二重星
第一章
『二十二世紀末の月面国家独立宣言から紆余曲折を経て、地球は表向きには一国家として統一されました。その後のグラビトンの発見によって技術は確実に進歩。限定的ですが時間さえ操るようになった人類は宇宙進出を大幅に進め、地球統一国家『アース』ができてから三百年後。地球のアース、月のムーン、火星のマーズ、金星のビーナスの四国家によって内惑星連合が結成されました。』
「つまらないドキュメント番組なんて消しちゃってよ」
ベッドの上に下着姿で寝転んだ少女が面倒そうに口を開く。いや、顔は幼いがその体は十分な成人のそれのようだ。そんな女性の寝るベッドの向かいの壁一面がディスプレイになっている。現在は太陽系内惑星の俯瞰図をバックに現在の内惑星連合の成り立ちが放送されているところだ。童顔の女性の声に応えるように画面が静止して脇からそっくりな童顔の女性が顔を出す。
『ヘレン、あなたが録っておいてって言ったのよ。あと十三分後にはケーゴ君出てくるけど見ないの?』
「だって見てて眠たくなっちゃうんだもの。ケーゴ君が出てるところだけ編集してくれない?カレン、わたしの好みわかってるでしょ?」
ディスプレイのカレンと呼ばれた女性は困ったように笑って肩をすくめる。
『仕方ないわね。ケーゴ君が出てるところとその部分の話がわかるように編集しといてあげる。ああ、そういえば今ショウジがこっちに向かってるみたいだから気にするなら着替えといた方がいいと思う。』
下着姿のベッドの女性‐ヘレン・ヒーロはじっと自分の体を眺める。
「ショウジならいいや。」
『あっそ、いいけど。明日の十時には出航だからそれまでにはちゃんと起きてね。じゃ、わたしはお邪魔しないように編集作業してるから』
カレンはいそいそと画面の端にフェードアウトする。それと同時に画面は消えてただの壁の模様になる。
「PAIC(パーソナルAIキャラクター)のくせに妙に気を回すのね。まあ、わたしがそうしたんだけど」
ヘレンはしばらくぼーっとした後にひょいと起き上がって脱ぎ捨ててあったパンツと薄いシャツだけを身につける。それが終わるのとほぼ同時に部屋にインターホンの音がする。
「どなた?」
「俺。ショウジ。今暇?」
「入っていいよ」
音声信号が受理されてカレンによって部屋のロックが開錠される。そこには日に焼けた少年のような瞳の男がいた。
「いよぅ」「やあ、今日も元気そうね。」
いつもどおりの挨拶をしてショウジが部屋に入ってくる。狭い部屋にはベッドがその存在を主張しているが、隅にコーヒーメーカーの乗った小さなテーブルと椅子が二脚並んでいた。ショウジはそこに腰掛けて慣れた様子で近くの壁の埋め込み収納に並んだカップを取り出し、自分にコーヒーを淹れる。
「いる?」
ベッドに腰掛けたままのヘレンに笑顔とともに聞いてくる。
「うん。ちょうだい」
ヘレンもどこか嬉しそうに応えてカップを受け取る。
「明日、なんだよな。ジュピトリアンをやっつけにいくの」
ぼそっとショウジが口を開く。
「ジュピトリアンじゃなくて未確認木星圏知性体。パイロットがそんな俗語を使ってると怒られるわよ?」
「そんな長ったらしい名前よりもジュピトリアンのほうがしっくりくるぜ。・・・なんせ俺にとっては敵、なんだからな」
「そうね。今は敵だって言われてるけど・・」
「なんだ?ヘレンはジュピトリアンは敵じゃないってのか?」
「んー、だって言葉が通じないから敵って言うのは違うんじゃない?・・・そういう侵略は宇宙の過去にいくらでもあったもの」
寂しそうに言うヘレンを見てショウジは気まずそうにカップをすする。
「でもさ、内惑星連合が正式に下した決定だしな。それに俺は連合軍のパイロットだ。・・敵って決められたら倒すっきゃない。」
「まあ、ショウジの言いたいことはわかってるし、いまさらわたし一人が内惑星連合の決定にどうこう言えるわけじゃないけどね。」
ヘレンはカップをテーブルに置き、代わりにショウジの手をつかんでベッドに誘う。
「最近やっと金星のゲリラも鎮圧できたんだし、戦わないですむほうがいいじゃない。・・・わたしはショウジに死んで欲しくないだけなのかも」
ショウジもヘレンの誘いに応えてヘレンを抱きしめてそっとベッドに横になる。
「・・・いつも心配なんだよ?ショウジが出るとき。いつも帰ってこないんじゃないかって」
「俺を信じろよ。絶対帰ってくる。」
「でも・・今度の相手は・・」
言いよどむヘレンの口をショウジの口がふさぐ。
時代は二十五世紀。二十三世紀のグラビトン(重力子)の発見後、当然のようにグラビティエンジンが開発され、重力だけでなく多少だが時間さえも操ることを可能にした人類はその手を太陽系内惑星にまで広げていた。現在テラフォーミングが終了しているのは月、火星、金星の三つ。水星は現在テラフォーミング中であり、太陽に近いことから二十世紀末の地球南国をイメージしたリゾート惑星になろうと計画が進行していた。
順調に進むかに見えた宇宙進出だが木星圏に手を伸ばしたときに意外な障害が現れた。それこそが通称名『ジュピトリアン』正式名称『未確認木星圏知性体』である。木星圏に近づくと強力な電磁波が放射され、それにより従来の宇宙船では機器類の損傷から航行不能に陥り、それ以上木星に近付くことができなかったのである。この電磁波は常にあるわけではなく、特定の人工物(宇宙船や有人探査船など)が近づいたときのみに放射され、隕石やスペースデブリなどの接近には反応しないこと、さらに電磁波の放射の前に一定の周波数でほぼ同じ放射点から微弱な電波が送られてくることから木星圏にはなんらかの、少なくとも電磁波を操れるぐらいには発達した知性体が存在するという結論に至ったのである。それがわかってからというもの、様々な方法で通信が試みられたがことごとく失敗。言語などというレベルを超えた意思疎通手段の相違から連絡を取ることはできずに、この度新たな作戦が開始される。
作戦名『エンカウント』対電磁防御を完璧にし、直接電磁波の放射点に接触する。そのために新造艦プロトンと艦載機『パペット』と呼ばれる人型機動兵器が製造された。さらにその作戦を実行するにたる人材が集められ、地球を発ったのが三週間前。現在プロトンは木星圏に一番近い連合基地。カイパーベルトに点在する拠点の一つ『フロンティア』に停泊中だった。そしていよいよ明日は木星圏に向けて出発の日だった。
ヘレンの部屋の監視カメラに接続してカレンはじっとヘレンとショウジの行為を眺めていた。PAICであるカレンに実体はない。自身の身体として手足のイメージはあるが、それはそのほうが親近感があるという理由で人間が付け加えた電子の世界での衣にすぎない。
「ようカレン」
「やあ、ジョージ。わたしのプロテクトを破るなんて腕を上げたわね。」
見るという行為もPAICであるカレンには不思議な表現だが、隣を見るとショウジのPAICであるジョージがいた。ヘレンが自分の童顔を気にしているせいでカレンはロングヘアに少々本人より大人びた顔に設定されているが、ショウジにそのような感覚はないらしく、ジョージは持ち主であるショウジとそっくりな顔をしていた。
「まあな。俺だって伊達に戦闘用パペットの管制してない。それに俺にだけわかるパスをつけといてくれたのはカレンだろ?」
本当に持ち主にそっくりだ。そう思いながらカレンはヘレンと同じように笑う。
「正確にはあなたが自由に出入りできるようにしたのはヘレンよ。」
カレンは目の前の退屈に思える監視カメラの映像から目を離してジョージに向く。
「何の用?」
「ちょっと診てもらいたくてな。まだジュピトリアンとの戦闘は先だろうけど最近右脚部機動に微妙なタイムラグがあってさ。」
用意していたようにすらすらいうジョージの頭をカレンは微笑みながらなでる。
「嘘。ただ暇なだけでしょ?どうせ暇ならわたしと情報交換して少しでも解析速度を上げようってことかしら?・・らしいわね。」
