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■はねつきが「魔よけ」の理由

正月に羽根をつくことは、「世諺問答」(せげんもんどう)(1544年刊)には、ムクロジの実に長い竹ひごをさし、鳥の羽根をつけ、板で突きあげたとあり。その羽根の飛ぶさまが虫を食べるトンボに似ているので、子供が蚊に刺されないおまじないとして始められたという意味の事が書かれています

中国の14世紀ころに硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代にこれが日本へ伝来、これが羽根つきの起源とされています。

室町時代には、宮中のことを記録した「看聞御日記」に羽根つきの記録があります。
この記録には公卿や女官が羽根つきをし、負けた組が酒を振舞ったとの記録があります。

戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったとのことです。 今も女児の初正月に羽子板を贈ることが習慣が残っています。





「羽根つきの始まり」には諸説ありまして、
・「ツクバネ」(こぎの来)という落葉樹の実を、手でついて遊んだのが始まりとも言われています。この果実には、4枚の大きな苞が付いていてその形は、羽根つきの羽根にそっくりです。この木は、別名ハゴノキ、コギノコとも呼ばています。

常陸の国(茨城県)の筑波山の伝説です。

「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)と「伊弉冉尊」(イザナミノミコト)の夫婦の神は、
「日神」と「月神」の二人の子供達のために、筑波山に自生する「つくばね」の実を採りこれを掌で打ち上げ、二人で遊ぶことを教え、子供達は楽しく遊んだと言います。

はねつきの遊びとしての形態ですが、「突き羽根」と「追い羽根」の二つに分けられます。

「突き羽根」は数を取って一人で突く遊びす。

「追い羽根」では「右方・左方に方を分ち、男女混合で勝負を競」いあったと記録が(室町時代)あります。この様子は『月次風俗図』(平安時代)にいきいきと描かれています。

男・女で組わけをしているものも、混合でチームを作っているものも見られます。一チームの人数は二人から四人。着物の裾(すそ)をたくり上げたり下駄を脱いだり、大はしゃぎで男も女も愉快そうです。

「羽子板」が「ハコイタ」とも「コキイタ」ともふり仮名されています。はねつきの最も古い記録として「こきのこ勝負」という名称を紹介しています。コギは「胡鬼」と書き、ここでは「羽子」が「胡鬼の子」と呼ばれていました。

この「こぎのこ」にまつわるお話しもあります。

まず胡鬼子はビャクダン科のある落葉低木、学名 Bcukleya lanceolata の中国名です。なぜ、これが「はねつき」に関係してくるのかは、その実が「羽子」にそっくりなのです。

  ☆参考リンク→  つくばね

この木は日本名を「つくばね」といい、「衝羽根」「撞羽根」もしくは「突羽根」と書かれます。


資料提供 こうげつ人形


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