梨尾から遠く古薮を望む
あの黄色いRX−7の家であるが、じつは最初は夜昼峠にあると思っていた。夜昼峠の手前には大上、滝山という集落があり、その集落を離れてしばらく行ったところにRX-7の家があるというのが当初の記憶だったのだ。しかし、その考えは実際に夜昼峠を訪れて捨てていた。それらしい場所には家も家の痕跡もなかったからである。そして、夜昼峠と並列して心に浮かんだ地名である古藪なのだろうと結論した。ところが古藪を訪ねてもそれらしい建物はなかった。念のために出かけた田浪にもなかった。これはと思った古藪の芝中でもないようだった。それでもう探索はあきらめていた。当時は利用できる地図も限られていたが、今年になってインターネットで地図を見ていると、夜昼峠と古藪をつなぐ林道があることがわかった。それはまさに重要ポイントの2地点を結ぶ道だ。まさしく新しい道が開けたのだ。その林道を行けば何かがわかるかもしれない。
2011年の8月12日、その林道の入口に立った。看板があり林道の説明がある。たいへんありがたいことだが、私以外の誰に向けてのメーセージなのだろうか。その意図はつかめない。林道は5.3kmほどあり、その名称は芝中線となっている。あの古藪の集落は芝中であり、その名がつけられた道ということがわかる。
ロードレーサーベースの自転車で山中の未舗装路に入っていくのはちょっとためらわれる。自分の腕と自転車を信じて行ける所まで行くことにする。路面の泥が硬いことはありがたいが、大きめの尖った石ころがまかれているのが恐い。自動車にはどうってことない石ころかもしれないけれど、自転車ではハンドルをとられタイヤが破断する恐れがある。
左右の杉桧林ではけたたましくヒグラシやアブラゼミが鳴いている。日向も日陰も雑草ぼうぼうで路面もほとんど見えない。道を覆って萩が咲き、道路の真ん中にかわいい黄色い花が咲いている。ヒメキンミズヒキだろうか。自動車の通行は一月に一度もなさそうだ。草木が自動車の影響を受けた痕跡は認められない。手足をひっかく潅木がウルシ系だったらあとが厄介だなと思う。草むらで足元が見えないから蛇を踏まないようにしなければならない。第一にかわいそうだ。第二にハメ(まむしの地方名)ならば噛みつかれ動けなくなったら命がない。谷側は崖になっており、ハンドル操作を誤って転落して、動けなくなっても致命的だ。
何を好き好んでこんな所を走るのか、という疑問が起きる前に、やってみてよかったと思っている。この道の感じはまさに35年前のあの日のものだ。あのときは友人の自動車だった。買ったばかりの新車のサニーだ。潅木の枝がさりさりと真新しいボディーをこするたびに、気の毒なことになったと後悔したことも思いだした。「引き返すか?」「もう戻れるかい!」という会話もあった。確かにこの道に間違いないのだ。
気疲れでまいりそうになった頃、いい塩梅で林道が終わった。出てきたのは古藪の芝中。1998年に訪れたあの場所に違いない。ところが、あの時ともまた風景が変わっている。家の数が減っているように思う。田んぼはわずか数枚になった。写真中央奥にある杉木立は、1998年にはこんな感じだったのだ。田をやめて植林された杉が鬱蒼と成長し、13年前に撮った自転車越しの集落という景色はなくなっている。こうして林道を抜けてきても、やはりあの黄色いRX-7の家が芝中にあったとは思えない。もしあったとすれば、写真の場所のはずだ。そして現在ではその家はなくなっているはずだ。
林道芝中線を走って、あのRX-7の家は夜昼峠にあったと確信した。八幡浜から夜昼峠に向かうと有名なレンガ造りのループトンネルがある。その千賀居隧道の手前が芝中線の起点であり、その前はぽっかり空間があいて荒地と畑になっている。ただ、昭和にはそこに民家があったらしいことは古い地図を見ればわかる。そして、その庭先にRX-7が止めてあったのだ。私が最初に予想していたポイントもそこだった。しかし、1997年に夜昼峠を訪れたときには民家もその痕跡もなかった。そのためRX-7の家は古藪だろうと当たりをつけたのだった。
写真の道路を挟んで右手奥の方は荒れ地であるが、家一軒を建てるぐらいのスペースはある。道路の左手は檜の苗が植えられている。よく考えてみれば、土地が貴重な八幡浜にこんなスペースは不自然だ。やはり民家の跡地なのだろう。
檜林の左は畑になっている。シソとか芋とかたいしたものを育てているわけではないのに、青い網で囲ってある。今年八幡浜を訪れてどこに行っても畑の囲いが厳重なのに驚いた。電気柵もかなり多い。話を聞いてみると、イノシシとハクビシンの被害が深刻なようだ。四国では猿や鹿は八幡浜付近には生息していない。そのかわり、イノシシとハクビシンはとても数が多いようだ。地面を掘るイノシシと木に登るハクビシンに寄ってたかられるとたまったものではない。私に夜昼峠の名前の由来やのびあがりのことを教えてくれた父は、よく鉄砲で鳥や獣をしとめていた。あの頃にはイノシシは数も少なく貴重な獲物だったものだ。八幡浜では絶滅するんじゃないかという心配もあったぐらいだが、時代は変わるものだ。
2011年8月20日記す