『年金大崩壊』(岩瀬達哉、講談社、2003.9

『年金の悲劇 老後の安心はなぜ消えたか(岩瀬達哉、講談社、2004.4

【読んだ時期】 20046月    【作成日】2004617

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<年金危機の真の理由>

世に「年金」をタイトルにした本は多い。一寸本屋の棚を覘いてもこの種の本を見つけるのに苦労はしない。そして、これらの本は全て現行制度においてどうすれば自分が馬鹿を見ないか(あるいは得をするか)のノウハウを伝授するものだ。勿論、老後の生活を支える公的年金の給付額は少しでも多いに越したことはない。「しかし、目先の損得に固執し、わずかばかりの「得する年金術」に血眼になっていると、結局は、手痛い損失を負わされることになる」(『悲劇』、p1)と著者は警告する。

何故なら、

「「得する年金術」だけを追い求めることは、取りも直さず、.厚生労働省年金局の年金官僚たちの手のヒラの上で踊らされることであり、彼らの仕掛けた巧妙なワナに嵌ってしまうことでもあるからだ。
現行制度の範囲で少しでも得をしようと思えば、年金官僚たちの定めた支給要件を抜け目なくチェックし、手続きに誤りや怠りのないよう努める以外にない。ところが、そのことにだけ視点が固定されてしまうと、公的年金制度の本質的問題点やあるべき姿についての批判的視点は失われ、公正な議論が封じ込められてしまうことになる。
実際、われわれが加入している厚生年金や国民年金は、十分に納得いく説明もなく、五年に一度の財政再計算のたびに、毎回のように給付額がカットされ、掛け金が引き上げられてきた。約束されていたはずの年金額が支給されないだけでなく、重い負担ばかりを強いられてきたのである。
いわば、五年に一度、年金のペイオフ
(支払い停止)が繰り返されてきたようなものだ。」(『悲劇』、p1-2、太字と下線は筆者)

掛け金の引き上げと給付金のカットの理由に挙げられるのが「少子高齢化」である。しかし、「少子高齢化は、日本だけに見られる特異な傾向ではない。世界の先進諸国が共通して頭を悩ませている人口現象である」。そして、著者が調べた範囲では、「少子高齢化を"口実"に頻繁に給付額をカットしたり、掛け金を引き上げている国は、先進国においては日本だけだった」という。(『悲劇』、p2)

少子高齢化は間違いなく年金の根幹にかかわる大問題である。しかし、今行われている年金ペイオフの真の原因は別の所にある。その理由を著者は以下のようにいう。

「日本の年金制度が危機を迎えているのは、単に少子高齢化だけが問題ではなく、年金官僚たちの制度へのかかわりと、その姿勢にこそ根本原因があるということだ。
日本の年金官僚たちは、公的年金制度への確固たる理念がなく、国民のために公正かつ厳正に制度を運営する気概に乏しい。およそ、政策担当者としての矜持を持ち合わせていないうえ、制度を預かる者に求められる最低限の責任感をも欠いている。
そんな年金官僚たちが携わっている以上、日本の公的年金制度が危機的状況を迎えないわけがない。」
(『悲劇』、p5)

著者が上記のように結論付ける様々なエビデンスや調査結果がこの両著の中で明らかにされている。グリーンピア問題などは割と知られた問題だろうが、それは氷山の一角に過ぎない。問題はより根源的な部分にある。個々の問題については両著を読んで貰いたいと思うが――実際は、問題が多すぎて、腹立たしく整理する気にもなれないと言うのが本音――、以下では私が瞠目した事実を幾つか述べておく。

<年金掛け金の中抜き>

我々の納めた厚生年金や国民年金からは「年金加入者と受給者の福祉」を名目に毎年多額の費用が流用(中抜き)され、年金官僚たちの利権となっている。著者の集計によれば2004年度予算ベースで約2,962億円(厚生年金2,098億円、国民年金864億円)である。[*1]

この掛け金の中抜きを合法化しているのが、厚生年金保険法第七九条と国民年金法第七四条に定められた、「政府は(年金加入者と受給者)……の福祉を増進するため、必要な施設をすることができる」との条文である。年金官僚たちはこの条文を拡大解釈し、我々の年金掛け金を、本来は税金でまかなわれるべき「社会保険庁のオンラインシステム経費など事務費のほか、豪華職員宿舎の建設費、社会保険庁の職員の健康診断費、あるいは社会保険庁長官の交際費にまで充ててきた。まさに、やりたい放題の限りを尽くし、われわれの貴重な給付財源を蝕み続けていたのである」(『悲劇』、p85)。