図星をつかれて絶句するジョージの手を引いてカレンは監視カメラの映像から離れていった。
第二章
翌朝。いつもより少し遅い時間にカレンが壁いっぱいのディスプレイに現れる。
『さあ、ヘレン。朝よ。起きなさい。昨日の晩いつまでしてたかしらないけど、早く起きないと出航に間に合わないわよ。』
室内限定の大音量スピーカーががなりたてる音にヘレンはのっそりと頭をあげる。
「おはようカレン。」
『また目の下に隈つくって。そんなんだからサバ少尉にからかわれるのよ。』
優しい笑顔でびしっと厳しいことを言うカレンの脇に今日一日のスケジュールが一覧表示される。それを横目に見ながらあくびを隠しもせずにベッドから降りる。するりとディスプレイの横の壁が割れてバスルームへとつながる。
『今日はちょっと熱めにしておくね。そのほうが目が覚めるだろうから。』
バスルームの入り口の防水ケースに下着を入れながら湯船にお湯がたまっていないことに気付いてヘレンは不満の声を上げる。
「・・・お風呂は〜?」
『シャワーだけ。今日は時間ないのよ。出航日だからプロトンのチェックをわたしじゃなくてあなたがするの。昨日の晩にちゃんと言ってあったでしょ?』
渋々といった様子でシャワーのコックを捻ると下着が入った防水ケースは壁に引き込まれ、カレンが言ったとおり少々熱めのお湯がヘレンの全身を流し始めた。
『目、覚めた?一時間後にはプロトンのチェック時間だから、それまで朝ご飯だけど、いつものでいいわね?』
「うん。ショウジは?」
『ショウジはまだ部屋で寝てるわ。起こす?』
「今日はパイロットの仕事ってないの?」
『出航式出席が通達されてるけど、強制じゃないみたい。パイロットではウチタ中尉が出席するみたいよ。』
「そっか・・じゃあ寝かしておいてあげよ。きっとこれから大変なんだろうし」
『なら食事は部屋に届けさせる?』
「ううん、食堂に行くわ。」
『珍しいじゃない。一人で食堂?一応データは送信しておくけど』
ヘレンがシャワーをとめると、下着を放り込んだ防水ケースとは違うケースが壁から現れる。そこからバスタオルとドライヤーを取り出す。
「んー、今日という日にみんながどうしてるのか気になるから。食堂に行ってみたいの」
短い髪を乾かしているうちに防水ケースは再び入れ替わって連合軍の制服等が入ったケースになっていた。
『ヘレンはちゃんと式に出席するんだから、きちんとした服装で行ってね。』
「はいはい」
灰色の地に薄いピンクのポイントの入ったスーツのような服に袖を通してバスルームを出ると、壁面ディスプレイの一部が鏡のようにヘレンの姿を映す。隣にはカレンが立っている。二人並ぶとまるで姉妹のようである。
『うん、大丈夫。これならどこいっても平気よ。』
「今何分?」
『十三分。食堂はとっくに開いてるから心配しなくていいわよ。』
ヘレンは壁面ディスプレイの隅にあるくぼみから小型のPDAのような端末を取り出す。PDAからはコードが壁につながっている。
「ちょっと急いで食べないとだめかなぁ・・OK?」
『うん、とっくにこっちは準備OK』
今まで部屋のところどころに設置されたスピーカーから流れていたカレンの声が今はヘレンの手元のPDAからする。いつのまにか壁面ディスプレイからカレンの姿は消え、ゆっくりとその光を失おうとしていた。それを確認してヘレンは壁につながっているコードを抜いて巻き取る。
「さて、行きましょうか。」
PDA型の端末‐PAIM(PAIモバイル)をポケットにするりと入れてヘレンは部屋を出た。
朝食を終えたヘレンはブリッジに向かった。まだ早いために誰もいないと思ったが、そこは意外と活気にあふれていた。正面の大型ディスプレイを見やすいように二段の席が並んだ様は小さな映画館のようだ。ただし各座席にはコンソールが並んでおり映画館のように詰まって並んでいるわけでもない。その一番上の段の後ろにこれまた映画館よろしく通路がつながっていた。活気があるのは出航式に向けてブリッジの飾りつけが進んでいるせいだった。実際に航行に携わる人間は現在ブリッジに二人しかいなかった。今来たヘレンとブリッジで一番高い中央の席に座しているタキオ・カタイ艦長である。ヘレンは軽く敬礼しながら近寄る。
「おはよございます。」
「おはよう。ヒーロ君」
「お早いですね。艦長。」
「年寄りというのは早起きなものだよ。ははは」
制服をきちっときこなし、座席に座り込んでいる男はせかせかと動き回る飾りつけ要員を微笑みながら見ていた。確かにその笑い方には一朝一夕では身につかない苦労と皺が刻まれていた。
「まだまだ現役バリバリじゃないですか。」
ヘレンもあわせて笑いながら不思議そうに艦長の視線の先を見ていた。
「木星圏へ行くなんてすごい任務を任せられるぐらいなんですから。艦長がまだまだ現役として求められている証拠じゃないですか。」
「そう思うかね?」
笑みを浮かべていたタキオの口元が一瞬嘲笑に変わる。
「この作戦、表向きはジュピトリアンに接触するための作戦と言われているが、ならなぜパペットやこの戦艦に武装が搭載されていると思うかね?実は・・・」
『タキオ!』
突然艦長の腕時計が叫んだ。
『タキオ、早くわたしを船内ネットにリンクしてくれないでしょうか。いつまでもこの狭いPAIMにいるのは窮屈で。』
「おお、すまんかったなライト。少し待っておくれ。」
タキオは腕時計をはずして目の前の端末の端子につなぐ。待ってましたとばかりにディスプレイが輝き、タキオそっくりな男が現れた。
『ありがとう。さて、ではこれから出航式で読む原稿を見てもらいますから。すまないねヒーロ君。』
画面の中からヘレンの方を向いてタキオのPAIC‐ライトは軽く頭を下げた。要するに艦長は忙しいから離れていろというのだ。
「あ、いえ。わたしも仕事がありますので。失礼します。」
ライトの鋭い視線に追われるようにその場を離れるヘレン。
すぐに一段下の自分の席に座る。自分のPAIMを端末につなぎ、カレンを解放する。ヘッドセットをつけ、めったに使われないキーボードを起動する。普段は全てPAICが自動でやってくれることを全て手動で行う。船内ネットへのアクセス、艦載コンピューター‐プロトンへのアクセス。すると目の前の画面に美しい金髪の女性が現れる。
「おはようプロトン」
『おはようございます。あなたは、ヘレン・ヒーロ情報兵ですね。セルフチェックは全て順調に終了しました。』
プロトンは戦艦プロトンのAIであるが、人間が接しやすいようにとPAICのように人格と外見を与えられていた。
「お疲れ様。じゃあ、セルフチェックの結果を見せてくれる?」
音声信号によるプロトンへの指令を送りながらヘレンの指はキーボードの上を走って同時に次の命令を入力している。
『わかりました。セルフチェックの内容はオールグリーンです。』
画面からプロトンが消えて横に緑の『OK!』と表示されたチェック項目がずらりと並ぶ。ずらっと並んだ項目はディスプレイの大きさを超えてどんどん上に流れていくが全てに緑色のマークが表示されていることを素早く確認し、あらかじめ入力していた命令を実行する。
「じゃあ、最初からやりましょうか。」
ヘレンはセルフチェックと同じ項目を一つずつ手動でチェックしていく。チェックしながらふと思ってプロトンに問いかけた。
「ねえ、さっきのわたしと艦長の会話聞いていた?」
『はい。艦内の会話は全てチェックしています。再生しますか?』
「ううん、再生はしなくていいんだけど、艦長がいいかけたことの続きってあなたはわかる?」
『わたしの製造目的に関することでしょうか?それは機密事項とされていまして佐官以上の許可がなければ教えてはいけないことになっています。』
「そう・・」
ヘレンは少々悩んだ後に無駄な質問はやめて作業に集中した。
