洋服のボタンを1つ掛け違えると、続くボタンも全て掛け違えてしまう。ここで問題なのは、それでも一応服を着ることはできてしまうということだ。今の私はまさにそんな状態だな、と篠原は思う。
彼女が耳栓を外さぬまま暮らし初めて一年が経っていた。正確には全く外さないわけではない。耳掃除の時と新しい耳栓にとりかえるときの、わずかな時間は耳栓をとる。まあ、つまり、それ以外の時間は常にくぐもった音の中で生活しているわけだ。
耳栓は全ての音を遮断するわけではない。電話の音や会話する声なら、音量は小さくなるもののちゃんと耳に届く。全ての音がとなりの部屋から聞こえてくるような感じが篠原は好きだった。
また、耳栓をしていると、自分の体に触れているものの音は頭蓋の中で心地よく響く。これも篠原が耳栓を好む理由の1つだった。たとえばキーボードを叩く音は軽やかに頭の中を跳ねたし、顔を洗えばパチャパチャという音が脳のひだを駆けめぐった。洗った顔を手でこすると、まるで体育館でバスケットシューズが鳴るような心地よく清潔な音が反響し、うがいをする時のこそばゆい音は、うっかり水を吐き出すタイミングを忘れさせるような愉快さで、しばしば篠原を酷く咽せさせた。
客もまばらな平日のドトールで、向かい合ってアイスラテをすする友人が言う。
「不思議ちゃんで売ってたともえも、ついに本当の意味での不思議ちゃんになっちゃったわよね。」
その声の遠さと友人の顔の距離の近さのアンバランスが面白くて、篠原は思わず手を伸ばして友人の顔をペタペタ撫でる。
友人は顔を撫でさせるままにしながら困った顔で篠原を見つめかえす。
篠原はアイスコーヒーが喉を通過する音を小分けにして楽しみながら言った。
「そんなに不思議ちゃんでもないよ?私なんかより、うちの近所のファミマの店員の方がよっぽど不思議だよ。」
彼女はコクンと喉を鳴らしながら続ける。
「名札にね、平仮名で名前が書いてあるんだけど。『すぐり』って。」
「ああ、うん?」
「名前から完全敗北だもん。篠原とすぐりじゃなぁ。」
「別に、その子も勝負に備えて名乗ってるわけじゃないと思うけど?」
「すぐりってどんな字を宛てると思う?私は『酸っぱい栗』って書くんだと予想してる。」
「それで?」
「何?」
「いや、名前が不思議なのはわかったから、その続きよ。」
「これでおしまいだけど?」
「その子、あんま不思議じゃないと思うわ。」
「だとしたら、そんな子と比べてすら不思議じゃないのよ、私は。」
篠原は考える。
今の自分が正常なバランスを保ててるとは思わない。しかし、じゃあ、かつての自分が正しく立てていたのかというと疑問が残る。私は長い時間をかけて、ひとつひとつボタンを掛け違えて来たんだと思う。そして、これからも終わり無く掛け違え続ける。
友人と別れて乗ったタクシーの中で、篠原は主演ドラマの台本を一枚ずつ破った。紙が綺麗な直線を描いて裂ける「シーッ」という音が楽しかったからだ。書かれていた内容はあまり面白くなかった。紙を破る音の100分の1程度も楽しめなかった。
「つまんない人情ものだなぁ。女子高生はともかく、耐熱て。」
その台本のページを見ているうちに、篠原はそれが燃える音を聞きたくてたまらなくなったが、車内だということで思いとどまった。
彼の家に着いてからにしよう、と篠原は思った。
バラバラになった台本をバッグの中にしまう。紙ならなんでもいいじゃないかという話だが、彼女は何となく、この台本が燃える音が聞きたかった。
そんな想いで頭をパンパンにさせていたものだから(しかもその想いは耳から抜けていくようなことがないのだ)、篠原は恋人の家につくなり、矢継ぎ早に要求をはじめた。
