A級戦犯て何?

update 2001.10.27

A級戦犯(A級戦争犯罪人)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)の戦争責任を追及され、その罪を問われた人たちを指します。A級で 約200名おり、その他にもB級(指揮・監督にあたった将校・部隊長)・C級(捕虜の取り扱いにあたった者)で 約5700名がいます。

しかし、「A級戦犯」という名称は、日本の法律で定められた言葉ではありません。

日本は、大東亜戦争にてポツダム宣言を受諾し降伏、そして、連合国軍の占領下に入りました。そのポツダム宣言には「戦争犯罪人に対しては峻厳な裁判が行われるべし」との項目が入っていました。
1946年、連合国軍は、マッカーサー元帥の名のもとに、極東国際軍事裁判(東京裁判)を開きました。そこで、A級戦犯として 28名が起訴され、戦争責任を問われました。



起訴されたのは、東条英機を含む内閣の大臣たちや、軍の将軍たちです。
彼らは、国際法(国際的な会議で決められた条約や、日本が他国と結んだ条約などの総称)に従いその罪を裁かれましたが、起訴状には「平和に対する罪」「人道に対する罪」という当時の国際法には無い法概念がありました。
今でこそ信じられないかも知れませんが、当時、戦争は有効な政治手段として認められており、このような概念で国家の指導者を裁くことは、国際法の歴史上初めてのことでした。

この東京裁判については、正当性を疑う見解が多く、今日でも論争が絶えません。
「法なければ罪なく、法なければ罰なし」という法律の大原則が破られ、日本の戦争責任を問うために、新たな法概念を追加したように見えるからです。
現に、東京裁判の判事達の中で、唯一国際法の専門家であったインドのパール判事は、国際法上の根拠を欠くとして、被告全員の無罪を主張しました。
後の歴史家・法律家の中には、あの裁判は「勝てば官軍、負ければ賊軍」式の報復裁判であったとの意見も多く存在します。
しかし、平和に向けた新たな法概念が初めてできたということで、肯定する意見もあります。

結局、この裁判では、東条英機ら 7人が絞首刑、16人が無期懲役、2人に有期禁固刑の判決が下り、1人が病気のため免訴、2人が裁判中に病死という結果に終わりました。

また、この東京裁判のほか、世界各地で連合国軍の軍事裁判が開かれ、数々の戦争指導者が有罪となりました。これらの裁判で、戦犯達は A級・B級・C級と区別され、900名以上の者が死刑判決を受けました。


その後日本は、7年間にわたり連合国軍に占領されました。
GHQ(連合国軍総司令部)により占領政策が行われ、日本国憲法の公布や、新聞・ラジオ等のメディアの規制がなされました。GHQの政策は、自国の戦争に対しての深い罪悪感を培うもので、その影響は今日の私達日本人の中にも深く刻み込まれています。

そして、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本は再び独立しました。
このような時、占領下での政策・裁判・法令などはすべて失効するのが国際法の通例ですが、講和条約の第11条に「Japan accepts the judgments」という下りがあり、ここでは、東京裁判での判決を日本が受け入れ、その判決は日本政府だけではなく連合国軍の承認を得なければ覆すことができないと、定められています。つまり、日本は独立したとはいえ、勝手に戦犯を釈放したり、刑の執行を怠ったりすることができなかったのです。
今日、この第11条の解釈には様々な議論があります。日本語正文での翻訳では「judgment」を「裁判」と訳しているため、東京裁判自体(東京裁判史観)を正当化する声が多く存在します。

その後の国民世論として、戦争に負けたとはいえ戦犯に対する思いは、決して悪いものではなく、むしろ同情的でした。
1953年には、国会で「戦争犯罪による受刑者の放免に関する決議」が可決され、関係諸国の同意もとに、A級・B級・C級の戦犯達は釈放されました。
また、1954年から「戦傷病者戦没者遺族等援護法」にて、戦犯の遺族達も一般の戦没者の遺族と同じように遺族年金や弔慰金が支給され、1955年からは、裁判での拘禁期間も在籍期間とする恩給も支給されるようになりました。
このように、日本政府は、戦犯達もA級・B級・C級の区別を問わず扱っており、軍事裁判での死亡者は一般戦没者達と同じように「公務死」として扱っています。

1956年から厚生省は、靖国神社の合祀事務を開始しました。各都道府県と協力し、一定の合祀資格のある者を祭神としてリストアップし、靖国神社に「祭神名票」として通知しました。靖国神社では、その名簿を受け新しい祭神として合祀していきました。
1966年には、A級戦犯達の名簿が靖国神社へ送付されましたが、国会で「靖国神社法案」が提出されるなど諸所の問題があり、合祀は数年見送られました。しかし、1978年にはA級戦犯達も合祀されました。
このように、戦没者の合祀には、厚生省が名簿を作り、それに基づいて靖国神社が合祀しています。今日、戦犯の合祀については、厚生省は「靖国神社が名簿を送ってくれというから送った」と言い訳し、靖国神社は「厚生省が名簿を送ってきたから合祀した」と言い訳し、まったく意味の無い議論が見られますが、元々、陸海軍省がやっていた祭神名簿作成を厚生省が引き継いだという経緯もあり、官民一体となって行っている作業だといえます。

以上が、A級戦犯についての説明と合祀に至る経緯です。



戻る