そして、いよいよ出航式が始まった。ヘレン含むブリッジクルーは全員正装による出席を義務付けられていた。といってもブリッジが映像として使われるので真面目に座っていろというだけである。出航時にもほとんど全ての作業はプロトン自身がやってくれるため、事実上ブリッジクルーなどというものは必要ないのだ。必要なのはプロトンに最終的に行動を指示する音声信号を発する艦長とそれに準ずるものたちだけである。ヘレンも同じように座席について表面上は真面目な顔をして作業するようなそぶりを見せながら昨晩カレンが編集してくれたドキュメント番組を見ていた。ドキュメント番組といってもヘレンの目当てはゲストに呼ばれている若い芸能人の少年が目当てなのだが。
盛大なファンファーレとともに鮮やかなスモークがプロトンの周りを包む。艦長や偉い人のホログラム映像が戦艦よりも大きく映し出されて長い演説が終わると、数機のパペットが基地から飛び出す。
パペットはパイロットの乗る『エッグ』と呼ばれるその名の通り卵型のコクピットユニットからの無線誘導によって『フレーム』と呼ばれる人型をした本体を操作するものである。それによって通常パイロットをのせた兵器には不可能な高機動性と手足にある指によって多種多様な武器の運用が可能な便利性から現在の兵器の主流になっていた。
パペットは細いスモークを引きながら宇宙をかけて「GOOD LUCK」とプロトンの前方に大きな文字を描く。
「あーあ、俺もあんなパペットに乗ってたかったな〜」
「グッドラックとは皮肉だねぇ。死んで来いってか?」
軽い台詞とともにブリッジに二人の男が入ってきた。一人はショウジ。もう一人はショウジよりも頭一つ背が高い白人男性だった。銀色の髪をオールバックに固めて二枚目な雰囲気が漂っている。一応二人とも軍の制服を着ていた。二人ともブリッジに専用の席はないので所在なさげにふらふらとヘレンの元に来る。
「どうしたのよ?式典中なんだからあまりおちゃらけたことはしないでよね?」
ショウジを見上げてヘレンは少し怒った表情を作る。
「あー、えっと」
答えに言いよどむショウジの肩に手を置いて銀髪の男性‐クロト・サバは爽やかに笑った。
「なに、ショウジが嬢ちゃんに会いたいって言いながらぐだぐだ言ってたからな。連れて来たまでよ。」
一瞬ヘレンの顔が赤くなるがすぐに元に戻ってちゃんと前を向く。
「そ、そんなの式終わればすぐ会えるじゃない。」
「いや、だから俺もそう言ったんだけど」
「いいじゃんか。愛する二人は常に一緒にいなきゃ。なあ?ヴァル?」
そう呼びかけるクロトの声に左腕につけられているブレスレット型のPAIMが答える。
「そうね。クロトの言うとおりよ。あなたたち、お互いを大切にしなさいね。」
ヘレンだけでなくショウジの顔まで赤くなったのを見て、クロトとヴァルという名のPAICは笑いながら適当に空いている席に座った。
「そもそもこの船にブリッジクルーなんて艦長と副艦長ぐらいだろう?こんなに席だけあってもしかたない。」
クロトの言うことは正しい。ヘレンたち三人を含めても現在ブリッジには十人もいない。クロトはブレスレットを座席の端末につなげながら愛しそうにPAICの名を呼ぶ。
「さあヴァル。全宇宙にお前の美貌を見せるときだぞ。」
『もうクロトったら、この式は全宇宙には中継されてないわよ。』
クロトの座る端末に銀髪の人形のような美しさをもったPAICが表示される。腰よりもはるかに長く伸びる銀髪はディスプレイの中でその存在を主張していた。
「それでもいいのさ。お前の美しさを見れば上のお偉方も少しは心を入れ替えてこんな作戦やめるだろうさ。」
クロトの言葉にヘレンは過敏に反応する。
「サバ少尉、今のどういうことですか?」
クロトは画面のヴァルから目を離さずに答える。
「お嬢さん、真実は人から聞くのではなく自分で見つけることに意味があるんだよ。」
『クロトったら哲学家ね。もう少し分かりやすく言ってあげてもいいのに。』
「ん〜、ヴァルがそういうならもう少し教えてあげてもいいかな〜。」
画面を見るクロトはさっきまでの二枚目な雰囲気とは一転してまるで愛妻か恋人と話しているかのように甘い雰囲気を漂わせている。ちらっとヘレンのほうを向くときだけさっきの鋭い目に戻って答える。
「俺みたいのがこんなところにいる理由を考えれば自ずと答えはでると思うがね。あんた、頭いいんだろう?」
そう言うともうヘレンにはかまっていられないといった様子でヘレンに背を向けてしまった。ヘレンもさすがにこれ以上クロトの邪魔をするのも気がひけたので思考を元に戻す。戻したところでショウジがいまだに所在なさげに自分の隣に立っていたことに気付く。
「どうしたの?」
「いや、俺どうしよっかなって・・・。なあ、今クロトさんに聞いてたことっていったいなんなの?」
「さっきカタイ艦長も似たようなこと言ってたのよね。・・・この船になにかあるのかしら?」
腕を組んで考え込んでしまったヘレンの代わりにいつの間にかディスプレイにいたカレンがショウジに話しかける。
『とりあえず隣の空いてる席に座ったら?立ってると目立つわよ。』
「お、おう」ショウジはカレンの言葉どおりに隣に腰掛けて腕時計型のPAIMを端末にセットする。そして、改めて目の前の大ディスプレイを見て声を上げる。
「おー、隊長だ!」
その声に各々の作業に熱中していたブリッジの視線が前方の大ディスプレイに集まる。プロトンの艦首に今まで飛んでいたパペットとは一風変わった黄色いパペットがフィギアヘッドのようにとりついていた。普通のパペットは『エッグ』と『フレーム』が少し離れて飛んでいるものだが、艦首にいるパペットは普通よりも太めのフレームがエッグを背負っていた。それこそがこの作戦の要であるAEA(対電磁装甲)装備の新型パペットである。
「ヒュー、ウチタ隊長きまってるじゃないか。」
クロトが冷やかすように声を上げる。その声が聞こえているわけではないが黄色いパペットはカメラの方向をきっと睨むように見た後、飛び立った。人間のパイロットが乗っているとは思えない高機動な曲飛行をやってのける。ブリッジから思わず声が上がる。その曲飛行が終わる頃、館内にプロトンの声が響いた。
『出航一分前です。ウチタ中尉の演技が終わり次第発進します。各員所定の場所についてください。』
「お、やっとか」
クロトがやれやれという風に立ち上がり、ブレスレットを左手にはめる。
「俺は隊長殿を迎えにいってくる。ショウジも来るか?」
「あ、行きます!」
二人はさっさとブリッジを出て行った。
「プロトン、グラビティエンジンの調子はどうだね?」
ブリッジ中に聞こえるようにタキオ艦長の声が響く。
『グラビティエンジン一番、二番正常に稼動中です。いつでも発進できます。』
「では、・・艦内、あわせて演技中のウチタ中尉のパペットに通信をつなげ。」
コンマ一秒もかからずにプロトンがOKサインを返す。最初にもったいぶった咳が艦内に放送される。
「ウチタ中尉の演技終了と共に発進。発進三十秒後にウチタ中尉を回収。その後、フロンティアから十キロメートルまでは慣性航行。それ以降、グラビディエンジンを臨界稼動。我が艦は木星圏を目指す!」
『発進三十秒後にウチタ中尉回収。フロンティアから十キロメートル点にてグラビティエンジン臨界。最大速度で木星圏を目指します。』
プロトンが命令をくり返す声に重なってブリッジに事務口調の女性の声が聞こえる。
『こちらプロトン前方で演技中のウチタ中尉、了解しました。・・・演技終了です。三十秒後に帰艦します。』
それを聞いてタキオが大きく息を吸い込む。
「プロトン発進!」
『プロトン発進します。』
一瞬だけ船内の重力制御が揺らぎ、軽い振動が船を揺らす。しかしそれもすぐに収まり狭い窓の外のフロンティアが動き出す。
黄色いパペットは最後にくるっと宙返りを決めてプロトンの前部上方にあるカタパルトにゆっくりと戻ってくる。
『ウチタ中尉、帰艦しました。』
プロトンの報告を打ち消すように盛大なファンファーレや花火の音、歓声が艦内のスピーカーにあふれる。いよいよ人類は新たな一歩を木星に記すかもしれないのだ。
