郷ひろみと俺

それはプロモーションビデオの撮影中に起こった。日夜ハードスケジュールに追われる郷としては、眩暈や貧血などは取り立てて珍しいことではなかった。もちろん、それに対処すぺく体力作りはしているのだが、不幸にもそれによる疲労が今回の悲劇を招いたともいえる。つまりは眩暈を起こした場所が問題だったのだ。山林の急斜面に郷が立ち、ポーズを決めるシーン。そこで体勢を崩した郷は後ろのめりに倒れ、山の急斜面をゴロゴロと転がっていった。撮影の小道具に使っていた林檎を片手に。幸福なのは長い急斜面を転がり落ちたにもかかわらず全身打ち身程度で済んだこと。不幸は長い急斜面の終着点が深い縦穴だったこと。郷が短い気絶から意識を取り戻すと、すでに辺りはとっぷりと暮れていた。四方に切り立つ絶壁。夜風に冷える体。そして足元から這い上ってくるような焦燥感。例えタレントでなくても、人間の表情というのは見られているということを意識して作られているものだ。不安、衰弱、孤独に取り憑かれた郷の顔はタレントのそれではなく、ただの中年男性の顔だった。駄目だ駄目だ、俺は見られてナンボのタレントだぞ。自分を奮い立たせるために郷は言葉を発してみた。 「郷でェす!」知らないおじいさんの声が出た。「えっ?嘘っ?」続く声もおじいさんだった。もともと体調不良をおして臨んだ撮影だ。おもわぬアクシデントは郷の体力を限界まで奪っていたのだ。救助はまだか?まがりなりにもトップタレントがこんな深夜まで放置されているという状況はどう考えても不自然だ。そう考えると郷の不安は重みと冷たさを増した。この状況下で手にしてるものは小道具だった林檎1つ。何時これを食うべきだろうか。これからどれだけの時間放置されることなるかを考えれば、今すぐ食うのは得策ではない気がする。しかし、ものが林檎だ。冬とはいえ、そう日持ちするものだとも思えない。郷は林檎をジッと見つめた。数十分も見つめた頃だろうか、郷はおもむろに立ち上がって林檎を地面に叩きつけた。
「ロウ細工じゃん!コレ!」
郷はうずくまった。郷はつっぷして泣いた。つっぷしているうちに地面がほんのり温かいことに気付いた。地熱というやつだろうか。空腹さえ耐えれば寒さに苦しむことはないとポジティブに考えをきりかえようとしたその時、郷は天の赤さに気付いた。
山火事だ!パチパチと木々の爆ぜる音が次第に大きくなってくる。頭上に見える空が熱気に歪む。もう駄目だ。郷ひろみ一巻の終わり。混濁した意識のなかで見る走馬燈はタレントとしての輝かしい日々。でもそれが何だったというのだろう。華やかだが空虚な日々。そんな中、気付けば何も知らぬままに老いていた。本当に自分を理解し愛してくれた人が居たのだろうか。少しそれが気にかかったが、すぐにどうでもよくなった。いるわけがないのだから。思えば全く空虚極まりない人生だった。全てが馬鹿馬鹿しい。そしてこの馬鹿馬鹿しいぐらい盛大な火葬はまさに自分にぴったりと言えるのではないか。
「…さん。…ごう…さん!」
どこからか呼ぶ声がする。微かだが複数の足音。声も1人2人ではない。救助隊だ!
「郷さん、いたら返事をしてくだい!」
郷は必死の形相で応える。「郷でェす!郷でェす!郷でェす!郷でェす!郷でェす!郷でェす!郷でェす!」
喉も裂けよとばかりに自分の名を連呼する郷。なんだ?俺はやっぱり死にたくないのか?こんな空虚な世界に何の未練が?しかし郷は尚も叫ぶ。
「郷でェす!」
郷が「郷でェす!」と叫んで自分が郷であることを主張するという、冷静に考えれば間の抜けた状況。いや違う。本名・ 原武裕美 である俺が郷の名を叫び続けることは、素の自分ならざる郷としての状態を保つまじないなのだ。そうだ!空虚で結構、馬鹿で結構!この華やかで間の抜けた道は俺が自分で選んだ道なのだ。死んでなるか。死んでたまるものか。俺の馬鹿馬鹿しい人生はこれからだ。俺はファンのために歌い踊り、華麗な馬鹿を全うして散るのだ。こんなとこで終わるわけにはいかん。俺の名は、俺の名は…
「郷でェす!」
縦穴の入り口からヒョイと救助隊の顔が覗く。
「ああっ!郷さん!---郷さん居ましたー!郷さんこっちに居まーす!」
ワラワラと集まってくる救助隊員、縦穴にロープが投げ込まれる。上を見上げる郷の顔は、既にタレント郷ひろみのそれに戻っている。そしてタレントらしく頭上の救助隊員達に向かってウィンクしつつひと節。
「アーチーチーアチー 燃えてるんだろうかー」
「ええ、燃えてるんで、急いでロープ登って下さい」