◇誰のための年金か

この際限のない拡大解釈を可能にする年金官僚にとって打出の小槌のような条文は、戦時中の年金官僚、花澤武夫によって作られたという。その事実を、現・厚生年金事業振興団が出版した『厚生年金保険制度回顧録』を引いて以下のように示す(少々長い引用になるが、肝心な点だと考えるのでそのまま引用する)

「「いよいよこの法律[*2]ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。…(厚生年金の掛け金は)何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だつて大丈夫だ」

この花澤証言は、厚生省の外郭団体の一つ、厚生団(現・厚生年金事業振興団)が企画した「厚生年金保険の歴史を回顧する座談会」でのものである。同座談会は、一九八六年四月から八七年三月まで九回にわたっておこなわれている。
その第一回の席上、花澤氏は、後輩で元事務次官の山本正淑氏、元年金局長の伊部英男氏、木暮保成氏らに囲まれ、驚くほど率直に語っている。
意気軒昂な花澤氏の発言は、国民サイドからみれば、信じられないほど身勝手で、無責任である。しかしこれこそが、まさに年金官僚たちの本音なのであろう。
再び、花澤氏の証言――。

「この資金を握ること、それから、その次に、年金を支給するには二十年もかかるのだから、その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。戦争中でもなんでもすぐに福祉施設でもやらなければならない。
そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替りする。……そして年金保険の掛け金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。……早いうちに使ってしまったほうが得する。
二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ」

「賦課式」というのは、支払うべき年金額に応じた掛け金を、そのつど集めるという方式である。積立金を持つ現行方式(修正賦課方式とも、修正積立方式ともいう)に比べて、掛け金が高くなるとして、厚生労働省は、この方式に一貫して否定的な見解を示してきた。
しかし、自分たちの勝手な支出によって積立金をなくしてしまったとしても、賦課方式にすれば、なんとでも帳尻を合わせられると言うのだから、そのいい加減さ、ご都合主義には、もはや言葉もない。実際、国家公務員共済年金を所管する財務省の担当者も、地方公務員共済年金を所管する総務省の担当者も、この年金官僚の本音の前には、あ然としてしまったほどだ。」(『大崩壊』、p
20-22)


「「なにしろ戦争中のどさくさにやってしまったから、それがいちばんよかったのですね。どさくさまぎれに
(中抜きを可能にする)法案を通してしまった。落ち着いて、みんながまともに考えるようになってからこれを作ろうと思ったら、……法律はできなかったでしょう」
年金利権の生みの親ともいうべき花澤氏は、国民を誤魔化し、自分たちに都合のいい法案をつくりあげたことがよほど自慢らしい。同氏は、こんな本音も漏らしている。
「こんなもの作っても、人のために作るので、自分が貰えるものではないのだから、どうでもいいやと思っていました」
事実、この言葉通り、「人のため」どころか、自分たちの利得のため、厚生年金や国民年金の加入者や受給者が困ろうと、「どうでもいいや」とばかり、掛け金を中抜きしてきたわけだ。」(『悲劇』、p
86-87

こんなことを公言してはばからないのだからあきれたものだ。本当に、国民はなめられている。この件に対して問うた著者に対する年金官僚の答えがまた振るっている。

「いくらなんでも、戦争中の「どさくさまぎれに」つくられた法律を根拠に、われわれの掛け金を中抜きするのはやめるべきではないのか。
厚生労働省年金局総務課に質した。

――年金掛け金は、年金給付だけに使うべきだ。事務費への流用や、天下り先などへの掛け金のばら撒きは、即刻やめてもらいたい。
「法律にちゃんと根拠をもってやっていることですから」

――悪法を根拠に、国民の貴重な老後資金を蝕むことはやめるべきだ。
悪法だと思ったら変えりゃいいんじゃないの。立法権は国会にあるわけだから

――国民をどこまで愚弄すれば気がすむのか。
(悪法とおっしゃるが)ある程度、そういうものも必要ではなかろうかと」

年金官僚たちは、今後も、未来永劫、我々の掛け金を中抜きし続けるつもりである。そして、そのことにしか関心がないかのように、彼らは、公平で公正な制度運営には見向きもしない。」(『悲劇』、p87、下線は筆者)

まったく国民を愚弄しているとしか言いようがない。しかし、元厚生大臣である現首相とそっくり、という気もする。全てを汚染する厚生労働省の精神風土ということか?

