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東京理科大学発祥の地、九段坂下の
稚松小学校跡に記念碑が建立されました。
  卒業生有志による5年越しの碑建立の思いが「東京理科大学発祥の地」記念碑建立の会として組織化され、卒業生・大学教職員・学生・父母・地域住民の募金により平成20年2月末、九段下の稚松小学校跡近くに石碑が立ちました。
  「我が国で始めて市井で近代物理学の講義が行われた場所」という文化財を記念するものとして、千代田区役所と東京理科大学および理窓会の理解と応援の賜です。

  発祥の地碑のデザイン、石材選定、施工の手配は工学部建築学科OB会「築理会」の皆さんによるものです。
石材はスクールカラーのインド産の赤御影石(花崗岩)new imperial red で、碑の大きさは高さ210cm、30cm角で重量は約600Kg。碑は東西の面の真ん中で磨きと艶消しの2つに分かれ、現代物理学の相対性原理と量子力学の2つの柱を現わし、学校の徽章と発祥の由来が彫ってあります。
場所は、堀留橋西詰め、東西に通る道路の北側、堀留北児童遊園前の歩道、千代田区飯田橋2−1で、現在の九段校舎から直線370mのところです。
 
  参考文献: 碑建立に至る経緯(理科大today2007/10vol.4)
          物理学校意外史(西村和夫)

建立の日程:
・平成19年10月1日 建立計画を発表し募金を開始しました。
・平成20年1月31日 起工式が現地で行われました。
・2月1日から工事が始まりました。
・予定が早まり、2月20日碑が立ち上がりました。是非現地を訪ねてください。
・除幕式は3月15日に九段校舎の教室で行われ、建立の会から大学に碑が贈呈されました。
募金は平成20年4月30日までです。ご協力をお願い致します。

 現地施工の写真速報13枚、理窓会ホームページをご覧下さい
 

  稚松小学校の場所を記した地図の発見、稚松小学校の成立と廃校の経過が卒業生の西村和夫氏(S27理・化)の調査で明らかになり、東京理科大学発祥の地が確定し、平成20年(2008)2月にはその地に発祥の地記念碑が建った。
  東京理科大学の同窓会、理窓会の会誌「理窓」2007年10月号に西村氏は稚松小学校について以下のように記している。

  「稚松学校は元治元年(1864)飯田町二合半坂で始められた円山堂という寺子屋だったが明治5年の学制公布で、翌年の明治6年、飯田町4丁目1番地に移り稚松学校を開いたといわれる。明治14年に稚松小学校となり、地面積286坪、区内随一の小学校として業績を誇っていたが、明治36年3月31日で廃校になった。」




左上: 
明治28年の地図、昔の堀留橋の西50mほどのところに稚松小学校という書き込みが見える。昔の堀留橋はもちの木坂を下り現在の日本橋川に突き当たったところである。現在の堀留橋は北50mほどのところ。
左下:
明治20年の地図、稚松小学校と考えられる400坪ほどの敷地がある。
右上:
現在の地図に昔の運河と稚松小学校の敷地を書き込んだもの。明治36年の神田川につなげる開削で稚松小学校の敷地の東半分は日本橋川の中に入ったことが分る。
右下:

明治33年の新東京絵図、堀留の西側に稚松学校という書き込みがあるが、変形された鳥瞰図であるから場所の見当だけで、建物の形は参考にならない。画面下の運河に架かる橋は九段下の俎橋である。鳥瞰図は上が北。


   明治14年(1881)6月13日付の郵便報知新聞に掲載された東京物理学講習所設立広告。
   21人の創立者のうち18人が名を連ねている。長崎在住の中村恭平、仏国留学の寺尾寿、難波正の3人は入っ
  ていない。
   創立者のうち、29歳の最年長者は高野瀬、桜井、鮫島の3人で、生年は嘉永5年(1852)ペリー来航の前の年
  である。学校設立から遡る100年の日本と世界の社会情勢および創立者たちの思いと設立広告が発祥の地碑を
  前にして蘇ってくる。 東京理科大学年表(大学に歴史あり、人に歴史あり、大学を支えた人々)
  

  

                                                                                 以上