代の友達なの。今でこそ結婚してミセス・メイスンだけど、本業では旧姓のホーンを名乗ってるわ。そうよね、ヴァン?」
「ええ」とメイスン夫人。そして涼鹿に向かって右手を差し出した。
「よろしく、ヴァネッサ・ホーンです。あなたを捜し出した探偵は、私なんですよ」


 それが、7月20日の出来事だった。
 ――クロノの相続確定まであと5日である。


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 ジミーとリヨは悩んでいた。どういう理由かは知らないが涼鹿が襲われ、この屋敷を出て行ってしまった。
「リヨちゃん、僕たちもう涼鹿先生に会えないんだろうか。」
「馬鹿ねー。こんな小さな町なのよ。その辺歩いてればいやでもあってしまうわ。」
「でも、お母さんが二度と会っちゃいけないって言うんだ。」
ジミーは相当落ち込んでいるようだ。
「ね、ジミー、ローズが一番大事にしているものって何?」
「うーん、僕かな。」
「他には?できればポケットに入るくらいの小さくて軽い物。指輪とか、ネックレスとか」
「小さいものねぇ・・・あの小箱はポケットには入らないしなぁ。」
「小箱?何それ」不思議そうな顔のリヨにジミーは小箱の由来を説明した。
「それいいかも。じゃあ、その箱を・・・」二人は額をくっつけるようにして涼鹿とローズを仲直りさせる作戦を練った。


 翌7月21日の朝、朝食の席でいつに無く改まった口調でジミーが話し始めた。
「お母さん、僕たち二人が涼鹿先生にどうしても会ってはいけないと言うなら、僕たちには考えがあります。」
「そうよ。私たちはあなたの大事な小箱をいただいたわ。と言っても、もしかしたら私にとってはたった一つの父の遺産なのかもしれないけど。」どうしてこの子はこう棘のある言い方しかできないのだろうとローズは思った。
「そう、あなたはお父様の遺産を取り戻したと言うわけね。それは良かったわ。大事にしてね。じゃ、私は出かける仕度をしなきゃ。」ローズが立ち上がろうとするとリヨが慌てて言った。
「ちょっ、ちょっと待ってまだ話は終わってないのよ。ほらジミー、早く続けるのよ。」
「え、えーと、これを返してほしかったら今日の昼休みダブル・ダブルダイナーで待っているから来てください。」ローズは返事もせずに自室に姿を消した。

数分後「じゃ、行って来るわ。」ローズはそういうとフレンドリー・ランドリーに出勤した。ローズのあとをシープ・ジョーキングは注意深く追った。


 ローズは仕事をしながらも常に自分を見つめる目に気づいていた。ガラスの汚れを拭く振りをして通りを伺うと、自分を見ていたのがシープ・ジョーキングであることに気づいた。シープはローズに姿を見られたことに気づくと、慌てて携帯電話を取り出し、誰にもつながっていない電話に向かって話し始めた。

 ――何故警察が私を見張っているのだろう。彼らは今ケン・アルバトロスの殺害と涼鹿襲撃事件の捜査で忙しいはず。もしかしたら涼鹿が襲われる前に私と言い争ったことを話したのだろうか。
まずい。これはとてもまずい。今人の目を引くことはとても都合が悪いのだ。何とかして警察の注意をそらさなければいけない。やはりこれはジミー達の言うとおり涼鹿に謝るべきだ。それに、いやなことばかり続いて子供らしい楽しみから遠ざかっている二人から数少ない親しい人間を奪ってしまうのは大人の傲慢というものだ。


