桜の樹

月の光が燦々と降り注ぐ夜。
一本の桜の樹の下に少女が佇んでいた。
人を待っている。
今年も花を咲かせたこの桜をきっと見に来てくれるだろう。
ただ少女は待っていた。

空が白み始める。
一日の始まり。
それでも少女は待ち続ける。
朝日に輝く桜の中、散歩をしている老夫婦が少女を訝しげに眺めながら通り過ぎていく。

昼下がりの午後。
ゆったりとした時が訪れる。
公園からは子供達のはしゃぎ声。
母親と思しき女性達も少女を訝しげに眺めていた。

再び夜。
昼間の喧騒が嘘の様に静まり返っている。
時々夜桜を見に訪れる者の視線もまた、訝しげだった。

(きっと来る・・・きっと来る・・・きっと来てくれる。だから・・・私は待つの)

できる事はただ待つ事だけ。
それが唯一の望み。

「今年も満開だな」

ここに来る時はいつも言う台詞。
間違いない。
待ち人来たる。

そして・・・時が動いた。


「こんにちは」

少女は樹の陰から身を現した。
視線の先に立っているのは青年。
驚いた顔を向け、じっと少女を見つめている。

「今年も来てくれたんだ」
「え?・・・っと・・・」
「私の名前は月ノ下桜。宜しくね」
「はぁ・・・宜しく」

青年は明らかに戸惑っている。
桜はそんな事を気にせず、青年の手を取った。
そのまま一歩足を踏み出す。

「公園を一緒に歩こうよ、一真君」
「? どうして俺の名前を知ってるんだよ」
「私に教えくれたからね。それよりも公園を一緒に歩こうよ」
「・・・・・・まぁ、別に構わないけど」

一真は納得しかねたが、桜に手を引かれて公園へと向かった。

咲く桜は満開で、外灯に照れされた花びらは神秘的に輝いている。
その中を二人は歩いていた。
遊歩道として整備されているこの辺りは、散歩を楽しむ人とすれ違う事も多い。
数歩前を桜が歩き、その後ろに一真が続く。
これまで二人は無言だったが、不意に桜が立ち止まり振り返った。
笑顔を一真に向け呟く。

「私ね、こうやって一真君と一緒に歩くのが夢だったんだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、俺とどこかで会ってるのか? まったく記憶に無いんだ」
「そんな事を考えてたんだ」

くすりと笑い、歩き出す。
その後姿はご機嫌といった感じだ。
一真は再び記憶の糸を手繰り寄せようとするが、再び聞こえた桜の声でそれは中断される。

「一真君が覚えてないのは当然だと思うよ。もう本当に随分と前の事だし、ほんの数分間の出来事だったから」
「・・・」

桜が覚えていて、自分が覚えていない。
そんな事があるのだろうかと一真は思う。
桜はどう見ても自分よりも年下に見える。

(いや、人は見かけで判断できないしな)

「何を考えてるか大体分かるけど、そういう風に考えるのは失礼だよ」
「・・・」
「それに無理に思い出す必要も無いと思う。良い思い出とは限らないから」
「そうなのか?」
「そんな事より、もっと楽しい話をしようよ。せっかく再会できたんだから。それに・・・」
「それに?」
「うんん、なんでもない」
「変な奴だな」

公園をぐるりと一周する頃には外灯も消え、人影も消えていた。
静まり返った周囲は、人を寄せ付けない雰囲気が漂っている。

「もう遅いし、そろそろ帰る」
「そうだね。今日は本当にありがと。楽しかった」
「くだらない話ばっかだったけどな」
「それでも一真君の生活を見れたから」
「・・・。家はどこなんだ? 送っていくよ」

桜は公園の入り口に目を向ける。
すぐに一真の方に振り向くと、小さく微笑んだ。

「ありがと。でも大丈夫」
「でもな、物騒だぞ」
「家はすぐそこだから」
「近いのか。なら大丈夫か」

なんとなしに歩き出した二人は、公園の入り口に立つ。
別れを告げて立ち去ろうとした一真に背後から桜の声が届く。
振り向いた一真はちょっと思案顔を見せ、一言だけ返事をした。


一週間。
一真は桜との約束を守り夜の公園へと通った。
桜に会い、他愛も無い話に花を咲かせる。
なぜ桜が一真を誘ったのかは知らない。
ただあの時見せた笑顔は、消えてしまいそうなぐらい儚いものだった。


