オート三輪車のページ
オート三輪の選詩集を刊行しました。興味ある方はこちらに
このページ、カラー写真は少しだけで殆どがモノクロとなりました。(写真はクリックすると拡大します。)
← ダイハツ三輪車,秋葉原駅近く万世橋交差点にて
← マツダ三輪車,倉敷市内にて
←
ダイハツ三輪車,上野駅近く昭和通りにて
← ダイハツ三輪車、国道7号線にて
バイクのページにオート三輪とは何事かといぶかる向きもあろうかと思いますが、一昔前は、オート三輪はバイクの雑誌で扱っておりました。オート三輪はバイクの仲間か兄弟なのです。共通点は、力学的にちょいと問題があると思われ、人間が上手に操縦しないとひっくり返るおそれが強いと言うことでしょうか。
ところで三輪車というとなにを思い浮かべますか。小児用の三輪車が身近に感じるかもしれません。三輪車は普通四輪車の操舵輪を2から1に節約し、多少不安定になりますが、四輪車と異なり常に全輪が接地していて、緩衝装置が無くても不安定にならないなど、優れた特徴もあります。そこで、構造が複雑で重たい四輪車より経済的なので、発達の初期段階で使用されることが多かったようです。例を挙げると、蒸気自動車やガソリン自動車車の初期に三輪形態が採用されております。舵取りをする馬が無くなり、代わりに前輪の向きを変えて舵を取る工夫が前二輪ではなかなか難しく、単純な前一輪になったためです。
しかし、三輪だとカーブで不安定なので、四輪に移行して、三輪自動車が普及するまでもなく、四輪車が普及いたしました。それでは、三輪車はどこから生まれたかというと、自転車から発達したのです。現在でも三輪の自転車は珍しくありません。しかし、自転車だと三輪車はどうしても重くなり、軽快でないので、そんなに多くないのです。
←ダイハツ三輪車,ゆりが丘駅前
おなじみのリヤカーというものがあります。いまでは人が牽くのがほとんどですが、バイクや自転車の後ろにつないで、積載量を増すための横二輪車です。バイクの牽くリヤカーの代わりに、バイクの後輪を二輪にしたのが、オート三輪の始まりです。ふだんは二輪車として使用して、荷物が多いときは、三輪車にする、そのようなバイクも存在しました。積載量を大きくしようとすると、バイク兼用のものでは、強度的に無理なので、三輪専用の設計にして大型化しました。エンジンも初期はバイクと同じものが使用されましたが、大型化に伴い、専用化されました。
←リヤカー,バイクはヤマハ?
欧米と異なり、日本では、四輪車の普及が遅く、より経済的な三輪車が独特の発展を致しました。道路が狭く、悪路であったことも、四輪車の普及の妨げになりました。三輪車はホィールベースを長くしても、回転半径が四輪より小さく小回りが利く、悪路でも空転しにくい等の長所があったわけですが、何と言っても、構造が簡単なので価格が半値程度であったのが、日本で大型化し普及した最大の原因です。1955年頃までは、3輪車は運転席は半分むき出しであり、エンジンは2トン積みの大型車でも1400cc2気筒38馬力程度でした。ハンドルもバーハンドルです。それが、1958年頃には、運転席は密閉化し、ドアも付き、丸ハンドルになりました。エンジンも小型トラックと兼用となり2000cc,4気筒、となりました。しかし、こうなると、4輪トラックと殆ど同じで、不安定なことだけ残り、4輪車が安くなると価格差も少なくなり、利用者が減り自然消滅いたしました。ちなみに、1965年ころに価格差が無くなっているようです。また、1965年の免許制度の改定で、比較的取り易く16歳から受験できたオート三輪免許が無くなり、普通免許になったことも消滅の一因と思われます。4輪車に乗るためには普通免許が必要なのですが、オート三輪免許は普通免許に格上げされ、3輪車ユーザーの4輪車への乗り換えに免許制度上での障碍が無くなりました。
なお、オート3輪車は戦後しばらく東南アジアを中心にかなりの台数が輸出されております。また1959年頃に、中国(中華人民共和国)での国産化のモデルとなりましたのは、愛知機械工業のジャイアントなどの名車で、写真で見ると外観はそっくりです。
