押し絵羽子板のお話 
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■羽子板のこと

「はねつき」の道具である羽子板に絵が描かれ、縁起をかつぐようになったのは江戸時代、文化・文政のころのことだそうです。この時代、ようやく庶民が文化・経済活動に参加し始め、印刷の方法も改良されていたというのが主な引金だと思われます。当時、人気のあった役者の似顔絵などを印刷して人気に応じて値段をつけ、現在大量生産されているキャラクター商品さながらでありました。

江戸時代になり羽子板の図柄は日の出・七福神・松竹梅など目出度い絵に加えて、町人文化・元禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵が登場します。錦絵の影響を受けた貼り絵の羽子板が作られ、江戸時代の終わり頃に、押し絵を応用した役者似顔絵が作り出され、高い人気がありました。
明治時代に入り、歌舞伎黄金時代が到来し、九代目団十郎・初代左団次・五代目菊五郎などの名優が登場押し絵や押絵羽子板が江戸工芸・東京の職人芸として完成していきました。



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■押絵羽子板■

・綿を布でくるんで、さまざまに立体的な絵柄を仕上げる 「押絵」が羽子板に取り入れられたのは、
江戸時代の初め ごろです。

・江戸時代後期の文化文政期(1804〜 1829)になると、
歌舞伎役者の舞台姿を写した押絵羽子板が登場して江戸の人々の人気を博しました。

・ 江戸庶民文化が 創り出した工芸品である押絵羽子板は、
歌舞伎の発展と ともに発達し、その伝統的な技法は今日も受け継がれ、
現在の押絵羽子板師たちが伝統工芸品「押絵羽子板」 製品を作りだしています。

・押絵羽子板は押絵を桐の板に貼り付けて作られます。

押絵の「押す」という言葉は、昔は紙を張ることを紙を押すといい、布を張ることを布を押すといいました。この押絵羽子板もそこから来たもので、厚紙に羽二重の布をかぶせ、中に綿を入れてふくらませ布の端を厚紙の裏にまわして張ったものを、桐板に貼り付けたものです。

全部で50〜70もの材料を組み合わせおよそ200もの工程をかけて一枚の羽子板として仕上げられます。

押絵羽子板には一般的に男物と女物があり、男物は縁起物として不景気をはねのけると言われ店内に飾られる事が多く、女物は女子のお祝い物として飾られます。

男物は歌舞伎役者が見えを切ったときの表情や仕草を描いたものや、人気役者の顔を似顔絵風に描いたものが多いことから「役者物」といわれ、女物は眼のパッチリとした美人を描いた「見立て物」、浮世絵の美人を描いた「浮世絵風」、細めの日本画風美人を描いた「松園風」がありますが、近年ではTVドラマやマンガの主人公を描いた「変わり羽子板」というものも作られていま


資料提供 こうげつ人形


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