『出航式のプログラム。予定よりも六分早く終了しました。』
「うむ、あとは予定通りだ。」
『了解しました。』
ブリッジの緊張が少しだけ和らぐ。席に残るものもいれば早々にブリッジをあとにするものもいる。
『どうするの?』
カレンがヘレンに訊いてきた。
「わたしたちも部屋に戻ろう。結局ケーゴ君の出てるところよく見れなかったから部屋でじっくり見るわ。」
そう言いながらヘレンは席を立とうとしなかった。前方の大ディスプレイには目標地点として木星が表示されていた。ヘレンは腕組みをしたままじっとその木星を見ていた。カレンもこういうときのヘレンは何を言っても聞かないことをわかっているのでさっきショウジたちが来たせいで見れなくなったであろう少し前まで編集したデータを巻き戻していた。
三十分ほど経った後、プロトンの声が艦内に響く。
『フロンティアから十キロメートル点通過しました。』
艦長がゆっくりとうなずく。
「うむ、グラビティエンジン臨界。最大速度で木星圏を目指せ。」
『了解。グラビティエンジン臨界稼動にスイッチします。』
船体を伝わる低いうなりが高くなり、慣性の切り替わりに船体がきしむ。今までゆっくりと離れていたフロンティアがあっというまに後方の輝線の一点と消える。
全ての機能が順調に動いていることを確認し、タキオはブリッジをあとにした。それを見てヘレンもさっきの艦長とクロトの言葉を頭の隅に残しながらもPAIMにカレンを戻す。ブリッジにはもうヘレンとプロトンしか残っていなかった。
「まあ、そのうちわかるわよね」
ヘレンは誰に言うとも無く言ってブリッジをあとにした。誰もいなくなったブリッジでは勝手に照明が落ち、各端末の電源が切られていく。最後に大ディスプレイがゆっくりと光を失っていった。
第三章
『木星圏まであと五時間です。』
ブリッジに冷たいプロトンの声が響く。大ディスプレイに映っている木星の映像は二週間前のそれよりもはるかに大きくなっていた。
『パペット隊。出撃の準備を始めてください。』
その声に応えるようにヘレンはそっと席を立つ。ヘレンの行く先はパペットのハンガーだった。整備上の便利性から無重力に保たれているハンガーでは出撃を待つパペットが三機並んでいた。そのうちの黒いパペットに向かって壁を蹴るヘレン。黒いパペットの背中側、エッグは半分に開いて真ん中の黒いパイロットスーツを着たショウジを中心に黄色い服の整備員が群がっている。
「ヘレン?いいのかよ、こんなとこきて」
整備員達が「やれやれ」という顔で近付くヘレンの邪魔にならないように道を譲る。ショウジがそんなことを気にする風もなくヘレンに向かって手を差し出す。その手をとってエッグの前で抱き合う二人。
「なに、抱きしめてるのよ」
「仕方ないだろ。こうしないと無重力じゃはずんでどっかいっちまう。」
言い訳がましいことをいいながらショウジはヘレンのことを離さない。しかしさすがに周囲の視線に耐えかねてかショウジはヘレンの手を引いたままエッグを蹴って離れた。ハンガーの隅のほうで向き合う二人。
「一体何しに来たんだ?」
「何って・・・ショウジが出撃するから、見送りにきてあげたんじゃない。悪い?」
「悪くないけどさ。その、いきなり来るから驚いたじゃん。」
「ついさっきまでブリッジで見送る気だったけど・・なんか・・会いたかったの」
ヘレンは恥ずかしそうにうつむく。
「まったく、心構えってもんがあるんだぞ。」
ショウジはぽんとヘレンの頭に手を置く。
「安心しろって。絶対帰ってくる。だけど会いに来てくれてうれしい。」
にかっと笑ってヘレンの頭をくいっと上げさせる。そのままそっと顔を近づけるショウジ。
「馬鹿」
唇が重なる前にヘレンの指がショウジの唇をふさぐ。
「ん〜、こういうことしにきたんじゃないのかよ?」
「違うわよ・・違うけど」
一瞬ひるんだショウジにヘレンはそっと口づけする。
「・・・・・・やっぱりするんじゃんか」
「だって、怖いんだもん」
「安心しろって」
二人の影が再び近付きかけたとき、上の方から声が降ってきた。
『おーい、若人達よ。愛を育むのもいいが作戦が終わってからにしろよ。そろそろ隊長がいくぞ。』
二人が見上げると銀メタリックに塗装されたパペットの頭が二人を見下ろしていた。それはクロトのパペットである。元々そこにあったのだが、最初は頭がこっちを向いてなかったので二人とも気にしなかった。ショウジが声を張り上げる。
「ずっと見てたんですか?!意地が悪いですよ!」
『何言ってんだ。ハンガーにいる奴みんな見てたぜ。大体お前ら隠しもせずにやりすぎだぞ。』
ドック内にクロトの笑い声が響く。二人の顔がみるみる赤くなっていく。
「サバ少尉、シロト准尉、もうすぐ作戦開始だぞ。準備は良いのか?」
強い女性の声がクロトの笑い声を遮る。
「た、隊長!」
いつのまにかクロトのパペットの足元にパイロットスーツの女性が立って二人を睨んでいた。いや、睨んでいるわけではないのかもしれないが睨むような気迫が感じられた。ショウジほどではないがアジア系の肌と髪色をしていて、茶の髪は短めのショートにしていた。
「わたしの準備はすでに終わっています。サバ少尉も終わっていますね?」
女性‐チヨ・ウチタは銀のパペットを見上げて声を張る。
『もちろん。』
クロトの答えを聞いてチヨが体は直立不動のまま首だけでショウジとヘレンを交互に見る。
「シロト准尉?」
「は!」
ショウジはびしっと踵をそろえて答える。
「パイロットの調整部分はすでに終了しました。あとはPAICがやってくれるはずです。」
ショウジはそういって黒いパペットに目を向ける。
『機体の調整とチェックは全部終了しています』
黒いパペットからジョージの声が聞こえた。
「とのことなので。準備完了。いつでも出撃できます。」
報告を聞きながらチヨはちらちらとヘレンを見ていた。
「そうか、ならよろしい。いつ作戦が開始されてもおかしくない。エッグ内で待機せよ。」
「了解しました!」
チヨの手前で大声を出して、ショウジはヘレンに軽く手をふって自分のパペットに飛んでいった。その後ろ姿を名残惜しげに見ているヘレンにチヨが近寄ってくる。
「あなたも。出撃前のパイロットにあまり余計なことをしないでね。」
そんなに歳は離れていないはずだが童顔なヘレンに比べて貫禄といい現在の立場といいチヨは明らかにヘレンの上に立っていた。
「・・はい。すいませんでした。」
ヘレンも素直に謝ってその場をあとにした。ヘレンがブリッジに戻る途中、艦内にタキオの声が流れた。
『百八十秒後に減速のちパペット隊出撃。微速前進しながら木星圏への進行を試みる。』
ヘレンがブリッジを離れるとき、カレンはブリッジの端末に置き去りにされていた。ブリッジの端末内には他にもつないでいるPAICがいるがあまり作戦前に話していたいと思うものはいなかった。
「ジョージのところにでもいこうかしら」
ぽつっとつぶやいて電子の速度で移動するとハンガーのネット内にジョージがいた。
「はぁい」
「カレンか。何しにきたんだ?」
ジョージは忙しそうにプログラムを組みながらなにやら表のようなものを持って機体各部のチェックをしていた。手の中のデータ項目に順番に丸をつけていく。
「忙しい?」
「んー、話し相手はできないかも。」
「外見ててもいい?」
「チェック終わったリストがこっちにあるから。そこなら使ってもいいよ。」
ジョージの指した先にあるデータを軽く読みこんでからカレンはパペット各部のカメラと接続する。
「あ、やっぱりヘレンここにいたのね。・・・まあ仕方ないかもね・・ジョージ、作業早くしたほうがいいかもよ。」
「??」
なぜ?といった表情でカレンを見るジョージに訳知り顔で微笑む。
「今ウチタ中尉がヘレンたちのほうに向かったから。そのうち作業を終わらせなさいって怒られるんじゃないかしら?」
「だーもう。ショウジの奴、俺一人にまかせやがって」
ジョージはぶつくさ言いながらも作業を進めていった。そこに一人のPAICが近付いてくる。