 昼休み、ローズはシープには気づかない振りをしてダブル・ダブルダイナーに行った。店内はまだ昼休みの混雑と言うには程遠かった。入り口に立ちジミーとリヨの姿を探したが二人はまだ来ていないようだった。
「ローズ、いらっしゃい。今日は早いのね。」
「ええ、丁度お客が途切れたから早めに休むことにしたの。コーヒーとサンドイッチをお願い。」ローズはカウンターの席に座った。ひとつ置いて向こうにはアイザックが座っていた。
振り返ってカップを取ろうとしたキーリーンの目にシープ・ジョーキングの姿が見えた。
「あら、あそこにいるのはシープじゃない?あんなところで何してるのかしらね。いやだわこの店を見張っているのかしら。それともローズ、あなたが見張られているんじゃないの?」
 キーリーンが自分を見ているのに気づいたシープは何食わぬ顔で腕時計を見た。時刻は正午になろうとしていた。「もうこんな時間か」そういうと彼は携帯電話を取り出し食堂に背を向けて話し出した。
「こちらシープ・ジョーキング、定時報告です。ダイヤの女王様は異常ありません。ただいまダブル・ダブルダイナーにてお食事中。」そこまで話したとき、電話の相手が代わった。
「はい署長、こちらは異常ありません。え、何ですって、ポッターのばあさんが・・・・わかりました。すぐそちらに向かいます。」シープは新たな犯罪を解決すべく指示された現場に向かった。


「だから、ケン・アルバトロスが殺されて涼鹿が怪我させられる前、あなた涼鹿と言い争ってたでしょ。それで警察はあなたを疑っているんじゃないの?」
ローズは返答に困った。

「キーリーン、お話中悪いんだけどね、どうしてあんたがそんなこと知ってるんだ?涼鹿とローズが言い争っていたなんて、俺は初耳だぜ。」空白の多いスケジュール帳を開き渋い顔で眺めていたアイザックが口を挟んだ。
「わ、私聞いたのよ。私は何も後ろめたいことなんかしてないわ。」キーリーンの答えはしどろもどろだった。
「ほう、なにも後ろめたいことはないはずなのに、どうしてそんなにおどおどしてるんだ?」カウンターに座ったローズの背後からピーター・ヴェリーが言った。5分前に頼んだコーヒーのお代わりを誰も持ってこないことに業を煮やしたヴェリーが自らカウンターまで取りにきたのだった。
「おどおどなんかしてないわよ。」キーリーンは煮立ったコーヒーサーバーを取るとヴェリーが持っているカップに勢いよくコーヒーを注いだ。
「あち、あちち、なんてことするんだよ。」ヴェリーの抗議はキーリーンの耳には入らなかった。彼女の注意は新しく入ってきた客の方に向けられていた。
「こんにちは。」ジミーとリヨそして涼鹿が入ってきた。
「お母さんやっぱり来てくれたんだね。」ジミーはローズの姿を見つけうれしそうに言った。
「こんにちは、ローズ。私にお話があるんですって?」涼鹿は硬い表情をしていた。
「あちらの席にしましょう。」立ち上がったローズの後に三人はついていった。


 奥のボックス席に着くとジミーが口を開いた。
「僕たちはお母さんが涼鹿先生と仲直りすることを要求します。そ、それからなんだっけ」
「だから、あなたが涼鹿先生に謝って、私たち二人が自由に涼鹿先生に会う権利を認めてくれるのなら、これはお返しするわ。どう?」リヨはローズの小箱をテーブルの上に置いた。涼鹿は興味深そうに蓋の上の模様に見入った。
「わかったわ。」ローズはそうリヨに言うと涼鹿のほうに向き直った。
「このあいだは悪かったわ。謝るわ。ごめんなさい。この町に来る前も、来てからもいろいろなことがありすぎて・・・でも、自分で自分を守ると言ったのは間違っていない。今日はそのために来たの。」
「どういうこと?言ってる意味が解らないんだけど。」
「つまり、あなたが襲われて、ケン・アルバトロスが殺されてから・・・」
ローズは言い澱んだ。年下の女は苛立ちを顔に出さず辛抱強く続く言葉を待っていた。
「つまり、なんと言ったらいいか・・・警察が、シープが私を見張っているのよ。」