「灰皿と、マッチと…あと水が入ったコップ!あと、アイスコーヒーが飲みたい!」
恋人である自分に目もくれずに、やって来るなり紙を燃やしている篠原を呆れ顔で見ながら、男は言った。
「今日、何の日か知ってる?ともえの誕生日だよ?」
「ごめ。今、聞こえなかった。もう一回…。」
「あー、もう。またシャツのボタン…。ダメだよ、きちんとしなきゃ。」
男は丁寧に篠原の上着のボタンを全て外すと、これまた丁寧に掛け直していった。その間、彼女は惚けたような顔で男の顔を見つめていた。
「何の日だって?」
「ん?」
ボタンをかけ終えた男は、篠原の両肩をパンと叩いたあと、彼女を優しく抱きしめた。
「誕生日だよ。」
「そうだっけ?」
「そうだよ、聞いててごらん。」
男は篠原の背中に回していた手を滑らせ、耳元へと移動させた。男が何をしようとしているか篠原にわからぬまま、耳栓に彼の手が掛けられた。
篠原はハッとして叫んだ。
「だめっ!!」
ポーンという破裂音のあと、音を立てて空気が耳腔に雪崩れ込んできた。篠原はのけぞる。風の音。灰皿の中で紙が燃える音。風呂場で聞こえる微かな水音。庭木の青々とした葉が擦れる音。猫が塀から足を滑らせる音。隣の家で子供が楽しげに歌う声。近くの音から始まり、次第に遠くの音へと、篠原の耳はいままで休んでいた聴覚が目覚めるかのような勢いで世界の音を拾った。
となりの家の子供がうたう歌はハッピーバースデー。
はっぴばーすでーとぅーゆー はっぴばーすでーとぅゆー
篠原は男の顔を見上げる。
そこで彼の言った「愛してるよ」という声があまりにもハッキリと聞こえたものだから、篠原は驚いて泣いてしまった。
横っ腹に痛烈な回し蹴りを食らった覆面の男は、もんどりうって廊下を転がり、エレベーターホールで止まった。不意打ちでナイフをねじ込んでやれば楽に任務を完遂できるだろうという目論見と共に、男の肋骨が2本ほど砕けた。
覆面の男が尻餅をついたまま手で後ずさる速度にあわせるかのように、ゆっくりと筋肉質の男が迫ってくる。一歩迫れば一歩退く。かといってアキレスと亀の話のようにはいかず、数メートルも行かぬうちに覆面の退路はエレベーターの扉に阻まれた。意を決したように立ち上がり、ナイフを構えなおす覆面。しかし、その視界から筋肉質の男の姿は消えている。
「無理をするな。今、お前は逃げ出したいと思っている。そうだろう?」
いつの間にか覆面のすぐとなりに移動していた筋肉質の男・寺門ジモンの口調は静かでありながらも威圧的だった。心を読まれた恐怖に覆面の顔が歪む。その表情の変化は、覗き穴のみ開いた漆黒のラバーマスクの上からでも明らかにわかるほどだった。
「別に読心術が使えるわけじゃない。今のお前からはそれほどまでに戦意を感じられないということだ。筋肉の張り方、目の動き、呼吸、どれをとっても相手を殺そうとする人間のそれではない。」
ジモンは覆面に手をかけると勢いよく引き剥がした。今度はジモンが驚愕する番であった。
「竜ちゃん!?」
覆面の男は上島竜平であった。無駄と分かりながらも必死に手で顔を隠そうとする上島。その表情は今にも泣き出しそうだ。
古代エジプトで正義の象徴とされるダチョウを名に冠したチーム・ダチョウ倶楽部。それが彼等の裏の顔であった。彼等は任務遂行中以外でも肉体を鍛えるべく、肉体酷使芸をウリとするお笑い芸人の道を選んだ。また、ショービジネス界での成功は裏社会への接近を容易にするというメリットもある。思惑どおり、近づいて来た組織の末端を足がかりに、彼等は組織の最深部へと迫っていった。あと一歩。組織の壊滅まであと一歩というところでの裏切りだった。
