『さらば小泉純一郎!
――国民の生命を無視する冷血、傲慢、厚顔宰相を許さない』(天木直人、講談社、2004.5)【読んだ時期】
2004年6月 【作成日】2004年6月27日-----------------------------------------------------------------------------------------------
◆またまた天木氏の本なのでメモにするかどうか一寸迷ったのだが、取りあえず覚えのようなものを残しておこうと思う――余り本の紹介にはなりそうもないが。
私は、著者と問題意識を共有する部分が多い(と思っている
)。勿論、全て一致するわけではない。しかし、現在のモラルハザード状態の蔓延、その象徴的存在としての小泉およびその内閣の無責任さには我慢がならないという点では完全に一致している。かつて、ルバング島から帰還した小野田寛郎元少尉は「天皇が戦争責任を取らなかったことが今の無責任時代の源流になったのではないか」と言った趣旨の発言をしていた(
S50.10.30毎日新聞夕刊――『朝日ジャーナル』10月3日号の孫引き)。この時代からバブルの崩壊時期にかけて、我々「団塊の世代」と称される人種は「企業戦士」などという名前を頂いて企業社会の中に埋没し、市民としての社会的責任を放棄してきた。そのことが前世代の無責任を許し、自らもその無責任体系の骨格となっていった理由である。我々世代の責任は確かに重い。そうしたツケの集大成が現政権と言うわけなのだろうか。現政権の特徴は詭弁を弄することさえもできず、唯々居直るだけという点である。そして、あからさまな責任転嫁。イラク人質事件では「自己責任」なるものを持ち出し、拉致問題では家族会をまんまと抵抗勢力にし、年金問題ではだんまりを決め込む。勿論、そこには彼らのお先棒を担ぐメディアと似非ジャーナリスト、自己保身だけに汲汲とした代議士・官僚の無責任カルテットが存在し、その情報操作をそのまま受け入れる「国民なるもの」がいる。それにしても、小泉政権のマスコミ支配とジャーナリズムの劣化の何と甚だしいことか!何やら太平洋戦争時の大政翼賛会的状況を見る思いがする。
著者が『さらば外務省』以来一貫して言っていることは、自民党政権の打倒である。この事を成さずして我々の未来は無い。しかし、前述の「国民なるもの」が真に国民を代表するものであれば状況は悲観的である。ここでは、国民というよりも「市民」という概念を持ち出す必要があるかもしれない。事実、著者も「市民革命」という言葉を使っている。こうした言葉は、私には一寸面映いが、今これを成し遂げなければ日本は滅びるのでは、と心底感じている。
◆一冊の本を読むことは、次に読むべき数冊の本を見出すことを意味する。およそ人の考えることは過去にルーツを持ち、同時代的広がりも有する。私がこうした事を意識するようになったのは、
2001年に大学院で修士論文の準備を始めてからだった。この本の中でも何冊かの興味深い本が引用されていたので、それを以下にあげておく。-----------------------------------------------------------------------------------------------
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