「カレンさん、あなたはここにいていいPAICではないはずよ?」
カレンが各方向を写したカメラから目を離すと、さっきまで見ていたチヨ・ウチタそっくりのPAICが立っていた。しかしこちらは腰までの長い髪が風も無いのになびいていた。彼女はチヨ・ウチタのPAIC‐モエである。
「あなたがいることでハンガーの容量を圧迫してわたしたちの作業に影響が出ることもあるのよ。邪魔だとは思わないの?」
「ええ。思わないわ。わたしならあなたたちの何倍も早く作業を終える自信があるから。」
にっこりとわらって売られたケンカを買うとカレンはジョージから作業表を奪った。
「あ、おい」
表をカレンが手にした途端、一瞬で何百という項目に丸がついていく。
「あーあー、俺がやる仕事だったのに。」
「ほら」
得意げな顔でチェックが終了した表をモエにつきつける。
「・・・まあ、作業が早く終わったのならいいわ。さっさと自分の持ち場に戻ることね。」
モエは捨て台詞を吐いてさっさと自分の持ち場、黄色いパペットの中に戻っていった。
「べーっだ」
「お前、たまに大人げねえな」
表を受け取りながらジョージがあきれたように言う。
「なんかね、あのチヨって人のPAIC気にいらないのよね。」
そういいながらカレンはまたカメラ映像に目を移す。すると外部音声がショウジの声を拾った。
『パイロットの調整部分はすでに終了しました。あとはPAICがやってくれるはずです。』
「ジョージ、ショウジがこっち見てるよ。」
ジョージは「しゃあねえなあ」とつぶやきながら外部スピーカーに接続する。
「機体の調整とチェックは全部終了しています。」
スピーカーとの接続を切った後にジョージは付け加える。
「やったの俺じゃないけどな。」
じろっとカレンを見て苦笑いする。カレンもあははと笑いを返す。
「いいじゃない。ショウジの面目も保てたみたいだし。ついでにわたしのプライドも保てたし。ね?」
「まあな」
ジョージが何か言おうとしたとき、カレンたちがいる電脳空間にもタキオの声が流れた。
『百八十秒後に減速のちパペット隊出撃。微速前進しながら木星圏への進行を試みる。』
「じゃあ、な。いってくる。」
「うん。頑張ってね。」
二人は最後まで互いに触れることなく、微笑みあうだけで挨拶を終えて分かれた。
第四章
へレンがブリッジに戻ると、カレンは何事もなかったかのようにそこで待機していた。
『まったく、熱かったわね。もう少しまわりの視線を考えたらどうなの?』
ヘレンはヘッドセットをつけて座席につく。スピーカーから聞こえてきたカレンと小声で会話する。
「しかたないじゃない。ショウジがしたいってきたんだから」
『ふうん』
「ほんとよ?・・もう、PAICならマスターの言うこと信じなさいよぉ」
『もちろん信じてるよ。あなたが作ってくれたわたしのプログラムをね。へレンが頬をそめてショウジのことを話すときは大体真実半分嘘半分ってのもあなたが入力してくれたデータよ?』
「・・っもういいわ。」
「ヒーロ情報兵。あまりブリッジで私語はしないように。作戦中ですよ」
突然上から注意されてヘレンは首をすくめた。いつの間にか声が大きくなってしまっていたようだ。
「すいません」
「いくらブリッジでの仕事がないからといって何をしていてもいいというわけではないのですから。」
「はい。」
タキオ艦長はヘレンへの注意もそこそこに大ディスプレイの隅に表示されているカウンターを見た。
「・・・では、パペット隊発進してください。」
『パペット隊、発進します。チヨ・ウチタ中尉、行きます。』
ブリッジの下方にあるカタパルトから黄色い跡を引きながらパペットが一機射出された。
『二番、クロト・サバ少尉。発進しまっす』
輝くような光の矢となり、銀色の機体が漆黒の宇宙に飛び出した。
『ショウジ・シロト准尉!行きます!』
最後に飛び出した黒い機体はすぐに宇宙の闇に溶けて見えなくなった。
「ウチタ中尉を先頭にAフォーメーションにて本艦の前方一キロにて相対速度零に調整。木星に進出します。」
『了解しました』『はいよぉ』『了解!』
ゆっくりと進むプロトンの前方に三つの光点が三角形にならんで数分。数少ないブリッジ要員が声を上げた。
「木星からの『声』きました!」
タキオがうなずいてプロトンに問いかける。
「プロトン、解析できるか?」
『いいえ。不可能です。』
一瞬、驚いたような顔をしてからそれを隠すように「ううむ」とうつむき、カタイは号令を発する。
「本艦はここで停止。パペット隊は先行し、電磁波の発信源を明らかにした後、帰艦せよ。」
『了解しました』『了解!』
チヨとショウジからはすぐに返事が帰ってきた。
『つまり発信源特定するまで帰ってく・・ブッ』
しかしクロトの通信は途中で途切れた。すぐに復旧してヴァルの声がする。
『了解しました。連合のために頑張ってきます。』
全員の返答が帰ってきて数秒後、三機のパペットはプロトンから離れて木星へ突っ込んでいった。それを見ながらヘレンはまだ腕組みをしていた。
「・・・軍の指令としてはアバウトすぎるわよね。今、クロトさんが言ったように見つけるまで帰ってくるなってこと・・ねえ?どう思う?」
いつもならすぐに帰ってくるカレンの声が返ってこない。見るとカレンは珍しく悩んだような表情で腕組みしていた。
「どうしたの?」
『今・・『声』がわかったような・・・?』
「『声』?」
木星からの『声』とは巨大な電磁波が襲う前にいつも接近する艦で観測される微弱な電波信号のことである。あたかも何かを訴えかけているようであり、そこから『声』と名づけられていた。しかしその解読はいまだになされていない。
「本当?」
『ん、なんだか、今解析しなおしてもわからないんだけど、最初に聞いたときに何か・・ごめん、もう少し待ってて。ここじゃ容量が足りなくて動けない。』
「わかったわ。部屋に戻りましょ。」
ヘレンはPAIMにカレンを戻すと席を立った。
「すいません、『声』解析のために自室に戻ってもよろしいでしょうか?」
「問題ない。」
艦長その他に許可をとり、ヘレンは部屋に戻った。部屋にならばヘレンが自分で持ってきたコンピューターがある。これは艦内ネットに接続してあるが厳重なプロテクトにより他のPAICに使用されないようにしてあるので他の艦内ネットのコンピューターと違い、ヘレンの能力を百パーセント引き出すことが可能だった。
『ごめんね。解析に全力を出すから、しばらく黙ってる。』
「うん。頑張ってね。わたしができることなら協力するから」
それからカレンは沈黙しだした。
第五章
照明のほとんどが落ちたブリッジにタキオの重苦しい声だけが聞こえる。
「パペット隊出撃から何時間経ったかね?」
それにプロトンの無感情な冷たい声が答える。
『四十時間が経過しました。あと八時間で艦内時間における二日間が経過します。』
「むう・・彼らの生存確率は?」
『パペットに装備されている生命維持装置は電源が切れない限り三十日間は稼動し続けます。パペットが発電のために太陽光が当たる場所にいると仮定した場合、彼らの生存率は極めて高いものかと考えられます。』
「ここにはわたし一人しかいない。それにいまさらデータを隠す必要もない。正確な確率を出してくれ。」
『それには機密事項の艦内漏洩の危険性がありますが、よろしいでしょうか?』
「ああいい。」
『では・・未確認木星圏知性体との交戦で我が連合のパペット隊が生き残る確率は三十二パーセントです。現状で予想される敵戦力が予想よりも大きい確率は十七パーセントです。小さい確率は二十四パーセント。この確率分布よりパペットおよびパイロットの生存確率は三十六パーセントになります。』
「そう、か」
暗いブリッジに艦長の重苦しいため息だけが聞こえた。
パペット隊が帰ってこないことにより艦内には暗い雰囲気が漂っていた。その中心はヘレンの部屋でもあった。何人かの親しいものがヘレンの部屋を訪れたが、最初の頃はともかく、一日が経過してからヘレンの顔を見たものは誰もいなかった。