「竜ちゃん、どうして…。」
「ごめん。ごめんよ…。俺は卑怯者だよ。でもね、カミさんは、カミさんだけは守りたかったんだ。」
「竜ちゃん、組織に寝返ったのか?」
「ごめん。でも奴等は強大すぎる。日本にいるのは末端にすぎなかったんだ。オレ達は組織の中枢に迫ったつもりで、その表層に触れることすらできてなかったんだよ。」
廊下の向こうの暗がりから1つの足音。いや違う。規則正しく鳴り響く靴音は1つであるかのように聞こえるだけで、その実、無数の靴音が重なったものだった。走りながらも乱れず1つのリズムを保つ靴音は、近づいてくる集団が特殊な訓練を受けた者達であるという証拠だった。
「竜ちゃんはエレベーターで逃げて。」
「えっ…。」
「これだけの人数から庇いきれるかわからない。急いで逃げて。」
「ご、ごめんよ…。」
上島はエレベーターに飛び乗った。扉が閉まりきるとほぼ同時に到着する黒覆面の一団。
突然、階下で聞こえる銃声の嵐。
黒覆面の1人が嘲り笑った。
「裏切り者を生かしておくほど甘くないぞ?」
ジモンが怒りに吼えた。スニーカーのラバーがキュッと鳴る音だけを残して消えるジモン。消えた先が宙だと気付く頃には黒覆面の1人の首が手刀で切り落とされていた。
「ジモンを!ジモンを殺せ!」
再び宙に舞うジモンは猛獣であり猛禽であると同時に華麗な花であった。進化の樹形図の果てにある美獣・ジモンに見惚れている間に、続いて2人の首がはねられた。神話の世界にだけ住まう獣としか言いようのない猛々しくも美しい男、しかし彼がその比喩を聞いたとしたら、こう答えただろう。
「俺を例えるならダチョウに。」と。
低い姿勢で疾駆し、黒覆面の1人の懐に飛び込むと、ジモンは鋭い掌低で敵の顎を突き上げた。そいつが地に落ちる前に、横から躍りかかってきた男に爪先を突き刺し、ヒジを背後の男にめりこませ、斜め前方の2人に頭突きを食らわせる。ジモンが舞うごとに鮮血が花のように咲いた。
「これで最後の1人か。」
背後から組み付いて、残る黒覆面の首をへし折りながらジモンは呟く。しかし、おかしい。これだけの人数がいて統率者と思われる人間が存在しないのは…。ジモンがそう思った時は既に遅かった。
ジモンの背中に押しつけられた冷たい小さな円形。円形からは火を吹く筒が伸び、それは細い手に握られている。ワンアクションで、円は形を伴った死を吐き出すであろう。ジモンは額に汗をつたわせた。それは死への恐怖ではなく、自分に気付かれずにここまでの接近を可能とする敵の体術に対してであった。そして、そんな男は彼が知る限り1人しかいない。
「リーダー!」
そこには、肥後克広がいつもどおりの笑みを浮かべて立っていた。いつもと違うのは色濃い死を宿した両の目。
「リーダー?貴様にそんな名で呼ばれるおぼえは…いやいや、リーダーという呼び名こそ今の俺にふさわしいのかもしれんな。貴様を消せば組織の日本支部が俺に任される。まさに俺はリーダーとなるわけだ。」
肥後は哄笑しながら引き金を引いた。
「がああっ!」
ジモンは地に伏して呻く。いくら繋ぎ止めようとしても遠のいていく意識にジモンは絶望した。
「さしもの貴様も銃には敵うまい。この一発は効いたろう?」
肥後は足でジモンの体を仰向けに返しながら言った。
「なあ、答えろよ?効いたろう?」
ジモンの耳は既に音を拾わなくなってきていた。そんな彼をなおも肥後は蹴り続ける。
「効いたろうって言ってるんだよッ!」
なんだ…この感覚は。ジモンは考える。俺は何かを言わなくてはならない。この問いに答えなくてはならない。でも…何故?何故そんな気持ちになるんだ?何故俺はこんな質問に答えなくてはならない?