 涼鹿にはシープ・ジョーキングがローズを見張っていることは初耳だった。しかしその理由については容易に察しが着いた。
「あなた、私が犯人だと思っているんでしょう?あなたが私と言い争ったことを署長に話したから、警察は私を犯人だと思っているんだわ。でも、あなたを襲ったのは私じゃない。もちろんケン・アルバトロスを殺したのも私じゃない。
ねえ涼鹿、あなたからデス署長に言ってくれない?あなたを襲ったのは私じゃないって。そうすれば警察も私の見張りをやめてくれるはずよ。」

「そんな事言われても、あっという間の出来事で私は何も覚えていない。だからあなたが犯人だと名指しすることはできないし、それはほかの誰についても言えることだわ。」
「そ、そんな事いってもごまかされないわ。あなたは私が襲ったと思っている。」話の成り行きを危惧したリヨはこれ見よがしに小箱の蓋を取った。
「ローズ、話が違うでしょ。これが私の物になってもいいの?」リヨはそう言いながら二人の間に小箱を押し出した。
「あら、これは何?」涼鹿は美しく塗られた箱よりもその中に入っていたぼろぼろの紙に惹かれた。涼鹿は今にも破れそうな紙を手にとり細心の注意を払って広げた。
「私の国の言葉のようね。読んでみてもいい?」涼鹿の言葉にローズが頷いた。
涼鹿が時々発する言葉はりよたちには歌声のように聞こえたが、ローズにはまるでお経のようだった。中ほどまで読み進んだ涼鹿が声を上げた。

「これは!ちょっと待って訳してみるから。えーと・・・
徐何某と言う人が浜辺に流れ着いて、地元の人に助けられた。そして取り調べに着た役人に自分は平原広沢からきたって言ったんだって。その平原広沢というところは山の中に在ってものすごい価値の宝が在るところだと言った・・・」涼鹿がなおも先を続け様とした時
「平原広沢の宝だと!」ヴェリーがものすごい勢いで彼女らのテーブルに突進してきた。ジミーはヴェリーの獣じみた力に突き飛ばされ隣のテーブルに頭をぶつけ倒れこんでしまった。ローズは反射的に立ち上がりヴェリーに向かって一歩近づき、すばやく腕を取って押さえ込んだ。涼鹿とリヨは突然の出来事に固まってしまった。ジミーはヴェリーの足元に倒れていた。すさまじい物音に振り向いたアイザックはジミーの元に駆け寄り抱き起こした。
「ジミー、大丈夫か」
ローズはヴェリーを解放するとアイザックの腕の中でぐったりしているジミーに駆け寄った。
「やれやれ、とんだ目にあったな。」ピーター・ヴェリーは熱湯攻めと締め上げ、二度の拷問に会った手首をさすりながら涼鹿に囁いた。
「それには本当に宝のありかが書いてあるんだな。」
「まだ、最後まで読んでいないからよくわからないけど・・・そうかもしれないです。そんなことよりジミーが・・・」
「そんな事の方が大事なんだよ。」涼鹿が振り向くと、ヴェリーはいつの間にかリヨにピストルを突きつけていた。リヨは突然のことで自分がどのような状況にあるのかまだ理解していないようだった。涼鹿は助けを求めるように辺りを見回したが、店内の人間はすべてジミーの容態に気を取られていた。涼鹿とピーター・ヴェリーの二人を除いて。

「大変だ、頭から血が出ている。」アイザックの声が聞こえた。
「ジミー、ジミー」ローズの悲痛な声が店内に響き渡った。
キーリーンは慌てながらも氷を布にくるみローズに手渡した。「今救急車を呼ぶわ。」
「いや、救急車を待っているより俺の車で行ったほうが早い。」アイザックはそう言うと店から飛び出した。