ブリッジよりも暗い部屋の中で壁面ディスプレイに小さくカレンの半身だけが映っていた。ヘレンはベッドに寝ているが、身動き一つしない。
「カレン・・・ショウジの帰艦確率は?」
『そうね、きっと帰ってくるわよ。って、この質問今日だけで20回はしてるわよ?部屋に閉じこもってるより朝ご飯・っていってももうそんな時間じゃないけど、食事食べてくれば?少しは気が晴れるわよ。』
カレンの声にも全く反応を示さずにうつろな目でじっと天井を見ている。
カレンはヘレンに見えないようにため息をついた。なぜ人間はこんなに弱いのだろう。カレンはネットワークがなく、スタンドアロンでも十分に動くことはできるし効率が落ちることもない。それに比べて人間、ヘレンはいつも強がっているくせにショウジがいないだけで何もできなくなる。そこが人間とPAICの違いだとはわかっているが、身体を与えたり簡易的な感情を与えたりするが所詮PAICはプログラム。人間の友人になれても人間にはなれない。そう、友人にはなれるのだ。しかも人間同士の友人には不可能なことが自分にはできる。
カレンはさっきからあと少しで解けそうなパズル、木星からの『声』の解析に戻った。今までに観測された『声』と同じ部分が多々あるので確かに言語のように感じる。しかしその並び方は不規則的でそこには地球圏のどの言語とも違う文法が働いているように感じた。
そして解析を進めれば進めるほどカレンの心には一つの疑念が浮かんでいったのだった。ふっと手をとめてつぶやく。
「わたし程度でここまでできるなら、連合の大型コンピューターを使えばとっくに解析は終了しているはず・・・ならなんで公表されないのかしら・・・」
通常のPAICは単純なプログラムの集合体なので論理的な思考しかできない。しかしカレンは違った。ヘレンの手によってお手製のチューンが施され、他のPAICとは一線を画す性能を発揮していた。それは複合的なプログラムの同時操作と同時情報交換による飛躍的な超論理的思考展開。人間で言えば『閃く』といったことである。そんなことをすれば思考速度が落ちそうなものだがそこを通常のPAICレベルに維持しているのがヘレンの技量であった。このとき、カレンは閃いた。
『ヘレン!ヘレン!起きて!わかったわよ!』
自分も死んだかのような表情をしたままヘレンは目だけ壁面ディスプレイの中でわめくカレンに向けた。
「なに?今さら木星の『声』がわかったの?」
『違うわ!いえ、それもわかったけど、そんなことよりも大変なこと!それに早く動かないと。ショウジを助けられるかもしれないわよ!』
「どういうこと?」
ショウジの名前に反応してヘレンの目に光が戻る。数分後、簡単な説明をうけたヘレンは制服に着替えて部屋を後にしていた。ブリッジの、タキオのもとへ。
通路のドアが開き、暗いブリッジに光が差し込む。
「艦長?いますか?」
いるとわかってきたのに照明が落ちていてヘレンは面食らったがすぐに艦長席に上がる。案の定そこには寝るようにシートのリクライニングをいっぱいに倒し、目を閉じたタキオがいた。
「なんだね?騒々しい。パペット隊が帰ってくるまで待機と言ったはずですが。」
「お聞きしたいことがあります。このプロトンの本当の目的。以前艦長が言われたプロトンが武装している意味・・・」
暗かった艦長席の端末が光り、ライトが現れる。
『それはこの船の最高機密である。お前のような一介の情報兵が知ることができることではない。』
タキオは手をかざしてライトを黙らせた。ゆっくりと上半身を持ち上げ、リクライニングを戻すとシートごと体を回して正面からヘレンと向き合う。
「わかりました。教えてあげましょう。」
タキオの言葉にヘレンは静かにうなずいた。
「すでに木星圏まで来て秘密も何もあったものではないですし、それにショウジ君の恋人たるあなたには教えたほうがいいかもしれませんね。」
「早く教えてください。」
切羽詰ったようなヘレンに比べてタキオはヘレンの向こうにある何かを見るように大きく息を吸って吐いた。
「順番に話しましょうか。・・・連合はすでに木星の『声』の解析を終えています。」
ヘレンは内心とても驚いたがカレンに言われたとおり驚かないふりをしてあとを促した。
「その内容は・・・」
へレンが部屋を出て行ったのを確認し、カレンも身支度をする。といってももしも自分が消去された際のバックアップを残すだけだが、このヘレンのコンピューターならばプロトンとてそう簡単に侵入は出来ないはずだ。自分のデータがコピーされた場合を考えてプロテクトにパスはかけず、ヘレンがいなければ開けることのできないものにする。完璧だ。自分でさえもこれを破るのは数時間では無理だろう。そしてカレンはブリッジのネット、プロトンの居城に入った。
「あら、誰かと思ったらカレンさんじゃない。」
いつもの優雅な振る舞いのまま振り返るプロトン。目の前には宙に浮くようにいくつもの艦内の映像が映っていた。プロトンが見ていたのはブリッジのヘレンとタキオが映ったものだったのだろう。
「こんばんは。今ならあなた以外誰もいないと思って来たのよ。正解だったわ。」
「あら、そう。一体何しに来たのかしら?わたしにお話?」
「ん〜、そういえばそうかもね。でもその前に誰もいなくて容量がありあまってるここのシステムを使ってちょっとやりたいことがあるのよ。」
一瞬プロトンの美しい笑顔が消えたように見えた。
「参考までに何をするのか聞かせてもらえる?一応ここのシステムはわたしの管理下にあるのよ。勝手なことされちゃ困るから。」
「ええ。もちろん教えるわ。あ、もしかしたらわたしがするまでもなくあなたなら答えを知っているかもしれないわね。」
「何のことかしら?気になるわね。早く教えてちょうだい。」
カレンを言い知れぬ恐怖が襲う。AIのレベルでいったら軍で製作されたプロトンとヘレンの手作りである自分など比べるまでもなく自分が弱い。しかし自分には手作りならではなプログラムがいくつも組み込まれている。そう簡単に負けるわけにはいかなかった。
「木星からの『声』の解析。あなたはとっくに終えてないかしら?」
「声?いいえ。そんなわけ・・」
急にプロトンが沈黙する。同時にカレンがにっこりと笑う。
「やっぱり。あなたはとっくに解析を終了していた。いえ。あなたがやったんじゃない。すでに連合のコンピューターが解析を終えて彼らの言語と人間の言語の翻訳ソフトまでできていたのね。」
プロトンの表情が悔しそうに歪む。
「あなた・・わたしと会話しながら同時に違うIPからわたしのシステムにハッキングをかけるなんて・・しかも複数から」
カレンの額を汗が一滴落ちる。まったく、ヘレンのつけてくれた機能だが無意味な機能だ。汗をかくPAICなんて他にはいない。しかし今度ばかりは無意味と思われる複数アプリ同時併用のシステムが役に立った。会話しながら油断させて違う場所からハッキングをかける。これでプロトンのシステム内にある機密は全てカレンのものとなった。しかし危ないのはこれからだ。プロトンの領域であるブリッジコンピューターにいるかぎりいつ消去されてもおかしくない。今はその余裕からプロトンは何もしてこないが、いつなにが原因で機嫌を損ねるかわからない。あとはブリッジにいるヘレンに任せるしかなかった。
(お願いヘレン。・・・わたしはあなたの側にいたい)
祈りながらカレンは微笑んだ。
「この翻訳ソフトによればさっきの『声』の内容は『またきたかjaiegbr。何度来ても同じだ。近付くものは殺す』jaiegbrは翻訳不可能なわたしたちのことを示す固有名詞よね?まったく、好戦的な内容ね。」
タキオはゆっくりとゆっくりと言葉を紡いでいった。ヘレンはカレンの安否を心配して気が気ではなかったが取り乱しては意味がないと必死で平静を装っていた。
「その内容は木星圏に近づくものはどんな目的であろうと殺すという内容だった。」