「効いたかって…言ってるんだよォッ!」
バネ仕掛けのようにジモンの体が跳ね起きた。そして渾身の拳撃を肥後の顔面に叩き込みながら叫ぶ。
「効いてないよー!」
床を強く踏みしめる音と空気の裂ける音、続いて爆発のような打撃音。
一瞬遅れて肥後の体は跳ね飛び、天井にぶつかったあとにズルリと地面に落ちた。
ジモンは床に叩きつけられた肥後に歩み寄る。
「リーダー!リーダーは最初から俺に殺される気で…!だからわざとあんなことを…!」
「私欲に狂った醜い俺だ。これは罪滅ぼしじゃない。せめて寺門の手で死にたかった。最後までわがままな俺さ。」
「リーダー、もう何も言うな!」
「あの世で竜ちゃんに『訴えてやる!』って言われちまうかな…。」
「リーダー…。なんで裏切ったりしたんだよ…。リーダー…。」
「もう俺をリーダーなんて呼ばないでくれ。」
「馬鹿なこと言うなよ!リーダーはいつまでもオレ達のリーダーだ!」
「寺門。闘いは始まったばかりだ。笑いで言うならツカミの部分だ。わかるな?」
ジモンは笑ってこたえた。
「ツカミ良ければ全て良し。オレ達の持ちネタにもあるとおりさ。オレは負けないよ。1人でも勝ってみせる。」
それを聞くと安心した表情で肥後は目を閉じた。ジモンは肥後の最後を見届けて袖で涙を拭うと、天国の肥後に自分の勇姿を見せるべくファイティングポーズを取った。
「いくぞ、せーの…」
誰にも聞こえることのない合図。しかし天国の2人にはきっと聞こえていることだろう。そしてジモンは叫ぶ。
「ダチョウ倶楽部でーす! ヤァー!」
誰もいないエレベーターで1人ポーズをとるジモン。
闘いは始まったばかりだ。
「いいか、明日俺は死ぬつもりだ。つまり今から貴様んとこから来る女が、俺が生涯で最後に抱く女だということになるわけだ。世界で一番かわいくて、世界で一番いい匂いのする娘をよこせ。っつーか、オマエんとこのチラシの写真、これ、どう見ても松浦亜弥だよな?オマエんとこには松浦が在籍してんだよな?あー!何も言うな!オマエがするべきことは言い訳じゃなくて、どのような手段を使っても俺んちに松浦亜弥を来させることだ。いいか?写真が載ってたんだからな?嘘つくなよ?嘘だったら死ぬ前にオマエんとこのビルに火ィつけるからな!いいな?いいな?」
俺は、デリヘルの電話応対員に一気にまくしたあとに受話器をぶん投げた。受話器にひっぱられて電話機が飛び壁に叩きつけられて壊れる。どうせ死ぬのだ。電話などもう必要ない。
とはいえ、これからデリヘル嬢が来るのだ。松浦亜弥に似てないという理由で嫌がらせのようにチェンジし続ける腹積もりだが、にしてもあまりにも散らかってるのはアレかなぁ、とか言って掃除をし始める時点でおそらくは内心死ぬ気などサラサラないのだろうが、俺は自身の気持ちに気付かないふりをする。というか、電話機の破片を拾い集めるだけのはずが、ちょっとした模様替えとかはじまってしまってもう俺全然死ぬ気ないだろ実際。
ピンポーン
俺は足音を察知して既にドアの前にいるばかりか、ドアノブにガッチリ手をかけている。
ガチャリ
松浦亜弥そっくりの女が立っていた。
ただ、身長が170cmぐらいあった。
「あっ。いえっ。こんにちは。松浦亜弥です。」
「あ。似てるわ。」
「はいっ。いえっ、ありがとうございます。」
「いや、でも身長デカいよね?170cmぐらいあるよね?」
「あー…すいません。」
偽松浦は露骨にダウナーな表情になった。
「いや!ごめん!別に謝ることじゃないから!」
「ですよね!?」
「はい?」
「ですよね!?別に私の身長が高くても悪いこと何もないですよね!?でも、私に初めて会う人は必ず『松浦亜弥に似てるねー。でも身長デカいねー。170cmぐらいあるよねー?』それで私が『すいません。』って謝るとこまでワンセットなんですよ!これって何なんですかね!?もう、何なんですかね!?」