市川実和子と俺

手渡された仮台本の1ページ目もめくらぬうちから、ここまで名状し難い不安感に包まれたのは初めての経験だ。どんなドラマのどんな端役だろうと堪える覚悟だった私に主役の話がきたと聞いて、最初に心に湧き上がったのは喜びではなく疑念であった。果たして疑念は滑稽な実体を得て、今、私の背におぶさりかかろうとしている。
台本に書かれたタイトル『耐熱女子高生・モエヌ』
私は傍らに立つマネージャーに問うた。
「これ、どんな話なんですか?」
どこからどうみてもオカマという以外の形容ができない我がマネージャーは半分以上残っている煙草を灰皿で揉み消しながら、手帳をパラパラとめくった。
「変なタイトルなのはね、漫画が原作だからなのよ。テレ朝の土曜8時枠で全11話。人気らしいですよ?コミックスも既刊の5冊あわせて50万部」
「でも、これはちょっと…」
「わかりますよ。実和子ちゃんも女子高生って歳じゃないし。それはね?わかるのよ?」
「いや!そこもですけど、そこじゃないです!なんスか?モエヌて!人の名前じゃないですよ、コレ!というかそのまえの耐熱て!!女子高生は分かるけど耐熱て!」
「消防士の女の子の話なのよ」
私は一瞬納得しかけたが、すぐにハッと気付いて「女子高生ですよね!?」
「美和子ちゃん、スケバン刑事ってドラマみたことある?あれも漫画が原作なんだけどね?」
何となく話が見えてきた。まあ、実に漫画漫画したつくりの話だといえよう。タイトルは突飛だが、話自体はオーソドックスな人情ものといったところか。
「だいたい理解しました。」
「それでね。」
「はい」
「毎週、モエヌが炎に包まれて赤々と燃えるシーンがあるのよ。あ、いや燃えないんだけど。モエヌだから。」
私はマネージャーの目を見たまま、その言葉の意味するところを吟味し、その後一呼吸おいて、ぶぅと鼻水を吹いた。
「しぬ!やけしぬ!」
「死なないわよ。モエヌだから」
「モエヌじゃねぇよ!実和子だよ!つうか実和子だかモエヌだかわかんなくなるぐらい焦げるよ!」
「ちゃんと耐熱スーツが用意されてるからー。大事なシーンなのよ。毎回ラスト間際のキメ台詞の時のね」
「はぁ…」
「『心に正義の火が燃える!』」
「やっぱ燃えてるじゃないですか…」
「『耐熱女子高生モエヌ!今、大炎上!』」
「しぬ!やけしぬ!」
「だいたい耐熱だから燃えても耐えられればOKじゃないの!」
「逆ギレ!?というか耐えらんないよ!」
「実和子ちゃんはリリィシュシュとか、そういうオシャレなヤツじゃないと嫌なのかもしれないけど…」
「いやいや!そんなワガママ言ってるわけじゃなくて!」
「言葉の意味はわからんが、とにかく凄いオシャレだもんね。リリィシュシュ」
「黙れ、オカマ」
その後、私は資料として渡された原作の単行本で、炎に包まれたモエヌが「熱いよぅ!熱いよぅ!」と絶叫しながら地面を転がりまわる描写があるのを見て、この仕事を丁重にお断りすることを決意した。伝え聞くところによるとモエヌ役は篠原ともえに決まったらしい。