←マツダ三輪車,和歌山県御坊市内 79年7月
←マツダ三輪車,都内世田谷区246号線
←マツダ三輪車,岡山県茶屋町にて
| 1946 | 3,827 | 998 |
|---|
| 1947 | 8,951 | 2,087 |
|
| 1948 | 20,525 | 4,924 |
| 1949 | 27,562 | 10,158 |
| 1950 | 39,102 | 10,770 |
| 1951 | 44,863 | 12,043 |
| 1952 | 62,539 | 15,141 |
| 1953 | 93,343 | 18,810 |
| 1954 | 101,868 | 26,529 |
| 1955 | 88,410 | 34,776 |
| 1956 | 105,388 | 77,228 |
| 1957 | 114,842 | 130,855 |
上表に示すようにオート三輪の最盛期は1957年頃です。しかしこの頃には小形4輪トラックもほぼ完成期を迎え価格差も少なくなり、4輪ブームも相まって三輪車は相対的に地位を低め、1960年頃には進歩を止めました。その頃の車名には、ダイハツ,マツダ,ジャイアント,くろがね,三菱,みずしま(後に三菱になる),オリエント,アキツ,サンカー,等があります。1962年頃にはダイハツ,マツダの二大メーカー以外はほとんど製造されていません。ダイハツ,マツダは1970年頃まで製造されました。最終期のものの性能は素晴らしいもので、バタバタとかバタコと呼ばれた初期の頃の面影もありません。次に1965年オート三輪最終期のマツダとダイハツの大型車の仕様を記します。両車で全長がかなり異なるのは長尺ボディと普通ボディの差です。(「自動車ガイドブック 1965-1966版」,S40.10.25,第12巻,(社)自動車工業振興会 より引用しました。)
当時のトヨタの乗用車クラウン4気筒とエンジンパワーは同等ですが、パワーの割には最高速が多少低いのは、車重とギヤ比の関係かもしれません。(当時のオート三輪車の高速道路の制限速度は、丸ハンドル車が80Km/h,バーハンドル車は70Km/hでした。)
| 車名 マツダ T2000 TVA32S | 車名 ダイハツ CO10T |
| エンジン形式 VA型 ガソリン,水冷 | エンジン形式 FB型 ガソリン,水冷 |
| 4サイクル,4気筒,圧縮比7.0 | 4サイクル,4気筒,圧縮比8.2 |
| 排気量 1,985cc | 排気量 1,861cc |
| 最高出力 81PS 4,600rpm | 最高出力 85PS 4,600rpm |
| 最大トルク 15.5m−Kg 2,000rpm | 最大トルク 15.5m−Kg 3,200rpm |
| 変速機 前進4段後進1段 2,3,4シンクロメッシュ | 変速機 前進4段後進1段 2,3,4シンクロメッシュ |
| 全長 6,080mm | 全長 5,165mm |
| 全幅 1,840mm | 全幅 1,825mm |
| 全高 1,920mm | 全高 1,900mm |
| 軸距 3,820mm | 軸距 3,260mm |
| 車両重量 1,780Kg | 車両重量 1,710Kg |
| 乗車定員 3名 | 乗車定員 3名 |
| 最大積載量 2,000Kg | 最大積載量 2,000Kg |
| 最高速度 100Km/h | 最高速度 90Km/h |
| 燃料消費率 9.4Km/l | 燃料消費率 10Km/l |
| 登坂能力 sinθ 0.310 | 登坂能力 sinθ 0.378 |
| 最小回転半径 5.93m | 最小回転半径 4.3m |
| 価格 ¥680,000円 | 価格 ¥650,000円 |
←ダイハツ三輪車,埼玉県にて
私の知る限り最大の三輪車(西欧にはもっと大きいのがあったそうです)は、1956年頃、高知県の山間地用に生産された、トクサン号というのがありました。詳しい仕様は不明ですが、積載量2.500Kg,エンジンはトヨタの大型トラック(4トン車)のエンジンで3400ccの6気筒です。後輪はダブルタイヤです。勿論丸ハンドルです。これは、大型トラックを3輪化したもので、回転半径を小さくするためと、急峻な山道での登坂力確保と、きわめて日本的なものといえましょう。(現在でも一般道は走れない車ですが、林業専用の特殊なオート三輪が存在しております。)
