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初めての壁画で僕はユダを描いた。後で知ったが、ユダはレオナルド・ダ・ヴィンチの名画、最後の晩餐の中でキリストを裏切る人物だ。僕は絵の由来も知らずに、ダ・ヴィンチが描いたユダの素描のみを見て気に入った。そして、BARの一枚の扉に、ユダの顔をデカデカと描いた。結果、男(ユダ)は裏切るもの!?という意味の扉になった。ちなみに友達が描いたもう一枚の扉は、聖母マリアだった。それから、壁画に興味を持ちはじめ、画集を読み、模写の壁画を続けた。芸術の代名詞といえるルネッサンス期の壁画も、その時代には芸術性だけでなく、聖書の内容を伝える役割も担っていたという、壁画の側面も改めて再確認した。しかし現在、何かの内容をつたえるだけの壁画は、デザインのポスターと言えるし、芸術性だけを追求すると文章が長くなり職業も変わる。では、壁画や描くことってなんだろう? ラファエロ作『アテネの学堂』の絵の中では、作者であるラファエロ自身が、偉大な哲学者たちと共に、ちゃっかり登場している。初めてこの絵を見たときは、なんだかほっとして笑えた。僕がもし制作現場にいたなら、『ラファエロさん、自分も絵の中にでてるやん?おもろいことするなぁ』と喋ってみたかった。そしたらラファエロは、ニヤリと笑いながら振り向いただろうか、それとも怒って筆を止めただろうか?本当にそんなやりとりがあったのかもしれないと思うと親しみが湧いた。この絵がきっかけで、それまで難しい印象だった壁画が、わりとお茶目な所もあるな、という印象に変わっていった。絵の中の謎から、作者の声が聞こえてくるようで、壁画を身近に感じれたからだ。 壁画や描くことってなんだろう?この疑問に対する答えの一つを、僕はこう解釈することにした。壁画は古より何かを伝える大事なコミニケーションの道具だった。そして、その道具としての壁画を使って、コミニケーションすることを、描くこと、または描く仕事といえるのではないだろうか。
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2000/お台場/飲食店 /戀(ren) |
マチャアキと書くと孫悟空を思い出し、雲の中に手を描くだけで、お釈迦様の手だということがわかる。あの名場面が懐かしい。モンキーマジックが頭に流れ、筆をはしらせた。 | |
2000/ディスプレイ /All About My Mather (映画) |
念のため、印刷ではないのです。○と模様は、ひとつひとつ、塗っているのです。 | |
2003/渋谷/住宅/ リノベーション/ |
古い部分と新しい部分が同居する空間 | |