周富徳と俺

「あいよ!キチガイラーメンお待ち!」白目を剥いた周さんは威勢良く叫ぶなり、ラーメンのどんぶりを勢いよくカウンターに伏せた。飛び散る汁。力無くテーブルに拡がる麺。俺はその傍らを這い過ぎて行くゴキブリを暫し目で追ったあと「周さん、食えないよ」と言った。それを聞くなり周さん、ニヤリと笑って「食えなくて良かったかもな。ネギきざんだ包丁にベットリと猛毒が塗ってあったからな」と答えた。「周さん、なんでそんなことするの?」「な、狂ってるだろ?狂ってるだろ?」「別に周さんが狂ってるだけでキチガイラーメンじゃないじゃん。ていうかキチガイラーメンって何?第一、そんなもん注文してないし。」
ラーメンショップ『周』の客は今日もまばらだ。まばらでも居ることが驚きなのだが。死んだ目をしたサラリーマン。死んだ目をした母子づれ。そして、それ以上に死んだ目をした俺。死臭漂うラーメン屋で唯一いきいきとしてるのは店主の周さんだけなのだが、あいにく彼は常に白目だ。あと活動的なのはゴキブリぐらいか。テレビに映る笑っていいともは、まさに別世界のように活力に満ちあふれて見える。今日もタモリとゲストが髪を切った切らない、太った太らない、盗った盗らないで大騒ぎだ。飽きもせず。いや、飽きてるのか。飽きてるのだろうな。飽きるだろ、あんな長いこと同じことばっかやってたら。
「飽きてるって点で、あっちも俺等も同じことなんだよ」俺の心を見透かすかのように周さんが言った。俺は苦笑して呟く。「そうかもな」そこでやおら周さんが戸棚から猟銃を取り出してテレビを撃った。「畜生!華やかだなー!羨ましい!あいつらが羨ましい!」俺を除いた客が悲鳴をあげながら店から飛び出していく。「周さん!?同じようなもんじゃないの…」「同じわけあるかッ!」窓際の四人がけのテーブルを這っていたゴキブリを胡椒瓶ごとはじき飛ばす炎。濁った店内の空気の色を更に濃くするかのように胡椒が舞う。「周さん、狂ってるよ!」そんな俺の言葉を背に、肩で激しく息をする周さんは言った。笑み混じりにだ。「でもよ。でもだぜ?本当に狂ってるのは俺なのか?果たして世界と俺を比べた時、狂ってるのは俺の方だと断言できるのかな?」「いや、できるよ!なに漫画とかにありがちな妄言吐いてんの!?」「俺と世界とこのラーメンを比べた時…」「なんでラーメンが加わってんだよ」「俺と世界とラーメンと富輝を比べた時…」 「おまえの弟の話なんか知らねぇよ。つうか、おまえの作るラーメンや弟は世界の範疇におさまっってねぇのか?あ?あ…というか弟さんは今日は何処に?」それに答える代わりに周さんはニヤニヤ笑いながら、さきほど器からこぼれたチャーシューを指さした。「周さん…」「な?狂ってるだろ?狂ってるだろ?」
数十分後、俺は何故かメチャメチャになった店内の片付けを手伝っていた。こんな店でも行きつけの店だ。ほうってはおけない。俺はチリトリを持ち、周さんがホウキを持つ。静かな静かな清掃作業のなかで、周さんがポツリとつぶやいた。「俺、ラーメン屋やめようと思ってんだ」俺はびっくりして尋ねた。「ラーメン屋をやめてどうするんだ?」周さんはホウキをブンブンと振り回したあと、俺の目を見つめて言った。「野球選手」