前述の65年式マツダ2トン車と比較してもかなり大きい感じがします。全長は積載物により、長尺ボディと短尺ボディがあり比較しても余り意味がありませんが、車重と排気量と馬力が圧倒的に大きいです。(1956年頃の2トン車は、1,400cc,40馬力前後でした。)
| 車名 トクサン号 TN型 高知自動車工業 |
| エンジン形式 トヨタB型 ガソリン,水冷 |
| 4サイクル,6気筒 |
| 排気量 3,400cc |
| 最高出力 82PS |
| 全長 5,480mm |
| 全幅 1,860mm |
| トレッド 1,400mm |
| 全高 2,000mm |
| 軸距 3,400mm |
| 車両重量 2,300Kg |
| 乗車定員 2名 |
| 最大積載量 2,500Kg |
| 最高速度 72Km/h |
| 燃料消費率 7Km/l |
| 登坂能力 1/4 |
トクサン号については、オートバイ誌,56.8,P171,(株)モータマガジン社発行より参考・引用致しました。
軽3輪車は小形3輪より存在理由が強いため、現在でも多少需要があり、様々な形で存在を続けておりますが、最盛期は、小形3輪よりやや遅れ、1958年頃から1963年頃までです。その後軽三輪は、軽四輪に代わられました。
その頃の車で現在でも良く覚えられている軽三輪に
ダイハツ・ミゼットというのがあります。マニアがレストアしたり、同名の車を最近ダイハツが造ったので、有名ですが、当時ミゼットの価格は23万円でした。これは当時の250ccのバイクより少し高い程度だったのと、軽2輪の免許で運転できたこと、車庫証明が不要だったので、あっと言う間に普及して、トーハツ,メグロ,ライラック,オリンパス,ポインターなどの実用型バイクの息の根を止めました。
当時のものの車名をあげると以下多数あります。(車名のみで写真も見たこともないものもあります。)ダイハツ・ミゼット,
マツダ・K360,
ホープスター,ハスラー,
三菱レオ,オリエント・バンビー,ジャイアント・コニー,ムサシ,ミニカー,
三輪ラビット,エムロ3,やまと,ライトポニー,クノマック号,変わったとこでは、
ダイナスター(サイドカー形態),
フジキャビン(FRPボディ前二輪の125cc乗用車),ツウテン(二輪車と三輪車に兼用できる)などがあります。
欧州には、バイクのエンジンをそのまま使用した乗用ミニカーが結構使用されていて、三輪のものでは、ドイツのBMWイセッタ,ボンド,メッサーシュミット,英国のフリスキー,スクータカー等が有名です。やや大型のものでは英国のリライアントなどがあります。これは750cc,水冷直列S.V.4気筒,前一輪の4人乗り,なかなか堂々たるものです。ドイツにもゴリアートなどという3輪車があったようで、5人乗りのバンと750kg積みが輸入されていたようです。貨物用では、スクータのヴェスパ,ランブラッタ改造車が,少し大型のではのジレラなどがあります。50ccのものも多数ありました。
その他、ハーレーやモーガンなどの
マニアックな三輪車もありますが、庶民的なものではありません。
← ダイハツ BEE型三輪乗用車 →
不思議なことに三輪の乗用車は日本ではほとんど普及しませんでした。
小形三輪乗用車は、戦後しばらく、三菱、マツダから貨物用をベースに少数製造販売されましたが、本格的な乗用車は1951年に完成したダイハツの
BEE型くらいです。その仕様をあげると次のようになかなかの車ですが、しかし1954年度までの総製造販売台数は200台程度だったようです。
| エンジン 804cc 強制空冷 OHV水平対向2気筒 |
| 18馬力 全長4,080mm 車幅1,480mm |
| 車重960Kg 最高速78km/h |