<我々は何をすべきなのだろうか>

「瞠目した事実を何点か挙げる」どころか、上述の「中抜き」問題を挙げただけですっかり食傷してしまった。勿論、この中抜き問題は年金の出自にかかわることであり、全ての問題の根源はこの制度の設計思想にある。そう考えれば、他の問題はそこから派生してくるものと言えない事はない。と言い訳をして一点を挙げるのみでこの稿を終える。(^^;

それにしても「民は愚かに保つべし」とはよく言ったものだ。選挙前に「このまま(国民が)眠っていてくれればいい」といって大いに顰蹙を買った首相がいたが、その企図は戦後一貫して実行され今日に至った。上述の「変えりゃいいんじゃないの」は、こうした背景から出る言葉だろう。そして、マスコミはこの国民の愚民化に大いに寄与して来た。年々低下する投票率を「国民の政治離れの加速」、「政治不信の拡大」等と表現しつつ、恰もそれが一つの政治的メッセージの如く喧伝する愚を犯して来た。そして、低投票率によるどっちつかずの結果を「国民の絶妙なバランス感覚」などと持ち上げてきたわけだ。棄権行動にこうした意味づけをすることは、結果的にそれを肯定することになる。これでは民主主義の根幹に係わる投票率の向上など望めるわけもない。

問題は年金(あるいは年金官僚)だけではない。現状はあらゆる分野においてモラルハザード的状況が蔓延していると言っていい。だからと言って、個々の問題を曖昧にしようとする輩の議論のすり替えに乗ってはならない。全体の問題と個々の問題は、それぞれ車の両輪の如く同時並行に進めなければならない。それは、政治においても環境問題においても同じだ。

私は、年金官僚にいい様にされ、詭弁を弄することさえできずただ居直るだけの小泉を支持する「国民なるもの」を見るにつけ、『動物農場』(ジョージ・オーウェル)のボクサー[*3]を見る思いがする。「国民なるもの」は、思春期の乙女の如く、白馬に乗った神のごとき為政者(リーダー)が現れるのを夢見ているとでも言うのだろうか?馬鹿な話だ。天木直人(『さらば外務省』)が指摘する如く、我々に必要なリーダーは、待っていても決して現れない。それは、我々国民が作りだすものなのだ。

現代日本社会の様々な問題を、「政権交代なき社会の不幸」という人がいるが、実際は、「政権交代しようとしないorできない人々からなる社会の不幸」と言うべきであろう。そうした意味では、愚民化の企図は着実に成果を上げている。我々はこうした血栓だらけで動脈硬化をきたした社会を、一度政権交代という溶解剤で溶かす必要がある――多少の副作用があったとしても。しかし、本当に副作用などあるのだろうか?あるはずがない。せいぜい、既得権の上に胡坐をかいていた連中の利権が消えてなくなるだけだ。こうした展望を持ちえない限り、我々の老後も年金と共に大崩壊していくのであろう。

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[*1] 日本の公的年金制度は、国民年金、厚生年金、共済年金の三つから成り立っている。この内、この掛け金の中抜きが行われているのは国民年金と厚生年金であり、彼ら年金官僚たちが加入する共済年金からは行われていない。ついでに言えば、彼ら年金官僚たちは、本来は共済年金が背負うべき国鉄共済年金という巨額負債を、国鉄民営化に託けて厚生年金に押し付け自らの制度を守った。農林共済も同様である。次の狙いは、郵政公社民営化に伴いその年金負担を厚生年金に押し付けることだ。

[*2] 厚生年金の前身、労働者年金保険法を指す。

[*3] 動物農場のメンバーである馬車馬。愚直で、人一倍働き者である。実際、彼の力なくしては動物農場の困難な時期は乗り越えられなかっただろう。しかし、過労で倒れたボクサーは、彼の崇拝する支配者(豚のナポレオン)一派により肉屋に売られてしまう。

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