「いや、なんなんですかねって言われても…あの…。」
俺がたじろぎながら弁明の言葉を探していると、偽松浦はハッと我に返って頭を下げはじめた。
「ごめんなさいっ!あの…私、あやや大好きなんですけど、同時に大嫌いっていうか悔しいっていうか嫉妬してるような気持ちがあるんですね?」
「ああ、うんわかる気がするよ。」
「うん、えっと、あの、私、27歳なんですよね。」
「はあっ!?27なの?」
再び偽松浦がダウナーな表情になった。
「あー…すいません。」
「いや、ごめ…」
「あややが売れ出したのって、私が22、3ぐらいの時なんですよ…。生まれて22年間一生懸命生きてきたのに、いきなり"松浦亜弥に似た人"ってだけの位置づけになるのって結構辛いですよ?あれー、いままでの私ってなんだったんだろうー?って。」
「辛かろうと思った!俺もいまそう思ってた!だからちょっとそこに座ろう。ね?立ったままだと疲れるだろうしさ。」
「ああ、ほんともうすいません。」
「いや、でも似てるよ。それは長所だってば。自分は自分。松浦は松浦。だけどせっかく似てるんだったら、それはポジティブな思考で活かしていった方がいいよ。お客さんにも松浦亜弥のファンとかがいたりするんでしょ?」
「あー。この前、熱烈なファンのお客さんにあたって、ちんこしゃぶってる間中『あーやや、オイ!あーやや、オイ!』ってコールされました…。」
「あー…。」
「ちょっと死にたくなったんで台所借りてもいいですか?」
「だめッ!だめッ!」
俺は必死に偽松浦の肩を押さえつけた。
「死ぬのは…ほら。困るし。良くないし。」
「あー。もうごめんなさいお客さんと一緒に居る間だけは松浦になりきる努力をします。あの、ちょっと煙草吸っていいですか?」
「さっそく努力放棄したよ!」
「いやよく考えたら、いまさら頑張っても白々しいだけじゃないですか…。っていうか身長170cmあるし…。」
「ちょっとテレビでも見よう!テレビ見ながら、お話ししよう!」
スイッチを入れた途端、画面いっぱいに映し出される松浦亜弥の笑顔。2人同時に「あー。」
「亜弥ちゃん、カワイイですよねー。」
「あ、うん。そうだよね。」
「あ、違いますよ?私、似てますけど、別に自分がカワイイとかそんなんじゃなくて…。」
「うん!大丈夫!わかってる!わかってるからね?」
「なんか、やっぱり、オーラっていうんですかねぇ。違いますよねぇ。」
「あ。歌うみたいよ?君も一緒に歌ってみてよ。さっきから思ってたんだけど、声もかなり似てるしさ。」
「え、あの、私…。」
有無を言わせぬ俺の手拍子に意を決したように偽松浦は歌い出す。
「こぅころぉまーでぇ入らないでぅ 別に隠してりわけじゃぁあないよぉ」
音階があってる箇所がないばかりか、歌い出したとたん声が低くなった。
「ほらー…。もう…。ダメなんですよね、歌とか。とかっていうか、ダメなんですよね。全体的に。なんで私はこうなんだろうなー。ああ、なんか辛くなったら睡魔が襲ってきました。ちょっと横になってもいいですか?」
「えっ!?」
勝手に俺のベッドに横たわると布団を頭まで被る偽松浦。
「もし。もしですよ?私が10年ぐらい早く生まれてて、それで身長が15cmぐらい低かったら、私が亜弥ちゃんみたいにテレビに出たりしてたんですかねー?なんか最近、そんなことばっかり考えちゃうんですよー。」
歌があれだけ駄目だったら無理だろ、と思ったが、それを言うとまた台所で自殺を図りそうなので止めた。
「そうだ。君、本当の名前はなんて言うの?」
「あー。名前も松浦亜弥って言うんですよ。」
「あー。」
「あー。」
偽松浦は布団の中で、俺はベッドに腰掛けて「あー。」