ローズはジミーを抱きかかえ出口に向かった。二人のためにキーリーンがドアを開ける頃にはもうアイザックのビートルが到着していた。
「さあ、早く乗って。」ローズとジミーが乗り込むのをキーリーンが手伝っていた。騒ぎを聞きつけたハリエットが自分の店から顔を出した。
「まあ、ジミー、ローズ一体どうしたの」
「ああ、ハリエット今は話している暇がないの。あ、そこ、そこ気をつけて。いい?閉めるわよ。アイザック、ヘアーズ記念病院に行くんでしょ?うん、わかった。大丈夫よ、任せておいて。すぐ電話しておくから。
ちょっと、聞いてよハリエット。信じられないわ。うちのお店でねローズが食事しようと・・・ジミーと涼鹿とリヨが・・・・でね、ピーターが・・・」ビートルが発進するとキーリーンはファントム・レディの前まで行き、ハリエットに自分が見た一部始終を話し出した。

「え、ピーターがそんなことを、ひどいわね。それよりキーリーン、電話しなきゃいけないんでしょ。」
「あ、そうよ。ごめんなさい電話貸して。」キーリーンは無意識のうちに電話代を浮かせることを思いついていたようだ。
「ヘアーズ記念病院?今頭を打って気を失ったジミー・ダイアモンドと言う少年を・・・」
キーリーンは病院に電話をかけ終わると再び事の顛末を詳しく話し出した。
ハリエットはその話を心に刻みながら「これは使えるかもしれない。」とほくそ笑んだ。


二人がファントム・レディに姿を消したのを幸いとピーターは涼鹿とリヨを連れ店から出た。そこにマーサが通りかかった。
「やあ、マーサ。元気かい?キーリーンならハリエットのところだよ。」ピーターが言った。
涼鹿はマーサに目で合図をしたがマーサの視線はファントム・レディのほうを向いていた。
「涼鹿、リヨ、おじさんの仕事場を見たいんなら喜んで連れて行ってあげよう。」ピーターはそう言いながらリヨを自分の車のある場所へ引き立てていった。涼鹿は仕方なく二人の後に続くのだった。
マーサは涼鹿の後姿を見送りながら、何故か初めて自分が棍棒を手にした日の事を思い出していた。



 ヘアーズ記念病院の救急室では頭を打って昏倒したという金髪の少年に、できる限りの医療を施していた。
「瞳孔は光に反応、痛みに反応、心音正常・・・」
『心音正常』 そんな馬鹿な。ローズは耳を疑った。

「あなたがこの患者の保護者ですか。頭を打ったとのことですが、たぶん軽い脳震盪だと思います。念のためにCTを撮っておきましょう。」医師は向き直って看護師に指示した。「この患者さんをCT室へ・・・。お母さんはそちらでお待ちください。」
ローズは言われたままに待合室に戻った。駐車場に車を置きに行ったアイザックはすでに椅子に座っていた。
「さっき駐車場でクロノに会ったんだ。普段なら顔も見たくないやつだけど、溺れる者は藁をも掴む・・・あ、いや、そういう意味じゃなくて・・・」アイザックは間の悪いたとえをした事を悔やんだ。しかしローズにはアイザックの声が聞こえていないようだった。
「とにかくあいつにジミーのことを話したんだ。ローズ、心配ないよ。ちょっと頭をぶつけただけなんだから。出血だってすぐ止まったじゃないか。」

 クロノは救急室でジミーの行き先を聞きCT室に向かった。
「ジミー・ダイヤモンドという患者がいるはずだが・・・」
「こちらですが、あなたは?」クロノは担当看護師の問いにジミーとの複雑な関係を説明する手間を省いた。
「私はクロノ・レイヴン、ジミーの主治医だ。ちょっと見せてもらうよ。」クロノはジミーのカルテをめくるや否や看護師の首から聴診器を取りジミーの胸に当てた。多少弱いものの聞きなれたリズムが彼の耳に届いた。

――やはりこの子も・・・・しかし、何故今になって出てくるんだ。
 心臓の疾患が発症を遅らせたのか・・・・






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