排気量は、504ccと810ccの二通りあるようで、写真の車は504ccです。水平対抗2気筒のエンジン音は歯切れが良く軽快ながらずっしりした重量感のある落ち着いた排気音です。
BEE型については、中根良介氏の記事「三輪自動車の歴史(11)」,(モーターファン誌臨時増刊「1954年版オートバイダイジェスト」,54.10,P279,三栄書房)を参考・引用致しました。なお「懐旧のオート三輪車史」GP企画センター編、グランプリ出版、発行2002.2.10、にも図面、写真など詳しい説明が載っており、参考させていただきました。
タクシーなどにも使われたようですが、小形4輪乗用車の普及ですぐに消えました。(
オート三輪の二種免許などもあったわけです。)
1954年4月の陸運局の小形3輪乗用車の登録台数は1,197台でかなり多く、乗用軽三輪は1,878台です。
見栄っ張りの多い日本では三輪乗用車は残りませんでしたが、しかし、西欧ではしぶとく生き残っているようで、最近見たNHKの人気深夜番組
「ミスター・ビーン氏」の水泳の巻の中で、ビーン氏の愛車
ミニクーパーに脅かされ、ふがいなくも、ひっくり返されたのは、まぎれもない3輪乗用車でした。数年前の作品ですから、今でも走っていることでしょう。イギリスに行かれたら、是非とも見聞してきて下さい。
三輪車というと遅い車ばかりと思われますが、
自動車絶対最高速度記録挑戦車にも3輪形態が採用されることがありますので、メチャクチャに速い車もあるわけです。
←ダイハツ三輪車
76年6月岡山県にて ダイハツ三輪車改造車 用途不明 昭和46年度低質○利用補助事業と書かれております
サイドカー(側車)
サイドカーもおかしな乗り物で、このような乗り物は、考え出されたのでなく、自然と必要が生み出したわけです。名称は、バイクの横に並べて置かれるので、サイドカーとなりました。自転車やバイクに荷物を積むために三輪化するには、このような安直な方法もあったわけです。ふだんは2輪で、荷物があるときは3輪というわけです。ロードレースまで行われているので、見た目と違い、高速やカーブに強い乗り物ですが、そのためには、同乗者は積極的に操縦に参加しなくてはならないのが、他の乗り物との違いです。現在ではスポーツ用の乗り物といった方が適当かもしれません。しかし、ハーレーや陸王の荷物運搬用サイドカーの最大積載量は500Kgで当時のオート三輪並みでした。こうなると同じようなものになりますが、オート三輪車との違いは、高価格、高出力、高スピード、高走破性です。乗用として軍用にも多数使われました。
以外と知られていないのは、サイドカーを付けると車幅が非常に大きくなることです。見た目の車自体は小さいで他の運転者が車幅を見損なうおそれがあります。
(ハーレークラスの側車は2mを少しオーバーしますから、すれ違いには注意が必要です)。
現在はサイドカーは結構高価で、趣味の乗り物と言ってよいでしょう。1950年代は乗用として、荷物運搬用として、少なからず利用されていましたが、360ccのミニカーが普及して消えました。ミナト式、泉式のカーが、小は4スト90ccのベビーライラック用から、大はメグロやキャブトンの500−650ccクラスまでいろいろありました。カー付きのラビットスクーターもポピュラーでした。
印象的だったのは、前述の
陸王1200cc・500Kg積みの無蓋砂利運搬用サイドカーです。家屋の普請現場に駐車してありましたが、重い砂利やセメントの積み降ろしに便利で、狭い現場にも入れ、案外重宝していたのかもしれません。しかし、何とも贅沢なトラックです。
荷物運搬用として忘れてならないのが、
50ccカブに付けたカーです。ガラス商、材木商、畳商、建具商などによく用いられていました。同じカーを
自転車に付けた例も多く見られました。かさばる荷物を低重心で小回りの利く車体に積んで、路地を駆け抜けるのに大変便利です。これらのカーは低速走行なのでカーにはサスペンションが付いていないものが多かったですが、カーの車輪が小径の場合はリンク式のサスペンションが付いてました。
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