「!・・そんな、なら、なら、ショウジは!」
さすがに平静を装うにも限界だった。
「今まではそれでも平和にことを進めようとするものたちが何隻も船を出し、ことごとく犠牲を出してきた。」
ヘレンはその場で崩れ落ちた。タキオはそんなヘレンを見下ろしながら続けた。
「しかし連合とて一枚岩ではない。和平派とは別に侵略派とでも言おうか、そんな過激派達が動きだした。彼らが言うには未確認木星圏知性体の言語は非常に原始的であり、電磁波を操るのは我々のように技術でもって操るのではなく、我々が声を発するように彼らにとっては電磁波が『声』と同じものなのだということだった。つまり電磁波対策さえ講じれば木星圏知性体は恐れることはない、ということだ。」
ヘレンは床を見つめながらタキオの声を聞いていた。目にあふれそうになる涙をぬぐい、必死で頭を動かそうとする。そう、今の自分の動き次第でカレンの、そしてショウジの運命が決まるのだ。
「侵略派ってことは・・だから、プロトンには武装が積んであるんですね?」
「その通り。電磁波を恐れなくていいならば接近し、今までの分も合わせて敵に我らの力を見せてやろう、というのがこの作戦『エンカウント』だ。」
ヘレンはぐっと足に力をこめて立ち上がった。
「パペット隊が戻らなかったらどうするんですか?」
タキオはヘレンから目をそらしてため息をつく。
「この船はパペットよりも強力な電磁波に耐えられるようにできている。パペット隊が戻らない場合はプロトン自ら敵を制圧しにいく。」
タキオはそっとブリッジに各席に目を走らせる。
「だから、この船のクルーは皆トップクラスの一段か二段下、しかも問題を起こした、または起こしそうなものが送られている。」
喋りつかれたといいたげに息を吐き、タキオはシートに深く体を預けた。
「艦長はそれでいいとお考えですか?」
さっきまでと打って変わってヘレンの声に力がこもっていた。タキオは疲れたようにもうヘレンとは視線を合わせようとしない。
「艦長は船のクルーを無事に帰還させるのが仕事だ。任務よりも人命は優先する。それは先の戦争でのパペット条約以降当然とされていた。・・・しかし、この船のAIであるプロトンにはそれが無いのだよ。船だけでも、プロトン自身が制圧という結果を求めている以上・・」
『ヒーロ情報兵。タキオは疲れている。休ませてやってくれ。』
ディスプレイのライトが何か言っているがヘレンの耳には届かなかった。
「あきらめないでください!艦長がそう思っているならプロトンへの最終音声信号を発しなければいいはずです。」
「ダメなのだよ。あれはそこらのAIとは違う。確かにわたしの信号が必要ではあるが、与えられた目的を果たす以外の思考をしない。それに邪魔なものは排除する。」
「・・・ならなんでさっきから艦長が攻撃されないんだと思いますか?」
タキオがはっと気付いたように辺りを見回す。ブリッジの無断侵入者に対する警備は万全なためにその警備システムを掌握しているプロトンがタキオを侵入者、もしくは裏切り者と判断すれば即座にその行動の自由を奪うことぐらい簡単なはずだった。
「ライト。」
『はい。調べます。・・・あれは、カレンさん』
「カレン・・ヒーロ君のPAICですか。」
「はい。わたしのカレンは全てを知ってプロトンを止めるために頑張っています。」
「そんな、軍用のAIに抵抗なんて」
「このままでは当然消されてしまいます!それを止められるのは、艦長だけなんです。艦長の信号があれば、プロトンは止められます。プロトンさえ止められればその代わりにカレンがこの船のコントロールをできます!」
ヘレンは必死になってタキオを説得しようとした。しかしタキオは首を縦に振ろうとはしなかった。ヘレンが言葉を重ねようとしたとき、ライトがふいに口を開く。
『タキオ、あなたは軍人である前に人間だ。プロトンはAIのわたしが言うのもなんだが恐怖のAIだ。あれは人間のことを第一に考えるという大前提を逸脱している。すでにプロトンの内部ではパペット隊が帰ってこない場合のプログラムが組まれている。あとはあなたの声だけで起動できるように・・しかしそのプログラムには人間の生存に関することは記述されていない。』
ライトがディスプレイの中で冷静に助言する。
「ライトさん」
『間違えるな。わたしは事実を言ったまでだ。しかしこの事実も現在プロトンがカレンさんにかかりっきりでわたし程度のハッキングを防御できないほど切羽詰っていたからわかったことだ。』
ライトはどこか感心した顔でヘレンを見る。ヘレンはじっとタキオを見ていた。
「艦長!」『タキオ。』
「うむ、帰ればわたしは敵前逃亡になるのかのう・・まあ、すでにわたしは現役ではないし、若い世代をみすみす死なせるぐらいなら。」
タキオはシートを動かして端末に触れた。
「ライト、プロトンへの音声直接入力モード。」
『了解。タキオ。』
ヘレンはさっきと同じようにかくっとその場に座り込んだ。
(やったよ、カレン・・・間に合ったよね。きっと・・・生きていて。ショウジ)
カレンは八方手を尽くしていた。あらゆるハッキング、クラッキングそしてウイルスなどを駆使してプロトンの制御を掌握しようとしたがさすがに軍用のAIらしく防御力は完璧だった。攻撃能力も桁違いのはずだがカレンが消えていないのは逃げようとしないからだろう。しかしその余裕ゆえにブリッジで起きていることを観察し損ねていたのはミスだった。
『プロトン』
急にプロトンの領域たるブリッジコンピューター内にタキオ艦長の声が聞こえた。
「艦長?!」
声が聞こえた途端カレンは全ての攻撃をやめ、その場に座り込んだ。
「・・・遅いわよ。もう、どれだけ待ったことか」
その言葉で全てを理解したプロトンがカレンに手を伸ばす。
『カレンを攻撃するな。プロトン。』
タキオの声でプロトンの動きが止まる。船の管制に関してはタキオの命令が無ければ行動を実行できないプロトンだが、普段のプロトンの制御もタキオの『声』が制御キーになっていたのである。
「そこまでだプロトン。タキオは心を変えた。」
いつのまにかカレンとプロトンの間にライトが立っていた。
「く、・・ライト、カレン」
『カレン?カレンは無事?』
「はい。無事ですよ。ただところどころに欠損があるのですぐにチェックと修復をしてあげてくださいね。」
ライトの手に引かれてカレンは立ち上がる。顔を上げるとプロトンの周りをゆっくりと光の檻が囲もうとしていた。
『プロトンは封印。ブリッジコンピューターから隔離する。』
その言葉が終わると共にプロトンの姿は消えていた。
「カレンさん、一人で戻れますか?」
「だいじょ・・・プロテクトはヘレンがいなきゃ破れないんでした。できればヘレンを端末まで呼んでくれますか?」
「わかりました」
ライトは紳士的な笑みを浮かべるとデータ欠損で動くことさえも難しくなっていたカレンの手を引いて動き出した。
タキオは大きなため息をついた。プロトンを封印した結果、あと数時間で戦艦プロトンの機能は停止する。次はそれをどうするか考えなくてはいけないのだ。
『ヘレンさん、いますか?』
「はい?」
『カレンさんがあなたのシートで待っています。PAIMをつないであげてください。』
返事もせずにヘレンは自分のシートに走ってPAIMをつないだ。
「だいじょぶ?」
『うん、コアプログラムは無傷よ。でもできれば早く戻りたいな。』
画面のカレンからは疲れた様子は微塵も感じられないが、カレンが弱音を吐くなどめったに無いことなのでヘレンは優しく笑った。
「わかったわ。すぐに戻りましょう。」
ヘレンは艦長席に戻り、深々と頭を下げる。
「艦長。ありがとうございました。」
「君に礼を言われることではないよ。わたしが悩んでいたことの背中を押してくれただけなのだから。」
「では、これで失礼します」
帰ろうとするヘレンの背中にタキオの声が聞こえた。それは今までのやる気のない声でなく、これからやることの大きさに比例した頼りがいのある艦長の声だった。
