慈照寺銀閣庭園
銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府8代将軍足利義政による。義政は祖父にあたる3代将軍足利義満の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、山荘東山殿を造営、この東山殿が銀閣寺の発祥である。銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺、義政の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。義政はその生涯を東山殿の造営に託した8年の歳月を費し、自らの美意識の全てを投影、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を造りあげた。
慈照寺庭園は夢窓国師が作庭した西芳寺の庭園をモデルに総門を入って山門に至るまでの長いアプローチのとり方、下部に池泉庭を築き、上部に枯山水を築く二段式構成や建物の配置から名称に至るまでことごとく西芳寺と対比的に構成された。対比的な作り方をしながらも義政独自の世界を作りあげた。石組では西芳寺と天龍寺の手法が数多く入っている。作庭に当ったのは河原者の彦三郎・彦六・彦二郎・善阿弥の孫の又四郎らであったことが知られる。池泉回遊式庭園は錦鏡池と呼ばれる池を中心に銀閣、東求堂が配され、現在東求堂前は白砂による銀沙灘と向月台になっているが江戸時代頃改修がなされ景観が大きく変えられた。
★特別史蹟、特別名勝 銀閣寺慈照寺庭園標識
”我が庵は月待山の麓にてかたふく空の影惜しそ思ふ”
★銀閣寺境内図
★池畔にたたずむ銀閣
★浄土世界へつなぐプロローグ
総門から中門まで長さ50mの参道、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲まれた細長い空間は外界との区切りとして設けられたと思われるがその厳粛で人口的で我々の雑念を消し去ってくれる。石垣、竹垣、椿の生垣の調和が美しい。
★庭園と調和する落ち着いたたたずまいの銀閣
銀閣正しくは足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のことで金閣と対比されて用いられる通称である。銀閣の下層は心空殿といい、寺院建築と邸建築を組み合せた書院造りで千躰地蔵尊を祀る。二層は潮音閣といい、禅宗の仏殿で観音像を祀っている。内部は黒漆塗りとなっていて金閣を真似て、銀箔を貼る予定だったと言われているが俗説に過ぎないようだ。
★白川砂で作られた銀沙灘と向月台
慈照寺庭園を構成する要素の中で波紋を表現した銀沙灘と白砂の富士山型の向月台とのコントラストは人々を魅了する。庭園の西北の隅、方丈の南面にある銀沙灘は高さ約60cm、上面には美しい線状の模様の筋が描かれている。灘(だん)とは大海原を意味し、中国の西湖の波打つ風景を描写しているとされている。その西南に接する高さ約180cmの向月台とともに月に照らされる光の反射を意識して作られたと言われる。多くの寺社の庭園などに白砂が使われいるのは採光を考慮してのことで京都の庭園には白川砂という砂が光の反射率が高く電気のなかった昔はより自然の光を活かすことが出来たと言われる。白川砂は花崗岩が砕けて出来た京都特産の砂のひとつであり、白砂に茶色の銀閣が良く映え落着いた美しさを醸し出す。
★銀閣側から見た向月台
★松に向月台と銀閣が良く映える
★東求堂(国宝)前庭
夢窓国師が作庭した西芳寺庭園をモデルに造られた池泉回遊式庭園は錦鏡池を中心に銀閣及び東求堂が配されているが江戸時代に改修され景観が大きく変えられた。庭の中心を占める錦鏡池には7つの石橋4つの浮石をはじめ日本各地から名石を集め配置されている。
★錦鏡池畔の複雑な曲線を描いた松
★錦鏡池からの東求堂(国宝)
東山殿造営当時の遺構として現存する東求堂は本来義政の持仏堂で阿弥陀如来を祀る一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。北面東側の4畳半は同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、草庵茶室の源流4畳半の間取りの始まりと言われている。
★錦鏡池二景
錦鏡池には木々や岩が配され複雑な光景を作っている。
★千代の槇
樹齢500年の老木
★洗月泉
庭園の南東にある一筋の小瀧
★お茶の井
この湧き水は義政の好みにより水質最もよく、現在もお茶の会に親しまれている。
★漱蘚亭石組とお茶の井
東側の山の一群の石組は相阿弥の築いたもので西芳寺の滝石組と類似し、後世茶庭の源流とされる。
★展望所から下りて来て苔むす木立の中を苑路は続く
★池泉の水は苔庭を西南に流れ出る
★錦鏡池南岸の石橋
★南側から銀閣と錦鏡池のたたずまい
★銀閣二層
観音像を祀る3間4方の板敷の空間である。東西面には花頭窓が3つ並ぶ。裏側の南が正面で桟唐戸の両脇は花頭窓で禅宗仏堂の意匠である。
★展望所からの眺め
★銀閣寺手水鉢
石を加工して特殊な角形にしたもの。
★銀閣寺垣
庭に多く用いられる竹垣で野趣、風情があり、侘びの世界を象徴するものである。銀閣寺は竹を割った立て子を張付けたもので、建仁寺垣の半分の高さで生垣、石垣との組合せが妙である。