武将達の名言
上段は名言 下段が説明です。

織田信長
人間五十年、化天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか

人生はわずか50年。8000歳の寿命を保つ化楽天に比べれば
夢幻のように短くてはかない。この世にひとたび生まれてきて、滅びないものがあるであろうか。


明智光秀
逆順無二の門 大道は心源に徹す 五十五年の夢
覚め来りて一元に帰す

反逆も従順も別のものではなく、ただ心のままに大道を行くのみである。
人間の一生、わずか55年の夢が覚めて、今自分のなかでは生も死も1つなっている。

北条氏政
吹きとふく 風を恨みそ 春の花
紅葉も残る 秋あらばこそ

桜の花よ、強く吹く春の風を恨むな。秋になれば、美しい紅葉として
残る葉もあるのだから

秀吉の全国統一にとって最後に残った、関東は北条家が治めており、
氏政が秀吉の上洛命令に従わず秀吉の30万の大軍を迎え撃ったが、兵糧攻めにあい
無条件降伏し、切腹を命じられた。


豊臣秀吉

露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢

露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまった
この身であることよ。大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった。


豊臣秀次
十方仏土の中とある時は、方角は入らざるものなり
秀吉に切腹を命じられ、切腹の座についたとき、東向きに座った。
それを東福寺の僧玄隆西堂が西方浄土の方角をすすめたときのこと、これを言ったのである。仏は西方にだけでなく十方に
いるというではないか、座る向きなどどちらでもよかろうと東向きのまま切腹したのである。


武田信玄
なお三年、わが喪を秘せよ
自分が死んだことを隠すためこのようなことを勝頼に言ったとされる。
信玄がいる限り、甲斐の地には誰一人手をかけるものはいないであろう。ということである。


上杉謙信
四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒
我が49年の生涯は、一睡の夢のようにはかないものだった。思えば、一生の栄華も一杯の酒と同じようのものだ。

北条時頼
業鏡高く懸ぐ三十七年 一槌打ち砕けば
大道坦然たり
業鏡(ごうきょう)は仏教語で罪悪うつす地獄の鏡のことをさしている。
業鏡を高く掲げて37年の生涯を生きてきた。一度、槌を打ち砕けば後に大道がたんたんと広がり、
このように、北条氏の前途も大きく開ける。


北条政子
皆、心を一にして承るべし、これ最後の詞なり
上皇の挙兵を知り、鎌倉方では大きな動揺が広がった。そのとき政子は御家人を集め、激励をした。
この言葉に続けて今亡き頼朝から受けた恩義をとき始めた。計り知れぬ恩に報いれるときは今をおいてほかに無い
上皇の命令に従うか、幕府のために戦うのかここで述べよとといたのである。


徳川家康
我、この剣を持って、ながく子孫を鎮護すべし
愛刀「三池典太」を家臣に試し切りさせ、切れ味が申し分の無いことが分かると、
床の上で2,3度振り回し、この言葉を述べた。


徳川家康
人の一生は重荷を負て遠き道をゆく如し
家康の性格の一端を示している

毛利元就
三人の半ば、少しにても、かけご、へだても候わば、
ただただ三人御滅亡とおぼしめさるべく候
三人(隆元、元春、隆景)のうち半分、または少しでも懸子のように隔てが
あったら、三人とも滅びるほかにないと思うほうがよい。と3人の結束を求めた。