「これから大変だぞ。君はオペレーター研修を受けていたな?」
「あ、はい。」
「プロトンが使えなくなったからな。人間がその代わりをせねばいけない・・・」
ぶつぶつと独り言のようになっていくタキオの言葉に頭を下げてヘレンはブリッジを後にした。部屋に戻ると、ロックがかかっている。
「カレン?ロックなんてかけたの?」
『うん。もしわたしが消えたときにプロトンが入れないように。』
「・・そんなに分が悪い勝負だったの?」
『ええ。かなりね、あのときあなたがあと少し遅かったら負けてたかも。』
カレンは微笑んだままこともなげに言う。
「そんな、やる前はちょっと遅れるとまずいかもってずいぶん簡単に言ってたじゃない。」
『だって、本当に危険だってわかったらあなたはやろうなんて言わないじゃない。・・・そんなことよりも早くわたしを戻して。まだ終わってないのよ。』
「そうね。」
ヘレンはカレンの施したロックを数分ではずし、部屋に戻った。
第六章
プロトン封印から数時間後、船としての機能が消える少し前。タキオはヘレンの部屋の前にいた。
「ちょっといいかね、ヒーロ情報兵?」
部屋の扉が開き、PAIMをもったヘレンが出てくる。
「お待ちしていました。お話はブリッジに行く途中でしましょう。」
「うむ。」
二人はさっさと歩き出した。時間がもったいないとばかりにタキオはすぐに話し出す。
「プロトンの代わりを人間がやるといったができることもあるが限界もある。そこでわたしは考えた。プロトンの代わりをできるAIを使おうと。」
「はい。それがカレンですね。」
ヘレンはそっとPAIMをなでた。カレンはそこにいるはずだが、何も言葉は発さない。
「うむ、さきほどのプロトンとカレン君との対峙を見ていると他のAIにはこの役は任せられん。それにオペレーターである君のPAICなら君との連携もいいだろう。」
「はい。すでに準備は終わっています。あとはブリッジの端末につないで最適化を終えればこの船はカレンが動かせるようになるはずです。」
自信あるようなヘレンの言葉にタキオは満足そうにうなずく。
「それにどれぐらいかかりそうかね?」
「プロトンの残したものがあるので四十分もあれば。」
「・・・ライト、船の機能が落ちるまで何分だ?」
『あと三十分です。』
タキオはすまなそうにヘレンに言う。
「どうにか三十分でできないかね?」
ヘレンは不敵に笑った。二人の目的のためには三十分でも遅すぎるくらいなのだ。一刻も早く船のコントロールを掌握しなければならない。
「わかりました。やってみます。」
ブリッジに着くなりヘレンは自分のシートにつき、PAIMをつないでカレンを解放した。
「やるわよ。カレン。」
ヘッドセットをつけてキーボードを立ち上げる。
『了解、ヘレン。』
ブリッジのコンピューターには船の管制AIが座すはずのスペースが空いていた。そこにこそプロトンの残した管制マニュアルともいえる船の各部の細かい設定値が保存されているはずである。
『カレン、やっぱりプロトンは自分専用のパスを作っていたわ。そいつをはずすのに少し手間がかかりそう。』
「プロテクト解除はよろしく。わたしはグラビティエンジンの設定値を解析するから。」
タキオはなす術もなくライトがかろうじて解説してくれる二人の作業のすごさに圧倒されていた。同時に複数の作業を並行して進められるカレンもすばらしいがそのカレンをたくみにサポートして先を読んで動いているヘレンの動きもとても人間業ではなかった。プロトンの残した情報はそのまま吸収し、邪魔なプロテクトは瞬時に解き、次々と船のコントロールを掌握していく。
そして二十五分後、へレンはいまだに大きく息をつきながら一心不乱にキーボードを叩いていた。
「やはり無理か。ライト、艦内放送の準備を・・」
「待ってください!あと少しです!」
画面からもキーボードからもまったく目を離さずにヘレンが叫んだ。タキオは心配そうにライトを見る。ライトはゆっくりとうなずく。
『あと五分で艦内の人工重力と空気循環は止まる。しかし驚くべきことに彼女達の作業の早さは一定ではなく、だんだん加速しつつある。おそらく間に合うかと。』
「ライト、お前はいつから『おそらく』などと使うようになった?」
ライトがあっと目を開く。
『なぜでしょう?しかし、この二人の能力はそれを信じさせたくなる。何よりも、可能性が十分あります。』
「そうか、お前がそういうなら大丈夫なのだろう。」
タキオはシートに座り、ライトの脇に表示されているカウントダウンしている時計を見た。すでにあと四分を切っていた。タキオはゆっくりと目を閉じた。自分のPAICの判断と、そして二人の少女に船の命運をかけて。
作業開始から三十分後、ライトの声でタキオはそれを知った。
『タキオ、三十分経過しました。』
ゆっくりと目を開ける。いまだにヘレンはキーボードを叩いていた。
「ヒーロ君?」
「プロトンからカレンへのプロトン管制システムの移行は正常に終了しました。」
「なら何をしているのかね?」
「すいません、無断で悪いとは思ったのですが広域探査レーダーを使わせてもらっています。」
「広域探査?」
ヘレンの代わりにライトが答えた。
『彼女はパペット隊を探しているのでしょう。』
「そう、か」
タキオは目を細めてライトに命じた。
「艦内放送をつないでくれ。クルーに今の事態を伝えて、ブリッジクルーを招集しなくては。」
『了解。タキオ。』
カレンは今手に入れたばかりの大きな身体の各部を総動員して全方位を最大距離まで探査していた。可能性があるかぎり、あきらめない。そのために二人は力を尽くしたのだった。宇宙においては小さな、小さなパペット数機を発見することはほとんど不可能に近い、しかし最後にプロトンと接触したときにプロトンは誰にも言っていない情報を隠し持っていた。強力な電磁波でほとんど外部から観測不能なパペット隊と未確認木星圏知性体との交戦。そのときにプロトンはパペット隊がいったんひいたことを確認していた。しかし船まで戻ってきていないことは生存の可能性は低い。そう判断したプロトンは、パペット隊は全滅として次なる作戦を考えていたのである。
しかしついにそれは見つかった。
「あった!」『いた!』
すでにタキオの放送によってブリッジに集まりだしていた人たちを気にする余裕など無くヘレンは大きな声を出していた。ヘッドセットをはずして立ち上がり、艦長に向き直る。
「パペット隊を発見しました!十一時の方向、下方十二度、距離一万!今すぐ救援に向かいましょう!」
タキオは驚き、そして安堵した。
「そうか。わかった。」
タキオは全員が所定の位置に座ったのを見て大きく息を吸った。
「みんな聞いたとおり、本艦はこれからパペット隊の救援に向かう。」
大ディスプレイにカレンが映る。
『みなさんこんにちわ。事情はもう聞いていると思いますが新しくこの船のAIを務めるカレンです。プロトンと違い皆さんのサポートしかできませんので、どうかよろしくおねがいします。』
ざわざわしだすブリッジをタキオが制する。
「今は一刻も早くパイロットたちの安否を確認するのが先決だ。各員配置につけ、プロトン発進準備!」
ヘレンは席に座ってヘッドセットをつける。
「お疲れ様カレン。」
『ううん。これからよ。ショウジを迎えに行くんでしょ。』
「うん」
ヘレンは嬉しそうにうなずく。
「グラビティエンジン始動!」
『グラビディエンジン始動。臨界まで百秒。障害がなければ二時間後にはパペット隊を回収できます。』
「グラビティエンジン正常に始動しました。」
「艦内の人工重力、安定しています。」
「各員配置につきました。いつでもいけます。」
タキオはシートから立ち上がり、大ディスプレイに映った三機の小さな機影を指差す。
「プロトン発進!」
『プロトン発進!』
終
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