第8話 夜の森

 生けとし生ける者全てが眠りにつく時間帯。視界は暗闇に遮られ、耳が痛くなる程の静けさだった。
「結構歩いたな……大丈夫か、カルマ」
「キモ」
 目が慣れてきたとは言え、光が全く無い状態では数十センチ先がぼんやりと見えるぐらいで、耳に入ってくる音はと言えば、自分の足音と、いつもより速い鼓動の音だけ。
「……アイツも、今この森ん中に居るんだよな……ん?」
 薄っすらと光が差し込んだ。上を見上げると、僅(わず)かに空いた木々の間から、丸い月が見えた。
「……ずっと真っ暗だったから気付かなかった……もう、こんな時間だったのか。陽が落ちるまでに抜けられると思ってたのに」
 フゥ。カズがミヨシと別れてから何度目かの溜め息をつく。傍の木の根元に腰を下ろし、俯(うつむ)いた。
「アイツ、大丈夫かな。……何で、足手まとい、なんて言ったんだろ」
「キモ……」
 おずおずと、カルマが何かを差し出した。カズはそれを受け取り、月光にかざした。原色の赤と黄、そしてその二色を分かつように入った黒い筋。仄(ほの)かな明かりの中に、毒々しいまでに鮮やかな花弁が浮かび上がる。
「珍しいな。こんな早咲きのスバラキシスなんて。……もしかして、俺の為にわざわざ摘んできたの?」
「キモ」
「プッ……お前に慰められんの、これで二回目だよな。悪かったよ、こんなトレーナーで」
 クスクスと笑いながら、立ち上がる。
「さ、行くか。……アイツらを探しに」
「キモッ!」

 二人が意気込んで出発しようとしたその時。
 ガサ。
「……今、何か音した?」
「……キモ」
 カサリ、と月明かりで辛うじて見える草むらが、微(かす)かに揺れた。
「な……何か居る……!?」
 カサカサと背の高い草が動く。確実に、音の主は近付いてきていた。冷たい汗が背中を伝う。

 キラリ。大きな金色の瞳が、暗闇の中で鋭く光った。

「……ぅわっ」
後退りした瞬間、カズは木の根に足を取られ、後ろに転倒した。その刹那、ガサリ、と目の前の茂みが大きく動いた。
「うわぁーっ!」
 目を固く閉ざし、咄嗟にカルマを庇うように抱え込んだ。しかし、再び辺りは静寂に包まれ、いつまで経っても音の主が飛び掛ってくる事は無かった。恐る恐る瞼を開く。

「……ケムッソ?」
 小さな体には似合わない程大きな、黄金色の瞳を持つ――虫ポケモン。未だ体を硬直させたまま、だらしなく口を半開きにしているカズに向かって、可愛らしく小首を傾げてみせた。
「……な、なぁんだ……拍子抜け」
 死ぬかも知れない――大げさでも何でもなく、本当にそんな考えが浮かんでいた少年は、あまりに小さな脅威を目の前にし、少々顔を赤らめた。
「何だよ。何か用? ……っと、コレ? が欲しいのかな……?」
 いつまで経ってもその場を離れようとしないケムッソの視線の先には、先程のスバラキシスがあった。
コクリ。ケムッソが縦に首を振るので、それを肯定と取った。そっと花を差し出す。
 パク。むしゃむしゃと音を立てて、花を食べ始めた。
「え、コレ食べんの!?」
 怪訝そうな顔をして、カルマもそっと花を口に運ぶ。人間が眉間にシワを寄せるように、カルマも大きな目の間にシワを寄せた。
「キモリには、美味しくないらしいな……」
 ――そういえば、ケムッソの体の色がスバラキシスの花弁と同じ色してんのは、これが餌だからか?
そんな事を考えているうちにケムッソは花を食べ尽くし、満足そうにニコニコと笑っていた。
「じゃ、行くか」
 腰を上げ、去ろうとするとケムッソが何かを訴えるような目でカズを見上げ、そっと足にすり寄る。そんな様子を見て、ふと尋ねた。
「――お前も俺と来てくれんの?」
 コクリ。首を縦に振った。
空のモンスターボールを静かにケムッソに触れさせると、小さな体は光に包まれ、吸い込まれた。モンスターボールはピクリとも動かず、カズの手の中へと収まっていた。
「ケムッソ、Get……? かな、一応」
 ガサ。
 ボールを眺める二人の顔が引きつった。
「まぁ〜た、ケムッソとかゆーオチは……」
 ガサ……ザザザッ!
 正面の草むらだけではなく、背丈の低い樹木も揺れた。明らかに虫ポケモンと異なる大きさの何かが動いている。
「……カルマ。に、逃げ……」

 ザッ!
「――っ!」
「あ、カズだぁ」
「……ぇ? ……! ミヨシ……」
 草を掻き分け、頭からつま先まで枯れ草やら何やらをつけたミヨシが、茫然とするカズの傍に寄る。ぱたぱたと服を叩(はた)きながらはにかみ、
「さっき転んでさぁ、汚れちゃった。良かった。カズは大丈夫そうだね」
 ――コイツも俺の心配をして……?
 ミヨシの髪に絡む葉を取り、つられて笑った。
「――俺が悪かったよ」
 しばしきょとん、と不思議そうな顔をしたミヨシだったが、すぐにカズが何を言っているか理解し
「いいの! ……僕も短気だったし」
 ――やれやれ。さもそう言っているかのようにカルマが肩をすくめて、発とうとする彼らの後についたその時。
「あーっ!! そうだ、カズ! こっちにナゾノクサ来なかった!?」
「は!?」
 突然思い出したようにミヨシが叫び、あまりの大声にテトラが飛び起き、カルマは腰を抜かし……
「あのね、さっきナゾノクサ見付けたの! 追い掛けてこっちに来たのに、急にカズなんかが居るもんだから忘れちゃったじゃない! あーもうっ!」
 ……えぇーと。コイツは俺を心配して探してたわけじゃなく、ナゾノクサを追い掛けていたらたまたま俺が居たから合流してぇー……って事? しかも今カズ「なんか」って言ったか? おいコラ。
「お前、俺が居ない間も一人で随分楽しそうにやってたんじゃねーか」
 引きつりながら、悪態をつく。しかし、ミヨシは全く気にも留めず、
「うんっ♪ そうそう、出ておいで。ホルン!」
「ホー」
 ホルン、と呼ばれ、ホーホーが現れる。
「あのね、僕のデジカメ赤外線暗視装置が付いてるの! だからこーやってカメラを覗きながら歩けば、暗闇でもバッチリ見えるから大丈夫で……カズ?」
 彼はすでに怒りを通り越し、ケムッソに怯えるわ一人やきもき気をもむわ散々な思いをした自分の馬鹿馬鹿しさに、握りこぶしを震わせた。
「心配して損したぁーっ!!」
 静かな夜の森に、少年の悲痛な叫びが木霊した。


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