そして今日も公園へとやって来た一真はいつもの場所にいるはずの桜を探す。
決して間違えるはずのない一本の桜の樹の下の待ち合わせ場所。
だが、そこには誰もいなかった。

「珍しいな、あいつが待ってないなんて」

思わず口に出して呟く。
この数日間一度たりとも一真より遅れて来たことがない。
仕方なしに桜を待つ事にした。
見上げる桜の樹からは花びらが散り、すでに所々を残すのみになっている。
そんな花びらが一枚、一真の鼻先を掠めた。
結局この日桜は姿を現すことはなかった。


家に帰ると母親とばったり出くわす。
困った顔をしながら、一真に言葉を投げかける。

「夜に出歩くのは構わないけど程々にしてね。今は男だって物騒なのよ」
「分かってる」
「どこに行ってたの?」
「公園」
「・・・だったら尚更気を付けなさいよ。最近公園の外れのにある桜の樹に女の子が立ってるなんて話を聞いたから」

一真は思わず母親に近づく。
詳しい話が聞きたくなった。

「なんだよ、それ」
「二週間前から桜の樹の下に女の子がずっと立っているってもっぱらの噂よ。昼も夜も朝もずっとって言うし」
「・・・」
「警察も来たみたいだけど、その時は忽然と姿を消してその場にいなかったって話よ」

夜。
一真は眠れなかった。


「遅刻なんて珍しいな。しかも昨日はドタキャンか?」
「ごめん」
「いや、別に謝る事はないんだ」
「でもずっと待っててくれたよね」
「なんで知ってんだよ」
「・・・・・・」

桜は樹に背を預ける。
一真も同様に樹にもたれ掛る。
しばらくの沈黙ののち、先に一真が口を開いた。

「俺が5歳の時に親父が死んだんだ。過労が祟ってな」
「・・・」
「仕事の虫だった親父らしい最後だってお袋は言うけど、俺はそんな事覚えてない。覚えてるのはただ悲しかった事だけだ」
「お父さんの事好きだったんだね」
「どうかな、それも分からない。仕事の虫だって言ったろ。ほとんど家にいなかったかし、遊んだ記憶も無い」
「なんで悲しかったの?」
「・・・思い出がなかったからかもしれない。それに亡くなる前に遊ぶ約束をした記憶があるから」
「・・・」
「葬式の後ここで一人の女性に会ったんだ。泣きじゃくる俺を必死になってあやしてくれてな。お袋が探しに来る数分間だけだったけど」

風が流れる。
一層花びらは枝から落ち、残り少ない花さえも消えてゆく。

「あの時の女性が桜だったんだな」
「大正解」

笑顔を一真に向ける。
そしてそのまま崩れ落ちた。

「桜っ!?」

地面に倒れた桜をそっと抱き起こす。
弱々しいが懸命に笑顔を保っている桜は、苦しそうに口を開く。

「楽しかった。この一週間本当に楽しかった。一度でいいから一真君に話しかけたかった。一緒に散歩したかった。私はずっと動けなかったから。・・・だから待ってた甲斐があった」

一真の手から離れゆっくりと立ち上がる。
足元がふらつきながらも真っ直ぐ立ち上がる。
そして一真から数歩離れると風を身に纏った。
花びらが渦を巻き桜の体を覆う。

「お、おい、桜?」
「お別れ。私はもうここにはいられないから」
「なんだよそれ」
「私に未来は無いけれど、一真君にはすばらしい未来が待ってるから。聞かせて貰った夢、叶うといいね」
「桜!?」

風と共に桜の体が花びらへと変わり霧散した。
後に残るのは何も無い。
花びらさえも地面に落ちると消えてしまう。

「桜っ!」

もう一度呼びかけてみる。
すると微かな声が耳に届く。

「桜は咲くよ・・・来年もきっと咲くから・・・綺麗に咲くから・・・ずっと一真君と一緒だよ」



数日後。
桜の樹は消えていた。
話によれば公園を拡張する為に切られたらしい。
なぜ俺の前に姿を現したのか。
何を望み、何を期待していたのか。
その本当の真意は分からなかった。

一真はかつて桜の樹があった場所に立ち一人呟く。

「春の夜の夢、か。来年もどこかで花を咲かせるんだよな、桜」


終わり。


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