US AIR FORCE FIGHTER

<写真をクリックすると画像が拡大します。戻る場合はブラウザの戻るを押して下さい。>

Republic F-105 Thunderchief

F-105D

8TFW
62-4318
35TFS
62-4379
62-4218 59-1731 80TFS
60-0453
62-4320
1963.07.17
ITATSUKE
1965.00.00
YOKOTA
1965.00.00
YOKOTA
1966.05.04
YOKOTA
1967.07.27
YOKOTA
1968.06.22
YOKOTA
嘉手納の18TFWに続き板付の8TFWにもF-100に替わりF-105の配備された。
配属当時はマークはなし又はPACAFマークのみの味気ないものだった。
経費削減のためマクナマラ長官の指示により8TFWは解散し所属の35、36、80TFSは板付のから横田に移動し41st Air Div.の所属となった。
1965年4月に以前より横田に駐留していた6091RS(後のテールコード「GT」)を加え6441TFWを編成した。
各飛行隊は識別のためインテーク外側に色違い(の矢印(35TFS-赤、36TFS-青、80TFS-黄)を記入した。
TACの機体であるがロケット弾ポッド等の訓練装備を付け横田のR/W35に着陸するF-105D。
この年の05月15日に開催された3軍記念日には横田の6441TFWの列線に561TFSの機体も見られ補充の機体か訓練を実施するためか不明だが良くTACの機体を見ることができた。
尾翼のTACのインシグニアは消されているが尾翼の帯等から元562TFSの機体。
この頃はベトナム戦域の補充のためかこのような状態で訓練を実施していた。
ベトナム戦争に本格的に介入する頃に各機を迷彩塗装が始まった。
迷彩塗装初期は部隊マークはもちろんテールコードもない状態ではボム・ディスペンサーに書かれたマーキングが部隊を特定する手段はで一般的だった。写真の機体はヘッドハンターが書いてある。
F-105がフェリーするときは胴体下のセンターパイロンの大型のタンクを付け(当然爆弾倉内にもタンクを積む)ていた。
3本タンクの機体が上がると降りてこないことが多かった。
62-4277 62-4346 80TFS
60-0522
59-1728 80TFS GR
60-0453
80TFS GR
62-4320
1967.05.20
YOKOTA
1966.11.06
YOKOTA
1967.03.21
YOKOTA
1967.03.03
YOKOTA
1968.01.04
YOKOTA
1968.01.27
YOKOTA
1967年の横田の3軍記念日に展示飛行を実施した。写真は飛行後のスポットイン時の光景である。 第1回国際航空宇宙ショウが入間で開かれ海外からの出展はヘリコプタ程度で少なかった。
しかしフライパスは写真のF-105のほかにF-100,F-102,A-4,P-3等が在日米軍の協力により実施され飛行展示はかなり充実していた。
F-105には20mmのガットリングガンが付いている。対空戦闘訓練のためデルタダートターゲットを付け標的機となることもあった。 迷彩の異なるパターン2機の編隊着陸。
手前の迷彩パターンをマニアの間で「トラ迷彩」と言っていた。
ベトナム戦争の消耗で80TFSのみが「GR」のテールコードを書いた。
この時他の35、36TFSは既にF-4Cに機種改編していた。
写真の機体は両翼下にボム・ディスペンサー及びロケット弾ポッドを付けている。
1月23日情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕された。
在日米軍も臨戦態勢となり横田のF-105は胴体下にトリプルイジェクタ、翼端下にサイドワインダーランチャを付け警戒態勢に入った。
18TFW 12TFS ZA
62-4320
18TFW 12TFS ZA
62-4299
18TFW 12TFS ZA
62-4729
18TFW 12TFS ZA
62-4375
18TFW 12TFS ZA
62-4375
18TFW 12TFS ZA
62-4372
1968.06.22
YOKOTA
1968.06.22
YOKOTA
1971.05.02
YOKOTA
1971.05.13
YOKOTA
1971.05.02
YOKOTA
1971.05.13
YOKOTA
12TFSの機体も迷彩塗装初期は機首レドーム後方の識別帯を書いていた。 アフターバーナを吹かしエンジン全開で離陸滑走中のトラ迷彩のF-105D。
F-105がアフターバーナを吹かすとダイヤモンド型の排炎を見ることが出来た。
早朝の横田を離陸のため着陸灯を付けR/W18に向かう。
この当時横田は休日は日中工事が多く外来機の帰還はこのように早朝に行われた。
迷彩塗装初期は機首レドーム後方にあった識別帯は尾翼に書くようになったがこの頃は18TFWには写真の12TFSのみが健在で他の44、67TFSはベトナム戦争での消耗で飛行機を持たないペーパ飛行隊となっていた。 横田のR/W35に着陸しドライブイン前をドラッグシュ-トを引いてタキシング。通常はランウェイエンドで切り離すドラグシュートも基地が休日の時は回収の地上員が少ないためこのような形態でタキシングすることがあった。 F-105Dも後期は胴体の爆弾倉をバンドで固定し機体内に爆弾を格納することを止めた。

F-105F

63-8271 18TFW 12TFS
63-8364
6441TFW
63-8281他
63-8359 63-8294 18TFW
63-8289
62-4429
1965.00.00
YOKOTA
1965.12.27
YOKOTA
1965.11.03
IRUMA
1966.07.28
YOKOTA
1968.06.22
YOKOTA
1967.05.05
YOKOTA
1967.05.03
YOKOTA
PACAFマークをつけた元562TFSのF-105F。
この当時はベトナム戦争でF-105の消耗が激しく機体の部隊移動が盛んに行われておりマークと実際の所属飛行隊は必ずしも一致しない。
沖縄に駐留した12TFSの機体は一時尾翼に黒の縁取りの黄色のバンドを書いていた。 入間航空祭で上空をフォーメーションでフライパスした6441TFWの機体。編隊4番機はTACマークを書いたF-105D。 F-105は大きく背の高い機体でこの角度から見ると垂直尾翼の高さが際立って見える。
F-4と違い空母上の運用を考える必要のない空軍機は設計の自由度が大きく見る角度を変えると色々な形になった。
大型の650ガロン増槽を胴体中央につけたフェリー時の標準装備のF-105F。 機首の識別バンド塗装が残っていた当時の18TFWのF-105Fのアフターバーナーを吹かしての離陸。
F-105FをSAMサイト攻撃用にシュライクの運用が可能となるようワイルドウイーズルに改修された。外形上のF型との差は機首周辺のアンテナが顕著であるがその他各部にアンテナが増設されている。後年これらは本格的なWW機のF-105Gに再度改造された。

BACK TO US MIL
HOME